ノート:日本の民族問題/過去ログ4

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

在日朝鮮・韓国人の問題は『民族問題』ではないのでは?(2)[編集]

ノート:日本の民族問題/過去ログ3#在日朝鮮・韓国人の問題は『民族問題』ではないのでは?を参照

>国籍の有無を問題にしているのは、在日コリアンが(少なくとも現在は)自らの意>思で日本国籍を取得することを拒んでいるからです。 昔は、帰化の費用に家族全員で100万円かかるのは当たり前で、現在でも一人20~30万円かかります。日本国籍を取りたいのに取りにくいという事実を無視しています。選挙権がほしいなら20万円だせというようなものです。通常、植民地にされた国の人には国籍の選択権があるのが普通ですが、日本ではありません。帰化を拒む人もいるでしょうが、帰化したいのに出来ない人も多いということを考えてください。

--Mathryo 2007年3月25日 (水) 11:41 (UTC)
>選挙権がほしいなら20万円だせというようなものです
大変失礼ですが、それは行政書士等に手続きの代行を依頼する費用と混同されてはおられませんか? その論法なら、極論すれば「日本では、弁護士費用を出せない貧乏人には裁判を起こす権利が無い」と言えることになってしまいます。
もっとも、「自己や配偶者等によって生計を営むことができること」が帰化の条件になっている以上、それなりの収入がある事は必要ではあるでしょう。確かにその条件をどのように具体的な基準に適用するか、という問題はありますが、そのような議論はこのノートにはそぐわないものと考えます。
--221.22.136.247 2007年3月25日 (日) 03:20 (UTC)
失礼、ログインを忘れていました。これは私の投稿です--Stranger non general person 2007年4月1日 (日) 04:58 (UTC)

まず言っておきたいのは、私の投稿は過去ログにある記述「在日コリアンが(少なくとも現在は)自らの意思で日本国籍を取得することを拒んでいる」に対する批判だということです。この項目は民族問題ですから、詳しくは在日コリアン問題の項に載せた方がいいかもしれません。 それと、

>その論法なら、極論すれば「日本では、弁護士費用を出せない貧乏人には裁判を
>起こす権利が無い」と言えることになってしまいます

は少し不適当だと思います。 上にも述べたとおり、通常植民地にされた国は国籍の選択権を無条件で与えるのが国際的な慣例なのに、日本においては特段に国籍をとりにくくなっているからです。たとえば、区役所で住民票をもらうのに10万円だせといっているようなものなのです。貧しい人が帰化しにくいのはもちろん問題ですが、それ以前の問題なのです。

--Mathryo 2007年3月31日 (水) 07:18 (UTC)


通常植民地にされた国は国籍の選択権を無条件で与えるのが国際的な慣例
(とりあえず併合か植民地かという議論は置いておくとしても)日本の領土だった頃には国籍を与えていました。独立したので日本国籍を離脱することになったのです。国籍を選択する機会はありましたし、その後も在日コリアンの帰化には特別の配慮が払われています。
区役所で住民票をもらうのに10万円だせといっているようなもの
金額の寡多はともかく、それはアリでしょう。他人に手続きを依頼せず、手続きを自分で行う場合は払わなくて済む、という選択肢のある限りは。実際、自動車運転免許の再交付や車の所有権の移動にすら代書屋が存在します。自分に代わって手続きを代行してもらうことに対する対価を払うのは当然です。裁判だって、弁護士に依頼せず自分ひとりで訴訟を起こすことも出来ます。なぜ帰化だけが行政書士に依頼しなくては出来ないのでしょうか?
確かに、帰化の申請が極めて面倒であろうことは容易に想像が付きます(だからこそ20万~30万もの代行手数料が必要なのでしょうからね)。しかし、審査を伴う行政への申請が面倒なのは帰化に限ったことではありません。他国との比較ではなく、日本の他の行政手続きと比較して、「帰化の申請・審査だけが異常に面倒で厳しい」という批判があるのなら、是非ソースのご提示をお願いします。
--Stranger non general person 2007年3月31日 (土) 00:51 (UTC)
追伸
今googleで検索したら、現在は15万~20万ぐらいが相場のようですね>帰化申請
ちなみに、googleで現在一番上にくる行政書士さんのサイトにある費用一覧で近い金額を挙げると
  • 会社法人設立:15万円
  • NPO設立:25万円
  • 労働者派遣業の許可申請/届出:10万円~12万円
  • 建設業の許可申請:最大20万円
  • 風俗業の許可申請:18万円
  • 自動車リサイクル業の許可申請:最大20万円
  • 介護保険適用介護サービス業申請:13万円
……「確かに個人として払う金額としては若干高めだが、手間という面から考えれば概ねこんなモノだろう」というのが素直な感想です。まぁ、これは個人的な感想ですが。
--Stranger non general person 2007年3月31日 (土) 01:10 (UTC)

>日本の他の行政手続きと比較して、「帰化の申請・審査だけが異常に面倒で厳しい」という批判があるのなら、是非ソースのご提示をお願いします。

私が問題にしているのは、日本の他の行政手続きと比較してではありません。在日コリアンの国籍取得に費用がかかること自体を問題にしているのです。現に、過去に韓国が日本の領土だった頃には国籍が自動的に、(本人が望むと望まぬと)費用負担なしで与えられていました。国籍を一方的に剥奪し、再取得する際には(少なく見積もって)10万円以上の費用がかかる、と言うのはおかしいと思われないのですか?通常の慣例では、国籍の剥奪でなく、国籍の選択権が与えられるものです。

--Mathryo 2007年4月1日 (日) 8:13 (UTC)

追伸

国籍変更には、韓国の役所から戸籍謄本の送付が必要であり、韓国側の手続きも必要なので、その分の費用も考えないといけないかもしれません。 --Mathryo 2007年4月1日 (日) 8:38 (UTC)


おかしいと思われないのですか?
 まったく思いません。何故なら、日本国籍の離脱は「朝鮮戸籍登載者か否か」という明確な基準の下に行われたのであって、人種やエスニティを理由として行われたものではないからです。
 繰り返して言いますが、「(少なく見積もって)10万円以上の費用がかかる」というのは、他者に手続きを代行してもらう為に支払う手数料であって、日本の政府や行政機関が要求する費用ではありません。自分で手続きを行えば(日本側の行政手続に必要な費用は)1万円以下で済むはずです(今、確認しました) はっきり申し上げておきますが、これを指摘するのはこれで三度目です。この指摘を貴方(Mathryoさん)が意図的に無視しているのなら、POVにもう一度目を通される事を強くお勧めします。
 ついでに申し上げておきますが、上記の例で帰化より高額な料金設定がされている(≒手間のかかる)会社法人の設立手続きを、私は自分だけで行ったことがあります。(簡易裁判所ではありますが)自分で裁判所に行って手続きを行って訴訟を起こしたこともあります。双方とも確かに大変面倒な手続きですが、事前に書籍その他の情報をちゃんと調べれば十分可能でした。帰化だけが行政書士に依頼しなければ申請が出せないというのなら、ぜひソースを提示してください。
 一応追伸にもお返事しておきますが、日本は二重国籍を認めていませんので、帰化する前の国籍を放棄する手続きが必要なのは在日コリアンに限ったことではありません。韓国の国籍を持つ人間がその国籍を離脱する為に必要な手続き・費用については韓国政府が定めるものであり、日本政府が関知する所ではありません。
--Stranger non general person 2007年4月1日 (日) 04:54 (UTC)

Stranger non general personさん、質問への回答を。--Iosif 2007年4月1日 (日) 19:41 (UTC)

各エスニック・マイノリティ毎の記述について[編集]

