ルイ・ヴォラ

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ルイ・ヴォラ
出生名 Louis Vola
生誕 1902年7月6日
出身地 フランスの旗 フランス ラ・セーヌ=シュル=メール
死没 (1990-08-15) 1990年8月15日(88歳没)
ジャンル ジプシー・スウィングラテンジャズフリー・ジャズ
職業 ベーシスト
担当楽器 ベースドラム
活動期間 1920年代 - 1970年代
共同作業者 フランス・ホット・クラブ五重奏団

ルイ・ヴォラ(Louis Vola、1902年7月6日 - 1990年8月15日)は、フランスジャズベーシストラ・セーヌ=シュル=メールに生まれ、パリに没した[1]

フランス・ホット・クラブ五重奏団の結成に関わり、1932年から1933年にかけての時期に、ホテル・クラリッジ (l'hôtel Claridge) にティー・ダンス (tea dance) を導入した[2]

デビュー[編集]

Le Balajo - ヴォラが初期にドラムを演奏していたバル・ミュゼット (bal musette) のひとつ

両親がイタリアピエモンテ州出身だったヴォラは、幼年期をジェノヴァで過ごした後、フランスへ移ってからソルフェージュヴァイオリンドラムを学んだ。コート・ダジュールで小さな楽団に参加した後、パリに仕事を求めて1920年代に上京した。シトロエンの工場で機械加工の工員として働きながら、土曜と日曜にはノジャン=シュル=マルヌやラッペ街 (Rue de Lappe) でバル・ミュゼト (Bal musette) 音楽のドラムを演奏していた[1]

その後、ユーゴスラビアに3年間滞在した際に、ヴォラはアコーディオンベースを習得した。ヴォラはベースが気に入った。フランスに戻った後、ヴォラはジャンゴジョゼフのラインハルト兄弟と知り合い、1932年カンヌのパーム・ビーチ・ホテルのキャバレーに出演していた自分の楽団に兄弟を加えた。また、パリでは、ホテル・クラリッジにおけるティー・ダンスの隆盛をもたらした。このヴォラの楽団から、フランス・ホット・クラブ五重奏団が生まれたのである[2]

経歴[編集]

ヴォラは1939年まで、フランス・ホット・クラブ五重奏団のメンバーとしてフランス内外をツアーし、大成功を収めた。ヴォラは最も人気のあるベーシストのひとりとなった。ヴォラは、ベニー・カーター (Benny Carter)、コールマン・ホーキンスビル・コールマン (Bill Coleman)、ウィリー・ルイス (Willy Lewis) や、歌手アデレード・ホール (Adelaide Hall) らと共演した。1940年に召集されたヴォラだったが、同年のうちに除隊となり、レイ・ヴェンチュラ (Ray Ventura) の楽団に加わり、南米へと渡った。ヴォラはアルゼンチン1948年までとどまった。ヴォラはブエノスアイレスで、「HCF五重奏団 (Le Quintette du HCF)」と称する五重奏団を結成した。

フランスに帰国した後、ヴォラはニースパリで活動を続けた。1978年には、ジャンゴ・ラインハルト没後25周年行事に、ブールー・フェレ (Boulou Ferré) とともに参加した。

出典・脚注[編集]

参考文献[編集]