伊藤義平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

伊藤 義平(いとう ぎへい、1855年11月16日(安政2年10月7日[1][注釈 1])- 1923年大正12年)2月9日[2])は、明治から大正期の官吏、実業家政治家衆議院議員。旧姓・山崎。

経歴[編集]

伯耆国久米郡、のちの鳥取県[3][4]東伯郡灘手村[5][6][7](現倉吉市)で、鳥取藩士・山崎左馬の四男として生れ[6][8]、安政5年3月(1858年)伊藤弥平の養子となる[8]。町医者・中原松斎の塾で漢学を修めた[5][7]

1874年(明治7年)豊岡県に奉職[5]。以後、兵庫県属・会計事務、会計検査院、神奈川県収税署長、島根県税務署、東京府庁、衆議院事務局会計課などに勤務し[3][5][6][7][8][9]、この間、東京法学院(英吉利法律学校前身、現中央大学)の夜学に通い1896年(明治29年)に卒業した[2][4][5][7]逓信省愛知県勤務を経て[3][8]1898年(明治31年)に退官した[3][5]

同年、尾三農工銀行に入行し支配人に就任[8][9]。その後、同頭取、尾三貯蓄銀行取締役、名古屋瓦斯取締役、京都瓦斯取締役、尾西鉄道(名鉄尾西線)取締役、新愛知新聞社相談役などを務めた[2][3][4][6]

1915年(大正4年)3月、第12回衆議院議員総選挙に愛知県郡部から立憲政友会所属で出馬して当選し[10]、その後憲政会に所属し衆議院議員に1期在任した[2][4]

著作[編集]

  • 『間接国税犯則者処分法釈義』伊藤義平、1891年。
  • 『砕琴録』小田野直清、1894年。
  • 編『銀行法規類纂』伊藤義平、1901年。
  • 公庵伊藤義平編『公庵漫録』伊藤義平、1921年。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『人事興信録 第4版』い29頁では安政3年10月5日。

出典[編集]

  1. ^ 衆議院『第三十六回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1915年、12頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 – 衆議院議員名鑑』43頁。
  3. ^ a b c d e 『現代日本の政治家』無所属1-2頁。
  4. ^ a b c d 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』32頁。
  5. ^ a b c d e f 『東京名古屋現代人物誌』62-68頁。
  6. ^ a b c d 『大日本人物誌』い之部175頁。
  7. ^ a b c d 『地主名鑑 第壹編』1-4頁。
  8. ^ a b c d e 『人事興信録 第4版』い29頁。
  9. ^ a b 『名古屋百紳士』24-25頁。
  10. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』55頁。

参考文献[編集]

  • 成瀬麟、土屋周太郎編『大日本人物誌 : 一名・現代人名辞書』八紘社、1913年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
  • 長江銈太郎『東京名古屋現代人物誌』柳城書院、1916年。
  • 馬場籍生 『名古屋百紳士』名古屋百紳士発行所、1917年。
  • 『地主名鑑 第壹編』不動産研究会名古屋事務所、1918年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。