さて、特に大きな異論も無いようですので、残りの部分についての議論を進めましょう。節を分けます。

  • まず「民族問題事件と事件」という節の名前が適当が否か、という問題がありますね。「各エスニック・マイノリティ毎の問題」とした方が適当だと思われますが、いかがでしょう?
  • 次に、各エスニック・マイノリティごとの小見出しですが「アイヌ民族」「琉球民族」「在日コリアン」でいいでしょうか? 他に追加すべき小見出しがあればご指摘ください。
  • 最後に各エスニック・マイノリティごとの「必要最小限の解説」ですが……これはなかなか難しいですね。とにかく、各エスニック・マイノリティの記事の「概要」「民族問題」などの記述を元に、文案を出し合って行くしかないでしょう。まずは踏み台として、こんなところではいかがでしょう?
アイヌ民族
明治維新以降、アイヌを「教化しなければならない未開人」または「助けなければならない弱者」と考える向きが強まり、同化政策と保護運動が両立するという奇妙な事態が発生してしまった。近年は民族意識を保持している事に由来する偏見は薄らいできているが、「アイヌ語を始めとする独自文化の継承がうまくいかず、文化集団としてのアイヌを日本人化してしまったがゆえに問題が減っただけだ」とし、積極的な解決が成されたわけではないとする指摘もある。詳細は「アイヌ」を参照。
琉球民族
大和民族と区別すべき独立した民族とするか否かについて現在も議論がある。明らかに異なった民族であるという者の中には、日本から独立すべきだとする意見を持つ者もいる(琉球独立運動)。また、沖縄が日本国の一部であることには異論を唱えないが、一くくりの日本文化の存在は、明治維新後の国家主義に基づくものである、とする意見もある。詳細は「琉球民族」を参照。
在日コリアン
もっとも狭義に捉えた場合、第二次大戦終了時から継続的に日本に居住し、サンフランシスコ平和条約発行後、現在に至るも日本国籍を取得せず、朝鮮籍韓国籍のまま日本に居住する人々、およびその子孫(で、やはり日本国籍を取得していない者)を指す。しかし日本国籍を取得した者、第二次大戦終了後に日本に移住した者も含め「在日コリアン」と呼ぶ場合もある。
通名の使用を初めとして、戦後多くの在日コリアンは自らがその民族意識を保っていることを隠していたが、近年は自らそれを明らかにして活動する在日コリアンも多い。しかし近年の北朝鮮との関係悪化、韓国との外交的緊張関係に伴い、在日コリアンに対する圧力は再び強まってきている。詳細は「在日コリアン」を参照。
以上、これはあくまで素案です。ご意見があればぜひお聞かせください。よろしくお願いします。
--Stranger non general person 2007年2月26日 (月) 11:24 (UTC)
次の段階に移るのはもう少し時間が経ってからのほうがよいかと思いますが、まず「民族問題事件と事件」の言葉の意味がわかりませんので個人的にはお示しの案で結構です。それから個々の民族部分ですが、この記事は「日本の民族問題」ですので、各民族の説明では個々の民族が抱えている民族問題について簡単に書き、それから詳細として民族の記事にリンクする形がいいのではないのかな、と考えます。
アイヌ民族については、明治以降、特に戦後、日本人としての同化が進み民族古来の言語すら廃れて忘れられつつあることや、アイヌ文化振興法が定められているがその効果がはたしてどれだけあるのか目に見えていないこと、とか。
琉球民族については、独立運動についての記載にくわえて、近年では沖縄県以外に居住する元沖縄県民がそこで『異民族』として扱われることはほとんどなく、本土側のおおかたの意識としては沖縄県も都道府県のひとつでしかなくなっていること、つまり本土側の感覚として同化はすでに終わっており、独立を考えるほど民族意識の強い沖縄人との間に大きなギャップがあることを。
そして在日コリアンについてですが、在日コリアンが抱えているもっとも大きな民族問題とは、長期にわたって日本に居住し、生活の基盤も日本にあり、何世代にもわたって暮らし、基本言語も日本語となりながら、コリアンとしての民族意識を持つためには日本国籍を取得して「日本国民」になってはならない、日本国籍を取得すれば朝鮮民族ではなくなってしまう、という観念を、多くが抱えていることなのではないかな、と考えます。それから日本民族と朝鮮民族お互いに差別意識が少なからずあり、特に北朝鮮や韓国と国同士でうまくいっていない現在、「朝鮮民族」ということを明言して日本で暮らすことはその差別と向き合うことにならざるを得ない状況にある、ということも、「圧力」という遠回りな表現ではなくて書いておく必要はあるのではないのでしょうか。--いたる 2007年2月27日 (火) 13:57 (UTC)
大きく分けてアイヌ民族琉球民族在日コリアンが重視されるのは仕方ないでしょう。(他の民族にも一言二言言及できればもっといいでしょうけど)
「民族問題事件と事件」と言う見出しは解かりにくいのでおっしゃるとおり「各エスニック・マイノリティ毎の問題」でいいと思います。後、全体的に日本人が「民族」という捉え方に疎いということもちょっぴり触れておいたほうがいいかもしれません。
--Remington 2007年2月27日 (火) 20:36 (UTC)


  • お返事が遅くなりました。では、節の名称については合意ということで。
  • やはり問題は「必要最小限の解説」ですよね……。本当の「最小限」にしないと、現在の記述から変更する意味がありませんからね。
  • ということで、再度修正してみましょうか
アイヌ民族
明治維新以降、アイヌを「教化しなければならない未開人」または「助けなければならない弱者」と考える向きが強まり、同化政策と保護運動が両立するという奇妙な事態が発生してしまった。近年は民族意識を保持している事に由来する偏見は薄らいできているが、「アイヌ語を始めとする独自文化の継承がうまくいかず、文化集団としてのアイヌを日本人化してしまったがゆえに問題が減っただけだ」とし、積極的な解決が成されたわけではないとする指摘もある。1998年アイヌ文化振興法が制定されたが、その効果を疑問視する意見もある。詳細は「アイヌ」を参照。
琉球民族
大和民族と区別すべき独立した民族とするか否かについて現在も議論がある。事実、沖縄県外に居住する元沖縄県民が他の人間から「他民族」と扱われることはほとんど無く、少なくとも本土(大和民族)側の意識においては、既に同化は終わっていると捉えられている。一方、本土では明らかに異なった民族であるという者の中には、日本から独立すべきだとする意見を持つ者もいる(琉球独立運動)。また、沖縄が日本国の一部であることには異論を唱えないが、一くくりの日本文化の存在は、明治維新後の国家主義に基づくものである、とする意見もある。詳細は「琉球民族」を参照。
在日コリアン
もっとも狭義に捉えた場合、第二次大戦終了時から継続的に日本に居住し、サンフランシスコ平和条約発行後、現在に至るも日本国籍を取得せず、朝鮮籍韓国籍のまま日本に居住する人々、およびその子孫(で、やはり日本国籍を取得していない者)を指す。しかし日本国籍を取得した者、第二次大戦終了後に日本に移住した者も含め「在日コリアン」と呼ぶ場合もある。
在日コリアンは数世代にわたって日本に居住し、生活の基盤も日本にあり、基本言語も日本語であるにも関わらず日本国籍を取得しないのは、彼らの中で「日本国籍を取得すれば朝鮮民族ではなくなってしまう」と捉えられている為である。日本国籍を取得していない事により、在日コリアンには国籍条項を初めとする様々な制限・不利益が存在する。
日本人と在日コリアンの間にはお互いに差別意識が存在した為、通名の使用を初めとして、戦後多くの在日コリアンは自らがその民族意識を保っていることを隠していたが、近年は自らそれを明らかにして活動する在日コリアンも多い。しかし近年の北朝鮮との関係悪化、日本と韓国との外交的緊張、更に北朝鮮核問題の深刻化に伴い、再び日本人と在日コリアンの間の対立、更には新たに在日コリアン内部での対立も顕在化しており、自らの民族意識を明言している在日コリアンは、その対立と対峙せざるを得ない立場に立たされている。詳細は「在日コリアン」を参照。
最後に個別にお返事を
  • いたる さん
若干フライング気味だったかもしれませんが、他の提案に関しても特に異論は無いようですね。このまま進めても大丈夫でしょう。
アイヌ語に関しては一応、「アイヌ語を始めとする独自文化の継承がうまくいかず」という形で触れていますが、もう少し解説を付け足した方がいいでしょうか?
  • Remington さん
日本語の「民族」という言葉の曖昧さについては「概要」で触れる予定ですが、もう少し突っ込んだほうがいいかもしれませんね。
--Stranger non general person 2007年3月3日 (土) 23:15 (UTC)
いま「少数民族」を見てきましたが、「山窩」について「日本の民族問題参照」という記述がありますね。本来なら追記すべきだと思われますが、山窩を読む限りでは特にこの記事に追加する必要があるとは思えません。
「山窩」はリスト内に追記するに留め、各エスニック・マイノリティ毎の記述には特に追加せず、少数民族の「日本の民族問題参照」という記述を削除する、ということでよろしいでしょうか?
--Stranger non general person 2007年3月12日 (月) 00:54 (UTC)

