コンテンツにスキップ

元尾道市長夫妻殺害事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

元尾道市長夫妻殺害事件(もとおのみちしちょうふさいさつがいじけん)とは、1980年昭和55年)2月9日日本広島県尾道市で発生した殺人事件。前尾道市長(当時)の佐藤勲が、自宅で妻と共に殺害された。

犯人の特定・逮捕には至らず、未解決のまま事件発生から15年後の1995年平成7年)2月公訴時効が成立した[1][2]

事件の概要

[編集]

被害者の市長は公人であるため実名であるが、それ以外の人物については仮名とする。

佐藤勲は医師で尾道市議を4期務めた後、1975年4月27日に行われた尾道市長選挙で初当選した。尾道市の当時の累積赤字を1978年度までに無くすなどの実績を挙げていた。しかし、2期目を目指していた1979年2月に市立学校の増改築をめぐり、業者に便宜を図った謝礼を受け取ったという収賄容疑で逮捕され、同年4月21日付け辞職した(翌22日に行われた市長選挙へは出馬しなかった)。

1980年2月9日、当時刑事事件被告人であった佐藤(当時52歳)が妻(当時45歳)と共に尾道市浦崎町[注 1]の自宅で殺害された。夫婦は二階の寝室で首をかき切られ惨殺されており、妻は背中を中心に35か所刺されていた。同日朝、佐藤が自宅横の病院に出勤してこなかったため、看護師が迎えに行ったところ、遺体を発見した[1]。発見後、病院職員により救命活動が行われたものの、佐藤は即死状態であった[1](この救命活動により現場に多くの人が出入りしたため、精密な鑑識活動ができなかったとされる[2])。当時同家は次女(当時25歳)が同居していたが、彼女は看護学校へ朝出かけた時には不審な点はなかったという。また、長男(当時21歳)は東京で大学入試に臨んでいた[2]

犯行現場となった佐藤宅であるが、電話線が切断され自宅内を物色された痕跡があり、計画的犯行の可能性が高かった。また医師で政治家という職歴から怨恨の可能性もあるほか、強盗殺人の可能性もあった。そのため被疑者は多数に及ぶことになった。

ただし、金庫が木の棚から取り出され、祝儀袋も散乱していたが、財布も手つかずで、妻の所持品にも無くなったものが確認できなかった[1]。ただし、佐藤が個人的に金を貸した際の借用書の一部が無くなっていたことに長男が気付いている[2]。また、自宅脇の倉庫から犯人のものと思われるニッパーやたがねなどの工具4点(数日前に尾道市内で購入されたものと判明)が発見されたが、これらで金庫をこじ開けようとした痕跡も無かった[1]。犯人は勝手口から2階寝室まで一直線に侵入したものとされており、指紋は検出されず、犯行後に2階の洗面台で手や刃物を洗ったとみられているが(遺体発見時、水が出しっぱなしだった)、逃走に使ったと思われる勝手口のドアノブには血痕が付着していた[1]。そのため、警察は事件2年半後から怨恨の線に絞って捜査を続けた[1]

捜査を担当した広島県福山西警察署[注 2]は、捜査本部に夫婦の遺影を掲げ捜査したが、被疑者を特定できないまま、1995年2月に刑事訴訟法の公訴時効が成立した。

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 浦崎町は沼隈半島にあり、尾道市中心部に行くには渡し舟で海を渡るか、松永湾岸を陸路迂回する必要のある飛び地である。
  2. ^ 事件発生地は、飛び地であるため、尾道警察署ではなく隣接する福山市にある警察署の管轄だった。

出典

[編集]

参考文献

[編集]
  • 朝日新聞新聞縮刷版1980年2月、1995年2月号。