ノート:民主主義/過去ログ1

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主権と民主主義

神ではなく人民(ないしは国民)が主権」とありますが、民主主義 /民主制(democracy)は本来、大衆/多数者による施政(rule by many)という意味で、主権という概念は必ずしも含意しないと思われますが。国民主権はもっと後世の概念ですし。Hermeneus (talk) 2005年11月5日 (土) 23:18 (UTC)


冒頭に、「民主主義は君主制と対応する概念」とありますが、君主制は共和制の対義語であり、民主主義に対応するのは独裁制だと思いますが…トホホ川 2006年5月28日 (日) 00:48 (UTC)

どちらも正しいと思います。ギリシャ的には、一人支配の君主制、少数支配の貴族制、多数支配の民主制と分けます。現代ではリンスの全体主義体制、権威主義体制、民主主義体制の三分法が有名です。しかし民主主義か独裁か、という考え方ももちろんあります。諸説を列挙するのが良いでしょう。Kinori 2006年5月28日 (日) 15:32 (UTC)

民主主義は誤訳か

民主主義は誤訳だという説明がありますが、これはもし著名な政治学者が民主主義は誤訳だという説を唱えている場合に、その人の名とともに「という説もある」という形で書くべきことだと思います。そうでなければ言及する必要はないと思います。

デモクラシーは欧米語でも制度と同時に主義、理念を指して用いられています。だからこそポリアーキーが出てきたわけで。その点はイズムを語尾にするものが制度に対しても用いられるのと同じで、実現されないときには思想・運動であり、実現されたときには制度という概念です。Kinori 2006年3月19日 (日) 02:26 (UTC)

  • 削除内容
差分
Democracyは”主義”をあらわす”~ism”ではない。民主制と言う邦訳が本来の意味に近く、君主制貴族制と対応する概念である。だから、民主主義という訳は誤訳と言っても過言ではない。このために日本ではデモクラシーが主義や理念のように考えられているが、本来は『国民が参加する政治の制度』という意味しか持っていない。
- 203.138.107.99 2006年9月4日 (月) 02:39(UTC)

まとまった記事の削除、大幅な再構成の履歴

以上, -203.138.107.99 2006年9月4日 (月) 02:39(UTC)

オリジナルリサーチを排除

[1]

see WP:NOR--220.109.40.109 2007年1月1日 (月) 10:10 (UTC)

[2]

see WP:NOR--121.112.181.219 2007年12月14日 (金) 02:00 (UTC)

otheruse

さすがに関係がないので、otheruseを消しておきました。--ゆきち 2008年6月4日 (水) 03:44 (UTC)

ヒトラー政権の評価について

>一党独裁の典型とされるナチスは、当時最も民主的とされたヴァイマル憲法下で支持者を増やし、1932年の議会選挙で第一党となり、1933年に政権獲得、1934年の国民投票でヒトラーが総統となり絶対権力を握った。この過程では、ドイツ国会議事堂放火事件を口実とした事件翌日のヴァイマル憲法の事実上の廃止、反対派の大弾圧、全権委任法の採決時の反対派議員の締め出しなど非民主的な行為が多数行われた。しかし、強力なプロパガンダもあり国民の大多数はヒトラーとナチスを支持した。このことは民主主義が衆愚政治に転じる例としてよく挙げられている。

この文章はおかしくありませんか? 衆愚政治と言うのはあくまでレッテル貼りや結果論に過ぎず、実際にあった政権への評価としては不適当です。実際、ナチスを支持したインテリも多い。衆愚政治と言うのならハイデガーのナチス加担などをどう説明するのでしょうか? ナチス政権は、世界恐慌による自由放任主義への疑念、共産主義のイデオロギー侵攻の危険性、当時のドイツ国民が持っていた第1次大戦敗北の屈辱感などの複雑な事情が絡み合って成立したもの。それを衆愚と言い切れるでしょうか? 確かに第2次大戦の惨状を見たら、国民のヒトラー支持は間違っていました。しかし、それは結果論に過ぎないと思います。

実際、ヒトラーがやったことは民主的な政権獲得ではなく、ただの政治的クーデターに過ぎません。当時のドイツの憲法理念や法制度を無視しただけです。選挙では一度も単独過半数をとれなかった政党が、いきなり一党独裁を確立するなど、クーデター以外の何物でもありません。明かに不自然です。世界史上、完全に民主的かつ合法的な手続きによって独裁政権が成立したことはないのです。ヒトラーを批判するドイツ国民も多かったですが、ただそれらをヒトラーは暴力的に弾圧しただけです。

