ファン・フイ・クアト

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ファン・フイ・クアト

ファン・フイ・クアトベトナム語:Phan Huy Quát、1911年 - 1979年4月27日)は、ベトナム共和国の政治家。ベトナム共和国首相1965年[1])。

来歴[編集]

北部ベトナムのハティン省カンロック県(現在のロックハ県)で黎朝以来の名家に生まれる。内科医を経てバオ・ダイ政権下で教育相・国防相を歴任、1954年には一時的にではあるが、首相代行を務めた。ゴ・ジン・ジェム政権下ではカトリック優遇策に反対し、ゴ政権を倒したズオン・バン・ミン政権下で諮問会議のメンバーに指名。更にグエン・カーン政権下で外務大臣を務めた。

1965年2月15日にグエン・カーン政権が、グエン・バン・チューグエン・カオ・キなど少壮将校のクーデターで倒れると、ファン・カク・スー国家評議会議長(国家元首)によって首相に就任。民政移管を目指すものの、カトリックと仏教徒の宗教対立から政情が不安定化。加えてファン・カク・スーとの対立も際立ってしまい、事態収拾が侭ならないまま6月15日にファン・カク・スー共々退陣。後事をグエン・バン・チューやグエン・カオ・キ率いる軍部に委ねた。

サイゴン陥落後は解放戦線によって拘束、ベトナム統一後も獄中にあって生涯を閉じた。歴史家のファン・フィ・レは異母弟。

脚注[編集]

  1. ^ South Vietnam”. Worldstatemen.org. 2021年4月12日閲覧。
先代
ブ・ロク
ベトナム国首相
1954年(代理)
次代
ゴ・ディン・ジェム
先代
グエン・スアン・オアイン
(代理)
ベトナム共和国首相
1965年
次代
グエン・カオ・キ