合意案の分割に関する合意についてのメモ[編集]

提案を取り下げます

Iosifさんから不同意の意思表示がありました。彼の主張そのものはともかく、切り分けたことを「提案を取り下げた」とは見なさない、との合意にすら応じてもらえないのですから、私としても切り分けに同意することは出来ません。以後、この節には書き込まないで頂ければ幸いです。関係者全員の合意が得られれば、節ごと削除したいと考えております。

以後の記述は、専ら議論の推移を残しておくためだけに保存しておきます。--Stranger non general person 2007年2月11日 (日) 09:34 (UTC)


これは、私(Stranger non general person)が2007年2月9日 (金) 13:20 (UTC)に提案した、現在議論が行われている合意案の分割について、私が依頼した「明示的な合意」の有無を整理するためのメモです。この節は、議論の中に私がお願いした「明示的な合意」が埋まってしまうことの無いよう、どなたに合意頂いたかを整理するために作りました。この節については(事実に即している限り)自由に編集してくださって結構ですが、参加者名および賛否の有無以外は記述しないで頂ければ幸いです。この節は合意案の分割および(分割された)合意案に関する合意が成立した時点で削除したいと考えています。

提案の要旨

  1. 現在の合意案(2007年2月5日 (月) 06:02 (UTC) 提示)の内、概ね合意が得られる見込みがある3.~7.を切り分け、先行して合意するための新たな合意案を纏める。
  2. 先行した合意案が合意された後も、切り分けた残りの合意案(1.、2.、および8.)について、引き続き合意に向けた話し合いを継続する。この提案は(残りの合意案についての)将来の記述への反映の有無については影響を及ぼさない。

以上について明示的に同意する。

  • (提案者)Stranger non general person
  • (同意)コータ さん(2007年2月9日 (金) 16:31 (UTC))
  • (同意)Remington さん(2007年2月9日 (金) 18:29 (UTC))
  • (同意)いたる 2007年2月10日 (土) 06:27 (UTC)
  • (同意)同意します。話が早くて追いついていくのが大変ですが、一つづつやっていけばいいかと思います。あんまりひどい編集は謹んでください。読むのが大変です。>Iosifさん Tsu382 2007年2月12日 (月) 07:49 (UTC)

※Tsu382さんにはおそらく同意していただけていると思われますが、未確認の為外してあります。もしよろしければ明示的に同意の旨を書き込んでいただければ幸いです。

3番と4番と5番と7番に反対します。理由は上の節で述べたとおり。--Iosif 2007年2月10日 (土) 14:45 (UTC)

「切り分け」を名乗っていますがひどい切り分け方だと思います。提案の2番と7番はセットでしょう。2番の立場に同意できないのにどうして7番への同意を取り付けられると考えるのでしょうか。7番の提案「日本国籍をとった朝鮮人については……」というくだりを呑むことは2番が前提としている「日本国籍を持つ者に関する事柄でなければ『民族問題』として捉えない」という(聞いたことのない、典拠のない、誤った)Stranger non general personさん独自テーゼを呑むのと同じだと思います。--Iosif 2007年2月10日 (土) 14:50 (UTC)
>▼次に、3番から5番まで反対。アイヌ・沖縄とも、総体を説明するのではなく項目冒頭にあるように「民族政策や民族差別」について記述の拡充を目指すべきです。
まず、現在琉球民族アイヌの項目にそれぞれ「現状」や「過去の差別」、「差別問題とアイデンティティ」という民族問題の節があります。琉球民族についてはこれを本項目から参照する形になっており、アイヌについては本項目にその節がありません。ここで本項目にアイヌの節を作り本項目の琉球民族とアイヌの節で「民族政策や民族差別」について書いてしまうと、これは内容の重複になりますよね?Iosifさんは本項目にアイヌの節を作り本項目の琉球民族とアイヌの節で「民族政策や民族差別」について書いてしまうと内容の重複になることには同意いただけますか?
次に、私は公式なガイドラインの草案にもあるようにWikipediaでは内容の重複は良くないと考えられていると認識しています。IosifさんはWikipediaでは内容の重複は良くないと考えられているという認識には同意いただけますか?
また、琉球民族・アイヌの項目の「民族政策や民族差別」について書いた節を削除し本項目に移動すればその場合は重複にはなりませんが、それをするのは歴史や文化と「民族政策や民族差別」との関わり合いが密接すぎて実行すれば項目そのものが崩壊してしまい、不可能だと私は考えます。Iosifさんは琉球民族・アイヌの項目の「民族政策や民族差別」について書いた節を削除し本項目に移動するのが不可能だという考えには同意いただけますか?
ひとまず、以上の3つの質問にお答えいただければと思います。211.127.11.134 2007年2月11日 (日) 06:55 (UTC)
211.127.11.134 さん
この節の先頭の文章を御参照ください。以後、出来れば他の説で議論を続けていただければ幸いです。よろしくお願いします。--Stranger non general person 2007年2月11日 (日) 09:34 (UTC)

今まで議論に参加していなかった者ですが、コメント依頼を見て誘導されてきました。Stranger non general person氏の提案ですが、2番以外は同意です。つまり、この節の趣旨の1.2.8.以外を切り分けることに同意します。--マチーン 2007年2月10日 (土) 15:22 (UTC)

1番については今のところ反対が出ていないではないでしょうか?

--Remington 2007年2月10日 (土) 19:59 (UTC)

日本の民族問題 合意案まとめ[編集]

議論は以下へ。 [1] 合意の最終案を提案しておきました。これでも問題が無ければ保護解除を申請しようと思います。

--Stranger non general person 2007年6月19日 (火) 13:47 (UTC)

さて、既に三ヶ月以上、大きな異論も出ないようですから、投票にかける必要もないかもしれませんね。もし異論が出ないようでしたら、以下の修正案にて保護解除を申請します。ご確認をお願いします。

