ヤチェク・マルチェフスキ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
ヤツェク・マルチェフスキ
Jacek Malczewski
Malczewski Self-portrait with a palette.jpg
生誕 (1854-07-15) 1854年7月15日
ラドム
死没1929年10月8日(1929-10-08)(75歳)
クラクフ
国籍ポーランドの旗 ポーランド

ヤツェク・マルチェフスキポーランド語: Jacek Malczewski herbu Tarnawaロシア語: Яцек Мальче́вский1854年7月15日 – 1929年10月8日)は、ポーランドの画家。ポーランドにおける象徴主義画家の代表的人物である。

経歴[編集]

1854年7月15日、ロシア帝国占領下のポーランド立憲王国ラドムで貴族の家庭に生まれる。父親のジュリアンポーランド語版11月蜂起の影響を受けたロマン主義文学の世界を紹介したポーランドの愛国者であり社会活動家で、叔母は神秘家ワンダ・マルチェフスカポーランド語版であった。家庭教師として自然主義文学の小説家、アドルフ・ディガシンスキ英語版に教えを受けるなど、彼の子供時代が後の作品の製作活動に大きな影響をあたえた。

クラクフで学んだのちにパリへ渡り、再びクラクフに戻りアカデミーの教授となった。その初期には歴史を題材にした絵画などを描いており、1890年ころから彼のミューズマリア・バル英語版等をモデルに象徴主義的な絵画にとりかかった。当時ヤング・ポーランド英語版(ポーランドの文化運動)の一人とされた。 1929年10月8日、クラクフで死去。

1929年頃のヤチェク

彼の生地であるラドムには、彼の名にちなんだヤツェク・マルチェフスキ博物館ドイツ語版がある。 息子ラファウ・マルチェフスキ 英語版も画家である。

作品[編集]

外部リンク[編集]