五十嵐甚蔵 (初代)
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初代 五十嵐 甚蔵(いがらし じんぞう、1845年(弘化2年10月[1][2][3]) - 1911年(明治44年)3月20日[3])は、明治時代の政治家。銀行家。大地主[2]。貴族院多額納税者議員。諱は信澄、号は梅雨山人[1]。
経歴
[編集]越後国蒲原郡金屋村(新潟県北蒲原郡金屋村、笹岡村、笹神村を経て現阿賀野市)出身[1]。19歳の時、父が没し家督を相続する[1]。
1870年(明治3年)越後府により治河会議所会計方試補に任ぜられ、1872年(明治5年)小区戸長となった[1]。1875年(明治8年)第22大区長を最後に官職を辞した[1]。
1879年(明治12年)同志と共に第百十六国立銀行[注 1]を設立し、頭取に就任した[1]。1897年(明治30年)私立銀行に転換後は取締役を務めた[1]。
同年9月には新潟県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から[4]1904年(明治37年)9月28日まで務めた[3]。
親族
[編集]- 長男:五十嵐甚蔵 (2代)(銀行家、貴族院多額納税者議員)[5]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 金井確資 編『貴族院多額納税議員列伝』金井確資、1899年 。
- 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1903年 。
- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。