  1. 記事の先頭、「概要」節に以下の文章を挿入する。
    日本語の「民族」という言葉は、英語で言う「ethnie」と「nation」の二つの概念を持っている。この概念は時に相反するため学術的には厳密に区別されるべきであるとされており、「少数民族」という言葉の用法にも十分に注意すべきである。現在は通常「nation」の訳が「民族」であるが、「ethnie」の意味で使われる場合も、混同して使われる場合もまた多い(詳細は「民族」を参照)。「日本に居住するエスニック・マイノリティに関する問題は(日本国籍の有無に関わり無く)『日本の民族問題』として扱うべきである」とする意見も多いことから、この記事では日本国籍を有しないエスニック・マイノリティに関しても触れる。しかしながら彼らは日本国民として十全な権利を有しておらず、エスニシティを保っているが故に生じる差別・偏見と、日本国籍を保有していないが故に発生する不利益とは明確に区別する必要がある。
    なお、この記事では上記の「民族」という言葉の曖昧さと多義性を回避するため、引用・固有名詞等を除き原則として「(少数)民族」は使用せず、「エスニック・マイノリティ」に統一する。
  2. 「主要な少数民族」節の名前を「主要なエスニック・マイノリティ」とし、以下のように差し替える。(ただし「※注」の部分は実際にはrefタグとする)
    江戸末期以前(日本の近代化以前)までに日本版図に組み込まれた地域に居住していたエスニック・マイノリティ
    以下のエスニック・マイノリティは、江戸末期における日本の版図内にルーツを持ち、明治期より現在まで日本国籍を有しつつ独自のエスニシティを保っている。
    • アイヌ民族 北海道(アイヌモシリ)・樺太・千島の先住民族
    • 琉球民族(独自の「民族」と呼びうるかについて議論がある。詳細は「各エスニック・マイノリティ毎の問題」および琉球民族を参照)
    • 小笠原諸島の欧米系島民等 - 開拓・移民の末裔。
    • ウィルタ民族 樺太の先住民族
    • ニヴフ民族 樺太の先住民族
    明治から敗戦の間(日本の第二次世界大戦までの拡大期)に現在の日本版図に居住しはじめたエスニック・マイノリティ
    以下のエスニック・マイノリティは、終戦までに日本の旧領土から現在の日本版図に移住していたが、1952年の平和条約発効に伴い全員が日本国籍を離脱して外国籍となった。引き続き日本に居住したものは、その後自ら望んで取得した一部のものを除いて、多数が日本国籍を有さないまま生活を続けている。
    以下のエスニック・マイノリティは政治的・経済的理由などで他国から日本に移住したものなどで、(その多くは)終戦以前より現在まで日本国籍を取得していない。
    平和条約発効以降、他国から日本に移入したエスニック・マイノリティ
    以下のエスニック・マイノリティは、平和条約発効から現在までに、政治的・経済的理由などで他国から日本に移住したもので、(その多くは)日本国籍を取得していない。
    なお、現在、日本政府が国際人権規約に基づく国連への報告書に、同規約第27条に該当する少数民族として記載しているのはアイヌ民族のみである(※注)
    ※注
    1994年当時の細川首相および、1998年当時の橋本首相が、「在日朝鮮・韓国人や朝鮮・韓国系日本人は、国際人権規約(市民的政治的権利に関する国際規約)第27条にいう少数民族に含まれるのか?」という質問に対して「(日本では同規約第27条に規定された権利は誰に対しても保障されているので、同条にいう少数民族かどうか)必ずしも判断を要しないものと考えている」といずれも答えている。[2][3]
  3. 「民族問題事件と事件」の節の名前を「各エスニック・マイノリティ毎の問題」と変更し、以下のように差し替える。
    アイヌ民族
    明治維新以降、アイヌを「教化しなければならない未開人」または「助けなければならない弱者」と考える向きが強まり、同化政策と保護運動が両立するという奇妙な事態が発生してしまった。近年はエスニシティを保持している事に由来する偏見は薄らいできているが、「アイヌ語を始めとする独自文化の継承がうまくいかず、文化集団としてのアイヌを日本人化してしまったがゆえに問題が減っただけだ」とし、積極的な解決が成されたわけではないとする指摘もある。1998年アイヌ文化振興法が制定されたが、その効果を疑問視する意見もある。詳細は「アイヌ」を参照。
    琉球民族
    大和民族と区別すべき独立した民族とするか否かについて現在も議論がある。事実、沖縄県外に居住する元沖縄県民が他の人間から「他民族」と扱われることはほとんど無く、少なくとも本土(大和民族)側の意識においては、既に同化は終わっている(あるいは、もともと「他民族」ではない)と捉えられている。一方、本土では明らかに異なった民族であるという者の中には、日本から独立すべきだとする意見を持つ者もいる(琉球独立運動)。また、沖縄が日本国の一部であることには異論を唱えないが、一くくりの日本文化の存在は、明治維新後の国家主義に基づくものである、とする意見もある。詳細は「琉球民族」を参照。
    在日コリアン
    もっとも狭義に捉えた場合、第二次大戦終了時から継続的に日本に居住し、サンフランシスコ平和条約発行後、現在に至るも日本国籍を取得せず、朝鮮籍韓国籍のまま日本に居住する人々、およびその子孫(で、やはり日本国籍を取得していない者)を指す。しかし日本国籍を取得した者、第二次大戦終了後に日本に移住した者も含め「在日コリアン」と呼ぶ場合もある。
    在日コリアンは数世代にわたって日本に居住し、生活の基盤も日本にあり、基本言語も日本語であるにも関わらず日本国籍を取得しないのは、彼らの中で「日本国籍を取得すれば朝鮮民族ではなくなってしまう」と捉えられている為である。日本国籍を取得していない事により、在日コリアンには国籍条項を初めとする様々な制限・不利益が存在する。
    日本人と在日コリアンの間にはお互いに差別意識が存在した為、通名の使用を初めとして、戦後多くの在日コリアンは自らがそのエスニシティを保っていることを隠していたが、近年は自らそれを明らかにして活動する在日コリアンも多い。しかし近年の北朝鮮との関係悪化、日本と韓国との外交的緊張、更に北朝鮮核問題の深刻化に伴い、再び日本人と在日コリアンの間の対立、更には新たに在日コリアン内部での対立も顕在化しており、自らの民族意識を明言している在日コリアンは、その対立と対峙せざるを得ない立場に立たされている。詳細は「在日コリアン」を参照。
  4. 「各エスニック・マイノリティ毎の問題」に上記以外のエスニック・マイノリティの記述を追加する場合も、必要最小限の記述を行い、各記事と重複する記述は可能な限り避ける。
  5. ただし、専用の記事が存在しないエスニック・マイノリティ(例:韓国/朝鮮系日本人)についての問題が存在する場合は、その記述を追加することは妨げない。これは4.の合意事項の適用範囲外とする。ただし専用の記事が作成された場合は、重複する記述を速やかに削除し該当記事へのリンクを付加すること。
  6. 「国連人権委員会特別報告」の節は「国連人権委員会」へ移動する。この記事内ではその存在のみを記述する。
    将来の独自記事への切り分けを前提として、この合意案では削除--Stranger non general person 2007年9月30日 (日) 03:52 (UTC)
  7. 記事「少数民族」内の「山窩」についての記述の「(日本の民族問題参照)」という部分を削除する。

以上、ご確認ください。--Stranger non general person 2007年9月28日 (金) 03:15 (UTC)

