ヤロスラフ・リバコフ
| |||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2010年世界室内陸上競技選手権大会 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
選手情報 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | ヤロスラフ・ウラジーミロヴィチ・リバコフ | ||||||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | ロシア | ||||||||||||||||||||||||||||||||
種目 | 走高跳 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1980年11月22日(44歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
生誕地 |
ソビエト連邦 白ロシア・ソビエト社会主義共和国、モギリョフ | ||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 193cm | ||||||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 83kg | ||||||||||||||||||||||||||||||||
自己ベスト | 走高跳 : 2m35 (2007年) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||||||||||||||
編集 |
ヤロスラフ・リバコフ(ロシア語: Ярослав Владимирович Рыбаков, ラテン文字転写: Yaroslav Vladimirovich Rybakov, 1980年11月22日 - )は、ロシアの陸上競技選手。走高跳を専門とする選手で、2008年北京オリンピックの銅メダリストである。白ロシア共和国モギリョフ出身。
経歴
[編集]リバコフが最初に大きな国際大会で表彰台に立ったのは2001年のカナダのエドモントンで行われた世界選手権が最初である。この大会では2m33を跳び、ドイツのマルチン・ブスに次いで銀メダルを獲得している。翌年の2002年のヨーロッパ選手権では2m31という記録ながら、銀メダルを獲得したスウェーデンのステファン・ホルムや前年敗れているブスらをおさえ、金メダルを獲得した。
2003年は、3月の世界室内選手権で、ホルムに次いで銀メダルを獲得したものの、8月に行われた世界選手権では2m25で9位と惨敗する。しかし、翌月、前年まで行われていたIAAFグランプリファイナルに代わり初めて行われたIAAFワールドアスレチックファイナルでは優勝している。
2004年のシーズンも前年と同様に、3月の世界室内選手権ではホルムに次いで銀メダルとなったが、8月のアテネオリンピックでは、2m32で6位という結果に終わってしまう。
リバコフは、2005年のヨーロッパ室内選手権で2m38と室内自己ベストタイ記録を成功したものの、ホルムが2m40をクリアしたため2位に終わる。同年夏のヘルシンキ世界選手権では、2m29ながら、ウクライナのユーリ・クリマレンコに次いで2位となり、2大会ぶりの世界選手権の銀メダルを獲得した。2006年は、3月に行われた世界室内選手権で2m37を成功し優勝を果たしたが、夏に行われたヨーロッパ選手権では5位と、メダルを獲得することはできなかった。
2007年の大阪で行われた世界選手権では、2m35で、バハマのドナルド・トーマスに次いで銀メダルを獲得。2008年3月の世界室内選手権では、ホルムに次いで3回目の銀メダルを獲得。そして、8月の北京オリンピックでは、ロシアのアンドレイ・シルノフ、イギリスのジャーメイン・メイソンに次いで銅メダルを獲得した。
2009年のベルリン世界選手権では 2m32で4選手が並んだが試技回数の差により金メダルを獲得した。
自己ベスト
[編集]- 走高跳(室外) - 2m35 (2007年)
- 走高跳(室内) - 2m38 (2005、2007、2008年)
主な実績
[編集]年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 |
---|---|---|---|---|---|
1999 | 世界ジュニア陸上選手権 | アヌシー(フランス) | 走高跳 | 5位 | 2m18 |
1999 | ヨーロッパジュニア陸上選手権 | リガ(ラトビア) | 走高跳 | 3位 | 2m16 |
2001 | 世界室内陸上選手権 | リスボン(ポルトガル) | 走高跳 | 7位 | 2m25 |
2001 | 世界陸上選手権 | エドモントン(カナダ) | 走高跳 | 2位 | 2m33 |
2002 | ヨーロッパ室内陸上選手権 | ウィーン(オーストリア) | 走高跳 | 3位 | 2m30 |
2002 | ヨーロッパ陸上選手権 | ミュンヘン(ドイツ) | 走高跳 | 1位 | 2m31 |
2002 | IAAFグランプリファイナル | パリ(フランス) | 走高跳 | 2位 | 2m28 |
2002 | IAAFワールドカップ | マドリッド(スペイン) | 走高跳 | 1位 | 2m31 |
2003 | 世界室内陸上選手権 | バーミンガム(イギリス) | 走高跳 | 2位 | 2m33 |
2003 | 世界陸上選手権 | パリ(フランス) | 走高跳 | 9位 | 2m25 |
2003 | IAAFワールドアスレチックファイナル | モンテカルロ(モナコ) | 走高跳 | 1位 | 2m30 |
2004 | 世界室内陸上選手権 | ブダペスト(ハンガリー) | 走高跳 | 2位 | 2m32 |
2004 | オリンピック | アテネ(ギリシャ) | 走高跳 | 6位 | 2m32 |
2004 | IAAFワールドアスレチックファイナル | モンテカルロ(モナコ) | 走高跳 | 2位 | 2m30 |
2005 | ヨーロッパ室内陸上選手権 | マドリッド(スペイン) | 走高跳 | 2位 | 2m38 |
2005 | 世界陸上選手権 | ヘルシンキ(フィンランド) | 走高跳 | 2位 | 2m29 |
2005 | IAAFワールドアスレチックファイナル | モンテカルロ(モナコ) | 走高跳 | 3位 | 2m32 |
2006 | 世界室内陸上選手権 | モスクワ(ロシア) | 走高跳 | 1位 | 2m37 |
2006 | ヨーロッパ陸上選手権 | イェーテボリ(スウェーデン) | 走高跳 | 5位 | 2m30 |
2006 | IAAFワールドアスレチックファイナル | シュトゥットガルト(ドイツ) | 走高跳 | 3位 | 2m29 |
2007 | 世界陸上選手権 | 大阪(日本) | 走高跳 | 2位 | 2m35 |
2008 | 世界室内陸上選手権 | バレンシア(スペイン) | 走高跳 | 2位 | 2m34 |
2008 | オリンピック | 北京(中国) | 走高跳 | 3位 | 2m34 |
2009 | 世界陸上選手権 | ベルリン(ドイツ) | 走高跳 | 1位 | 2m32 |
外部リンク
[編集]- ヤロスラフ・リバコフ - ワールドアスレティックスのプロフィール
- ヤロスラフ・リバコフ - Olympedia
- TBS「世界陸上ベルリン」 ヤロスラフ・リバコフ