ルードヴィング家
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ルードヴィング家(独: Ludowinger)は、ドイツのチューリンゲン地方を支配した一族。チューリンゲン方伯、ザクセン宮中伯、ドイツ対立王(ハインリヒ・ラスペ)を輩出した。
概要
[編集]11世紀末、同家の始祖ルートヴィヒ髭伯がチューリンゲンの地に領土を形成したのが始まりである。ルートヴィヒの妻は皇帝コンラート2世妃ギーゼラの親族であったらしい[1]。ルートヴィヒ髭伯の子ルートヴィヒ跳躍伯は1067年にヴァルトブルク城を建設し[2]、跳躍伯の子ルートヴィヒ1世が1131年にチューリンゲン方伯とされ、以降1247年に同家が断絶するまで伯位を世襲した。ハインリヒ・ラスペ(4世)は、1246年にドイツ対立王に選出されたが翌1247年死去した。ハインリヒ・ラスペには子供がなく同家は断絶した。その後、同家と姻戚関係にあるヴェッティン家およびブラバント公家との間でチューリンゲン継承戦争が勃発したが、結果として同家領のうちチューリンゲンはヴェッティン家が、ヘッセンはブラバント公家が相続した。
系図
[編集]ルートヴィヒ (髭伯) (? - 1080) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルートヴィヒ (跳躍伯) (1042 - 1123) チューリンゲンの伯 | アーデルハイト (? - 1110) (ノルトマルク辺境伯ロタール・ウード2世娘) | ベレンガル (? - 1130) ザンガーハウゼン伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヘートヴィヒ (グーデンスベルク伯ギゾ4世娘) | ルートヴィヒ1世 | ハインリヒ・ラスペ 1世 | アーデルハイト =ヴァイマル=オーラミュンデ伯ウルリヒ2世 | コンラート (? - 1145) ホーンシュタイン伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルートヴィヒ2世 | ユッタ(ユーディト) (シュヴァーベン公フリードリヒ2世娘) | ハインリヒ・ラスペ 2世 グーデンスベルク伯 | ルートヴィヒ タムスブリュック伯 | ユーディト =ボヘミア公ヴラジスラフ2世 | ツェツィーリエ =ボヘミア公子ウダルリヒ2世(ソビェスラフ1世子) | ホーンシュタイン伯家 (1593年絶家) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルートヴィヒ3世 | ヘルマン1世 | ハインリヒ・ラスペ 3世 ヘッセン方伯 | フリードリヒ チーゲンハイン伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルートヴィヒ4世 (聖人伯) | ハインリヒ・ラスペ4世 | コンラート グーデンスベルク伯 | ユッタ | ディートリヒ マイセン辺境伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヘルマン2世 | ゾフィー | アンリ2世 ブラバント公 | ハインリヒ3世 マイセン辺境伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ハインリヒ1世 ヘッセン方伯 | ヴェッティン家 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヘッセン家 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
- チューリンゲン方伯
引用
[編集]参考文献
[編集]- Jiří Louda, Michael Maclagan, Lines of Succession, Little, Brown & Company, 1981.
- Karl E. Demandt, Gechichte des Landes Hessen, Johannes Stauda Verlag Kassel, 1980, p. 171
- G. Schuchardt, 中村典子 訳, 『世界遺産 ヴァルトブルク城』, Schnell & Steiner GMBH, 2015.