ノート:730 (交通)

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

この記事の初版が「730_(交通)」に要約欄に明記なし(合わせていうと記事移動のための呼びかけも私が探した限り見当たらなかったですが…)で移動を行われていたのを確認したため、削除させていただきました。なお、こちらの記事の初版文章をこの記事の最新版に反映させる事は(過去版から文章を復活させるだけなので)履歴上問題はないはずです。該当記述をこれからどうなされるかはおまかせします。Tekune 2005年7月7日 (木) 15:35 (UTC)[返信]

石垣市以外の730交差点[編集]

いろいろ調べたのですが、石垣市以外にある730交差点というもののが見つかりませんでした。ので、根拠不提示ということで消しました。もし本当に存在するのでしたら、存在する場所も提示した上で再度記述してください。Modeha 2006年12月8日 (金) 11:03 (UTC)[返信]

沖縄戦直後の交通変更について[編集]

2007年9月25日 (火) 02:27版において、『沖縄県では第二次大戦時、かつてアメリカ軍の勝利により1945年6月24日にも、これとは逆に自動車の左側通行が右側通行に変更された事があった。交通方法の変更は、この730で2度目である。他の46県が、アメリカ占領軍の圧力にもめげず、一貫して自動車の左側通行を守り抜いたのとは対照的である。』(強調部は利用者:しいたけ)という記述がありましたが、大半を削除しました。沖縄県の行政組織は沖縄戦で崩壊し、1度目の交通変更実施日(組織的な沖縄戦終結日の翌日)当時には日本人(沖縄人)による行政組織は機能していないため、『アメリカ占領軍の圧力』に対抗する組織的な対応能力を喪失していたと考えられるためです(既に「日本国の沖縄県」は実質的に無くなっていた(=アメリカの軍政になった為)とも言えます。なお、沖縄守備軍の正式な降伏調印は9月7日です)。また、蛇足ですが、記述するならば他県においてアメリカからの要請やそれに対する抵抗が行われたのかどうかについて、Wikipedia:検証可能性を満たすソースが必要だと思います。

(戦前の沖縄における行政機構の崩壊については、wikipediaでは島田叡(戦前の沖縄県最後の知事)などに詳しい。なお、戦後沖縄初の沖縄人による行政組織「沖縄諮詢会」が発足したのは1945年8月20日。)--しいたけ 2007年9月24日 (月) 18:04 (UTC)[返信]

路面電車の有無に関する記述について[編集]

首記の件、本文に「要出典」タグを貼りました。『一斉に切り替えが行われているが、これが可能だったのは、当時沖縄には路面電車が無かったことが大きい(路面電車を自動車に合わせ右側通行から左側通行にするには、全ての車両と駅の構造を変更しなければならない)。』(本文より)との事ですが、以下の点について、検証可能性を満たすソースをご存じの方は提示ください。

  • 公共交通機関たる路線バスは(一部は補助金を導入して)全て更新されているが、路面電車はバスと比較して更新が難易であるという事の根拠について。
  • 路面電車の通行路転換について、駅の構造を変更しないといけないという根拠について(案内標識などはともかく、構造物を変更しないといけないという理由が不明のため)。
以上、--しいたけ 2008年9月17日 (水) 18:32 (UTC)[返信]

文献を探してきてもいいのですが、おおざっぱな説明をしますと、ポイントを作り替えなければなりません。具体的には、AアベニューとBストリートの交差点が存在し、Aアベニューを西から東に行く列車が折り返してBストリートを北上するダイヤが組まれていたとします。7月29日終電車のあと、7月30日始発までにポイント工事ができるかというとそれは不可能です。

例        j g
       | |
       | |\
       | | \
-h----------+--+----f---*---e
Aアベニュー |P | /
-c----------+--+--d---/
       | |
       | |←Bストリート

7月29日、Aアベニュー線東行の路面電車は、P交差点を通過しd点を通ってeターミナル(引き込み線)に入ります。その後折り返して、f点を通り、P交差点のポイントを通過し、図中では斜めになっている渡り線を通過してg方向、つまり、Bストリート線北行電車に変わります。

7月30日、この電車は一体どこを通ればいいのでしょうか。h点からf点を通りeターミナル(引き込み線)で折り返してd点までは行けます。が、j方向に行くポイントは存在しません。もちろん、数ヶ月前からP交差点で大規模ポイント工事をすれば別ですが、それをせずに済んだというのが私の書いた内容です。なので消された分は再度戻しておきます。Modeha 2008年9月24日 (水) 14:13 (UTC)[返信]

※あとで直せれば直しておきますが、テキストで書いたので図がかなりずれています。Modeha 2008年9月24日 (水) 14:17 (UTC)[返信]

  • (コメント)なるほど。路面電車についての解説はよくわかりました。ありがとうございます。さて本項目(沖縄での事例)での記述ですが、沖縄での交通方式の変更に当たって、そういった議論や評論がなされたのであれば記述に値するかもしれませんので、Wikipedia:検証可能性を満たすソースのご呈示があるなら、改めて議論の機会を得たいと思います。引き続き宜しくお願いします。--しいたけ 2008年9月25日 (木) 07:59 (UTC)[返信]

文献は今探してます。恐らくあるとは思うのですがすぐには出てきません。自動車左側通行から右側通行に変わった際に、システムの切り替えができず、いったん路面電車を全廃したストックホルムという実例があれば十分ではないですかね。Wikipedia日本語版にはないかもしれませんが、「ストックホルム 路面電車 右側通行 廃止」などで検索をかければそれらに関する情報はweb上では手に入ります。Modeha 2008年9月26日 (金) 11:17 (UTC)[返信]

