ヨックタイ・シスオー

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ヨックタイ・シスオー
基本情報
本名 ヨックタイ・クリンミー
階級 スーパーフライ級
身長 167cm
国籍 タイ王国の旗 タイ
誕生日 (1975-12-25) 1975年12月25日(42歳)
出身地 チョンブリー県
スタイルボクサーファイター
プロボクシング戦績
総試合数 38
勝ち 29
KO勝ち 18
敗け 6
引き分け 3
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ヨックタイ・シスオーYokthai Sithoar1975年12月25日 - )は、タイの男子ムエタイ選手(ナックモエ)、元男子プロボクサーチョンブリー県出身。日本在住、自身創立のヨックタイジム所属。元ルンピニー・スタジアム認定フライ級王者。元WBA世界スーパーフライ級王者。

家族[編集]

配偶者[編集]

2009年2月、日本人プロ格闘家篠原光と国際結婚した。婚姻後すぐに妊娠が判明し、同年11月に長男が生まれた。

親族[編集]

来歴[編集]

ムエタイルンピニー・スタジアムフライ級王座を獲得後、1994年ボクシング転向。10月9日にデビュー戦を行い、3回KO勝ち。

1995年8月5日、5戦目でPABAスーパーフライ級王座決定戦出場。イルチャット・トゥクバトゥリン(ロシア)と対戦し、10回TKO勝ちで王座を獲得した。同王座は3度防衛後に返上した。

1996年8月24日、無敗のまま11戦目で世界初挑戦。母国でWBA世界ジュニアバンタム級王者アリミ・ゴイチアベネズエラ)に8回TKO勝ちを収め、世界王座を獲得した。

1997年3月1日、元WBAフライ級王者アキレス・グスマンと対戦し、12R判定勝ち(3-0)で2度目の王座防衛に成功した。

1997年4月29日、3度目の防衛戦で初来日。愛知県体育館飯田覚士と対戦し、12回判定引き分け(0-1)で3度目の王座防衛に成功した。

1997年8月8日、ヘスス・ロハスと対戦し、12R判定勝ち(3-0)で4度目の王座防衛に成功した。

1997年12月23日、5度目の防衛戦で飯田覚士と再戦。前回同様、フルラウンドの死闘を展開したものの、12回判定(0-3)で敗れ王座から陥落した。

2000年4月23日、飯田戦以来2年4か月ぶりの世界挑戦。飯田のジムの後輩でもあるWBA世界スーパーフライ級王者戸高秀樹に挑むが、11回TKO負けで王座返り咲きならず。

2001年8月27日、日本ランカー川嶋勝重と対戦し、10回判定負け(0-3)を喫し、世界ランクから外れる。

2003年4月25日、後楽園ホールで元日本スーパーフライ級王者名護明彦と対戦し、10回判定勝ち(3-0)。

2004年6月24日、タイでの試合を最後にボクシングを離れる。

2008年9月20日、DEEP GLOVE 3でコウジ有沢と3分3ラウンドのボクシングスペシャルエキシビションマッチを行った。その際にK-1参戦を希望した。

2008年11月24日、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟「鉄拳 〜菅原道場6周年記念〜」で"狂拳"竹内裕二とキックボクシングルールで対戦し、判定負け(0-3)を喫した。

2009年6月11日、DEEPの記者会見で女子総合格闘家の篠原光と同年2月に結婚していたことを明らかにした。

2009年7月5日、DEEP興行「長島☆自演乙☆雄一郎プロデュース DEEP KICK」のセミファイナルに出場。NJKFフェザー級2位の中嶋平八にKO負けを喫した[1]

2009年9月、妻とともに宮城県柴田郡大河原町ヨックタイジムをオープンさせた。

2010年3月7日のプロ修斗公式戦において総合格闘技デビューが予定されていたが、膝の負傷により欠場となった[2]

2010年10月24日、改めて総合格闘技デビューとなったDEEP 50 IMPACTで青木真也と対戦。パンチを出す前にグラウンドに持ち込まれ、開始1分アームロックによる一本負けを喫した[3]

2012年6月3日、妻に暴力を振るったとして、宮城県警察大河原警察署によって傷害容疑で現行犯逮捕された[4]

戦績[編集]

総合格闘技[編集]

総合格闘技 戦績
1 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
0 0 0 0 0 0 0
1 0 1 0 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× 青木真也 1R 1:00 V1アームロック DEEP 50 IMPACT 〜10年目の奇跡〜 2010年10月24日

獲得タイトル[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]


WBA世界スーパーフライ級王者
在位期間
アリミ・ゴイチア1996年8月24日 - 1997年12月23日飯田覚士