国民の大多数が支持したとありますが、反対勢力の弾圧が行われる状態で、どうやって正確な民意が測れるでしょうか? そもそも投票結果が信用できるでしょうか? また、単純に支持者が数的に多いというだけなら、すべての独裁政権は民主政権になります。なぜなら大多数の支持を得なくては、独裁政権すら確立できないからです。徳川家康が政権を獲得したのは、他の大名よりも多くの兵士を集めることができたからであり、だからといって家康が民主的な政治家といえるでしょうか? 民主政治とはあくまでも手続きであり、そのルールを守ろうとする意志なのです。

ヒトラーが民主的に政権を獲得したというのはあくまで間違った俗説であり、過大評価であり、実際はクーデターに過ぎないと言う点を強調することが、ウィキの正しい表記ではないでしょうか?

ヒトラー政権の誕生はたしかに民主主義にとってパラドキシカルに語られるため、微妙な問題だとは思いますが、それがゆえにちゃんと議論すべきことだと思います。--ブッチャーさん 2011年1月23日 (日) 04:29 (UTC)

コメントまず、ウィキペディアのノートは、歴史的な出来事を議論する場ではなく、どう記述するかの場です。次にウィキペディアの記述はWikipedia:中立的な観点で記述する必要があります。そして、ヒトラー政権の誕生の原因や背景をどう捉えるかは多数の立場がありますが、この歴史的事実を「民主主義の自殺」、「自由からの逃亡」、「衆愚政治」の代表例とする立場が多数あるのも事実なので、記載自体は特筆性があり妥当と考えます。なおクーデターは軍部が主導するものですが、ヒトラーは政権獲得前に軍部は掌握しておらず、当時の突撃隊は軍隊には対抗できず、貴族の多い軍部の多くは伍長上がりのヒトラーには批判的だった(このため政権獲得後に親衛隊により軍部を監視した)のが歴史的事実です。実際、信頼できる出典で「クーデター」と呼ぶものは殆ど見当たりません。また「ヒトラーが民主的に政権を獲得した」と単純な記述は現在されておらず、突撃隊、国会議事堂放火事件、プロパガンダなども併記されています。また「いきなり一党独裁」ではなく、政権獲得と、後の国民投票での総統就任は時間差があります。また「当時のドイツの憲法理念や法制度を無視しただけ」とは単純に言えず、(実態面では色々な暴力行為や弾圧もあったが)ナチ党の権力掌握にもあるように、単独過半数に満たない時点での政権獲得はヒンデンブルク大統領からの組閣命令によるもので、1933年の選挙で連立相手である国家人民党と合わせて過半数となり、その後に国会から全権委任法を受け、1934年のヒンデンブルク大統領死去の後に「総統」となっています。少なくとも当時の制度的には合法的に独裁政権を獲得したのは事実です。更に、ヒトラーは「我が闘争」で民主主義を激しく批判しており、少なくとも「民主的に装って、政権獲得後に急に正体を現した」とも言えません。ヒトラーによる初の本格的な粛清である長いナイフの夜は法的には事後法で正当化されましたが、ヒンデンブルク大統領・軍部・市民の多くは歓迎したと言われています。少なくとも、民主的な制度を背景に、形式的には合法的に政権獲得し、後に国民投票で総統となり独裁権力を確立した、という経緯は事実です。ウィキペディアでは事実を客観的に書く必要があり、単に悪くかけば良いとか、良く書けば良いというのでは、Wikipedia:中立的な観点とは言えません。--Rabit gti 2011年1月23日 (日) 10:53 (UTC)
コメント上記の経緯を反映してみました[3]。--Rabit gti 2011年1月24日 (月) 15:07 (UTC)