上記の崩れている図よりはもうちょっとマシな例を作りましたので差し替えておきます。この路線にはD電停、E電停、F電停の3つの駅があり、E電停の場所に車庫があります。D電停そばには学校があり、E電停は住宅街、F電停には繁華街と野球場があります。D行き行き始発電車はA地点から、F行き始発電車はB地点から出発します。E電停右上の「+」は、単なるクロスで、分岐はできません。一方、運行を終えた列車は、必ずF→Cの順で車庫に入ります。D方面にいったん出発した列車は、E電停を通過し、F電停まで行ってから折り返して車庫に入ります。夕方から夜は、D方面よりもF方面のほうが客が多いので、D-F間の全線を運行する列車と、車庫を経由してE-F間折り返し運転をする列車を走らせています。7月29日の営業終了後、左側通行に変更し、いざ、車庫から出発しようとすると、F方面にしか出発できません。これでは、早朝に列車を走らせなければならないD方面の運行に支障が出ます。

      車 庫
     +←+←+      ↓ ↓ ↑      A B C
     ↓ ↓ ↑
+←←←←+←+←+←←←←+
↓D    E↓     F↑
+→→→→→→+→→→→→→+

Modeha 2008年9月26日 (金) 11:40 (UTC)[返信]


ななさんまる か ナナ・サン・マルか[編集]

初版執筆者です。当初はひらがなで書いていましたが、沖縄県警のキャンペーン告知やポスターではほぼ例外なく「ナナ・サン・マル」とカタカナ表記でした。読み仮名ではなく、元の表記がそうだった、という理由でカタカナにしています。沖縄県警以外の表記で点を打たない「ナナサンマル」等が存在したことは事実ですが、沖縄県警のキャンペーン名に合わせるのが現実的だと考えこの表記に(2005年当時)しました。Modeha会話2013年7月29日 (月) 09:13 (UTC)[返信]

それはちょっとおかしい。括弧に入れるのは読みなので、それは「ななさんまる」以外はないでしょう?書くのであれば、別表記として存在した、と言う事ではないでしょうか。--Ks会話2013年7月29日 (月) 09:36 (UTC)[返信]

Wikipedia:表記ガイドの読み仮名の節を見る限り、読み仮名はひらがなにするということにはなっていないようですが。いずれにしても、この項目に「(ななさんまる)」という読み仮名をつけることには(そういう記述が正当だという誤解が生じることを防ぐためにも)反対いたします。あるいは、「730(仮名表記ではナナ・サン・マル)は、」というような書き方もありえるかもしれません。Modeha会話2013年7月29日 (月) 10:52 (UTC)[返信]

読み仮名を振ると、「そういう記述が正当だという誤解を生じる」というのでは、どんな漢字にもふりがなが振れなくなりますよ。あまりに奇妙な主張です。そんな理由で反対したのでは議論にもなりません。--Ks会話2013年7月29日 (月) 10:59 (UTC)[返信]

聖闘士星矢の記事の振り仮名は、「『聖闘士星矢』(セイントセイヤ、SAINT SEIYA、SAINT SEIYA: KNIGHTS OF THE ZODIAC[1])は、(後略)」と、カタカナでした。この記事に「せいんとせいや」と読み仮名を振ることを、私は推奨しません。それは、車田正美がそういう振り仮名をふらなかったからです。同様の例は、ロックバンド名や曲名などにもありそうです。キャンペーンを張った沖縄県警の表記が「ナナ・サン・マル」で、「ななさんまる」ではないのだから、そういう(ななさんまる、という)表記は混乱を防ぐためにもすべきではないと考えます。Modeha会話2013年7月29日 (月) 11:03 (UTC)[返信]

それで、「730」を「聖闘士星矢」やロックバンドと同等に扱うべきだとの根拠は何でしょうか?たとえ名小説の題名なら、普通平仮名のふりがなつけますよね?私には、あなたの恣意的判断以外に理由はないと思えます。--Ks会話2013年7月29日 (月) 11:11 (UTC)[返信]

730キャンペーンを張った当事者である沖縄県警がカタカナ表記を主に使っていた、というのが根拠です。私はそれが恣意的とは思いません。あと、ほかにも例が見つかりましたのでお知らせします「超バージン頭文字D紅麗威甦も、読み仮名はカタカナ表記です。そもそも、沖縄県警が作った啓蒙ビデオ、「みんなでスタート730」にも、「730」の上に、「ナナ・サン・マル」という文字がついています。つまり、沖縄県警は、振り仮名としても、「ナナ・サン・マル」というカタカナ表記を使っているのです。私の主張は最初から、つまり、2005年から変わりません。沖縄県警はカタカナを用いました。沖縄県警の表記を敢えて無視して、「ナナ・サン・マル」の表記以外に「ななさんまる」を先行して使わなければならないという根拠の提示を求めます。小説で読み仮名表記だけカタカナ表記のものを探してくれば、それで満足されますか? それに、読みがひらがな表記になっているそういう小説は、作者あるいは出版者が振り仮名としてひらがな表記をしたからひらがなで読みがついているのではないですか?Modeha会話2013年7月29日 (月) 11:29 (UTC)[返信]

というか、つまり「ナナ・サン・マル」は表記であって読み仮名ではないのでは、と言う事ですよ。「ナナ・サン・マル」はそれではどう読むのが正しいのでしょう?「ななさんまる」ですか?それとも「ななてんさんてんまる」なのですか?ここにぶれが生まれますよね?それを作らないための「読み仮名」ではないかと思うのですが。--Ks会話2013年7月29日 (月) 11:57 (UTC)[返信]

