佐伯町 (大分県)
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さいきちょう 佐伯町 | |
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廃止日 | 1941年4月29日 |
廃止理由 |
新設合併 佐伯町、八幡村、大入島村、西上浦村 → 佐伯市 |
現在の自治体 | 佐伯市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 大分県 |
郡 | 南海部郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
22,202人 (国勢調査、1940年) |
隣接自治体 | 八幡村、上野村、切畑村、直見村、川原木村、青山村、下堅田村、木立村、西中浦村、大入島村 |
佐伯町役場 | |
所在地 | 大分県南海部郡佐伯町鶴谷 |
ウィキプロジェクト |
佐伯町(さいきちょう)は、大分県南海部郡にあった町。現在の佐伯市の一部にあたる。大正末期から中小造船業が盛んになった[1]。
地理
[編集]歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、南海部郡佐伯村が単独で町制施行し佐伯町が発足[1][2]。大字は編成せず[1]。
- 同年、船頭町で大火発生し130戸が焼失[1]。
- 1896年(明治29年)佐伯製紙設立[1]
- 1897年(明治30年)鶴谷貯金銀行設立[1]
- 1909年(明治42年)佐伯電灯会社設立[1]
- 1937年(昭和12年)4月1日、南海部郡鶴岡村、上堅田村と合併し佐伯町が存続[1][2]。旧佐伯町域を除き、鶴望、上岡、稲垣、長谷、池田の5大字を編成[1]。
- 1941年(昭和16年)4月29日、南海部郡八幡村、大入島村、西上浦村と合併し、市制施行し佐伯市を新設して廃止された[1][2]。
区
[編集]佐伯町が発足すると町域を12区とした[1]。
- 1区(杉谷・西谷)
- 2区(新道・新屋敷・新小路)
- 3区(船頭町)
- 4区(芳島)
- 5区(内町)
- 6区(三町)
- 7区(山手・大田中)
- 8区(中村)
- 9区(臼坪)
- 10区(長島)
- 11区(女島)
- 12区(灘)
- 12区(上灘)
- 13区(下灘)
- 14区(港町)
- 15区(常盤町)
交通
[編集]鉄道
[編集]教育
[編集]- 1890年(明治23年)旧佐伯藩主毛利氏が鶴谷学館を設立し、1909年(明治42年)廃校[1]。
- 1904年(明治37年)裁縫伝習所開設(佐伯高等小学校内)[1]
- 1907年(明治40年)郡立准教員養成所開設[1]
- 1911年(明治44年)郡立佐伯中学校開校[1]。1916年(大正5年)県立移管[1](現大分県立佐伯鶴城高等学校)
- 1912年(大正元年)町立実科高等女学校開校[1]。1918年(大正7年)郡立移管[1]。1923年(大正12年)県立佐伯高等女学校となる(現大分県立佐伯鶴城高等学校)。
- 1925年(大正14年)私立鶴谷女学校開校[1]
海軍
[編集]名所・旧跡
[編集]- 佐伯城(国指定史跡)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 44 大分県
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。