ヒュー・L・ケアリー

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ヒュー・ケアリー
Hugh Carey
Hugh Carey - 1977 NFTA Report (cropped).jpg
生年月日 1919年4月11日
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
Flag of New York City.svg ニューヨーク州ニューヨーク
没年月日 2011年8月7日(82歳没)
死没地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
Flag of New York.svg ニューヨーク州シェルターアイランド
出身校 セント・ジョンズ大学
所属政党 民主党
配偶者 ヘレン・オーウェン(1947年結婚・1974年死亡)
エヴァンジェリン・グーレタス(1981年結婚・1989年離婚)
子女 14人

在任期間 1975年1月1日 - 1982年12月31日
副知事 メアリー・アン・クルプサック
マリオ・クオモ
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ヒュー・レオ・ケアリーHugh Leo Carey, 1919年4月11日 - 2011年8月7日)は、アメリカ合衆国政治家。51代目ニューヨーク州知事(在任期間:1975年1月1日 - 1982年12月31日)。

人物[編集]

ケアリーはニューヨーク市ブルックリンで生まれる。第二次世界大戦中には下士官としてアメリカ陸軍に加わり、ヨーロッパで従軍し、少佐の階級まで昇進した。彼はセント・ジョーンズ大学を卒業、1942年に学士号および1951年に法学位を得、同年法曹界入りした。

ケアリーは民主党員として下院選挙に出馬、1960年に下院議員に選出され、7期を務めた。その後ニューヨーク州知事に選出され、1974年12月31日に下院議員を辞職した。1978年には知事に再選され、二期を務めた。1983年にはその職を副知事のマリオ・クオモに譲り、在住するニューヨークで弁護士業を再開した。

ケアリーは有能な政治家ではあったが、多彩ではなく自らの公的イメージには無関心であった。彼は1976年と1980年の大統領選出馬への関心を示したが、どちらにも出馬しなかった。彼の業績で顕著な物は1970年代末のニューヨークの財政不振の改善であった。また、保守派議員の死刑復活論や、妊娠中絶法否決を否定したことで知られる。前任者のネルソン・ロックフェラーのように、彼はしばしば望ましい開発を行うため、高価で奇妙な構成が成された債券を発行した。しかしながら、彼はニューヨーク州の財政を好転させるために基本的には緊縮を行い、ある分野では州税の廃止を行った。

彼は後にアメリカのためのカトリック・キャンペーンに加わり、異なる政治哲学への変更を示した。

2011年8月7日、アメリカ合衆国ニューヨーク州シェルター島で死去[1]。92歳没。

脚注[編集]

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  1. ^ Hugh Carey - former N.Y. governor - dies at 92 San Francisco Chronicle Sunday, August 7, 2011
先代:
マルコム・ウィルソン
ニューヨーク州知事
1975 - 1983
次代:
マリオ・クオモ