フリッパー上原

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
フリッパー上原
基本情報
本名 上原 晴治
階級 フェザー級
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1952-02-08) 1952年2月8日(65歳)
出身地 沖縄県那覇市
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 19
勝ち 13
KO勝ち 4
敗け 5
引き分け 1
テンプレートを表示

フリッパー上原(フリッパーうえはら、1952年2月8日 - )は、日本プロボクサー。本名は上原 晴治(うえはら はるじ)。沖縄県那覇市出身。興南高校卒、日本大学文理学部体育学科中退。協栄ボクシングジム所属。元日本フェザー級王者。

WBA世界ジュニアライト級王者・上原康恒は実兄である。

来歴[編集]

日大一年1970年全日本アマチュアボクシング選手権大会フェザー級で優勝を果たした。同年、兄・康恒もライトウェルター級で優勝している。

大学を3年で中退して協栄ボクシングジムに入門、1973年1月11日、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスでプロデビュー。ロサンゼルスで4戦4勝し、同年10月28日に5戦目で日本デビュー。

1974年10月21日、のちのWBC世界ジュニアフェザー級王者リゴベルト・リアスコと対戦し、10回判定負け。

1975年3月9日、12戦目で日本フェザー級王者牛若丸原田に挑戦し、10回判定勝ちで王座を獲得した。6月27日、原田と再戦し、10回判定勝ちで初防衛に成功した。

1976年3月6日、15戦目で世界王座初挑戦。WBC世界フェザー級王者デビッド・コティガーナ)と敵地・アクラで対戦し、11回TKO負けで王座獲得ならず[1]

1976年10月10日山梨県甲府市山梨学院大学体育館にて吉田秀三との日本王座の3度目の防衛戦に臨み[2]、10回判定負けで王座から陥落した。12月11日、吉田と再戦し、10回判定勝ちで王座を奪回した。同王座は防衛戦を行うことなく返上した。

1977年5月29日、地元・沖縄の那覇市奥武山体育館WBA世界フェザー級王者ラファエル・オルテガパナマ)に挑戦し、15回判定負けで2度目の王座挑戦も失敗し[1]、この試合を最後に現役を引退した。

獲得タイトル[編集]

  • 第21代日本フェザー級王座(防衛2度)
  • 第23代日本フェザー級王座(防衛0度)

脚注[編集]

  1. ^ a b ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年
  2. ^ この日はジムの後輩であった具志堅用高が、WBA世界ジュニアフライ級王座(王者:ホアン・グスマン)に挑戦した試合がメインイベントであった。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

前王者
牛若丸原田
第21代日本フェザー級王者

1975年3月9日 - 1976年10月10日

次王者
吉田秀三
前王者
吉田秀三
第23代日本フェザー級王者

1976年12月11日 - 1977年(返上)

空位
次タイトル獲得者
スパイダー根本