読みに、「・」が入るのを問題にしているのか、ひらがな表記でないのを問題にしているのかが分かりません。聖闘士星矢の話をしたときにはそのようはことはおっしゃっていなかったように見えますが。いずれにしてもスタンスをはっきりさせて頂かないとこちらのほうもどう返事をしたらいいのか分かりません。いずれにしても、沖縄県警の公式の表記は「ナナ・サン・マル」であって、私の知る限り、ひらがな表記はされなかったか、あるいはごく少数です。振り仮名に「・」をつけるな、という主張はあるかとは思いますが、それは、そういう振り仮名を振った張本人である沖縄県警に言うべきであって、私はその読み仮名をそのまま使ったに過ぎません。(振り仮名ではなく)仮名表記は「ナナ・サン・マル」だと書けばいいのかとも書いたのですが。それでご満足ですか? いずれにしても、「ナナ・サン・マル」は「ななさんまる」よりも先に記述される必要があり、「ななさんまる」は単に読みを記述しただけであって、文字として記述する場合はカタカナになるという註釈を入れる必要はあると考えます。しかも、「ななさんまる」は正規の記述法ではありませんが「ナナ・サン・マル」は正規の記述法です。そうすると、「730(仮名表記はナナ・サン・マル、よみはななさんまるだが、文字で表記される場合は、730ナナ・サン・マル、または単にナナサンマルで、通常はひらがなで表記されることはない)」という表記になります。が、私はこれは冗長だと思います。Wikipedia日本語版は、日本語使用者以外も利用します。なるべくなら、日本語があまり得意でない方のためにも定義部から混乱する表記は避けたいと個人的には思います。いずれにしても、この「730」は、キャンペーン名であり、固有名詞です。固有名詞にどういう読み仮名をつけようが、それはつけた本人の勝手です。その読みが広く使われるか、そうでないかはまた別の問題です。730は当時も現代も「ななさんまる」と書かれていて、「ナナ・サン・マル」という表記は定着しなかった、というのなら、そういう註釈をつけてそういう表記をすることは可能でしょう。ただ、私の知る限り、表記は今でもカタカナだし、当時もそうでした。Modeha会話2013年7月29日 (月) 12:26 (UTC)[返信]

私は最初から「表記の問題」ではないかと言ってはいましたよ。表記とふりがなは別だというのも間違いのないところ、ではありませんか?あなたは「ふりがな」が「正しい表記」であるべきと言っているので、これ自身、矛盾を感じませんか?
とりあえず、二人でやり合っても意味がなさそう。他の方の意見を聞きたいと思いますね。--Ks会話2013年7月29日 (月) 12:42 (UTC)[返信]

あなたの最初の主張の中に「表記の問題」とかいう表現は見当たりません。その記述が2013年7月29日英国時間9時13分以前に行われたものでしたら、その主張へのリンクをお願いします。かっこの中は読み仮名であるべきだという主張と、読み仮名は「ななさんまる」であるべきだという二つの主張があったことは認識しました。いきなり「表記の問題」とか後から言われても、それに対して先にお答えをすることは物理的にできません。ちなみに、かっこの中は読み仮名であるべきだという主張はまず間違っています。聖闘士星矢を見れば分かるとおり、定義部の最初のかっこの中に、読み仮名ではない別の文字体系での表記法が書かれることはそう珍しいことではありません。そして、読み仮名はひらがなであるべきだという主張に対しても、少なくとも固有名詞を発案した個人なり団体が存在し、その個人なり団体がひらがなでない読み仮名を公式に提示している場合はその固有名詞を命名した個人なり団体が使った仮名表記を先に利用するのが原則である、というのも、聖闘士星矢の記事が証明してくれています。例はほかにもあげられますが。私は漫画の名称とキャンペーンの名称で別の規則があることは寡聞にして知りません。漫画の記事の定義部で利用されている規則は、それが公式に明文化されているわけではなくても、他の記事に利用します。私はそうします。そういう時代から私はウィキペディアンでしたから。参考のため、読み仮名(というか、定義部の最初のかっこ内)に記号の入る記事名も、それも、Ks氏の主張に沿うように、小説名で探してきました。我が家のお稲荷さま。の定義部は、「『我が家のお稲荷さま。』(わがやのおいなりさま。)とは(後略)」と、かっこ内は仮名と「。」のみで構成されています。Modeha会話2013年7月29日 (月) 13:41 (UTC)[返信]

漫画のはなしで熱弁ふるわれても引きますな。他の項目でそうだった、と言うのもまた議論としていかがなものか。さらに小説の例がラノベですか。いやあ、なかなか良い趣味でいらっしゃる。ま、私もそういうの好きですけど、例としてあげて大上段に振りかぶるとなると躊躇しますね。
で、表記の問題ですが、確かにそう書いてはいませんでしたね。書いたのはこうでした。
  • 「書くのであれば、別表記として存在した、と言う事ではないでしょうか」
と言うわけで、表現は違いますが、書いてはあるわけ。もう返事はしませんよ。あとは他の人の意見を待ちます。--Ks会話2013年7月29日 (月) 13:58 (UTC)[返信]

私はそれらの作品を見てもいないし、もちろん読んでもいません。カテゴリ等から単純に検索しました。そういう記事名を持つ、あるいはかっこ内にそういう(カタカナや記号を)文字を持つ記事が、特定のジャンルに偏っているかもしれないという意見には同意しますが、私の趣味については詮索していただいても無駄です。あなたがそういう趣味をお持ちの方だということ、そして、そのジャンルに対してなにやら特定の思いをお持ちのようだということは理解しました。他の方の意見を待つのは結構ですが、そうやってやってきた方があなたのとても大切なお友達でないという確証も得られない以上そういう待ち方は不毛でしょう。他の記事でそうだったというのが前提にならないのでしたら、それ以外の前提を求めます。もちろん、その主張は、あなたの主張でないことが前提です。私は誰かを待つのではなく、私の提示した案への対案、もしくは、私の主張に同意できない理由についての根拠を求めます。提示がない場合は同意されたものと見なします。たとえ誰が来ようが、私はそう見なして、編集を続行いたします。私は誰が来るのも待ちません。私は対話を拒否していません。根拠の提示を要求しています。返事をしないと断言した時点で、あなたは対話を拒否し、かつ、私の意見に同意されたものと見なします。今後、あなたの、あるいは、あなたのとても大切なお友達の編集は、予告なくrevertすることがあります。ご了承ください。Modeha会話2013年7月29日 (月) 14:48 (UTC)[返信]

