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ミロスラフ・スコリク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミロスラフ・ミハイロヴィチ・
スコリク
ミロスラフ・スコリク
生誕 (1938-07-13) 1938年7月13日
ウクライナ・ソビエト社会主義共和国の国旗 ウクライナ・ソビエト社会主義共和国リヴィウ
死没 2020年6月1日(2020-06-01)(81歳没)
 ウクライナキーウ
別名 Мирослав Михайлович Скорик
出身校 リヴィウ音楽院モスクワ音楽院
職業 作曲家、音楽教育者
受賞 シェフチェンコ・ウクライナ国家賞ウクライナ英雄
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ミロスラフ・スコリク(ウクライナ語: Мирослав Михайлович Скорик;Myroslav Myxajlovyč Skoryk;英語: Myroslav Skoryk), 1938年7月13日 - 2020年6月1日)は、ウクライナの作曲家音楽理論家、音楽教育者ウクライナ人民芸術家英語版ウクライナ英雄の称号を持つ。

経歴

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リチャキフ墓地にある葬儀直後の墓と献花
出生から修学期

1938年、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国リヴィウで生まれた。一家は文化的な雰囲気のある知識人家庭で、1945年にリヴィウ音楽院に入学。しかし一家は弾圧を受けてシベリアに送られた。スターリンの死去後、一家はリヴィウに戻ることができ、彼も1955年から1960年までリヴィウ音楽院に復学して学んだ。音楽院では、音楽史音楽理論スタニスラフ・リュドケヴィチ英語版作曲アダム・ソルティスロシア語版の下で学んだ。卒業後は、モスクワ音楽院に進み、ドミトリー・カバレフスキーのクラスで学び、1964年に卒業。

音楽院卒業後

1966年からキエフ音楽院で作曲を教えた(1980年代末まで)。その後、アメリカオーストラリアで働き、1990年代後半にウクライナに戻った。1999年よりキエフ音楽院音楽史学科長。2002年よりキエフ音楽フェスティバル英語版の芸術監督を務めた[1]。2006年、イーヴェン・スタンコヴィチと共にウクライナ作曲家連盟英語版の共同代表に就任。

2020年6月1日にリヴィウで死去し、同月3日にキリスト復活総大司教座大聖堂で告別式が執り行われた。墓はリチャキフ墓地英語版にある。

受賞・栄典

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家族・親族

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作曲作品

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外部リンク

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脚注

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  1. 初代音楽監督(1990—2001)はイワン・カラビッツ英語版の後の引き継いだ第2代芸術監督。
  2. Про присвоєння М. Скорику звання Герой України [On awarding M. Skoryk the title of Hero of Ukraine] (uk, en, ru). ウクライナ最高議会 (2008年). 2020年6月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月6日閲覧。