任岐

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任 岐(じん き)は、中国後漢末期の人物。益州蜀郡の出身[1]

初平2年(191年[2]犍為太守の官にあり、漢朝からの独立を図った益州劉焉を攻撃したが、返り討ちに遭い、殺害された。

三国志』劉焉伝によると、独立を目論む劉焉が州内の豪族十数人を殺害したがために、元々は劉焉を迎え入れた賈龍と共に行動を起こした[3]。一方でその注に引く『英雄記』によると、任岐は自らを将軍と号し、従事の陳超と共に劉焉に背いたとされる[4]

出典[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 英雄記「岐、龍等皆蜀郡人」
  2. ^ 司馬光資治通鑑』巻60 漢紀52
  3. ^ 劉焉伝「犍為太守任岐及賈龍由此反攻焉,焉擊殺岐、龍」
  4. ^ 英雄記「犍為太守任岐自稱將軍,與從事陳超舉兵擊焉,焉擊破之」