フーベン (チロル州)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フーベン
Huben
フーベンの教会(2015年)
フーベンの教会(2015年)
フーベン Hubenの位置(オーストリア内)
フーベン Huben
フーベン
Huben
国内における位置
北緯47度2分36秒 東経10度58分11秒 / 北緯47.04333度 東経10.96972度 / 47.04333; 10.96972
 オーストリア
チロル州
イムスト郡
基礎自治体 レンゲンフェルト
面積
 • 合計 466.9 km2
標高
1,189 m
人口
(2011年10月31日)
 • 合計 1,235人
 • 密度 2.6人/km2
市外局番 05253
ナンバープレート IM
統計区 フーベン・グリース(70208 001)

フーベン(Huben)は、オーストリア共和国チロル州イムスト郡にある村落。行政上は基礎自治体レンゲンフェルトの一部であり、2011年時点の人口は1,235人である[1]

地理[編集]

村は海抜1189 mのところにあり、エッツタールの谷を開くレンゲンフェルト盆地の南端、エッツタール川ドイツ語版の左岸に位置する。レンゲンフェルト中心部の南にあり、フーベンを起点とするトレッキングコースがある[2]。トレッキングのほか、ハイキングマウンテンバイク登山乗馬ラフティングなどもできる[3]スキーリゾートゼルデンまでは自動車で数分の距離である[3]

フーベンはアストレーン(Astlehn)、ルンホフ(Runhof)という村落、アッシュバッハ(Aschbach)、ゴットシュグート(Gottsgut)、ミュール(Mühl)、ヴィンクレ(Winkle)というハムレット、ブルッゲン(Bruggen)、ブルクスタイン(Burgstein)、ブラント(Brand)という小集落のほか、アルメレン牧場、2軒のアルペンガストホーフ、避難所、いくつかの牧草地がある。

歴史[編集]

フーベ(Hube)と記された地図(1744年)
フーベン(1958年)

フーベンという地名は、家族を養う農場である、フーベ(Hube)に由来すると見られ、1317年にその名が記録されている[4]

谷底に位置するため、フーベンはたびたびエッツタール川の氾濫被害を受けてきた。エッツタール川は、本来は谷の西縁を流れ、当時のフーベンは川の右岸に位置していた。1678年7月16日ロフェナー氷湖ドイツ語版が決壊し、ほぼすべての住宅と教会が破壊された[5]1868年には住宅2棟とチャペルが洪水で失われ、1877年には数度の落石で埋没し、ウィーンの中央政府は住民のハンガリーへの転居を進めようとした。しかし住民の抵抗により実現しなかった[4]

エッツタール・フーベン教区教会ドイツ語版(聖マーティン教会)は、1679年に再建され、1805/06年に人口増加のため拡張した[6]1891年にフーベンは独立した教区に昇格した[4]

脚注[編集]

  1. ^ Statistik Austria: Registerzählung vom 31. Oktober 2011 – Bevölkerung nach Ortschaften
  2. ^ 呉羽・吉沢・松村 2019, p. 7.
  3. ^ a b Huben in Oetztal in Tyrol” (ドイツ語). oetztal.at marketing gmbh & cokg. 2021年8月22日閲覧。
  4. ^ a b c Längenfeld”. Datenbank Geschichte Tirol des Vereines. 2021年8月22日閲覧。
  5. ^ Tirol Atlas: Naturchronik Tirol
  6. ^ Franckenstein, Wiesauer. “Pfarrkirche Hl. Martin”. Tiroler Kunstkataster. 2021年8月22日閲覧。

参考文献[編集]

  • 呉羽正昭・吉沢直・松村健太郎「オーストリアアルプスのエッツタールにおけるトレッキングルートの分析―トレッキング・ツーリズムの性格解明に向けて―」『筑波大学人文地理学研究』第39号、筑波大学大学院生命環境科学研究科地球環境科学専攻、2019年、1-18頁、NAID 120006622175