メリュジーヌ
メリュジーヌ(別名:メリュジーナ、仏: Melusine)は、フランスの伝承に登場する水の精霊で、一種の異類婚姻譚の主人公。上半身は中世の衣装をまとった美女の姿だが、下半身は蛇の姿で、背中にはドラゴンの翼が付いている事から竜の妖精でもあるとも言われている[1]。マーメイドの伝承とも結び付けられて考えられることもある。
伝説の概要
[編集]メリュジーヌの伝説は、フランスでは14世紀より前からメリサンドという名でも知られ、民話にも登場していた[1]。その原型は、ずっと以前から知られているヴイーヴルやセイレーンといった怪物であろうとも考えられている[2]。
1397年にフランスのジャン・ダラス[注釈 1]が『メリュジーヌ物語』を散文で著し[1]、その後クードレット[注釈 2]という人物が1401年以降にパルトゥネの領主に命じられ『メリュジーヌ物語、あるいはリュジニャン一族の物語 (Le roman de Mélusine ou histoire de Lusignan )』を韻文で書き上げたことで広く知られるようになった。その物語とは次のようなものである。
メリュジーヌは、泉の妖精プレッシナとスコットランドのオルバニー(アールバニー)王エリナスの子[注釈 3]である。母親の出産時に、禁忌とされていた妖精の出産を父親である領主が見てしまったために、メリュジーヌと2人の妹、メリオールとプラティナは妖精の国に戻されてしまった。成長したメリュジーヌと妹達は復讐心を募らせ、結託して父親をイングランドのノーサンブリアのある洞窟に幽閉した[注釈 4]。ところが母親は夫を愛するがゆえに、メリュジーヌと妹達に、週に1日だけ腰から下が蛇の姿となるという呪いをかけた[1][2]。さらに、もし変身した姿を誰かに見られた場合には、永久に下半身が蛇で翼を持った姿のままとなってしまう[1][注釈 5]。従って、メリュジーヌが誰かと愛を育むには、その1日に彼女の姿を見ないという約束を果たせる者と出会わねばならなかった。
ポワトゥー伯のレイモン[1](またはフォレ伯の子レモンダン[4])は、おじを誤って殺したことから家族の元を離れていたが、ある日メリュジーヌと会って恋に落ち、メリュジーヌも「土曜日に自分の姿を決して見ないこと」という誓約を交わした上で結婚する。彼女は夫に富をもたらし、10人の子供を儲けた。また、彼女の助力もあってレイモン(レモンダン)はリュジニャン城を建て、町も築くことができた[4]。ところが夫は悪意のこもった噂を耳にすると[5]、つい誓約を破り、沐浴中のメリュジーヌの正体を見てしまった[注釈 6]。部屋に1人閉じこもっていた彼女の姿は上半身こそ人間だったが、下半身は巨大な蛇[2](あるいは魚[5])になっていたのだった。
誓約を破られたため、メリュジーヌは竜の姿になって城を飛び出していった[1][2]。しかしまだ小さい子供がいたことから、授乳のために一時城に戻ったほか、城の城主や子孫の誰かが亡くなる直前にも戻ったという[2]。そのため、城主らの死が近づくと、城壁の上に幽霊のようにメリュジーヌが姿を現しては泣き悲しむ様子が見られたという。メリュジーヌの子供達の多くは化け物の性質を持っていたものの、問題なく生まれた2人の子供の血統からは、後のフランス君主が立ったという[1]。リュジニャン城は後に取り壊され、現在は存在しない[5]。
- 『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』に描かれたメリュジーヌ
-
リュジニャン城と竜(左の画像の一部を拡大)。
別の異本では、メリュジーヌはブルターニュ伯(あるいはポワトゥー伯)の下に美女の姿で現れて求婚し、妻となって後は彼を助けたが、「日曜日に必ず沐浴するので、決して覗かないこと」という誓約を夫に破られ、正体を明かされる。夫は、メリュジーヌが人間でないことを知ってからも妻とし続けたが、2人の間に生まれた気性の荒い異形の息子達が町で殺人を犯したと聞いて激昂し、息子達の性格上の欠陥の原因を彼女の正体のせいだとして、「化け物女」と罵倒したため、自尊心を傷つけられた彼女は正体を現し、教会の塔を打ち壊して川に飛び込んで行方をくらましたという。その後、彼女は水妖の一員となった。紋章などに用いられている尾が2つあるマーメイドは彼女の姿であるとされている。
息子たち
[編集]クードレットの記述による。
- ユリアン(後にキプロスの王になったという)
- ウード(外見と顔が炎のように燃えて見える)
- ギイ(後にアルメニアの王になったという)
- アントワーヌ(片頬に獅子の足が生えている)
- ルノー(一つ目)
- ジョフロワ(大牙が一本あり)
- フロモン(鼻の上に毛で覆われたアザがある)
- オリブル(三つ目)
象徴
[編集]エリアーデによれば、メリュジーヌを構成する「女性」と「蛇」、そして伝承によっては加えられる「魚」といった要素は、いずれも豊穣のシンボルである。従って、メリュジーヌは豊穣、さらには再生を生み出す存在だと考えることができる[2]。
お菓子
[編集]ブルターニュ地域圏では近代まで、メリュジーヌが町を去ったとされる日に祭りが開かれ、屋台で人魚のような姿をした女性を木型で浮き彫りにした素朴な焼き菓子が売られていたという。
この素朴な焼き菓子の名も「メリュジーヌ」と言った。
現代では、祭りが廃れこの「メリュジーヌ」も僅かな木型だけを残して姿を消している。
音楽
[編集]フランスのシンガーソングライターであるノルウェン・ルロワのアルバム『Histoires Naturelles』には『メリュジーヌ - Mélusine』という歌がある。