たしかに、淡々と事実関係を書いているだけだから、ウィキの記述上問題はないということは理解できます。しかし、これは民主主義のページです。「ナチスの政権獲得が民主主義にとってどういう意味を持つのか? 民主主義発展史にとって、どういう位置づけにあるのか?」その評価を書くべきです。それがなければ、ナチスについてこのページで書く意味がないと思います。文脈上、この文章の流れでは、ナチスドイツをなぜ紹介しているのかいまいちわかりにくいです。前に、カール・シュミットの専制と独裁の違いについて書かれていますが、結局、ナチスドイツは専制なのか独裁なのか判然としません。なぜなら、ナチスは大戦終結まで独裁体制を維持したのですから、もはやそれは専制と呼べるのではないでしょうか? 事実として、「ヴァイマル憲法の事実上の廃止、反対派の大弾圧、全権委任法の採決時の反対派議員の締め出しなど非民主的な行為が多数行われた。」と書かれていますが、結局、ナチスの政権獲得は民主的だったのでしょうか? それとも非民主的な政治的テロ行為だったのでしょうか? それについて評価が書かれていません。どっちにでもとれる書き方です。民主主義の2大支柱は「多数決原理」と「自由主義」です。ファシズムとは大衆運動であり、その点ではナチスはたしかに多数決原理に従ったとは言えるでしょうが、自由主義的ではありませんでした。(単純に多数決原理だけでは、すべての権力者はみな民主主義者になります。相対的に支持者が一番多い政治家が、権力者になるのですから。チンギス・ハンも徳川家康もナポレオンも、多くの支援者から支持されました。だからそれらと区別する条件として、自由主義が必要不可欠になります。)ナチスの政権獲得は確かに強引に解釈すれば合法的と言えるのかもしれません(どんな非合法なことをやっても、事後法で正当化してしまえば、すべては合法になりますから)が、非自由主義的であったという点において、民主的ではありません。合法性と民主性が混同されていると思います。合法であれば、民主的というわけではありません。民主主義はあくまで理念なのですから。報道規制や反体制派の弾圧が行われている状況下での投票結果など意味がないと思います。なぜならフセイン大統領だって、金正日だって、形式的には投票で信任されてるんですから。形式化した信任投票に意味はないです。あんな信任投票を真に受けて、フセイン体制や金正日体制を「民主的な独裁体制」だと主張する人がいるでしょうか?

その点を踏まえて、単純な事実関係だけでなく、「ナチスドイツの成立が民主主義にとってどういう意味を持つのか?」はっきり書くべきです。もちろん、単独の評価が決定されるとは思いません。見解が分かれる場合は、複数の評価を書くべきでしょう。この文章ではそれがわかりにくいです。まず、Rabit gti氏は、ヒトラーの政権獲得を民主主義成立史の中でどう位置づけているのでしょうか? 専制だったのでしょうか、独裁だったのでしょうか? 一部非民主的な行為はあったが、全体としては民主的な政権確立で、「民主的な独裁体制」の典型例だと考えているのでしょうか?--ブッチャーさん 2011年1月26日 (水) 17:00 (UTC)

