ラルフ・バクシ

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ラルフ・バクシ

ラルフ・バクシRalph Bakshi1938年10月29日[1] - )はパレスチナ出身のアメリカアニメーション作家。『フリッツ・ザ・キャット』『ウィザーズ (Wizards (film)』『指輪物語』などの長編アニメーション作品を手がけた[2]

経歴[編集]

1938年、パレスチナハイファに生まれる[2]。翌年、家族でアメリカに渡り、ニューヨークブルックリンで育つ[2]。インダストリアルアーツ高校 (High School of Art and Designではベスト漫画家賞を受賞する[2]。高校を卒業後の1956年、CBSのテリートゥーン (Terrytoonsに入社、『マイティ・マウス』などのテレビアニメシリーズを手がけ26歳でスタジオ・ディレクターとなる[2][3]

1967年5月にパラマウントのアニメーション部門に入るも、12月に閉鎖となる[3]。その後独立しプロダクションを設立[2]。パラマウントのテレビ向け動画のプロデューサーをしていたスティーブ・クランツ (Steve Krantzロバート・クラムの1969年に出版されたコミックス『フリッツ・ザ・キャット』の映画化を企図し[4]、バクシが監督した『フリッツ・ザ・キャット』(1972年)は初めて成人指定されたアニメーションとして話題となった[2]。その後、1973年に"Heavy Traffic"、1975年に"Coonskin"を公開[2]。しかし"Coonskin"は黒人団体から抗議をうけ2日で上映中止となったことから、興業的に安心できる題材としてファンタジーを選択、1977年に"Wizards"を公開する[5]

1978年にはJ・R・R・トールキンの原作を映画化した『指輪物語』を公開[2]、制作にあたっては実際の俳優が演じたアクションを撮影したのちにそれを元にアニメーション化するロトスコープという手法が全編において用いられた[5]

1981年には『アメリカン・ポップ[6]、1982年にはフランク・フラゼッタの原画を元にした『ファイヤー&アイス』を公開[7]

作品[編集]

作者/監督:

監督:

キャスト:

  • 『フリッツ・ザ・キャット』(1972年) - 追加の声
  • 『ヘヴィー・トラフィック』(1973年) - 追加の声
  • 『ストリートファイト』(1975年) - 追加の声
  • 『ウィザーズ』(1977年) - 追加の声
  • 『スパイシー・シティ (Spicy City』エピソード「Mano's Hands」 - スティーヴィーの声
  • 『スパイシー・シティ』エピソード「Love Is a Download」 - コネリーとゴールドブラムの声たち
  • レン&スティンピー Adult Party Cartoon』 エピソード「Fire Dogs 2」 - 消防士の声
  • 『Ralph Bakshi: The Wizard of Animation』 - 本人
  • フラゼッタ ペインティング・ウィス・ファイヤー』(2003年) - 本人

その他の乗組員:

脚注[編集]

  1. ^ ラルフ・バクシ”. allcinema. 2022年11月22日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i "バクシ". ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. コトバンクより2022年9月18日閲覧
  3. ^ a b 世界アニメーション映画史 1986, p. 227.
  4. ^ 世界アニメーション映画史 1986, pp. 227–228.
  5. ^ a b 小野耕世「闇を征く騎士たちのひびき」『指輪大戦争ファンタジィ』新書館〈ペーパームーン ファンタジィシリーズ〉、1979年4月5日、46-49頁。 
  6. ^ 岩井俊二監督インタビュー『自分の世界観が出ている 悪友少女ふたりの関係性』”. ORICON NEWS (2018年10月31日). 2022年9月18日閲覧。
  7. ^ ロバート・ロドリゲス監督、ファンタジー・イラスト界の巨匠フランク・フラゼッタとタッグ!”. シネマトゥデイ (2014年12月24日). 2022年9月18日閲覧。

参考文献[編集]

  • 伴野孝司; 望月信夫 著、並木孝 編『世界アニメーション映画史』森卓也(監修)、ぱるぷ、1986年6月。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]