6について「現代的形態の人種主義、人種差別、外国人排斥、及び関連する不寛容」という項目を新たに設けてそこに分割するならまあいいかという気もしないではないですが、その中の日本に関する議論はやはりこちらで触れるのが本来で、人権委員会の議題のうちの1つの日本に関する報告を人権委員会に記述すべきというのは可笑しいと思います。johncapistrano 2007年9月28日 (金) 06:11 (UTC)
ふむ。まぁ(現在と同じ内容を残すという前提でなら)別段移動にこだわっているわけではないのですが……。本文中にもあるとおり、ディエン氏の報告書は日本の民族問題についてのみ記述されているわけではありませんよね? だとすれば、この日本の民族問題の記事中でのみ触れるのはかえって不適当ではないか、と考えてこの項目を入れたのです。複数の記事内で重複した記述が存在するのは望ましくない、というのはjohncapistranoさんにもご同意いただけるものと思います。理想的にはクマラスワミ報告のようにディエン報告などの名称で単体の記事を立ち上げ、そこへの参照を張るのが最も適当でしょうが、とりあえずということでこのような形(国連人権委員会への移動)で提案しました。
しかし(繰り返しになりますが)私としては別段移動にこだわっているわけではありません。現在と同じ内容を維持する、ということでならこの項目は取り下げましょう。
--Stranger non general person 2007年9月28日 (金) 14:23 (UTC)
恐らく国別か問題別に報告書を出しているようですが、話題となっているのは日本に関する報告書でディエン報告だけ切出すよりかは対日報告書で纏める方が適切でしょう。「この委員会は強制力を持たないので中立的立場を保つ義務も無い」の出典さえあればまあ置いておいてもいい感じもします。johncapistrano 2007年9月28日 (金) 15:53 (UTC)
長らく放置したような形になりもうしわけありせん。現状の記事は一部の民族に偏ったものになっていると思いますので、改定案についてはとりあえず賛成します(6の取り下げにも賛成します)。保護解除の過程でまた多くの意見が出ればいいなと考えます。
6の「国連人権委員会特別報告」についてですが、被差別部落に触れるなど「民族問題」というよりはもう少し大きなものを対象としているようにも思いますので、報告のみで単体の記事を作ってそこにリンクする形式のほうが誤解をもたれないかもしれませんね。--いたる 2007年9月29日 (土) 22:44 (UTC)
いたる さん
了解しましたでは、6.については将来の独自記事への切り分けを前提として合意案から削除しましょう。
johncapistranoさん
ということで、現在と同じ内容でなら6.は取り下げますが……。内容のことを仰られるのなら、「貴方は一年半もこのノートでの議論に参加しないで今更何を言っているのか?」とお返事せざるを得ません。もちろん、一旦終わった話だからと言って再び議題にしてはならない、というワケではありませんが、少なくともこのタイミングで持ち出すのは「議論を混乱させるだけだ」との批判は免れないでしょう。今回、「単独の記事に切り分けるのが理想だ」という面では特に争いはないはずですから、将来、現在の記述を継承した単独記事で改めて自説を主張なされてはいかがですか? 私は、現状維持というところまでは譲歩しました。今回の保護解除と、将来のディエン報告への記事の切り分けという点を考慮して、johncapistranoさんにも譲歩していただけることを期待します。
--Stranger non general person 2007年9月30日 (日) 03:52 (UTC)
あなたに合わせて議論に参加できる訳がないのですが1年半かけても出典が出ない記述を維持しようというのはどうかと思います。以前書いた通りディエン報告への分割は反対です(「現代的形態の人種主義、人種差別、外国人排斥、及び関連する不寛容」の項目が膨張してさらに分割というのならありでしょう)。johncapistrano 2007年9月30日 (日) 06:34 (UTC)
記事は固定的なものではないですので、今この時に参加した人でも今まで参加していなかった人でも基本的に意見を言う資格はあるはずです。今までこの記事をまとめるために長期間ご苦労なさっているお気持ちはよくわかりますが、Stranger non general personさんには冷静な対応を願います。
それから「この委員会は強制力を持たないので中立的立場を保つ義務も無い」の出典ですが、ちょっと調べた限りでは元ネタはブログ[4]なのかもしれませんね、これだけでは典拠があるとは言えないかもです。
ディエン報告についてですが、人種主義特別報告者としての報告における付属文書「日本への公式訪問」[5]という形のもののようですね。記事名は悩ましいですが文書としては切り離しうるものですので、日本語版としてこの部分だけ独立した記事があってもよいように私は感じます。単独での記事作成が却下されるか別のよりふさわしい記事で紹介されるのなら、少なくともこの記事での記載をもっと民族問題に絞った文章にしたほうがよいかもしれませんね。ここは日本における差別全般を説明する記事ではないわけですから。
それからjohncapistranoさんに確認させていただきたいのですが、『「現代的形態の人種主義、人種差別、外国人排斥、及び関連する不寛容」の項目』というのはこの記事ではなくて別に記事を作成するということでしょうか? でしたらその記事内に日本における人種主義、人種差別、外国人排斥についての項があってもかまわないと思いますよ。こちらと一部内容がかぶるとしてもまったく重複するということもないように思えますし。そちらでディエン報告を詳しく説明されたほうが、報告の趣旨にもあうように思えます。--いたる 2007年9月30日 (日) 15:27 (UTC)
johncapistranoさん
摘要欄、拝見しました。私が申し上げているのは、貴方はほぼ一年半もこのノートでの議論に参加しないで、今このタイミングでまたほとんど同じ問題を蒸し返すのは何故かということです。お返事をいただけるまで、私から貴方(johncapistrano氏)にお返事することは何もありません。
いたる さん
お気を使わせてしまったようで申し訳ありません。正直、johncapistrano氏の言動には心穏やかならざるものがあるのは確かです。
ご指摘の件、原則論としてはそのとおりなのですが、johncapistrano氏がこの問題で意見を述べたのは2006年5月20日 (土) 17:01 (UTC)が最後で、その後は一切この問題に対して言及していません。このタイミングでまたほとんど同じ問題を蒸し返した意図について懐疑的にならざるを得ない点に関してはご理解をいただければと存じます。
もちろん、一旦終わった話だからと言って再度の議論の対象にはならない、というワケではありませんが、この記述に関しては(この合意案に関する議論では)今まで一度も持ち出されなかった話題です。その点を考慮して「現状維持として合意案から切り離す」という提案を行ったわけです。
それを踏まえた上でご指摘の点についてお返事しますが、確かにオンライン上の情報だけでは論拠としては弱いということは否定しません。しかしながらそれを特に否定する情報が無いのもまた事実です。注釈等を付けるという処置は必要かもしれませんが、削除するまでの根拠も無いと思います。