コメント評価を書くべきです」とありますが、ウィキペディアに書いて良いのは「特筆性のある中立的な客観的な事実」のみです。Wikipedia:中立的な観点Wikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:独自研究は載せないを再読ください。指摘のようにここは民主主義の記事です。民衆の支持や熱狂により、独裁や強権が進んだ例は、ローマ帝国フランス革命ロシア革命、ローマ帝国の再興を唱えたムッソリーニのファシズム、昭和の日本、マッカーシズムなどもありますが、当記事では代表例としてナチスを取り上げて「このことは民主主義が衆愚政治に転じる例としてよく挙げられている。またエーリヒ・フロムは自由による不安が人間を権威主義に走らせるとして「自由からの逃走」と呼んだ。」と記述し、その前には前提となる歴史的経緯を記述しています。次に、ナチスが専制独裁かは、ブッチャーさんや私を含めた編集者が決める話ではありません。一般には権力者が同じ集団内は「独裁」、別集団は「専制」と呼ぶため、個人的には、ドイツ人やドイツ民族にとっては独裁、他民族にとっては専制とは思いますが、その判断が「民主主義」の記事で必須とは思えませんし、判断は読者の自由です。なお政治学では通常、独裁や専制を含めて権威主義と呼びます。そして「民主主義」の定義は、権力の所在としての人民主権、意思決定手段としての多数決など、自由主義的な多元主義個人主義の尊重、少数意見も尊重して議論するという合意形成のプロセス自体、など多数あり、それは記事にも記述済です。更に「合法性と民主性が混同されている」ともありますが、この「合法」も同様で、自然権なども含む「法の支配」、制度的な面の強い「法治国家」などの意味でも使われます。つまり多義的な用語は使う立場や観点で意味が変わるので、個人の思想は自由ですが、「民主主義とは○○である」などと断定を書くのはWikipedia:独自研究は載せないに反します。なお個人的には「ナチスは制度上は、形式的には合法的に、独裁権力を獲得した。ただしその過程は一般的な意味では民主的とは言えない。とはいえ、クーデターなど純粋に暴力だけで民意を無視して政権獲得した形ではなく、また大多数の国民もナチスが民主的では無い事を最初から知りながら投票し、独裁確立後も支持者は多かったのも事実。従って、立派な制度さえあれば民主主義が続くとは限らず、民主主義は自殺する場合もあり、それは使う国民にもよる。」とは思いますが。最後に繰り返しますが、ウィキペディアは自説を議論する場ではなく、事実のみを記述した百科事典を作る場です。--Rabit gti 2011年1月28日 (金) 10:17 (UTC)
コメントなるほど、よく分かりました。Rabit gti氏の軍隊による軍事行動を伴っていないため、クーデターと呼ぶだけの重要な要素を欠いているという指摘ももっともだと思いますし、評価も妥当だと思います。ただ、先述したとおり、民主主義のページですから、「ヒトラーの政権獲得が民主主義史にとって、どういう位置づけにあるのか。どういう意味を持つのか。」を書くのは許されると思います。そうでなければ、このページでわざわざナチスドイツを紹介する必要性がなくなります。よって、「多くの政治的テロ行為が行われたり、ヒトラー自身に民主主義的理念(自由主義・平等主義・議会主義)を守ろうという意志がないことなどから、ヒトラーの政権獲得は完全に民主的な政権獲得とは言えないが、大衆的支持を背景にして、軍事クーデターや暴力革命などを伴わずに、形式的には合法的に民主体制が独裁体制に転化した典型的な例として重要である。」というような評価を付け加えてみましたがどうでしょうか? これなら事実に基づいていますし、Rabit gti氏の評価と矛盾しないし、主観的な評価と言うわけではないと思います。単純にいい悪いと書いているわけではありませんので。このページでナチスドイツを紹介する必然性も生まれます。あと、衆愚政治と言う評価に対しては、確かにそう評価する人間もいると思いますが、それだけではあまりに状況を単純化していると思いますので、他の別解釈を付け加えてみます。Rabit gti氏も単純に当時のドイツ国民が愚かだったとは思っていないでしょう。--ブッチャーさん 2011年1月30日 (日) 01:43 (UTC)
コメントすみませんがブッチャーさんの加筆を取り消しました[4]。残念ながら、前回の私のコメントの趣旨が全く伝わっていないようです。ブッチャーさんや私の個人的意見にかかわらず、一番重要なのはウィキペディアは百科事典で個人の見解を表明する場ではない、ということです。更にブッチャーさんの記述には多数の問題があり、例えば「完全に民主的な政権獲得とは言えない」や「重要である」や「当時のドイツ国民を単純に無知で愚かだったとは言えない」などは主語が不明で独自研究です。更に「完全に民主的」は、その「民主的」が「人民主権」を指すか、「三権分立などの制度」を指すか、「議論するプロセス」を指すかも不明確です。衆愚政治や「自由からの逃亡」は、そう「いわれている」「呼んだ」との事実の記述で、そう呼ぶのが妥当かどうかは触れていません。なお、根源的には「議会が自分の権限を自分自身から譲渡する事も可能か、それも民主主義か、もはや民主主義ではないのか」や「民主主義の破壊や人種差別を公言する集団に対しては、その権利も保障するのが民主主義なのか、それともそれは民主主義の自殺なのか」という永遠の課題もあり、21世紀の現在でも、単純に断定できるテーマでもありません。再三繰り返しますが、ウィキペディアは編集者による評価や見解(独自研究)を書く場所ではありません。単に中立的で客観的な特筆性ある事実(のみ)を淡々と記述する場です。--Rabit gti 2011年1月30日 (日) 02:16 (UTC)
(追記)上記の話とは別ですが、民主主義の記事でヒトラー政権のみを取り上げるのも中立的ではないため、歴史的に有名な他の事例も併記し、その中でヒトラー政権が取り上げられる事が多い理由を追記しました[5]。--Rabit gti 2011年1月30日 (日) 12:09 (UTC)
コメントわかりました。私はただ以前の記事内容では、「これじゃ、多少の問題点はあったがヒトラーがおおむね民主的かつ合法的に独裁体制を確立したような印象を与えるじゃないか」という違和感を感じていただけですから、『~「民主主義」の解釈にもより多くの議論がある。』という点が強調してあれば自分としては異議はありません。民主主義とは多数決や合法性のみに還元されるような単純なものではないと思うからです。しかし、どうしてもいまだ違和感があるのは、「これらは民主主義が衆愚政治に転じた例としても良く挙げられている。」という一文です。いくら出典があるとはいえ、特定の個人や国民が「愚かだった」などという情報をウィキに書く必要があるでしょうか? なぜナチスドイツの例に対してだけ、「衆愚政治」と強調するのでしょうか? 愚かだと言うのなら天皇主義に回帰した日本国民や、ムッソリーニを支持したイタリア国民は愚かではないのでしょうか? 中立性を欠いています。衆愚政治と民主主義の関係はたしかに一般論ではよく語られることですが、それは他の項目(ポリュビオスの見解など)でも指摘してあります。ナチスの記事に書く必要はないと思います。「これらは民主主義が衆愚政治に転じた例としても良く挙げられている。」の一文は、出典があっても、具体性のない主観的な評価であり、レッテル貼りで、単純に侮辱です。何が愚かだったのか明確に書いてないからです。この一文は余計な異議を生むだけで、情報として意味がありませんので削除すべきだと思います。この一文さえ削除したら、バランスのとれた密度の濃い、中立的な記事になると思います。--ブッチャーさん 2011年2月4日 (金) 05:19 (UTC)
コメントブッチャーさんご指摘のように、多数の例を列挙している中でナチスの例だけに「衆愚政治」と書くのは、確かに公平では無いので、該当箇所からは削除し、衰退例として追加した「衆愚政治」の語源でもあるアテナイに移動した形にしました [6]。なお「衆愚政治」は元々プラトンによるレッテル貼り用語で、「衆愚政治に転じた例としても良く挙げられている」は「挙げる例が多い」という単なる事実の記述なので、ドイツでも古代ギリシアでも、「その国民が実際に愚かであった」とウィキペディアが断定している訳ではありません。--Rabit gti 2011年2月4日 (金) 14:51 (UTC)

