ルーアン=リヴ=ドロワ駅
ルーアン=リヴ=ドロワ駅 | |
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駅舎正面 | |
Gare de Rouen-Rive-Droite | |
所在地 |
フランス ルーアン Gare - Jouvenet Place Bernard-Tissot |
所属事業者 |
フランス鉄道線路事業公社(RFF) フランス国鉄(SNCF) |
所属路線 |
パリ - ル・アーブル線 アミアン - ルーアン線 ルーアン - ディエップ線 |
ホーム | 4面8線 |
乗換 |
メトロ: テクノポール線、ジョルジュ・ブラック線 バス: 4、8、11、13系統、Noctambus(夜行バス) |
ルーアン=リヴ=ドロワ駅(ルーアン=リヴ=ドロワえき、フランス語: Gare de Rouen-Rive-Droite) (訳:ルーアン=セーヌ川右岸の駅)はフランス国内のフランス国鉄(SNCF)路線網の一主要駅であり、この地方における中心的な駅の一つである。ルーアンの大通りの一つであるジャンヌ・ダルク通りの上手に位置する。幹線鉄道網とTER網の一部となっている。
歴史
[編集]ルーアンの駅の歴史はパリ・ルーアン間の鉄道が開業した1841年に始まる。最初の駅はセーヌ川左岸に面するサン=スヴェール地区の船着き場に建設された。一番列車は1843年5月9日にルーアン・サン=スヴェール駅に到着した。この列車は8時にパリを出発し、12時56分にルーアンに到着した。公式の列車は15分遅くパリを出発した。到着場所において、ルーアン大司教枢機卿により路線に対する祝福が行われた。
1847年、右岸の現在の駅と同じ場所にヴェルト通り駅が開業した。ヴェルト通りの下に位置し、斜路を通ってアクセスしなければならず、また、2つのトンネルの間の200mしか離れていない空間に、ホームと2線の線路があるのみであった。この駅は能力とアクセスが不十分だったため、その建て替えについての公益宣言が1900年12月7日に出された。その後、駅は西部鉄道が国から買い戻した。1916年、ベルギーの詩人、エミール・ヴェルハーレンはこの駅で死亡した。
1912年から、2本のトンネルの間の空間を拡げるための駅の拡張工事が始まった。工事の全期間に亘って、鉄道交通は維持された。建築家アドルフ・デルボーにより行われ、コンシデレ(Considère)、ペルナル(Pelnard)、カコー(Caquot)の研究オフィスによって研究された鉄筋コンクリートの構造が用いられた工事は、1924年までの12年間続いた。
アール・ヌーヴォー様式の新しい駅はガストン・ドゥメルグ共和国大統領の臨席に下、1928年7月4日に落成した。当初、西鉄道の駅若しくはヴェルト通り駅と呼ばれていた駅は、今日、リヴ=ドロワ駅と呼ばれている。高さ37mの時計塔がある。
1994年12月17日、メトロの開業と同時に乗換駅となった。
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37mの高さを有する駅の塔 -
落成記念のプレート
利用者数の変化
[編集]- 2000年 = 4,500万人(フランス国内24位)
- 2004年 = 5,000万人(24位)
- 2005年 = 5,200万人(24位)
- 2008年 = 6,000万人(23位)
利用可能な鉄道路線
[編集]TGV
[編集]- ル・アーブル - ルーアン=リヴ=ドロワ - マント=ラ=ジョリ - ヴェルサイユ=シャンティ - マッシー=パレゾー - リヨン・パールデュー - ヴァランスTGV - アヴィニョンTGV - マルセイユ・サン・シャルル
毎日一往復
- ル・アーブル - ルーアン=リヴ=ドロワ - マント=ラ=ジョリ - シャルル・ド・ゴール空港第2TGV - シャンパーニュ=アルデンヌTGV - ムーズTGV - ロレーヌTGV - ストラスブール
毎日1往復
コライユ・アンテルシテ(Corail InterCités)
[編集]- ル・アーブル - ルーアン=リヴ=ドロワ - パリ=サン=ラザール
- ディエップ - ルーアン=リヴ=ドロワ - パリ=サン=ラザール
TER
[編集]- ルーアン=リヴ=ドロワ - パリ=サン=ラザール
- ルーアン=リヴ=ドロワ - イヴトー - ル・アーブル
- ルーアン=リヴ=ドロワ - エルブーフ=サントーバン - カーン
- ルーアン=リヴ=ドロワ - ディエップ
- ルーアン=リヴ=ドロワ - アミアン - リール=フランドル
ルーアンにあるその他の駅
[編集]かつて、ルーアンには様々な鉄道会社が所有するいくつもの駅があった。
これらの駅のうち幾つかは、以下の20世紀初めのポストカードで見る事が出来る。
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ルーアン・サン=スヴェール駅は、市中にあった最初の駅であり、路線がル・アーブルへ延伸されるまではパリ方面の発着に使われていた。1980年代初頭までは旅客列車の発着があったが、現在ではSernam(荷物輸送)のために使われている。
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ルーアン=マルタンヴィル駅(北駅)はかつて、アミアン-ルーアン線のターミナルだった。1867年に路線開通に合わせて建設され、1894年にこのポストカードに写されている駅舎へと建て替えられた。その後、駅舎は1980年代に解体された。
接続
[編集]1994年のルーアンメトロ(LRT。都心部が地下線であるため公式にメトロと呼称される)の開業と共に乗換駅が建設された。地下駅である。メトロ2路線の他、複数のバス路線が発着する。駅は多くの芸術作品で装飾されている。
- メトロ
- テクノポール線
- ジョルジュ・ブラック線
- バス
4、8、11、13、Noctambus
参考文献
[編集]- L'Architecture, numéro 1, 15 janvier 1930
- Michel Croguennec, Le Chemin de fer dans l'agglomération rouennaise de 1843 à aujourd'hui, numéro 17, (histoire(s) d'agglo). - Agglomération de Rouen, 2001 (ISBN 2-913914-27-6)
- Patrice Macqueron et Pierre Nouaud, Rouennais des deux rives, 2006
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- La gare de Rouen-Rive-Droite - フランス国鉄(SNCF)の運営するウェブサイトGares en mouvementにおける当駅のページ