「その主張は、あなたの主張でないことが前提です。私は誰かを待つのではなく、私の提示した案への対案、もしくは、私の主張に同意できない理由についての根拠を求めます。」つまり、自分に合う意見でないと受け入れない、と?まあ、様子を見せてもらいましょうか。ただ、何をするにせよ、アクションには1週間程度の待機は必然ですよ。つまり、一度差し戻して待つ、という判断もある。それも考えていますか?--Ks会話2013年7月29日 (月) 21:02 (UTC)[返信]

「もう返事はしませんよ。」と書かれた時点であなたは対話拒否を行っていると私は認識します。返事はしないわりにはご自身の意見に都合のいい提案をされているようですが、その提案は全く受け入れられません。第1に、対話拒否を行っている利用者の発言である、ということ、第2に、正式な表記である「ナナ・サン・マル」をいったん除去するという主張であること、そして、第3に、記事を見ただけでは「ななさんまる か ナナ・サン・マル」の話題が出ていることが分かりにくくなる、という点です。それにしても、差し戻しとか1週間とかいう語をご存じの利用者が「根拠を求めます」と言われて、「自分に合う意見でないと受け入れない、と?」と曲解されることが理解できません。根拠の提示については、Wikipedia:検証可能性その他のWikipedia文書にあるとおり、あなたの意見が、検証可能であるという証拠の提示を求めているにすぎません。1週間どうこうよりははるかに重要な文書なので目を通しておくべきでしょう。それと、1週間とかいうのは別に目安なのでそれに束縛されるつもりはありません。7分待てば十分なことさえ、状況によってはありえます。実際、私はそうしましたし、これからもそうします。Modeha会話2013年7月30日 (火) 08:27 (UTC)[返信]

そうまで言われて黙っていると、本当に対話拒否と言われそうなので、もう一度出てきました。
ます、私は対話を拒否すると言ってはおりません。あなたとのやりとりを止めると言っています。それを対話拒否と取るのは勝手ですが、まずここは公開の場である事を理解して下さい。そんな中、二人だけでやりとりして益があるはずはない。だから他の方の意見を待つ、そう言っているのですよ。
2つめ。あなたはこう言っています。
  • 「正式な表記である「ナナ・サン・マル」をいったん除去するという主張」
ます、ナナ・サン・マルが正式な表記であるかどうかは別の問題ですよね。
次に、私はこれは表記の問題だといいました。しかし、標準的な表記は明らかに「730」です。とすれば『正式な表記である「ナナ・サン・マル」』が成立するはずはない。だから私はこれを別表記だと言いました。そして最初の反論に書いたはず。「別表記として存在した」ということだと。その範囲で、私は表記としての「ナナ・サン・マル」を書き入れるのに反対した事はありません。そこでもあなたの言葉は食い違います。
はっきり言って、あなたは相手の論をしっかり読んでくれない。思いこみで一方的にまくし立てるだけになっています。議論するのが苦痛です。その点でも、他の方にはいってもらいたいと思うんですよ。だから返事しない、と言いました。これでひとまず切ります。それでは。--Ks会話2013年7月30日 (火) 09:16 (UTC)[返信]

私はあなたの主張に対して、他の記事の例から明らかに事実と誤っている点について反例を出しているだけです。反例を読むことが苦痛なのでしたら議論されないことをおすすめします。また、議論の参加している人数が一人であろうと二人であろうと三人以上であろうと、それは記事の執筆には無関係です。他の誰も議論に参加しないという理由で記事の執筆を停止することはありませんのでご了承ください。「他の項目でそうだった、と言うのもまた議論としていかがなものか。さらに小説の例がラノベですか。」とおっしゃっていますが、特に明文化されていなくても、他の記事で慣行として使われている記事の描き方は積極的に使うべきだと私は主張します。少なくともこの記事にいきなり「ななさんまる」と読み仮名をつけるべきではないと主張します。他の記事と別のルールを使わなくてはならない理由は何ですか? 730という記事だけに特別、どうしてもひらがな表記理由を最優先で書かなければならない理由があるのでしたらお教えください。それと、私は人の趣味にどうこう言うつもりはありませんが、ある巨大掲示板のログがGoogle検索でひっかかるようになっています。730について検索していたらひっかかりました。もちろんそれはあなたやあなたの大切なお友達ではなく、あなたを装った別人と別人の大切なお友達かもしれませんが、もしあなたでないならば、誤解を解くためにも、自身ではない、と宣言されることをおすすめします。そうされないのでしたら、少なくとも私は、巨大掲示板で2013/07/30(火) 18:18:33.00(日本時間)に730について言及した人物があなたであるという推測のもとに今後の議論を行いますのでご了承ください。Modeha会話2013年7月31日 (水) 09:29 (UTC)[返信]

返答がないまま、Ks氏の執筆が続いていますので、上記の推測について氏が肯定されたという前提で議論を進めます。

さて、今回、問題となっているのは、この記事の定義部の最初のかっこの中に入れる文字が「ななさんまる」であるべきか、「ナナ・サン・マル」であるべきか、ということでした。

結局、730(ナナ・サン・マル)であるべきだ、という結論に達しましたので皆様にお伝えしておきます。

対話拒否を続けられているKs氏の主張は、対話拒否を行っているという理由であまり考慮に入れなくてもよいと考えられますが、念のためにそれも考慮に入れます。氏は読み仮名なのだから、「ななさんまる」であるべきだと主張されました。ただ、記事内に「ナナ・サン・マル」という表記が存在すべきだという点には反対されていらっしゃらないように読めます。ただ、氏の主張は二転三転しており、こちらではその主張をはっきり把握することができません。仮に(1)かっこ内は読み仮名であるべき (2)読み仮名はひらがなであるべき (3)読み仮名に記号が入るべきではない という主張のいずれか、あるいはそのうちの2つ以上のいくつかの主張をされているという前提で説明を進めます。