テンプレート挿入について

失礼します。記事本文についての出典の明示が不十分であるため、参考文献からの引用記述なのか出典のない独自研究なのか判別がつかない点が散見されます。また、中立的観点を意識されてのことと思いますが、言葉を濁した表現が多様されており、そのいくつかは具体的に範囲を限定したテンプレートを挿入させて頂きました。せっかくの良い記事ですので、執筆して下さった方にもう一工夫をお願いできればと思いコメントさせて頂きました。ご検討下されば幸いです。--joker会話2015年8月5日 (水) 05:42 (UTC)

大幅書き直し提案

コメントjokerさん指摘のように、当記事は長期間、出典が少なく、言葉を濁した記載が多く、断片的な意見があちこちに書かれていて雑多で、全体的な構成が良くない、と思います。そもそも民主主義(デモクラシー)は1つの思想・制度と定義できるものではないため、ルソーはこう主張した、ロックはこう記した、という風に、歴史的重要性に応じて客観的に事実を併記する(詳細はリンク先の各記事を参照)とすべきと思います。全体の節構成も、英語版を参考に「形態」(直接民主制間接民主制人民民主主義など)、「理論」(クレイステネスルソーロックモンテスキューなど)といった構成にしたいと思います。問題なければ順次更新予定です。--Rabit gti会話2017年2月5日 (日) 06:53 (UTC)
報告 遅くなりましたが、上記修正を反映しました[7]。基本的には過去に編集した資本主義等の記事と同様、(1)日本中心の雑多な見解の羅列(JPOV, NPOV, WP:TRIV)を整理し、世界的に著名な出典ある見解を併記 (2)各制度(直接民主主義など)への特定の見解は整理し、より客観的・学術的な利点・難点を併記 (3)詳細は過剰に説明せず、リンク先各記事を参照、との方向性でまとめてみました。なお、何が民主主義かは立場・観点により変わるため、英語版より指標の世界地図を複数追加しました。--Rabit gti会話2017年10月9日 (月) 05:23 (UTC)
これだけ歴史と分量のある記事を、個人の判断で大幅に変えすぎではないでしょうか? jokerさんは「もう一工夫」といっているだけで、これだけの大幅な変更を求めてはいなかったと思います。「せっかくの良い記事です」といっていますし、そのよい部分まで消してしまっているのでは? 一見しましたが、表層的に民主主義の特徴をなぞっているだけで、以前よりも中身のない記事になってしまっていると思います。いずれにせよ、個人の判断でいままでの編集履歴をほとんど無視して、これだけの大幅変更を行うことは問題があると思います。一度、2017年9月18日 (月) 14:46‎ の時点に差し戻しことを提案します。もう少し、皆さんが書いてくれた過去の編集内容を生かす形で、コンセンサスを得ながら、微修正を繰り返していくべきではないでしょうか? Rabit gtiさんにも考えがあるのでしょうが、これでは、みんなで作った記事ではなく、Rabit gtiさん個人のつくった民主主義のページになってしまいます。--は2008会話2017年10月22日 (日) 15:16 (UTC)
  • は2008さんの御批判にもかかわらず大和屋敷の眼からみれば、かなり良くなったんじゃないかと思います。ただ「思想」の項目は典型的な読む気を無くす水増し部分のように見えました。「ある著名人」を持ち出してその言説を紹介するという体裁は単行本の水増しもといエッセイの手法としては良くある手段なのですが、百科事典は調査のための足がかりという実用的な側面がまず重視されるべきで改善の余地は大きいと思います。とくに引用元が参照本(直接参照元)を表示するものがいくつもあり、wikipediaの編集方針自体は満たしておりこれで結構なのですが、「実質的には」百科事典として使い物になりません。こういったあたりの不足が物足りない印象はあります。いずれにせよ「大胆に編集したから戻すべきだ」という主張には同意できかねますが、記事のさらなる発展を期待し祈念したいところであります。--大和屋敷会話2017年10月23日 (月) 05:05 (UTC)
