ハワード・マギー

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モンクとマギー。ミントンにて。1947年。

ハワード・マギー(Howard McGhee 1918年3月6日生まれ、1987年7月17日ニューヨークで死去)はディジー・ガレスピー, ファッツ・ナヴァロ、アイドリース・シュリーマンなどと並んでビバップの最初のトランペット奏者の一人。

速い運指、高音で知られた。ナヴァロとともに後輩のハード・バッパーたちに影響を与えた。

生涯[編集]

デトロイト

オクラホマ州タルサ生まれ、デトロイト育ち。ライオネル・ハンプトン,アンディ・カーク, カウント・ベイシー、チャーリー・バーネットなどのバンドで演奏した。ラジオでチャーリー・パーカーを聴きビバップを始める。

1946-47年、Dialレコードで二度パーカーと録音。

パーカーとの共演[編集]

最初の収録は1946年7月29日に行われ、チャーリー・パーカー(as),ハワード・マギー (tp), Jimmy Bunn (p), Bob Kesterson (b), Roy Porter (d),William "Bill" Jones (v)という顔ぶれで、"Max is Making Wax", ":Lover Man", "The Gypsy"、"Be-bop"を演奏した。

パーカーは麻薬切れでよれよれで、直後にホテルでボヤ騒ぎを起こし裸で通りに飛び出しカマリロ精神病院に半年間ぶちこまれたが、演奏の美しさで伝説となった。

二回目は1947年2月26日、Dialで行われ、マギーは"Relaxin at Camarillo", "Cheers", "Carvin the Bird"、"Stupendous"(このうち "Cheers", "Carvin the Bird"、"Stupendous"はマギー作曲)を演奏した。

同年3月にLAのクラブでパーカーと共演。

その後[編集]

1950年代は麻薬中毒で没落、1960年代に復活し、ジョージ・ウェインのプロデュース作品の収録にたびたび参加した。

1960年代中期にふたたび没落、つぎに録音したのは1976年だった。

1960年代末にニューヨークでビッグバンドを率いたが成功しなかった。当時の録音は70年代半ばに発売された。

1970年代に学校や自宅アパートで音楽を教え、チャーリー・ラウズなどのミュージシャンに音楽理論を伝授した。

生涯を通じ、演奏だけでなく作編曲も多数行った。

ディスコグラフィ[編集]

左からモンク・マギー・エルドリッヂ・テディーヒル、ミントンにて、N.Y.1947年九月


リーダー作品[編集]

参加作品[編集]

  • James Moody『Cookin' the Blues』(Argo, 1961)
  • Don Patterson『Boppin' & Burnin'』(Prestige, 1968)

外リンク[編集]