(1) に対しては、最初のかっこ内に読み仮名でない文字が入る記事は全く珍しくないので成立しません。そもそも、氏の編集されたタフリナ自体がそうなっていません。サイエンス・フィクションも同様です。もちろん、分野によって記事の書き方が少しずつ違うのは承知しております。が、これらの記事ではそうなっていないものが、この記事ではそうである理由付けが必要でしょう。

(2) に対しても、氏が編集されているローマの建国神話メセルソン-スタールの実験等がそうなっていません。従って成立しません。

(3) について、「ななてんさんてんまる」と読むのか「ななさんまる」と読むのか分からなくなる、と主張されていますが、氏も編集されているロリータ・コンプレックスはそもそも読み仮名がついていません。「ななてんさんてんまる」に関する主張が成立するのならば、「ろりーたてんこんぷれっくす」と読まれる可能性について考慮する必要があります。従ってこれも成立しません。そもそも、(2)の例であげたメセルソン-スタールの実験は、やはり、かっこ内の読み仮名部分に記号「-」が入っていますので、やはりこの主張は成立しません。

これらの点を考慮に入れると、最初のかっこに入れるべきなのは、沖縄県警の正式な表記である「ナナ・サン・マル」である、という結論に達しました。氏は正式な表記は一つしかないという前提で議論をされているようですが、正式な表記が一つではない、ということを考慮されていないようです。氏の言いたいところは恐らく、Wikipedia日本語版における「正式名称」のことでしょう。私は、正式名称とは別の表記であるという意味で「正式な表記」と敢えて書きました。正式名称についての議論は途方もなく長い話になりますので、Wikipedia‐ノート:記事名の付け方の過去ログをごらんください。仮に「730」が正式名称ならば、「ナナ・サン・マル」は、2つかあるいはそれ以上ある正式な表記のうちの1つです。一方、沖縄県警が積極的に「ななさんまる」という表記を使った例は寡聞にして知りません。従って「ななさんまる」は正式な表記ではないと推測できます。従って「ナナ・サン・マル」は記事中に入れなければならない。となると、特に「ななさんまる」を書く必然性はありません。ロリータ・コンプレックスでも分かるとおり、Wikipedia日本語版では慣例的に「・」は読まないのだから、「ナナ・サン・マル」の読みが「ななさんまる」なのか「ななてんさんてんまる」なのかを執筆者のほうがいちいち気にする必要はないし、仮にそこまでやるのならロリータ・コンプレックスも含め、「・」が記事名や読みに出てくる記事を全部改変する必要があり、そちらのほうが不合理です。そもそも、この記事に貼られたテンプレートにある表記が「ナナサンマル」です。記事730交差点のよみは「ナナサンマルこうさてん」です。どちらの読みについても私は関わっておりません。点のついた「ナナ・サン・マル」ではなく、最終的に点のない「ナナサンマル」という表記が残った、というのは、混乱を防ぐためにも、歴史的な経緯として記事中に記載する必要はあるかもしれません。Modeha会話2013年8月1日 (木) 11:47 (UTC)[返信]

しかたないですねえ。他の方の意見を待とうと思ったのですが、勝手に結論をつけられたのではたまったものじゃない。
とりあえず、引くところを伝えます。ふりがなでなければならない、と言うわけでないなら、それはいいです。カタカナ書きでもいいでしょう。中黒もまあいいんでしょう。これについてはもう論議に挙げません。
では答えていただきたい事を列記します。
  • 「沖縄県警の正式な表記である「ナナ・サン・マル」である」これが前提のようですから、ここから尋ねましょう。
    • 正式な表記は、「730」ではないのでしょうか?「ナナ・サン・マル」はひいき目に見ても仮名表記の場合の標準、ですよね?これが一つ。まあ、揚げ足取りですが、以前にもそれはいってあるけれど、表現を改めてくれないようなので。
  • 警察の発表については私は確認していませんので、仮に警察はその表記を使っているのだとします。
    • で、なぜ警察なのでしょう?確かに交通ルール変更に警察は重要な役割を担っています。ですが、それはやはり一部に過ぎません。この事業は国の主導で地方自治体総動員で行われたもの。であれば、国や地方自治体の方が警察より上にありますよね。にもかかわらず、なぜ警察なのでしょう?これが2つ目。
さらに、たとえばこれをどうお考えか。
  • 沖縄公文書館:http://www.archives.pref.okinawa.jp/publication/2012/07/730.html:ここでは県の公文書として「ナナサンマル」が使われています。これを無視して、警察の表記を優先する理由は感じられませんね。これに対するお考えを伺います。これが3つ目。
間違えました。「ナナサンマル」でなく、「ななさんまる」でした。--Ks会話2013年8月1日 (木) 13:28 (UTC)[返信]
ついでに、「730」も間違いで、正しくは「7.30」なのかも。これは別問題ですが。
あとは雑談です。某掲示板に投稿したのは私です。別にここでの愚痴をあちらでこぼしてはいけない、と言う筋はないですよね。
なぜラノベや漫画を例示したのを冷やかしたのかと言えば、ああいう分野を疎んじたからではありません。私はむしろ好きな方。ただ、あの分野は、いわゆるサブカルと言うくらいで一般から白眼視され、そのために趣味家はマニアとなって特殊な表現や扱いに特殊な癖を生じやすいからです。あと、私の分野も随分違いますよね。
そういうわけで、「ナナ・サン・マル」が標準的な表現であるとは私には思えません。これでいかがでしょう?--Ks会話2013年8月1日 (木) 13:25 (UTC)[返信]