  • は2008さんへ)こんにちは。ご意見ありがとうございます。私はウィキペディアにおける包摂主義者なので、普段は既存の編集や議論の積み重ねを元に加筆・修正しています。しかし当記事は2017年2月5日の提案の通り、部分ではなく全体の大幅修正が必要と考え、ガイド「Wikipedia:ページの編集は大胆に」に従い、事前提案し、反映・報告したものです。特に従来の「多義性」や「議論」の章(節)は、用語(翻訳)の話と思想・制度・歴史などが混同され、一般的とは言えない分類・構成で、他の方々から長期間、出典なし・要整理のタグが付いており、全面書き換え止む無しと考えました。ただし主要な論点(独裁との関係等)は「議論」などに再収集しました。また導入部・「用語」「概要」「歴史」などは、従来の記述もベースに追記した形で、大筋では従来から減った内容(テーマ)は無いはずです。ところで「以前よりも中身のない」は具体的に何を指していますか? 従来よりPOVJPOVを徹底し、安易な断定的記述(民主主義とはこれこれである、選挙と多数決が民主主義である、「日本では」の説明、など)を最小限にし、出典上も歴史的に特筆性のある思想や出来事を、客観的に淡々と併記する形を優先した結果、「執筆者(各出典の著者)の思いも反映した読み物」というより「分類された各ポイントの箇条書き・リンク集」的にしましたが、詳細はリンク先の各記事を読めば良い(ウィキペディアは事柄を客観的に記述・併記すべきで、特定の立場を伝える場ではなく、それは読者がリンク先記事も見て判断すれば良い)と思っています(別の記事ですが資本主義での大幅修正[8]も同じ方向性です)。もちろん、記事の改善は今後とも必要なので、多数の方の参加を歓迎しております。(個人的には大幅修正後に色々なご意見が出るのは当然と思っていましたが、非常に少なくて実は不思議に感じておりました。)--Rabit gti会話) 2017年10月24日 (火) 01:47 (UTC) 訂正--Rabit gti会話2017年10月24日 (火) 01:49 (UTC)
  • (大和屋敷さんへ)コメントありがとうございます。「思想」の記述、特に出典は何か月も苦労したところで、私も改善を期待しています。ところで「引用元が参照本(直接参照元)を表示する」とは、例えば民主主義#デマラトスなどで、説明部分の出典と引用部分の出典が同一の書籍で、本当の原本(歴史 (ヘロドトス)のPxxなど)ではない、という意味でしょうか? 仮にそうであれば、私が良い出典を探せなかった事と、本当の原本は真正性の証明になるが、引用本はその箇所の世間での著名性の証明にもなる(メリデメがあり悩ましいが、両方を探して脚注に併記する余裕はなかった)が実情です。なお、以下は個人的感想です。今回「思想」を書くために本屋や図書館を回りましたが、「民主主義の歴史」に触れた書籍は非常に多いものの、アリストテレスやルソーなども本人の記述を引用した本は少なく、著者が意訳して解りやすく(都合よく)説明しているものが大多数でした。しかし、これでは読んだ本により後の編集合戦にもなると懸念し、説明はポイントの箇条書きに抑え、なるべく引用(本人は実はどう記していたのか)を探して付けました。また、啓蒙思想家だけでなく、経験主義、功利主義、批判者なども併記しました。この結果、分量がかなり増えましたが、目的は水増しではありません。「民主主義」は解釈次第で「古代のこの時代も合議制はあったのでこれも民主主義だ」などと都合よく拡大解釈可能ですが、引用(著名人の本人の発言・記載)があれば、例えば民主主義の主な論点(自由、法的平等、法の支配、権力分立、多数派による専制、独裁への転化)は古代から論じられている事も客観的に判り、例えば社会契約論ならばホッブス、ロック、ルソーの共通点と相違点の併記すれば、アメリカ憲法(抵抗権)、フランス憲法(主権は1つで、分割できず、譲り渡すことができず、かつ時効にもかからない)の意味が判りますし、間接民主主義と直接民主主義の「議論」にもそれぞれ思想・背景がある事がわかります。これらを読み物的にまとめるのを避け、「思想」はポイントと原文のみ、それによる影響は「歴史」や「制度」、議論は「議論」などに、視点別に簡潔に書いてみました(箇条書き的で重複多数ですが、「思想」「制度」「議論」などを読み比べると、影響や背景など相互関連性が見えてくる、という構成です。ウィキペディアには色々な方向性の記事があり切磋琢磨し改善するのが自然と思いますが、特に政治的・論争的な主題ではNPOVJPOVを避け、編集合戦を招きにくい、主観的な見解を排した客観的な併記が重要で有効かと思っています。)--Rabit gti会話2017年10月24日 (火) 03:11 (UTC)
    • Too late to the party!「「思想」「制度」「議論」などを読み比べると、影響や背景など相互関連性が見えてくる、という構成」というのが、は2008さんや大和屋敷さんをして「表層的に民主主義の特徴をなぞっているだけ」「ただ「思想」の項目は典型的な読む気を無くす水増し部分のように見えました。」と言わしめる原因だと思います。裏を返せば、最初から最後まで読まないと影響や背景など相互関連性が見えない、読んでる途中では相互関連性が分からない、推理小説のような構成なわけです。しかも大抵の推理小説と違って、どう見ても水増しにしか見えない箇条書きの背後に潜む強い相互関連性を明示する、名探偵の解答編が抜けています。その解答編こそ、百科事典で載せるべきものなのに。「百科事典の記事はあらゆる細部に至るまでのすべてを包括する詳細な解説ではなく、記事主題に関する、それぞれの分野において受け入れられている知識を要約したものであるべきです。」
