コンテンツにスキップ

佛通寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Saigen Jiro (会話 | 投稿記録) による 2018年7月19日 (木) 02:53個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Category:広島県指定有形文化財を除去; Category:広島県指定重要文化財を追加 (HotCat使用))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

佛通寺

仏殿
所在地 広島県三原市高坂町許山22
位置 北緯34度27分21.1秒 東経133度1分35.6秒 / 北緯34.455861度 東経133.026556度 / 34.455861; 133.026556座標: 北緯34度27分21.1秒 東経133度1分35.6秒 / 北緯34.455861度 東経133.026556度 / 34.455861; 133.026556
山号 御許山
宗派 臨済宗佛通寺派
寺格 本山
本尊 釈迦如来
創建年 1397年応永4年)
開基 小早川春平愚中周及(開山)、即休契了(勧請開山)
札所等 中国三十三観音12番
安芸三十三観音25番
山陽花の寺21番
文化財 含暉院地蔵堂・絹本著色大通禅師像(国の重要文化財)
木造佛通禅師坐像・佛通寺文書ほか(県重要文化財)
法人番号 8240005011787 ウィキデータを編集
佛通寺の位置(広島県内)
佛通寺
佛通寺 (広島県)
テンプレートを表示
多宝塔

佛通寺(ぶっつうじ)は、広島県三原市にある寺院で、臨済宗佛通寺派の本山。山号は御許山。本尊は釈迦如来中国三十三観音霊場第十二番札所、山陽花の寺二十四か寺第二十一番札所。

紅葉時期の景観はすばらしく、県内屈指の紅葉の名所として多くの参拝者や観光客が訪れている。

御詠歌:わがつみを お許しうけて 今日よりは 仏にかよう こころうれしき

歴史

佛通寺は、1397年応永4年)小早川春平開基愚中周及開山により創建された。春平は奉公衆として京都で足利将軍家に仕えており、同僚の那珂宗泰と親しかった。春平は宗泰から、那珂氏の所領にある天寧寺にいる愚中の名声を聞き及び、彼を招いて氏寺を建立することで、南北朝時代の動乱のさなか自立性を強めた一族内の結束を図ろうとした。佛通寺の名は、愚中周及の師である即休契了を勧請開山とし、その諡号「仏通禅師」から取られており、場所は佳き山水の地を選んで建立された。1409年応永16年)には後小松天皇から紫衣の着用が許されたが、同年愚中は示寂、以後弟子たちは愚中派として臨済宗の中で一派を形成した。1441年嘉吉元年)足利将軍家の祈願所となり、小早川氏のほか毛利氏の保護も受けの帰依を受けて、最盛期には塔頭88、西日本に末寺約3000寺に上ったという。しかし、応仁の乱以降寺勢は衰え、小早川隆景の代でやや盛り返すも、その後の権力者の変転の中で取り残されていった。明治に入ると法灯は盛り返し、1876年(明治9年)一時天龍寺派に属するも、1905年(明治38年)には天龍寺から独立して臨済宗佛通寺派を称し、その本山となった。

文化財

重要文化財(国指定)

  • 佛通寺含暉院地蔵堂 附:須弥壇 - 応永13年(1406年)建立。含暉院の仏殿として建立。様式は折衷様で、桁行3間、梁行3間の一重宝形造本瓦葺(元は茅葺)。
  • 絹本著色大通禅師像 附:紙本墨書大通禅師墨蹟(1407年(応永14年))、紙本墨書大通禅師消息(1408年(応永15年)) - 大通禅師像は14-15世紀の作。愚中周及自身の賛によると、「前作州太守天心順公居士」こと小早川春平のために着算された。図様は、右手で自身の頭頂部を撫でるという、「頂相としては極めて特異な姿で描かれている。姿も黒衣に褐色の袈裟、節だらけの自然木の曲彔(椅子)に座し、像主の質素な暮らしぶりを思い起こさせる。墨跡は示寂する2年前に書かれ、同じ内容のものが他にもある。消息は寺の政所宛で、京都を離れたらそのうち佛通寺に帰ろうと思うのだが、足利義持の意を受けた小早川則平(春平の子)の策略で叶いそうもない、寺のことは覚隠真知に申し付けるので諸事相談するよう述べる。義持は愚中を極力京都近郊に留めようとしており、愚中はこの後佛通寺には帰れなかった[1]

広島県重要文化財

  • 木造佛通禅師坐像
  • 木造大通禅師坐像
  • 紺紙金泥細字法華経 附:木製漆塗六角経幢
  • 佛通寺文書
  • 佛通寺正法院文書
  • 金剛般若波羅蜜経版木
  • 延命地蔵菩薩経版木

登録有形文化財

  • 多宝塔 - 開山堂脇に立つ。昭和初期の建築で、軒周辺の材料に反りをもたせせ、整った塔姿が特徴の近代の多宝塔。

広島県天然記念物

仏通寺のイヌマキ(ぶっつうじのいぬまき)は広島県指定天然記念物(1961年11月1日指定)。参道正面左側、県道50号線と佛通寺川に架かる巨橋の間にある。樹高約20、胸高幹囲3.52mのイヌマキ(犬槇、学: Podocarpus macrophyllus)の巨木。雌株。仏通寺開山の愚中周及禅師のお手植と伝わる[2][3]

所在地

広島県三原市高坂町許山22

画像

前後の札所

中国三十三観音霊場
11 向上寺 -- 12 佛通寺 -- 13 三瀧寺
山陽花の寺二十四か寺
20 千光寺 -- 21 佛通寺 -- 22 棲眞寺

脚注

  1. ^ 東京国立博物館 京都国立博物館 日本経済新聞社文化事業部編集 『臨済禅師一一五〇年 白隠禅師二五〇年遠忌記念 禅―心をかたちに―』 日本経済新聞社、2016年4月20日、pp.129,131,372-373。
  2. ^ 広島県教育委員会. “広島県の文化財 - 仏通寺のイヌマキ”. 広島県管理部総務課秘書広報室. 2016年5月13日閲覧。
  3. ^ 近畿中国森林管理局. “仏通寺自然観察教育林”. 林野庁. 2016年5月13日閲覧。

参考文献

  • 『臨済宗佛通寺派大本山 佛通寺の文化財展』 三原市教育委員会、1996年10月29日

外部リンク