私はこういう結論に至った、という意味の言及が、すなわち全体の合意が得られたと判断したいう意味にとられたのならそれは誤解です。もちろん他の意見はお伺いします。ただこの公文書館ものはあとの時代に書かれた文書です。ちなみに、あのマークの「正式名称」は、思った通り「交通方法変更シンボルマーク」というものでした。さすがにその記事名にしろという主張は行いません。(マークだけの記事ではありませんし)当時の申請書に「730シンボルマーク使用承認申請書」と書いてあるので(昭和52年12月22日付沖縄県広報587号p.2)、公文書館の「7.30」という表記は当時のものと合わないので間違っていることは明白です。この文書はもちろんこの公文書館にあります。「ななさんまる」もきちんと調べずに書いたためにそうなったのでしょう。せめて当時の記述から、積極的にななさんまるという表記がされていて、しかもそれは正式な県や県警などの文書で使われていた、という根拠を探してきてください。私は当時、「ナナ・サン・マル」が使われたという根拠は提示いたしました。(沖縄県警のビデオ「みんなでスタート730」(730の上に、ナナ・サン・マルという文字がある))当時NHKとかも番組を作ったらしいですがそちらは点のないナナサンマル表記です。ちなみに730シンボルマーク使用承認申請書には仮名表記はありませんでした。マークには仮名表記がないのでしょうがないのでしょうが。どうもきちんと読んでいただいていないようですが、Ks氏の言っている「正式な表記」は恐らくWikipedia日本語版における「正式名称」のことで、それが730であることに特に異議はありません。それは、ひとつしか表記を選ぶことができないというのでしたら、それが「730」であるという意味です。それとともに、沖縄県警が正式にしかも積極的に使用した表記に、「ナナ・サン・マル」がある、と言っています。そして、それ以外に積極的に県警が使った730以外の表記はなさそうだ、とも言っています。「正式名称」ではなくても、公的な文書で書いても誤りとはされない程度の「正式な表記」がある場合はいくつもあります。たとえば、塩竃市の「正式名称」は塩竃市であってそれひとつしかありませんが、公的な文書で「塩釜市」と書いても誤りとはされませんしそれが理由で書類不備になることはありません。事実、塩竃市自身が、「塩釜市」と書いてもいい、と明言しています。「塩釜市」という表記は「正式名称」ではありませんが、正式な文書に記述しても誤りとはされない、という意味で、「正式な表記」の一つです。ただ、この表記は塩竈市自身は使わないので例としては同等には扱えないかもしれませんが。一方、「正式名称」は、「塩竃市」という表記しかありません。

巨大掲示板の件につきましては、Ks氏が発言されたという点が問題なのではなく、その発言のあとにあります。氏の発言のあと、極端に短い時間感覚で不穏な書き込みが連続してされております。しかも、11分も経たないうちに、まるでKs氏が発言するのを待ち構えていたかのように、内容をかなり読まないと書けないような長文が投稿されております。730を調べている方がこれを見たとき、Ks氏の発言に続く発言が、Ks氏自身のものであると推測する可能性は大いにあるでしょう。断っておきますが、私がそういう推測をしているという意味ではなく、そういう推測をする方がたくさん出るだろうという意味です。しかも、Ks氏はそれらの発言を打ち消そうともしていない。自分が書いたのだと思われるのは嫌なのでそういうことは書かないで欲しいくらいのことすら書かずに、その後も発言されている。ということはこれはまさにKs氏自身の意見そのものなのだろうと推測する方が出る可能性がおおいにあるということです。念のために書いておくと、時間間隔があいて投稿されたとしてもそう推測する方は出るでしょう。時間間隔が短すぎると怪しまれるかもしれないと思ってわざと間隔をあけたのだろう。そう推測する方はきっといます。そんなことを書かないでくれと書くのも逆効果でしょう。自身の発言でないと思わせるためにわざとそう書いたのだろうと思われるのが関の山です。つまり、今後、定義部の最初の部分が予告もなくひらがなに書き換えられていたら、それはまさにKs氏自身の行為だと推測する方が出るだろう、ということを念のために申し上げておきます。ついでに書くと、今はそういうことをしないでいても、あるいは、していないように見せかけてはいても、そういうことをする人物なのではないか、と推測する方が出る可能性もおおいにあるだろうということもこれまた申し添えておきます。何度も書きますが人の趣味にどうこう言うつもりはありません。私はブルマーを執筆したことがありますが、それは私の趣味ではありません。ロリータ・コンプレックスを執筆された方全員にそういう趣味があるわけではないというのも十分に承知しております。今回例示した記事のすべてがKs氏の執筆した記事だったのは、他の例を挙げた場合に、Ks氏が独特の興味を示されて議論の妨げになるのでそれを防ぐためでそれ以上の意味はありません。通常の議論ではわざわざそこまでのことはしません。これも念のために申し添えておきます。Modeha会話2013年8月1日 (木) 15:18 (UTC)[返信]

さきほどの沖縄県立文書館の表記について、恐らく、文書館はこれを参照したためにそういう表記になったのだろうと思われる文献がありましたので紹介します。「沖縄大百科事典」(沖縄タイムス社、1983年)です。この事典の項目名は「7・30交通方法変更」で、よみは、「ななさんまるこうつうほうほうへんこう」になっています。この事典では、日付に由来する記事名はすべて月名の数字と日付の数字がアラビア数字で、かつ、間に「・」が入っているので、それが沖縄タイムス社の表記法なのだと推測します。10・10空襲、3・15事件、4・28といった具合です。新聞社などマスコミは、表記に独自の基準があるところが多くあります。念のため同じ沖縄タイムス社発行の「庶民が綴る沖縄戦後生活史」(1998年)でも同じく表記は「7・30」でしたので、これが沖縄タイムス社の表記基準に由来するものと判断してよいと思います。ただし、「生活史」での仮名表記はすべて「ナナサンマル」で統一されています。さらに文中には、シチサンレイにするかナナサンゼロにするか決める会議が沖縄県庁で開かれ、ナナサンマルに決まった、という言及もあります。「・」はありません。また、ひらがな表記はやはりありません。