なんにしろ、(もちろん今後も議論は継続させるのは当然ですが)この議論は今回の合意案から切り離す、という方向でご検討いただけないでしょうか? よろしくお願いします。
--Stranger non general person 2007年10月2日 (火) 07:42 (UTC)
合意案まとめに賛成します。少なくともアイヌと琉球民族を取り上げたことで前よりずいぶん項目らしくなると思うのです。ディエン報告をディエン報告に分離することも賛成。この報告はページを作るうえで参考になる報告ですが、ページに書く項目ではないような気がします。--Remington 2007年10月12日 (金) 20:16 (UTC)
賛成、ありがとうございます。この分だと、投票にかける必要はないかもしれませんね。とりあえずディエン報告の分離については
  • 『とりあえず』現状維持。
  • ただし、合意案の成立を持って「終わったこと」とは扱わず、引き続き議論は継続する。
ということではどうでしょうか? 必要でしたらこの部分を合意案に追加しましょう。
johncapistrano氏についてはこのような状況ですから、無視してもかまわないでしょう。私が腹立たしく思っているのは、彼が議論に参加しなかったことそのものではなく、完全に自分の気分だけで議論に参加したりしなかったしていることです。
念のために:Johncapistranoさん、「完全に自分の気分だけで」という私の言葉がウソだと仰るなら、貴方がこのような形で議論から遠ざかっていた理由について「自分の都合」以上の明確な説明をする必要があります。これは私に対してだけではなく、このノートでの議論に参加したWikipedia参加者全てに対する貴方の義務です。それが出来ないのなら、私は貴方の言葉を真剣に受け取るべき価値のあるものとして見なしません。
--Stranger non general person 2007年10月15日 (月) 01:22 (UTC)
あなたの主張は完全に個人攻撃であって、上の議論での記述の出典が示されていないことに変わりないでしょう。議論の余地がないものに参加できません。意見を述べる意味があるときだけ参加すれば充分で自分が関与しない議論は傍観する方が寧ろ適切だと思います。あなたの都合で議論に参加することはできません。johncapistrano 2007年10月16日 (火) 09:25 (UTC)
確かに私が貴方を(johncapistrano氏)攻撃しているように見えるかもしれません。しかしその理由は、貴方(johncapistrano氏)が私と異なる意見を持っているからではありません。Wikipediaに継続的にアクセスしているにも関わらず、貴方(johncapistrano氏)への呼びかけに答えず、あまつさえ一年半以上も進展の無かった議論(前回も私から貴方(johncapistrano氏)への質問で議論が終わっていた事をお忘れなく)についてほとんど同じ論点でもう一度蒸し返したからです。そのような貴方(johncapistrano氏)の議論への態度は、このノートで現在行われている合意形成の障害になると私は判断し、その旨を他の参加者に伝えました。それを「個人攻撃」と呼ぶのなら、どうぞご自由にしてください。
--Stranger non general person 2007年10月18日 (木) 01:19 (UTC)
そもそも出典を示せと言っているのに一向に示さずに質問で返す方が可笑しいでしょう。記述を維持したいものが出典を示すのがルールです。以上。johncapistrano 2007年10月18日 (木) 02:00 (UTC)
インデント戻します。
大変申し訳ありませんが、私が問題にしているのは貴方(johncapistrano氏)の、この記事の編集に参加する態度です。なぜ貴方(johncapistrano氏)は、「途中で議論を放棄して申し訳なかった。(Wikipediaにアクセスする限り)もうこのようなことはしないので、今回の合意案に私の意見も盛り込むことを検討してもらえないだろうか?」と謝罪することが出来ないのですが?
その程度のことが出来ないような人の言葉を、私は真剣に受け取るべき価値のあるものとして見なさない、と言っているのです。事実、いたるさんの主張は貴方(johncapistrano氏)とほとんど変わりませんが、私はちゃんとお返事しています。
繰り返します。確かに私が貴方を(johncapistrano氏)攻撃しているように見えるかもしれません。しかしその理由は、貴方(johncapistrano氏)が私と異なる意見を持っているからではありません。Wikipediaに継続的にアクセスしているにも関わらず、貴方(johncapistrano氏)への呼びかけに答えず、あまつさえ一年半以上も進展の無かった議論についてほとんど同じ論点でもう一度蒸し返したからです。それを「個人攻撃」と呼ぶのなら、どうぞご自由にしてください。
--Stranger non general person 2007年10月21日 (日) 06:54 (UTC)
上にも述べた通り。これまでも今後もあなたの都合では議論に参加できない。あなたが纏め役を勝手に買って出ているだけであなたに謝る筋合いはない。出典があれば「蒸し返し」呼ばわりも不要でしょう。ログは誰にでも参照できます。議論に継続して参加するかどうかより、筋の通った議論がなされているかどうかの方が重要です。
ログをみて思ったんですが、ウィリアム・ウェザロールの批判を出典に用いるとしても纏め直しが必要でしょう。johncapistrano 2007年10月21日 (日) 09:02 (UTC)
はぁ……(ため息)
これを言うと貴方(johncapistrano氏)との妥協の余地がほとんど無くなってしまうので言いたくなかったのですが……仕方ありません、これだけ言ってもまだ解らないのですから。
これまでも今後もあなたの都合では議論に参加できない
ならば、貴方(johncapistrano氏)がWikipediaにアクセスしているにも関わらず1年4ヶ月8日もの間参加していなかった間にこのノートでの議論を行ったWikipedia参加者の全員が、貴方の都合に合わせなければならないという理由もありませんね?
貴方(johncapistrano氏)は一つ、非常に大きな間違いを犯しています。私が纏めた合意案は私が作ったものではありません。貴方(johncapistrano氏)が議論に参加していなかった間にこのノートでの議論に参加した全員が作り上げたものです。
私は貴方(johncapistrano氏)に「議論に参加するな」と言ったことは一度もありません。「貴方(johncapistrano氏)がWikipediaにアクセスしているにも関わらず議論から離れている間に作られた合意には敬意を払うべきだ」と言っているだけです。
私は最初に「それを議論したいなら合意案を通した後にしよう。必要なら『この部分については引き続きノートで議論を行う』という文章を明示的に追加しても良い」とまでは妥協しました。にも関わらず貴方(johncapistrano氏)はその提案を完全に無視しています。非常に残念ながら、私は貴方(johncapistrano氏)が私への個人的反感、あるいは(ご自身の政治思想を含む)特定の意図を持って、この記事の保護解除に関する合意が形成されること自体を阻害する意思を持っている、と見なさざるを得ませんので、ここにその旨をお伝えいたします。

