コンテンツにスキップ

上山勘太郎 (16代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

16代上山 勘太郎(うえやま かんたろう、前名・英夫[1][2][3]1899年明治32年)11月3日 - 1984年昭和59年)1月8日)は、日本の実業家大日本除虫菊会長を務めた。大日本除虫菊の創業者上山英一郎の三男。同社会長を務めた上山英介の実父、同じく会長を務めた上山直武の養父。

経歴

[編集]

和歌山県有田郡保田村山田原出身。上山英一郎の三男、十五代勘太郎英三の弟である[1][2][3]

1924年京都帝国大学経済学部卒業[2][3][4]日本勧業銀行に入り、検査役・鑑定役・大阪支店副支配人などを歴任し、1938年、退職して大日本除虫菊会社副社長に就任[1][2]1943年、勘太郎を襲名し第3代社長に就任[5]1981年、会長に就任[6]

人物

[編集]

1932年分家した[1][2]。趣味はゴルフ、読書[1]茶道[7]。大阪府豊中市桜塚[1]・同市岡町錦通三丁目[2]、東京牛込区(現新宿区市谷鷹匠町[3]兵庫県西宮市霞町などに居住した[7]。宗教は浄土宗[7]

1965年藍綬褒章を受章[6]1969年、勲四等瑞宝章授章[6]。著書には、『日本に於ける除虫菊』がある[7]

家族・親族

[編集]
上山家
親戚

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f 『人事興信録 第12版 上』ウ38頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月18日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第13版 上』う33頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月10日閲覧。
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第11版 上』ウ48頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年7月18日閲覧。
  4. ^ 『京都帝国大学一覧 自大正13年 至大正14年』卒業生姓名 経済学士620頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月27日閲覧。
  5. ^ 金鳥のあゆみ 昭和時代(戦前)、大日本除虫菊株式会社公式サイト。
  6. ^ a b c 金鳥のあゆみ 昭和時代、大日本除虫菊株式会社公式サイト。
  7. ^ a b c d e f g h 『大衆人事録 第二十三版 西日本編』う167頁。

参考文献

[編集]
  • 京都帝国大学編『京都帝国大学一覧 自大正13年 至大正14年』京都帝国大学、1913 - 1926年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937-1939年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
  • 広瀬弘『大衆人事録 第二十三版 西日本編』帝国秘密探偵社、1963年8月10日。
  • 佐藤朝泰『豪閥 地方豪族のネットワーク』立風書房、2001年。