当時の新聞記事も参照しました。1978年7月29日付朝日新聞夕刊は「730」と「ナナサンマル」です。反対派の掲げている幕に「7・30反対」というような感じの文字が映っている写真はあります。Modeha会話2013年8月2日 (金) 09:52 (UTC)[返信]

Google画像検索も利用して探してみました。730のマーク(730シンボルマーク)の右下には図案化した「730」の文字があります。「ナナ・サン・マル 沖縄県」という文字が入っているものもあります。カメのイラストとともに「ナナサンマル」と書いてあるものもあります。ポスターの文字は、「みんなでスタート7ナナ3サン0マル」(ナナとサンとマルの文字は小さい)と書いてあるものもあります。一方、音頭のほうのタイトルは「ナナサンマル音頭」だそうです。沖縄県警の啓蒙ビデオのタイトルは「みんなでスタート730」(730の上に「ナナ・サン・マル」の表記)で、NHKが作った「730大作戦」は、730の上に「ナナサンマル」とあります。当時のものと思われる画像での表記はこのようにすべてカタカナで、ひらがなのものは見当たりませんでした。

一方、現代のものにはひらがな表記のものもあります。石垣島の730交差点にある730記念碑には730に「ななさんまる」とルビがふってあります。ただし、説明文には「730(ナナ・サンマル)」を記念して作られたものである旨の表記がしてあります。

以上の検証の結果から、やはり仮名表記はカタカナであるべきで、ひらがな表記をすべきではないという結論に至りました。ただ、ナナ・サン・マル表記以外にも深く浸透していたとみられる「ナナサンマル」の表記についてもかっこ内に加えるべきであるかもしれません。マークにカメの絵がついていて「ナナサンマル」というマークは、あまり見たことがないのですが、那覇市の広報誌、広報おきなわ2012年9月号に出ています。那覇市独自デザインなのかもしれません。皆様のご意見をお伺いします。Modeha会話2013年8月2日 (金) 13:18 (UTC)[返信]

しばらく待ちましたが、特に異議もないようなので、合意が得られたものと判断し、かっこ内に「ナナサンマル」を追記いたしました。今後、この部分に変更をされる場合は、議論の内容を考慮してから行うことを強く求めます。なお、対話拒否を行っているKs氏につきましては、氏が対話拒否を撤回されるまで対話拒否を行っている利用者と同等の扱いをいたします。ご了承ください。

内容的に若干の間違いもありましたので訂正させて頂きます。広報おきなわは沖縄市の広報誌であって、那覇市は関係ありません。Modeha会話2013年8月21日 (水) 13:08 (UTC)[返信]

沖縄県内の一部[誰?][編集]

>沖縄県内の一部[誰?]では「沖縄の右側通行が世界標準に近い、変更するなら本土側だろう」との議論が見かけられた

上記にtemplate:誰を付加させていただきました。--ノンストップこだま会話2013年7月30日 (火) 11:23 (UTC)[返信]

出典がつけてある以上、不要では?--Ks会話2013年7月30日 (火) 11:27 (UTC)[返信]
市井の市民(一般人)が言ったのか、他者に影響力のある人物(得てして特筆性がある人物)が言ったのかで、記載価値が変わります。市井の市民が少数意見(変わった意見)として言ったのなら、記載価値が無いかもしれません。真相は、あなたの示した出典には書いてないでしょうから、編集は元に戻しますね。--ノンストップこだま会話2013年7月30日 (火) 11:45 (UTC)[返信]
少なくとも、ここでやりとりがありそうな段階で、まず「誰」をつけるのはおかしいです。それは、まず出典を当たってから付けるべきものではないですか?出典がない場合に誰をつけて、返事がないなら消す、と言う対応は見た事がありますが、出典があるのにそれを確認もせずに誰?はどうでしょうか。戻しますので、改めてつけるなら、出典を確認してからにして下さい。--Ks会話2013年7月30日 (火) 11:51 (UTC)[返信]
どうも話が通じないようですが、出典はKsさんがご確認してあるもので、それをわたしが「誰?」と尋ねている格好。Ksさんは、問題の核心「誰」には回答できないのですから、説明責任を果たしているとは言えませんよね? そしてこの場合、出典を読んだはずの執筆者が「誰」を示せないのですから、発言者の主体が曖昧な事象(記載の適格性を欠く恐れのある事象)と暗に示していまして、それは、市井の市民が少数意見を言った状態を示唆しています。影響力のある人物の発言なのでしたら、エピソードとして記載できるかもしれませんが。「誰だかわからないけど、そういう話もあった」的な、百科事典に乗せていいのかダメなのか、執筆者が明示できない状態ですよね? こういう状態でしたら、あいまいな記述として除去するしかないですね。願わくば、もっとしっかりとした裏を取って、記述して戴きたいのですが。--ノンストップこだま会話2013年7月30日 (火) 12:58 (UTC)[返信]
話が通じないのはそちらの方。出典をつけてあるのですから、調べる努力をしてみてはいかが?それ抜きで、どうして聞くのですか?理由を示して下さいな。
今のあなたの発言はこうです。
  • 「誰かがこう言ったとありまして、出典もついていますが、私には何のことだかわかりませんから消します」
これが真っ当な対応だというのでしょうか?たとえば「色々探してみたが、その出典を見られなかったので、内容を聞かせて欲しい」というならわかりますよ。でも、それ抜きで「わからないから不要の可能性が高い」は、無茶ではないでしょうか?--Ks会話2013年7月30日 (火) 13:21 (UTC)[返信]