現代のファンタジー作品において
[編集]中国のオープンワールドRPG『原神』では、フランスをモチーフとした地域に「メリュジーヌ」という種族のキャラクターが登場する[7][8]。このメリュジーヌもエリナス(ゲーム内では竜)を起源とする女性だが、上半身も下半身も人間や蛇・魚とは異なる。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ ジャン・ダラスは、ジャン・ド・ベリー公の元で司書および製本職人として働いていた[3]。
- ^ クルドレッド(クードレット)は、リュジニャン家の当主ジャン2世の元で司祭を務めていた[3]。
- ^ 松平の説明によれば、妖精のモルガンの妹・プリジーヌ(アーサー王とは父親の異なる兄妹の関係となる)の子で、のアルバニア王エリナスとの間に生まれた姫[2]。
- ^ 異説では母親を陥れようとした[要出典]。
- ^ 別のヴァリアントでは、メリュジーヌはもともと泉を掌る妖精とアールバニーの領主の間に生まれた姫君であった。人間の男の愛を得れば呪いが解けると聞かされて、メリュジーヌは領主に近づいたのであった。
- ^ 神話類型として、見るなのタブーが見受けられる[3]。
- ^ Mélusine(メリュジーヌ)の名は、Mère(母)とLusignan(リュジニャン)の合成語だと考えられている[3]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h ローズ,松村訳 (2004), p. 431.
- ^ a b c d e f g h 松平 (2005b), p. 222.
- ^ a b c d 蔵持 (2005), p. 10.
- ^ a b 松平 (2005b), p. 221.
- ^ a b c アラン,上原訳 (2009), p. 209.
- ^ 松平 (2005a), pp. 45-46.
- ^ “『原神』待望の「フォンテーヌ」初公開!新キャラ?メリュジーヌや、水中探索の様子も解禁”. インサイド (2023年6月23日). 2024年7月2日閲覧。
- ^ “【原神】シグウィンのイラストが公開。メリュジーヌ族でメロピデ要塞に勤務する看護師長【声:木野日菜】(ファミ通.com)”. Yahoo!ニュース. 2024年7月2日閲覧。
参考文献
[編集]- アラン, トニー「メリュジーヌの秘密」『世界幻想動物百科 ヴィジュアル版』上原ゆうこ訳、原書房、2009年11月(原著2008年)、p. 209頁。ISBN 978-4-562-04530-3。
- 松平俊久『図説ヨーロッパ怪物文化誌事典』蔵持不三也監修、原書房、2005年3月。ISBN 978-4-562-03870-1。
- 蔵持 (2005):蔵持不三也「序文 中世怪物表象考 - 『ヨーロッパ怪物文化誌事典』に寄せて」pp. 7-36。
- 松平 (2005a):松平俊久「第1章 異形へのまなざし - 怪物文化誌へ向けて」pp. 37-62。
- 松平 (2005b):松平俊久「メリュジーヌ」pp. 221-223。
- ローズ, キャロル「メリュジーヌ」『世界の怪物・神獣事典』松村一男監訳、原書房〈シリーズ・ファンタジー百科〉、2004年12月、p. 431頁。ISBN 978-4-562-03850-3。
- クードレット『妖精メリュジーヌ伝説』森本英夫・傳田久仁子訳、社会思想社〈現代教養文庫 1584〉、1995年12月。ISBN 978-4-390-11584-1。
関連資料
[編集]- 篠田知和基 「メリュジーヌの変容」『日本フランス語フランス文学会中部支部研究報告集』 日本フランス語フランス文学会、第20巻、1996年3月、pp.13-14, doi:10.24522/basllfc.20.0_13, NAID 110009459107。
- 篠田知和基 「メリュジーヌ伝承の比較」『名古屋大學文學部研究論集 文學』 第44巻、1998年3月31日、pp.151-171, doi:10.18999/joufll.44.151, NAID 110000295763。
- 傳田久仁子 「「境界」の位置 : 『メリュジーヌ物語』におけるリュジニャン城」、『フランス語フランス文学研究』 日本フランス語フランス文学会、第67巻、1995年10月29日、p.97, doi:10.20634/ellf.67.0_97, NAID 110001247436。
- フィリップ・ヴァルテール『ユーラシアの女性神話-ユーラシア神話試論Ⅱ』(渡邉浩司・渡邉裕美子訳)中央大学出版部 2021年8月25日、ISBN 978-4-8057-5183-1。―この本で著者が「特に注目しているのは、「メリュジーヌ型」のユーラシア的展開」(訳者前書き)である。
- 松村朋彦「異類の女性――『メルジーネ』から『崖の上のポニョ』まで」『希土』希土同人社、第46号 2021年9月1日、 ISSN 0387-3560、pp. 2-16.―対象としている作品は、民衆本『メルジーネ』(1474)、フーケー『ウンディーネ』(1811)、アンデルセン『人魚姫』(1837)、ホフマンスタール『影のない女』(1919)、バッハマン『ウンディーネ行く』(1961)、宮崎駿『崖の上のポニョ』(2008)の6作品。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Melusine, by Jean, d'Arras - Internet Archive
- 改訂新版 世界大百科事典『メリュジーヌ』 - コトバンク