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ムソニウス・ルフス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ムソニウス・ルフス30年ごろ - 101年ごろ)[1]は、ローマ帝国期のストア派哲学者エピクテトスディオン・クリュソストモスの師として知られる[1]。著作は現存せず言行のみ伝わる。単なるストア派でなく独自思想やキュニコス派との折衷の面もあり[2]、「ローマのソクラテス」とも呼ばれる[3]

フルネームガイウス・ムソニウス・ルフス: Gaius Musonius Rufus)、ギリシア語名はムソニオス・ルポス古希: Μουσώνιος Ῥοῦφος)。

生涯

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30年ごろ、エトルリア(現トスカーナ)の都市ウォルシニイ英語版エクィテスの家に生まれる[2]

クラウディウスの姪の孫ルベッリウス・プラウトゥス英語版と親交し、60年ごろ、ネロの猜疑心でプラウトゥスが追放された際は付き従う[2]62年、プラウトゥスがネロに殺されるとローマに帰還する[2]

帰還後、ローマでストア哲学を講義し始めたが、65年に「ピソの陰謀」が発覚すると関与者とみなされ、キュクラデス諸島のギュアロス島(現イアロス島英語版)に流される[2]。そこで過酷な環境にありながらも哲学の共同体を築く。68年ガルバが帝位に就くとローマに再び帰還する[2]

四皇帝の年プリムス進軍の際、ウィテッリウスの使節団に参加する[2][4]。そこでストア哲学により戦争の無益と平和の必要を説いたが、兵士に相手にされなかったという[2][4]71年ウェスパシアヌスが哲学者をローマから追放した際は、特別に残留を許される[2][5]。しかし75年に結局追放され、ウェスパシアヌス没後の79年に帰還する[2]

没年は101年以前と推測される。これは小プリニウス書簡集英語版』所収の同年の書簡[6]で、ムソニウスの娘婿アルテミドルスについて語る箇所から推測される。

著作・言行録

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ストバイオス所伝の言行録と同じ記述があるパピルス断片

ムソニウス自身の著作は伝わらないが、弟子が編纂した言行録が断片的に伝わる[2]。これはソクラテスエピクテトスと同様である。言行録は二つ伝わる[2]

第一の言行録は、ルキウスという弟子が編纂者で、ストバイオスを通じて21篇が伝わる[2]パピルス断片も発見されている。

第二の言行録は、ポッリオという弟子が編纂者で、ゲッリウスらを通じて32篇が伝わる[2]

その他、エピクテトスの『語録』にも言行が伝わる[2]フラウィウス・ピロストラトステュアナのアポロニオス伝』では、アポロニオスの友人として登場する。ルキアノスまたはベロス・ピロストラトス『ネロ』では、ネロの事績の語り手として登場する[7]

思想・影響

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受講生に、エピクテトス[1]ディオン・クリュソストモス[1]エウプラテス英語版[8]がおり、ローマ期のストア派継承において重要な位置にいる[2]。『スーダ』やタキトゥスもムソニウスをストア派に分類する[2]。しかしながら、現代ではこの分類を疑う研究者もいる[2]

ムソニウスは言行録でキュニコス派に直接言及しないながらも、キュニコス派的な清貧の倫理学を説いている[2]。エピクテトスがキュニコス派に批判的ながらもディオゲネスに敬意を払っているのは、エピクテトスがディオゲネスにムソニウスを重ねているから、とする解釈もある[2]

ストバイオス所伝の言行録では、恋愛結婚の意義[9]、哲学する上で男女の能力に差はなく、女性も哲学するべきこと[2][9]、などを説いている。ただし、これらはムソニウスより先にプラトンが『饗宴[9]法律[9]国家[2][9]で説いている。

エピクテトスの『語録』では、論理学を疎かにしてはならないこと[10][11]、などをエピクテトスに教えたとされる。

ディオン・クリュソストモスの著作には『ムソニウスへの反論』があったが現存しない[8]

ギリシア教父アレクサンドリアのクレメンスにも影響を与えたとされる[12]

脚注

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  1. ^ a b c d 國方 2021, p. 419f.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 國方 2019, p. 153-157.
  3. ^ 近藤 2016, p. 2.
  4. ^ a b タキトゥス同時代史英語版』3.81
  5. ^ カッシウス・ディオ『ローマ史』65.13
  6. ^ 小プリニウス書簡集英語版』3.11
  7. ^ ルキアノス著、内田次信・西井奨訳『ルキアノス全集8 遊女たちの対話』京都大学学術出版会西洋古典叢書〉、2021年、ISBN 978-4814003495
  8. ^ a b ディオン・クリュソストモス著 / 内田次信訳『王政論 弁論集1』京都大学学術出版会〈西洋古典叢書〉、2015年。ISBN 9784876989126NCID BB1930085X 194頁(訳者解説)
  9. ^ a b c d e 近藤 2016.
  10. ^ 近藤智彦 著「ローマに入った哲学」、伊藤邦武山内志朗中島隆博納富信留 編『世界哲学史 2』筑摩書房〈ちくま新書〉、2020年。ISBN 9784480072924 46頁。
  11. ^ エピクテトス『語録』1.7.30-33
  12. ^ 近藤智彦「ムソニウス・ルフスとアレクサンドリアのクレメンス『パイダゴーゴス』におけるプラトン『法律』の利用をめぐって」第19回研究集会 | 古典文献学研究会 - Philologica”. philologica.jp. 2022年6月3日閲覧。

参考文献

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  • 國方栄二『ギリシア・ローマ ストア派の哲人たち セネカ、エピクテトス、マルクス・アウレリウス』中央公論新社、2019年。ISBN 9784120051579 
  • 國方栄二「解説 エピクテトスの生涯と著作」『エピクテトス 人生談義 上巻』岩波書店〈岩波文庫〉、2020年。ISBN 9784003360835 
  • 近藤智彦 著「古代ギリシア・ローマの哲学における愛と結婚―プラトンからムソニウス・ルフスへ―」、藤田尚志・宮野真生子 編『愛 結婚は愛のあかし?』ナカニシヤ出版〈愛・性・家族の哲学〉、2016年。ISBN 9784779510083 
  • 松原國師『西洋古典学事典』京都大学学術出版会、2010年。ISBN 9784876989256 

外部リンク

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