johncapistrano氏以外の参加者の皆さんへ

管理者へ投票手続きを依頼しましょう。ご賛同いただければ幸いです。
--Stranger non general person 2007年10月24日 (水) 01:35 (UTC)
議論を妨害しようとするつもりはありません。あなたのレッテルです。が「全員が作り上げた合意」などとよく書けますね。他の方が合意されない理由を正確に存じないので本来名前を出すのは憚られるところですが、Iosif氏やらりた氏やSequitur氏の意見は余り反映されていないものに見えます。「合意に敬意を払わない」つもりはありませんが、合意があればウィキペディアのルールを無視していいというようなものではありません。「議論における多数派の意見を反映した合意案」と主張されるのであればそうだと思いますが。また、投票は別に管理者に依頼するものではありません。充分に告知して賛同者が多く集まれば投票の支持度が上がるというぐらいのものです。私は飽くまで筋の通った合意がなされることを望みます。johncapistrano 2007年10月24日 (水) 06:28 (UTC)
両方とも落ち着いてください。このままの状態では誰に見せてもお目汚し程度にしかならんです。
わしはjohnさんが何をいいたいんかよくわからないけど、ディエン報告については引き続きここで議論する、ではダメなんですか?ダメならダメな点をはっきりいってもらわないとわかりません。それこそディエン氏の報告がわざわざ日本の民族問題扱わなければならないといえる出展を出してください。・・・日本は民族差別大国であるという報告もある、「ディエン報告」参照で充分だとおもいます。ここで大きく扱うのが適当、というのは何の証拠も無いでしょう。その証拠・出展を出せなければあなたはあなたが言った言葉と同じように取り外してもかまわない(意味を持たない)とおもいます。だから、ディエン報告に分けたほうが適当である、むしろディエン報告について書きたいことがある人にはメリットがある(ディエンが指摘した日本の問題をより詳細に書き込める)、といっているのですが。まさか、ディエン報告そのものには興味が無くて、ディエンの日本批判にものすごく共感、感化され・・・なわけないか(笑)・・・orz。ともかくディエン報告をここに載せたらディエンにかたむきますわな。この報告書は日本にいるエスニック・マイノリティーすべて差別されているみたいに書いてますけど、絶対勘違いしてますな。
Stranger non general personさんも落ち着いてください。johnさんは一応議論に参加しようとしています。それがたとえこれまでの議論を無にするものだとしても。アクセスもほとんどしてなかったのにというあれは一応やめといていただけると幸いです。私も一月以上いなかったこともありましたので発言権がなくなってしまいます(笑)。--Remington 2007年10月26日 (金) 21:56 (UTC)
そうですね、私は怒っているかもしれません。しかしそれはjohncapistrano氏が私と異なる意見を持っているからではありません。今までの合意案の形成に関わったWikipedia参加者すべてを軽んじる態度を取っているからです。
私は彼(johncapistrano氏)に何も強制はしていません。johncapistrano氏に
  1. その話題は今までの合意案に関わる議論にはまったく出てこなかった話題だ。だから合意案とは切り離そう。「その話題については『終わったこと』とは扱わず引き続き議論を行う」という一文は明示的に盛り込んでもいい
  2. どうしても今回の合意案に盛り込みたいというのなら、Wikipediaにアクセスしているにも関わらず何も言わずに一年半近く議論に参加していなかったことを謝罪し、Wikipediaにアクセスする限りは引き続き議論に参加することを約束して欲しい
と言っているだけです。「アクセスもほとんどしていなかった」というのは、こちら[6]を拝見する限り信じることが出来ません。彼(johncapistrano氏)は(確かに多少断続的にではありますが、それなりには)問題の期間、継続的にWikipediaの編集に参加していることはシステムにきちんと記録されています。
だから私は、彼(johncapistrano氏)が私の上記二つの提案を完全に無視し「そちらの都合に合わせて議論に参加することなど出来ない」としか言わないのなら、彼(johncapistrano氏)は合意を形成する意思は無く、特定の意図を持って合意形成を妨害する意思を持っている、と見なしているのです。
繰り返します。私は彼(johncapistrano氏)が私と異なる意見を持っているから議論から排除しようとしているのではありません。彼(johncapistrano氏)がWikipediaにアクセスしているにも関わらず参加しなかった議論の結果纏められた合意案を「さぁ保護解除を申請しよう」という段階で改めて修正したいと主張するのなら、前回途中で議論から離脱したことを謝罪し同じことは繰り返さないと約束して欲しい、と言っているのです。私のお願いしていることはそれほど間違っているでしょうか?
私は「それができないのなら、『引き続き議論は続ける』の一文は入れるので、合意案の議論からは切り離そう」という提案もしていますが、それも彼は無視しています。その点も併せ御勘案いただき、お返事をいただければ幸いです。
追伸
もちろんRemingtonさんが同じことをすれば、同じように私は議論からRemingtonさんを排除しようとするでしょう。上記の通り、私の今回の行動は意見の相違からではありませんから。
私は「申し訳なかった。Wikipediaにアクセスする限りは同じことは繰り返さない」と謝ってほしい(そして、その約束を守って欲しい)だけなのです。
--Stranger non general person 2007年10月28日 (日) 07:31 (UTC)
自分の議論姿勢は棚に上げて同じ主張の繰り返しですか。別にあなたの提案に反対したからといってどうこう言われる筋合いはないんです。あなたの提案に反対している人たちは議論に参加しなかったとか放棄したことにされているんでしょうか? そういう姿勢が著しく中立的な観点に反するんですが。議論における多数派の合意ということにしておけばいいんじゃないですか。私は概ねIosif氏に同じです(寧ろIosif氏の方が詳しい)。johncapistrano 2007年10月28日 (日) 13:30 (UTC)
 すみませんでした。彼が議論に参加しなかったことそのものではなく、この議論があると知ったうえで、何度もウィキペディアにアクセスして議論に参加できる状況にもかかわらず、個人の都合、あるいは気分だけで議論に参加したりしなかったりしていること、さらにそのことに、軽いわびの一言も入れないマナーにのなさ、を指摘していたのですね。そのことなら私もjohnさんが間違っている、というのが正しいと頷けます。そのことは私の文章力の無さだと思って許してやってください。(アクセスしていないものだと思ってました。)若干悲観的な意見を書いたのもご容赦ください。ディエン報告について、民族問題のみで扱うものかどうか、ディエンの報告には懐疑もあるとか、信頼されるべきとか、彼の信憑性がどうか、中立性が・・・、という本筋からぜんぜん外れた問題の解決にまた力を注ぐことになる。それならばいっそこの項目ではディエン報告には触れるだけで、ディエン報告の項目を作って、日本の批判をバンバン書いてもらって、そのノートで彼の発言のチューリツセーとかを議論してくださいといいたかったのです。
 しかしながら、やっぱり落ち着いてください。彼は一般的マナーを守らない人間であるのは確かです。でも、それにマナーを守らせることはこの議論の主題ではありません。そのうえ、相手がマナーをわかった上でそれを解さまいとしているものを相手にするなら不毛な議論になるだけでなく、精神も磨り減ります。否定票一票という感じで良いのではないかと。
 要するにわしが言いたいのはこの項目に彼の発言のどの程度を引用するかはこのノートで議論すべきですが、中立性云々をこのノートのメインに掲げ、さらにディエン報告をこの項目のメインに置かねばならない、そうでなければ反故のままでないといけないというようなjohnさんの態度はよろしくない。その態度を変えない彼は記事を保護しておきたいだけだろうから、Stranger non general personさん、彼にあんまり本気で関わっても仕方がないのでは無いですか?
とにかく無限ループはいやです。
--Remington 2007年11月1日 (木) 17:26 (UTC)

