他阿一雲

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他阿 一雲(たあいちうん、本名:河野 憲善(こうの けんぜん)、1910年6月 - 2004年8月26日)は、兵庫県神戸市生まれの時宗の73世法主(遊行上人)、藤沢市清浄光寺56世住職(藤沢上人)。島根大学名誉教授(専門は日本思想史

略歴[編集]

著作[編集]

論文[編集]

エピソード[編集]

  • 本人によると、旧制松江高等学校の後輩に古田紹欽がいる。
  • 山梨県甲府市の一蓮寺河野良心に師事した頃、中学校に通ったようで甲府中学卒業の学歴がある。
  • 京都帝国大学では、最初物理を学び、後にインド哲学に転科している。理由は両方ともやりたかったからなのだそう。

引退後の扱い[編集]

時宗の遊行上人は終身制であるため途中で病にかかって長期入院してしまっても代務者を立てることができなかった。このような制度により遊行上人が遷化(死亡)した後、前任に代わり法主候補者が新たに遊行上人となるのが従来の事務処理上手続きであった。

ただし、この制度には不都合な面があり、それは病などにより任務が遂行できなくなるような状態であっても遊行上人は任務を継続しなければならず、周囲の僧侶が運営する行事に停滞が発生することが問題としてあった。

この問題を解決するため遊行上人が任務を執行できない状態や環境に陥った場合、直ちに任務執行者である遊行上人は退位して代務者が代務行うように時宗の規則の改正を行った。

2003年4月、体調不良ため他阿一雲上人は神奈川県の親族にも内緒で故郷の出雲に送り返された。出雲の近所の住民からの電話で親族は事の次第を知ったが骨粗鬆症の上に肺炎を起こしており、病院に入院させようにも住民票など全て藤沢においたまま、本人のみ出雲に運んでしまい、あまりの扱いに怒るがどうしようも出来なかったという。[要出典]

10月24日には遊行74世他阿真円上人の晋山式挙行。

2004年7月容体悪化、2004年8月26日未明薨去。

このような扱いが起きた原因は、任務が遂行できなくなれば引退できるように規則の改正をしたものの、引退後の地位などについて一切考慮しなかったために起きた点や任務執行者である遊行上人が一身上の都合により宗教的業務に障害が起きた際に連絡・処理マニュアルが整備されていなかった点が指摘されている[誰によって?][要出典]

先代:
他阿一心
遊行上人(時宗法主)
第73代:1990年-2003年
次代:
他阿真円
先代:
他阿一心
藤沢上人(清浄光寺住職)
第56世:1990年 - 2003年
次代:
他阿真円