中野城 (下総国)

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中野城
千葉県
Nakanojo.jpg
城郭構造 平城
天守構造
築城年 室町時代
主な城主 酒井定隆
廃城年 1488年
遺構 本城寺
指定文化財 なし

中野城(なかのじょう)は下総国、現在の千葉県千葉市若葉区にあった日本の城

歴史[編集]

旧下総国にあった城。酒井定隆が築いたとされるが不詳である。定隆の祖について、藤原氏系、千葉氏系、土岐氏系の諸説があり、いずれが正しいかわからない。

上総酒井氏は当時、原氏の客将となっており、後に長享元年(1487年)に土気城畠山氏を攻撃した。翌年、土気城に移った。定隆は戦国武将へと成長し、浜野の本行寺から日泰上人を迎え、本寿寺を開基するとともに、領内を法華宗をもって統治した。

この後、中野城は廃城になり、跡地には定隆の懇請により日泰上人が道場、本城寺を建て、布教に努めた。

構造[編集]

千葉と東金を結ぶ東金街道国道126号線)に接し、下総国と上総国の境目に位置する。鹿島川の河川系に属する標高54メートルの北に突き出した半島状の台地を占地する。城郭は、北及び北西から南にかけて、あまり深くない浸蝕谷が入り、東は台地に続き、天険の地とは言い難い地勢である。

アクセス[編集]

  • 千葉駅から中野操車場、成東行きちばフラワーバス(特急除く)、「八幡前」下車、徒歩10分。

参考文献[編集]