ボリス・スパスキー

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ボリス・ヴァシーリエヴィッチ・スパスキー
フルネーム Борис Васильевич Спасский
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
フランスの旗 フランス
生誕 (1937-01-30) 1937年1月30日(87歳)
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国の国旗 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国レニングラード
タイトル 第13代公式世界チャンピオン
世界選手権 1969年 - 1972年
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ボリス・ヴァシーリエヴィッチ・スパスキー(ロシア語: Бори́с Васи́льевич Спа́сский, 英語: Boris Vasilievich Spassky, 1937年1月30日 - )は、ソビエト連邦生まれのチェスプレーヤーチェス世界チャンピオン1969年 - 1972年)。

来歴[編集]

レニングラード(現・サンクトペテルブルク)出身。1955年アントウェルペンで開催された世界ジュニアチェス選手権で優勝しインターナショナルマスターとなる。同年、初出場したインターゾーナル戦で7位同率となり、翌年の挑戦者決定戦への出場権を手に入れると同時にグランドマスターとなる。

1966年初めて世界チャンピオンへの挑戦者となる。この時は当時のチャンピオンチグラン・ペトロシアンに敗れたが、1969年、2度目の挑戦でペトロシアンを破り、チャンピオンになる。1972年レイキャヴィークでの世界チェス選手権ボビー・フィッシャーに敗退し、失冠。1975年フランスに亡命し、フランス人女性と3度目の結婚。

2000年以降[編集]

2009年、フランス在住当時のスパスキー。

2006年10月1日サンフランシスコで講演中だったスパスキーは、軽い脳卒中となった。復帰後の最初の大きな試合は、2007年4月におこなわれた、ハンガリー人グランドマスター Lajos Portischとの対戦であった。

2010年3月27日、73歳となっていたスパスキーは、ワシリー・スミスロフが死去したことに伴い、存命中では最高齢の元世界チャンピオンとなった[1]

2010年9月23日ChessBase が発表したところによると、スパスキーは以前のものより深刻な脳卒中に見舞われ、左半身が不随となったとされた[2]。その後、彼はフランスに戻り、長期間のリハビリテーション生活に入った[3]2012年8月16日、スパスキーはフランスを離れ、紛糾した状況の中でロシアへ戻り[4][5]、その後はモスクワのアパートに住んでいる[6][7]

2016年9月25日タリ・メモリアル英語版 のトーナメント開会式において、スパスキーはスピーチをした。彼は、ミハイル・タリについて、「極めて輝かしい記憶の数々」をもっていると述べ、第15回英語版チェス・オリンピアードのときの逸話を紹介し、ボビー・フィッシャーミハイル・ボトヴィニクの対戦において封じ手をソビエト側がどのように分析していたかを語った。Chess24 の報じるところでは、スパスキーは「元気 (sprightly)」だったという[8]

脚注[編集]

  1. ^ Vasily Smyslov”. Chess24. 2020年2月15日閲覧。
  2. ^ Chess News – Boris Spassky in grave condition”. ChessBase.com. 2011年11月12日閲覧。
  3. ^ mishanp on November 26, 2010 (2010年11月26日). “Bits and Pieces #1”. Chessintranslation.com. 2011年11月12日閲覧。
  4. ^ Boris Spassky, fearing death, 'flees' to Russia”. ChessBase.com (2012年8月18日). 2012年8月19日閲覧。
  5. ^ Spassky's sister: help save my brother!”. ChessBase.com (2012年8月23日). 2012年8月31日閲覧。
  6. ^ Spassky surfaces – on Russia 1TV's Tonight Show”. ChessBase / Chess News (2013年1月30日). 2016年5月15日閲覧。
  7. ^ McGourty, Colin (2016年3月4日). “Boris Spassky: “I’m waging a war””. Chess24. 2016年5月15日閲覧。
  8. ^ McGourty, Colin. “Spassky stars as Mamedyarov crushes Tal blitz”. Chess24. 2020年2月16日閲覧。

関連書籍[編集]

関連項目[編集]