フランソワ1世 (ブルターニュ公)

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フランソワ1世

フランソワ1世(François Ier de Bretagne, ブルトン語:Frañsez Iañ, 1414年5月14日 - 1450年7月18日)は、ブルターニュ(在位:1442年 - 1450年)。ブルターニュ公ジャン5世(6世)フランスシャルル6世の娘ジャンヌ・ド・フランスの息子。

1431年2月、百年戦争で争うイングランドとフランスの間で動向が定まらない父を繋ぎ止めるため、フランスの有力者ヨランド・ダラゴンが父と交渉してブルターニュとフランス間で和睦を結び、8月にヨランドと夫のアンジュールイ2世の娘でシャルル7世の王妃マリー・ダンジューロレーヌルネの妹であるヨランド(1412年 - 1440年)と結婚した[1]。ヨランドとの間に息子ルノー(1434年 - 1439年)をもうけたが夭折している。

ヨランドと死別後の1442年、スコットランドジェームズ1世の次女でルイ11世の最初の妃マーガレット・ステュアートの妹であるイザベラ・ステュアートと再婚した。イザベラとの間に2女をもうけている。

  • マルグリット(1443年 - 1469年) - 父の従弟にあたるブルターニュ公フランソワ2世と結婚。
  • マリー(1444年 - 1506年) - ロアン子爵ジャン2世と結婚

父の死により1442年に公位を継ぎ、イングランドからの領土奪回を推進する叔父のリッシュモン大元帥(後のアルテュール3世)を支援する一方、1445年に親英派の弟ジルと対立して彼がイングランドへ内通したため投獄した。1449年に叔父が指揮するノルマンディー征服作戦で援軍を率いて西部からノルマンディーの都市を占領した[2]

1450年、ジル助命を願い出る叔父と対立して兵の供出を止めたが、4月15日フォルミニーの戦いで叔父の率いるフランス軍がイングランド軍に大勝利した後、一転して叔父に協力、麾下のブルターニュ軍を叔父へ委ねた後、7月18日に36歳で死去した(ジルも同年に獄死)[3]。フランソワ1世の死後、公位は弟でジルの兄ピエール2世、叔父アルテュール3世、従弟で娘婿であるフランソワ2世へと継がれ、傍系継承が続いた。

脚注[編集]

  1. ^ エチュヴェリー、P202 - P205、清水、P143 - P146。
  2. ^ エチュヴェリー、P255 - P256、P265 - P266、P270 - P271。
  3. ^ エチュヴェリー、P274 - P275、P284 - P285、清水、P289。

参考文献[編集]

先代:
ジャン5世(6世)
ブルターニュ
CoA dukes of Bretagne 1316-1514 (chivalric).svg
1442年 - 1450年
次代:
ピエール2世