上山勘太郎 (15代)

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15代上山 勘太郎(うえやま かんたろう、1889年 - 1942年)は、日本実業家。元・大日本除虫菊社長。前名・英之助[1]。大日本除虫菊の創業者上山英一郎の長男。

経歴[編集]

和歌山県人・上山英一郎の長男、同英三、同英夫の兄である[1]。先代上山勘太郎の養子となり、1908年、上山家15代の家督を相続し前名英之助を改め襲名した[1]

東京高等商業学校に学び天産物直輸出商を営んだ[1]ユーゴスラビア国に紀州産蜜柑苗を移植した[1]1930年、大日本除虫粉社長に就任した。1939年、日本除虫菊輸出組合理事長に就任した。1942年、東南アジアに出張中、シンガポールで航空機事故のため死去した。

人物[編集]

外交官を志したが、不幸養父母の喪に会い、親族一同の懇望に依り外交官となる意志を翻し、郷里にあって上山家の家政を司り、傍ら実父英一郎の片腕となって産業立国の為め、郷土の進歩発展の為め実業界に活躍[2]。その型は純英国式の紳士である[2]

趣味は俳句ゴルフ[1]。宗教は浄土宗[1]。大阪府在籍[1]。著書には『欧米漫筆』、『実伝紀伊国屋文左衛門』などがある[1]

家族・親族[編集]

上山家

和歌山県有田郡保田村、兵庫県西宮市夙川松風町[1]

  • 妻・キミ[1]
1898年 -

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第13版 上』う33頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年1月4日閲覧。
  2. ^ a b 『非常時日本と人物』99-102頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2017年7月22日閲覧。

参考文献[編集]

  • 原静村『非常時日本と人物』南海新聞社、1935年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。

関連項目[編集]