ヨランド・ダラゴン

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ヨランド・ダラゴン

ヨランド・ダラゴン(Yolande d'Aragon, 1384年8月11日 - 1442年11月14日)は、アラゴンフアン1世の長女。母はフランス貴族バル公ロベール1世の娘ヨランド。ヨランドはフランス語名で、スペイン語名はヨランダ(またはビオランテ・デ・アラゴン(Yolanda(Violante) de Aragón)、カタルーニャ語名はビオラン・ダラゴー(Violant d'Aragó)。

母の従弟にあたり、アンジュー公、プロヴァンス伯、またナポリ王であったルイ2世・ダンジュー1400年に結婚した。2人の間の成人した子供は次の通りである。

父フアン1世の唯一の男子ハイメ(ヨランドの弟)は夭逝したため、アラゴン王位は父の弟マルティン1世が継承していたが、マルティンも嗣子に先立たれ、1410年に後継者を定めないまま没した。この時、ヨランドがマルティンの姪でありアラゴン王女であったことから、ヨランドの長男ルイが王位継承候補者の一人に挙がったが、王位を得ることはできなかった(カスペの妥協を参照)。

後のフランスシャルル7世が南フランスへ逃れてきた際に庇護し、1422年に長女マリーと結婚させた。一方、次男ルネロレーヌ公シャルル2世の長女イザベルと結婚させ、ロレーヌ公を相続させている。ルネはまた、ヨランドの母方の叔父ルイからバル公領も相続した。