ただし、当記事主題において「要約したもの」は書けるかもしれませんが、要約元である「当該分野において受け入れられている知識」については書けないかも知れません。
[9]より「それが手放しの絶対的価値に祭り上げられ、ありとあらゆる政治体制が自己を正当化するキーワードとして用いるようになったのは、第二次世界大戦の結果デモクラシー陣営がファシズムに勝利を収めて以降のことと言ってよい。以後デモクラシーを公然と批判し、否定するということは「ファシスト」の烙印を押されることを覚悟したうえでなければできなくなったからである。「あの」フセイン大統領ですら、自らの力を信任投票によって「デモクラシー」的に正当化せざるをえない。」
このような時代においては、アラビア語や中国語に於ける「デモクラシー」は「独裁」すら含意できるほど広い意味で使われるでしょう。逆にロマンシュ語(スイスでしか話されていない)では、「民主主義」は極めて狭い意味しか持たないでしょう(間接民主主義は認めないとか)。日本語圏も例外ではなく、当該言語を使う主要国の政治状況が反映されるはずです。自衛隊のイラク日報問題と、それを受けた選挙の結果(日報隠蔽を許した政党(自民党と旧民主党)を国民は支持するなど)によっては、ヘゲモニー政党制のうち、明示的な制度で支えられたものは民主主義とは呼ばないが、情報隠蔽のような明示されない制度に支えられたものは民主主義と呼ばれるかも知れません。
つまり、当該項目は(驚くべきことに、Wikipediaの誕生前である西暦194X年頃から)Wikipedia:現在進行、下手をすれば、主観的な定義しか残っていないバズワードに当たると私は考えます。客観的な定義は、当該項目では失われて久しいと私は考えます。ならば、中立性を達成しようと主観的な記述を排除すれば、後に残るのは白紙のみです。客観的情報の失われた項目で中立性を達成する、もう一つの方法を使う他ありません。「偏った情報はたいてい他の情報源からの出典を加えることでより中立的な観点に修正することができますので、」すなわち、互いに否定し合うものも含む全ての主観情報を載せることです。従って視点の分割は、「思想」「制度」「議論」の様に客観性を求めたものではなく、「Aの主観」「Bの主観」…にすべきだと私は考えます。これだと編集合戦が、裁定の簡単な「そもそもBの主観なんてあるのか?」か、建設的な「Cの主観にまとめられるじゃ?」とかになります。恐らく、主観の数そのものは無数にあるけど、それらの主観の間には、因果関係や相互関連性があるはずです。それらの関係性を軸にすれば、無数にある主観から、載せるに相応しい重要な主観を抜き出せるはずです。--Abo Junghichi会話2018年4月21日 (土) 13:51 (UTC)
  • Abo Junghichiさん記載の「名探偵の解答編」や「載せるに相応しい重要な主観」とは、「歴史をまとめると、実は真実(の民主主義)は、これである」というような「結論」でしょうか。そのような主張は、「読み物」としては面白いとは思いますが、実際には歴史上も現在も多数の「結論」があるのが現実です。ウィキペディアは百科事典で、NPOVは絶対の方針です。歴史上で主要な見解(主観)をなるべく客観的に併記し、ある見解に興味を持った読者は更にリンク先や原著等を調べる補助となるべきで、編集者が特定の「結論」を議論したり断定する場ではありません。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかも参照ください。なお自由主義資本主義社会主義共産主義アナキズムなども、類似の構成になっています。--Rabit gti会話2018年4月21日 (土) 15:45 (UTC)
  • 「名言集」的なものは世間に大量に出回っているんですけれども、じっさいそれがどの原典にもとづいて、そして誰がそれを邦訳したのかという履歴を調査するのは恐ろしく膨大な時間や労力を割かれることがあるものでして、そのあたりのことであります。「コイツってホントにこんなこと言ってんのか?」と疑いの眼を向けることが学術の本分ですので軽視はできませんが、wikipediaの編集ルール的には直接参照元は明示されているので加筆要件は満たしている、という微妙な塩梅です。この広い世間にはどこかには原典履歴を御存じの方もいるとはおもうのですが中々シンドイ作業であります。--大和屋敷会話2017年10月24日 (火) 03:34 (UTC)

