ファム・フン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ベトナムの旗 ベトナムの政治家
ファム・フン
Phạm Hùng
Tượng bán thân Phạm Hùng.jpg
生年月日 1912年6月11日
出生地 Flag of Colonial Annam.svg フランス領インドシナ
ヴィンロン省
没年月日 1988年3月10日
死没地 ベトナムの旗 ベトナムホーチミン市
所属政党 インドシナ共産党
ベトナム労働党
ベトナム共産党

ベトナムの旗 第2代首相
内閣 ファム・フン内閣
在任期間 1987年6月18日 - 1988年3月10日
国家評議会議長 ヴォー・チ・コン
テンプレートを表示

ファム・フンベトナム語: Phạm Hùng, 漢字: 范雄, 1912年6月11日 - 1988年3月10日)は、ベトナム政治家。第2代ベトナム社会主義共和国首相を務めた。

経歴[編集]

ヴィンロン省生まれ。

1928年、南圻学生連合会、及び共産主義青年団に参加。1930年インドシナ共産党に入党。1931年、フランス植民地当局により逮捕され、死刑判決を受けたが、後に無期懲役に減刑され、コンダオ島に収監された。

1945年八月革命の勝利により釈放され、南部中央局委員として南方工作に従事。ジュネーヴ協定締結後の1954年、北ベトナムに呼び戻される。

1955年8月、ベトナム労働党第2期中央委員会第8回総会で、党政治局員に選出。1958年、書記局員に選出。1958年4月、副首相に任命された。1960年9月の第3回党大会において、政治局員、書記局員に再選。1965年4月6日より国家物価委員会主任を兼務し、1966年10月まで務めた[1][2]

1967年南ベトナムに派遣され、南部中央局書記兼南ベトナム解放軍政治委員に任命。1971年6月10日、第4期国会第1回会議において副首相に再任されなかったが、これは南部問題に専念するためと見られる[3]

ベトナム戦争末期の1975年4月8日、サイゴン解放作戦(後にホーチミン作戦に改名)指揮部設置により、同政治委員に任命[4]され、南部解放を指導した。

1975年11月、「統一ベトナム問題政治協議会」に南ベトナム代表団団長として参加した。1976年2月、ベトナム全国選挙委員会副委員長に選出。同年7月、副首相兼国防委員会委員に任命。同12月、第4回党大会において、政治局員に再選され、序列第4位になる。

1980年2月、内相を兼任。1981年7月、閣僚評議会副議長(副首相)に任命。1982年3月、第5回党大会において政治局員に再選、序列第4位。1986年12月、第6回党大会において、政治局員に再選、序列第2位。

1987年6月、第8期国会第1回会議において、ファム・ヴァン・ドンに代わり閣僚評議会議長(首相)に就任。翌1988年3月10日、心臓発作により死去[5]。歴代ベトナム首相中で、最短の在任期間となった。

脚注[編集]

  1. ^ 第3期国会期政府(1964-1971年) (ベトナム語)
  2. ^ 内閣の人事任命に関する94号決議 (ベトナム語)
  3. ^ 『アジア動向年報』1971年版、271ページ
  4. ^ バン・ティエン・ズン(1976年)、198ページ
  5. ^ Pham Hung, 75, Prime Minister Of Vietnam and Early Rebel, Dies. New York Times, March 12, 1988

参考文献[編集]

関連項目[編集]


先代:
ファム・ヴァン・ドン
ベトナム社会主義共和国
閣僚評議会議長
1987年 - 1988年
次代:
ヴォー・ヴァン・キエット
(代行)