フランス帝国
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| フランス帝国 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| Empire français | |||||
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国歌:Chant du Départ 門出の歌 Partant pour la Syrie シリアへ旅立ちながら | |||||
| 公用語 | フランス語 | ||||
| 首都 | パリ | ||||
| 皇帝 | |||||
| 1804年 - 1815年 | ナポレオン1世(第一帝政) | ||||
| 1852年 - 1870年 | ナポレオン3世(第二帝政) | ||||
| 変遷 | |||||
| 共和暦12年憲法(第一帝政成立) | 1804年5月18日 | ||||
| フォンテーヌブロー条約 | 1814年4月11日 | ||||
| 百日天下 | 1815年 | ||||
| 1852年憲法(第二帝政成立) | 1852年1月14日 | ||||
| 共和政宣言(第二帝政崩壊) | 1870年9月4日 | ||||
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フランス帝国(フランスていこく、仏: Empire français)と呼ばれたものとしては、フランス史上、フランス第一帝政、フランス第二帝政、フランス植民地帝国の3つが存在した。前2国はフランスにおける政体の1つを指す。後者はフランスの植民地の集合体を指し、本国の政体・王朝に関わりなくこのように呼ばれる。
帝政フランス
[編集]フランス第一帝政
[編集]→詳細は「フランス第一帝政」を参照
フランス第一帝政は、フランス革命戦争において勝利を重ねたナポレオン・ボナパルトが、ブリュメール18日のクーデターによって独裁的な権力を掌握し、更に国民投票によって皇帝に即位したものである。自ら大陸軍(グランダルメ)と命名した強大な軍事力を後ろ盾にする軍事独裁政権であった。その治世は、ほぼ「ナポレオン戦争」と重なる。
フランス第二帝政
[編集]→詳細は「フランス第二帝政」を参照
フランス第二帝政は、ナポレオン・ボナパルトの甥であるルイ=ナポレオン(ナポレオン3世)が1851年12月2日のクーデターによって議会を解散し、新たな憲法を制定した上で国民投票によって皇帝に即位したものである。権威主義的・反議会主義的な統治体制である一方、国民投票によって指導者を選出し、幅広い民衆に支持基盤をおいた点で、人民主権的、民主主義的な性格も有していた。
フランス植民地帝国
[編集]→詳細は「フランス植民地帝国」を参照
フランス植民地帝国は、フランスが16世紀から20世紀にかけて海外に建設した植民地の集合体である。この場合の帝国とは、フランス本国の政体が王政か、帝政か、共和政かにかかわらず、海外の多民族の領域を支配したことを指す。
参考文献
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