(インデント戻します) 説明責任があるのは、記載を残したい側(Ksさん)です。Template:誰は意味が無く貼られているのではなく、記載内容に曖昧さがある場合に用いられ、適正に用いております。記載内容への説明ができず、記述に曖昧さが残って、記述自体の信憑性が欠けている状態ですので、除去されても文句は言えないと思います。Template:誰の説明において、

個人の名前(複数可)を明示した具体例を挙げて、その見解や主張の出所がその集団であることを検証する役に立つようにするべきです。具体例がないときにこのタグを使います。論議の的になるような見解であればなおさら、具体的な個人を明示し、さらにその上で出典を示すかさもなければ出典が必要である旨のタグを置くべきです。また、その見解をある集団が主張しているということを十分に明確にできないのであれば、その見解は支持されていないとみなして除去するべきです。

と、明確に記載されている通りです。記述を残したい側(Ksさん)が、明確な説明ができない「曖昧な状態」ですので、その記述は不適切な記述として除去できます。Wikipedia:言葉を濁さないもご参照ください。Ksさんにおかれましては、あいまいな表現はおつつしみ下さりますようお願い申し上げます。--ノンストップこだま会話2013年7月30日 (火) 14:03 (UTC)[返信]

この内容であれば、主張しているのが誰であるかを明確にできなければ除去するというのは過剰な対応だと思います。そのような主張をしている人がいた、ということに対して出典が示されていますので、ウィキペディアの記事としてはそれで十分でしょう。もちろん主張者が誰であるかを明確にできればその方が望ましいですが、世の中に出回っている文献が必ずしもそれを明確にしてくれているわけではありません。この記事の主題に対して、本土の側を逆にすべきだという主張が沖縄であった、という事実を記載することはそれなりに意味があるものと考えますので、出典さえ示せるのであれば、意見の主体が誰であるかを明確にしなくても載せておいてよいでしょう。--Tam0031会話2013年7月30日 (火) 17:04 (UTC)[返信]

この議論に関しては、そもそもどこからどこまでが原典の文章かよく分かりません。カギ括弧内のみが引用だとすると「一部の」というのはWikipediaで執筆した者の主観ということになってしまいます。ひょっとするとこの文献の執筆者 まぶい組 は、沖縄県民の一部ではなく、大多数がそういう意見だったというつもりでそう書いたのかもしれません。その部分をはっきりさせれば、そういう文献記述があった、という事実を記録するという意味で、この記事内にあっても別に差し支えない内容だと考えます。Modeha会話2013年7月31日 (水) 10:32 (UTC)[返信]

路面電車の有無に関する記述について(再掲)[編集]

既に15年前に同件でトピックが作成されていますが,以前の版(oldid=21830544)で以下の記述が出典がないまま追加されています。

「わずか8時間の自動車通行禁止の間に一斉に切り替えが行われているが、これが可能だったのは、当時沖縄には路面電車が無かったことが大きい(路面電車を自動車に合わせ右側通行から左側通行にするには、全ての車両と駅の構造を変更しなければならない)。」


直後の版(oldid=21833380)で要出典タグがつけられるとともに,ノートで出典を明記するよう求められていますが,それに対して「文献は今探してます。恐らくあるとは思うのですがすぐには出てきません。」としながら,今に至るまで出典が記されない状態が続いています。

一方,スウェーデンのダゲン・Hの例などが引き合いに出されていますが,他国(ダゲン・H)の例を引き合いに日本の路面電車(沖縄電気)を論じるのはかなり飛躍しているのではないかと思います。特に「車両と駅の構造を変更しなければならない」という部分ですが,ループ線を通る前提で片側(左側)にしか扉を持たない車(例:Spårvagn A27)が存在したスウェーデンの場合は,路面電車線を右側通行にするのであれば扉を増設する必要があった一方で,前後共に運転台があり両サイドに扉を設けていた沖縄電気の車両では車両の改造をする必要は薄いと感じざるを得ません。ノートで示された車庫云々の例にしても,両側に運転台を持つ車両であればあまり当てにならない例に見受けられます。

もっとも「もし沖縄電気軌道線が残っていたら」というのもあくまで妄想の話でしかないので,例えば「戦後に米国によってループ式の路面電車が敷設されていたら」等を言い始めてしまえばキリがないのですが,兎にも角にも独自研究の感を拭えないわけですので,いったん記述を「沖縄には路面電車が存在していなかった」という事実だけに縮小させていただきます。

もし「沖縄に路面電車線が存在していなかったがゆえに短時間で一斉切り替えが可能であった」という旨を示す出典が見つかりましたら,復活していただくようお願いいたします。--Wamu9会話2024年1月6日 (土) 08:37 (UTC)[返信]

もし仮に交通方法の変更時期の沖縄に路面電車があったと「仮定すれば」、車両の構造はともかく、停留場の構造は変更を余儀なくされたでしょう。道路交通法における安全地帯のない停留場の場合、列車の客扱い時には自動車等車両は停車の義務が生じますが(道路交通法第31条)、この規定は「自動車が左側通行でかつ路面電車も左側通行」でないとできません(特に複線の線路の場合だと、路面電車の通行方向が自動車等と逆の場合、逆方向の車両を止めなければ客扱いできない)。ですから路面電車を右側通行で存置したまま左側通行に変更するとなれば、最低限、すべての停留場に安全地帯を設けなければならなくなります。また交通渋滞を悪化させないために、たいてい交差点付近にある路面電車の停留場の位置は、バス停留所の移設理由と同じく右側通行を維持したままでも最低限、安全地帯の移設工事も必要となったでしょう。こと右折レーンを設けるとなれば交差点にある停留場は大掛かりな交差点工事は避けられません。--Licsak会話2024年1月15日 (月) 04:18 (UTC)[返信]
とはいえ独自研究であることには変わりないため、路面電車の仮定は不要でしょう。--Licsak会話2024年1月15日 (月) 04:18 (UTC)[返信]