三ッ井卯三男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

三ッ井 卯三男(みつい うみお、1903年3月8日 - 没年不明)は、日本の政治家。第16代鹿児島市長

経歴[編集]

九州帝国大学卒業後、長野、山形、福岡の各県の中学教師を経て[1]鹿児島県庁に入り、鹿児島県教育部長に就任した。県庁内では総務部長、副知事を歴任[1]し、1959年の鹿児島市長選に保守系から立候補したが[2]、元串木野市長で革新系の平瀬實武に敗れて落選した[3]。4年後の1963年の市長選に現職の平瀬に挑戦する形で再び立候補し、前回と同じ保革対決となり、選挙の結果、現職の平瀬を破り当選した[3]。在任中、市内の住宅不足を解消するため開発事業団を発足させ、三ッ井が理事長になった。この他市役所別館の設置、機械式のゴミ焼却炉や堆肥処理施設、屎尿処理場の開設などが挙げられる[1]。さらに谷山市との合併を推し進め、1967年4月に谷山市との合併が実現した。両市の合併による市長選挙が行われたが、元社会党県議の末吉利雄に敗れた[4]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『日本の歴代市長』第3巻、746頁。
  2. ^ 『鹿児島市史第2巻』、270頁。
  3. ^ a b 『鹿児島市史第2巻』、271頁。
  4. ^ 『日本の歴代市長』第3巻、747頁。

参考文献[編集]

  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第3巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 鹿児島市『鹿児島市史第2巻』鹿児島市、1970年。
公職
先代:
平瀬實武
Flag of Kagoshima, Kagoshima.svg 鹿児島市長
16代:1959 - 1963
次代:
末吉利雄