マルクス・クロディウス・プピエヌス・マクシムス

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プピエヌス・マクシムス

マルクス・クロディウス・プピエヌス・マクシムス古典ラテン語Marcus Clodius Pupienus Maximus, 178年頃? - 238年7月29日)は、六皇帝の年と称された238年にローマ帝国皇帝として即位した人物。なお、生年には164年頃や165年頃から170年頃など、諸説ある。

ゴルディアヌス1世らの死後に、元老院によってデキムス・カエリウス・カルウィヌス・バルビヌスと共同で擁立された。

バルビヌスはローマに留まり、マクシムスはマクシミヌス・トラクスを追撃に出た。対立していたマクシミヌスが6月に兵士によって殺害され、マクシミヌス軍兵士もマクシムスに投降したため、マクシムスはローマに帰った。2人はゲルマニアパルティアへの遠征を計画したが、口論が絶えず、バルビヌスと激しく敵対したため、プラエトリアニによってバルビヌス共々殺害されて、遺体はティベリス川へ投げ込まれた。

プピエヌスの父母の名前は、マルクス・プピエヌス・マクシムス(140年頃-?)とクロディア・プルクラとされる。

妻にセクスティア・ケテギラがおり、2男1女を儲けた。

長男ティベリウス(ティトゥス)・クロディウス・プピエヌス・プルケル・マクシムス(195年頃-224年/226年以降もしくは235年以後)はティネイア(195年頃生誕)という女性と結婚。ルキウス・クロディウス・ティネイウス・プピエヌス・バッシウス(220年-250年以後)を儲けた。ティネイアは皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスに反乱を起こしたガイウス・アウィディウス・カッシウスの孫娘(カッシウスの次女にして末娘ウォルシア・ラオディケ(165年頃生誕)の娘)であり、カッシウスが初代皇帝アウグストゥスの雲孫(玄孫の玄孫)にあたるため、ティネイアはアウグストゥスの雲孫の孫、ルキウスはアウグストゥスの雲孫の曽孫ということになり、プピエヌス一族はユリウス・クラウディウス朝一族の末裔と縁戚関係を結んだことになる。 ルキウスの子孫は少なくとも5世紀の終わりから6世紀の始めまで存続した。

次男マルクス・プピエヌス・アフリカヌス・マクシムス(200年頃-236年以後)はコルネリア・Marullina(205年頃生誕)と結婚。コルネリアはルキウス・コルネリウス・Cossonius・スキピオ・Salvidius・Orfitusの娘である。2人の間にはプピエナ・セクスティア・パウリナ・ケテギラ(225年生誕)とプブリウス・プピエヌス・マクシムスの1男1女が生まれた。プピエナ・セクスティア・パウリナ・ケテギラはマルクス・マエキウス・プロブスと結婚した。

長女はプピエナ・セクスティア・パウリナ・ケテギラであり、マルクスの娘と同名である。

関連項目[編集]