「民主という語」について

  • 「漢語の民主」か「民主という語」かについて。前者は漢語における民主という語の解説を行うことを標記しており、後者は民主という語についての解説を行うことを標記しています。よって後者のほうが適切ではないかとかんがえ、推敲の観点から、もとに戻しました。コメント欄に記述しているように中国語ではどのように理解されているかを解説する意図での記事ではなく、あくまで「民主」という語についての包括的な解釈です(記事内にあるように漢語の民主は「民ノ主」が原義になるのみですので)。--大和屋敷会話2017年10月29日 (日) 09:51 (UTC)
    • (勝手ながら遡って節を追加しました)差戻[10]の説明、ありがとうございます。漢語(中国語)だけの話ではなく、日本での「民主」という漢字も含めてのタイトルという事は理解できました。ただ、あくまで漢字の歴史的経緯の話と思いますので、例えば「民主という漢字」などではいかがでしょうか?(最初からカギカッコはついていますが)--Rabit gti会話2017年10月29日 (日) 10:17 (UTC)

本当に、参考文献や出典が不十分か

「この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。」と記述されていますが、本当に不十分でしょうか? 勿論、不十分なところもありますが、不十分とは、言えますか? 不十分の基準は何でしょうか? KazuShiba会話2021年3月19日 (金) 07:01 (UTC)