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フランク・ジョーブ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フランク・ジョーブ
生誕 (1925-07-16) 1925年7月16日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国・ノースカロライナ州
死没 (2014-03-06) 2014年3月6日(88歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国・カリフォルニア州サンタモニカ
医学関連経歴
職業 医師
専門 整形外科
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フランク・ジョーブFrank Jobe , 1925年7月16日 - 2014年3月6日)は、アメリカ整形外科医。野球医学界の名医師。トミー・ジョン手術の第一人者。彼によって多くの投手がそのキャリアを続けることができた。

人物

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ノースカロライナ州出身。1964年からMLBロサンゼルス・ドジャースの医療コンサルタントを務めていた。

1974年、利き手の左腕靭帯を損傷していたトミー・ジョンに対して自家移植する世界初と言える試みの手術を実施[1]。ジョンの手術以降、同様にを故障していた数多くのプロ野球選手に対して同様の手術を行い、多くの選手が故障から復帰した。アメリカ合衆国を始めとして、この手術を「トミー・ジョン手術」と呼んでいる。

NPBプロ野球選手では、村田兆治荒木大輔桑田真澄近藤真一松坂大輔ダルビッシュ有大谷翔平藤川球児和田毅五十嵐亮太らが同様の手術を受けた。また手術は受けなかったが、1989年に右肩を痛めた立浪和義も診察を受けた。またトミー・ジョン手術ではないが、1988年7月6日に試合中に左膝の靭帯を3本断裂するという大怪我を負った吉村禎章もジョーブの執刀を受けている。その際、ジョーブは「野球選手でこんな大けがは見たことがない」と語ったという[2]

2014年3月6日カリフォルニア州サンタモニカにて死去[3]。88歳没。

その他

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日本ではスポーツ医学の名医ということで知名度があり、彼の名をもじったダイジョーブ博士という名の人物が次の諸作品に登場する。

出典

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  1. ^ 丹羽政善 (2018年7月23日). “来季開幕か今季中か…大谷の復帰登板に思惑”. 日経新聞. 日本経済新聞社. 2025年6月1日閲覧.
  2. ^ “【7月6日】1988年(昭63) 通算100号本塁打の日に…2人の運命を変えた外野フライ”. スポニチ Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 2008年7月1日. 2008年9月20日時点のオリジナルよりアーカイブ. 2008年7月1日閲覧.
  3. ^ “ジョーブ博士が死去 村田兆治、桑田真澄氏らが謝辞”. スポニチ Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. 2014年3月7日. 2025年6月1日閲覧.
  4. ^ 『実況パワフルプロ野球 パワプロスーパー大全』コナミ・新紀元社、2004年p.289