インデント戻します。

  • Remingtonさん
ええ、もう彼には関わりません。ですので投票を実施することにご賛同いただければと存じます。もちろん「たった一人が反対しているだけ」とこのまま保護解除を申請してしまってもいいのですが、ここまで揉めた議論ですので、最後のスジだけは通しましょう。
  • johncapistrano氏へ
貴方の都合に合わせて議論など出来ません。私から貴方(johncapistrano氏)に申し上げる言葉は他にはありません。
  • johncapistrano氏以外の皆様へ
私は今、(johncapistrano氏への返答に限って言えば)非常に恥ずかしい、子供じみた真似をしています。しかしながらあれだけ言ってもまだ彼が理解できない以上、彼(johncapistrano氏)と同じことをするしか、彼(johncapistrano氏)が一体何を言っている/やっているのかを悟らせる術を持たないのです。
--Stranger non general person 2007年11月2日 (金) 02:17 (UTC)
一つ注釈を。
私がこの問題についてここまで拘っているのは、彼(johncapistrano氏)が「この問題については自分が悪かった。同じことは繰り返さない」と謝罪せずに彼が議論に加わることを認めてしまった場合は、
議論を要求→書き込みしなくなる→保護開始を申請しようとしたらまた同じ議論を要求
というループで幾らでも保護期間を延ばせるようになってしまうからです。事実、彼(johncapistrano氏)は今、正にその通りのことをしています。だから、彼(johncapistrano氏)が、少なくともこのことについては自らの非を認め、同じことは繰り返さない、と約束してくれなければ、彼(johncapistrano氏)は合意を形成する意思は無く、特定の意図を持って合意形成を妨害する意思を持っていると見なさざるを得ない、と私は言っているのです。
--Stranger non general person 2007年11月4日 (日) 04:25 (UTC)
私はウィキペディアのルール(特に出典中立的な観点)を守れと言っているだけです。保護解除依頼なり投票なりするならすればいいでしょう。出典を示さずに記事を膨らませても記事の信頼性がなくなるだけの話です。勝手に私の意図を捏造しないで下さい。johncapistrano 2007年11月4日 (日) 08:54 (UTC)
保護解除依頼なり投票なりするならすればいいでしょう
なるほど。となると、貴方(johncapistranoさん)は、現在の合意案(の、少なくとも他の部分)には反対されておられないのですね? だとするのなら、確かに私は貴方(johncapistranoさん)の意図を誤って解釈しておりました。お詫びしなければならないでしょう。
ただし、だとするのなら何故、『その部分は現状維持として同意案から切り離そう。必要なら「この問題は引き続き議論を行う」の一文を合意案に入れてもいい』という私の提案を、貴方(johncapistranoさん)は完全に無視されたのでしょうか?
これが私と貴方(johncapistranoさん)の衝突の原因だと思われます。この点について貴方(johncapistranoさん)ご自身から明確なご説明をいただけるのなら、私の取った態度についてお詫びする用意があります。お返事をいただければ幸いです。
--Stranger non general person 2007年11月6日 (火) 00:50 (UTC)
中立的な観点をまるで理解されようとはしないんですね(「衝突」の原因はこれです)。合意案に反対ですが、より広く意見を募ってはどうかという感じでしょうか。投票の結果として一時的にあなたの提案が採用されるのであれば傍観するといった程度です。中立的な観点に沿った立場による視点の違いまで提示できればベストですが、合意出来ないからといって衝突する必要もなければ合意をするなら詫びるなどというものではありません。誰がどういう分類をしているかというのが出典付きで示せればよいのですが。要は現時点で私は反対であり、投票して反対が少数派であったとして上の案が一旦採用されても何れ修正が必要ということです。大体当事者団体と当局者ということを認めようとしない時点で問題があると思います。johncapistrano 2007年11月6日 (火) 01:53 (UTC)
johnさん、ええと、何番のどこに中立性が無いのでしょうか?何番のどこに出展が無いのでしょうか?何番のどこに改善すべき点があるのでしょうか?どうしたら保護解除に向けて考えられるのでしょうか?私のようなグドンなモノには『何番のどこがだめ』、とはっきりと書いてもらわないと論点がわかりませんです(だいたいディエン報告のことを書いているのでしょうが・・・)。箇条書きで良いので、ぜひとも『何番のどこがだめ』というのをまとめてください。今のままでは対象物が抽象的過ぎて何を議論したいのかすらわからんです。
--Remington 2007年11月6日 (火) 20:28 (UTC)
インデント戻します。
  • johncapistranoさん
ああ、つまり「保護解除依頼なり投票なりするならすればいいでしょう」というのは、単なる捨て台詞の類だったのですね?
  • Remingtonさん
ムリですよ。彼(johncapistrano氏)は自分で「中立的な観点に沿った立場による視点の違いまで提示できればベストですが」と言っています。つまり、彼は自分で最初に「中立的な観点をまるで理解されようとはしないんですね(「衝突」の原因はこれです)」と言っておきながら、現在の合意案に対して具体的な問題点を指摘することがまったく出来ないのです。
もっとも出来たとしても、それを指摘すれば私から「では、なぜ貴方(johncapistrano氏)は、その合意案が話し合われている時に議論に参加せず、保護解除を申請しようという段階で異議を唱えるのだ?」と指摘されるのがイヤなので言い出せないのでしょうけれどね。
つまり彼(johncapistrano氏)のいう「中立的な観点」に沿った記事とは、彼の意図に沿った記述が為された記事だということです。彼(johncapistrano氏)が自分の言っていることを理解しているのなら、『その部分は現状維持として同意案から切り離そう。必要なら「この問題は引き続き議論を行う」の一文を合意案に入れてもいい』という私の主張に、寧ろ賛成しなければならなくなるということが理解できていないのでしょう。私は「この部分に同意して合意案を支持してくれるのなら別に謝罪など求めない」と言っているのですから。
つまり彼(johncapistrano氏)は現在の合意案が気に入らないけど、自分(johncapistrano氏)が異議を唱えられるのがこの部分しかないので今のような態度を取り続けるしかないのです。私の冒頭の「捨て台詞の類」とは、そういう意味です。彼が現在の合意案とこのノートでの現在までの議論をどう捉えているか、実によく理解できる言葉ではありませんか。
--Stranger non general person 2007年11月7日 (水) 01:32 (UTC)
(競合したので↑は無視していますが、根拠のない主張のようなのでそのまま無視します。今回の提案に関しては適切な出典は何もないですよね。途中で国会答弁にリンクが張られているが、日本政府が人権規約を守っているという主張があるだけで裏付けになるものがない。[7]逆の勧告は多数あるようですが。冒頭で国籍による差別は当然と宣言している時点で終わっています。エスニとネイションの違いはそれぞれの項目に譲ればいい。Iosif氏に概ね同じと書いた通り、朝鮮人を国籍で分断して扱うのは歴史的経緯を軽視している。提案の切り分け方は完全に独自ではなく日本政府の主張をなぞっている可能性もありますが、国籍を取得しない/「帰国」しないのは当人の問題とする主張が反映されている。アイヌの記述で「保護運動」と書かれているがそんなものが存在したのか? 保護を名目に同化政策を行った、のはずですが。琉球/ウチナンチュの民族意識についても同じでここでは民族差別について扱うべき。日系人も国籍が実際にどうなっているかは出典がないと分からない。フヒモリみたいな例もあるだろうし、日系として利用しながらエスニシティには配慮しない辺りを扱うべきで、内容がない合意案が記述の大部分を占めるというみっともない状態はどうかと。前提に同意できないので同意できる部分はないようです。johncapistrano 2007年11月7日 (水) 02:21 (UTC)
  • johncapistrano氏へ
さて、既に私から付け加えることは何一つ無いようですが、お約束ですのでもう一度だけ繰り返しておきましょうか。
では、なぜ貴方(johncapistrano氏)は、その合意案が話し合われている時に議論に参加せず、保護解除を申請しようという段階で異議を唱えるのでしょうか?
貴方(johncapistrano氏)が「そちらの都合に合わせて議論など出来ない」としか答えないのなら、私も「ではこちらも貴方(johncapistrano氏)の都合に合わせて議論など出来ない」と言って貴方(johncapistrano氏)を議論から切り捨てるだけです。
  • johncapistrano氏以外の議論参加者の皆さん
ということで、彼(johncapistrano氏)は、単に現在の合意案が気に入らないので合意が形成されるのを妨害しているだけだ、と私は認識しています。「反対しているのは一人だけ」とこのまま保護解除を申請してしまってもいいのでしょうが、最後のスジとして投票を依頼しましょう。ご同意いただければ幸いです。
johncapistrano氏へ追伸
何の断りも無しに他人の書き込みを編集するのはいかがなものでしょうか? いくら現在の合意案が貴方(johncapistrano氏)の意向に沿わないものであっても、最低限の礼儀というものはあるでしょう。もっともそんなモノを持っていたなら、最初に一言謝罪するくらいのことは当然出来るはずではありますが。ともかく、貴方(johncapistrano氏)が他人の書き込みを編集した部分は元に戻しておきます。
--Stranger non general person 2007年11月8日 (木) 09:01 (UTC)
私の都合には合わせなくていいので他の方の質問には応えては如何ですか? 過去ログを読んでいてあなたの他の方への返答振りの多くが疑問です。出典がなければ何時まで経っても独自の研究です。そもそもあなたに議論の参加者を選ぶ資格はありません。議論に何時参加したかよりどう参加したかの方が重要です。意味のない同じ書込みの繰返しは止めて下さい。
見出しは適切な長さでないと見難いのでカットしただけですが、そのような書き方をされるようなものではないと思います。不適切な見出しを適切に改めるのは当然です。johncapistrano 2007年11月8日 (木) 10:46 (UTC)
  • johncapistrano氏へ

貴方の都合に合わせて議論など出来ません。--Stranger non general person 2007年11月11日 (日) 14:47 (UTC)


「国籍を保有しないことで不利益が生ずる」ことは差別か否か? ~合意案1項目について~[編集]

項目を改めさせていただきました。連絡までに。--Remington 2007年11月7日 (水) 17:07 (UTC)

他にも確認したいことはあるのですが、まず第一に、「冒頭で国籍による差別は当然と宣言している時点で終わっています。」とありますが、「国籍による差別は当然」などということが、いったいどこで宣言されているのでしょうか?--いたる 2007年11月7日 (水) 13:54 (UTC)

誤摩化した表現を使っているだけで最初の段で書かれていることはそういうことでしょう。johncapistrano 2007年11月7日 (水) 14:02 (UTC)

つまり「日本国籍を保有していないが故に発生する不利益」とは「国籍による差別」の「誤魔化した表現」であると、あなたは仰りたいのでしょうか?--いたる 2007年11月7日 (水) 14:07 (UTC)

そうです。より正確には「国籍を保有しないことで不利益が生ずる」ことが前提にされている。つまりは国籍による差別が当然と宣言しているのと同じでしょう。johncapistrano 2007年11月7日 (水) 14:14 (UTC)

なるほど、あなたがそういうお考えであることは理解できました。私は国籍というものが存在する以上ある国においてその国の国籍を持つものと持たないものの権利と義務が一定区分されるのは当然で、そのことによる利益も不利益もそれは不当な「差別」とは言えないと考えます。そしてここはそれを不当な「差別」だと考えるあなたとお互いの考えの是非について議論を戦わせる場ではない、とも考えます。さいわいこの記事についてコメント依頼を出していただいたようですので、他の事柄も含め、ほかの人がどういう意見を持っているのか、そのコメントを待ちたいと思います。不躾な質問を行い、失礼いたしました。--いたる 2007年11月7日 (水) 14:33 (UTC)

まあ残念ですが、提案に賛成している時点でそんなことだろうとは思っていました。johncapistrano 2007年11月7日 (水) 14:41 (UTC)

国籍差別は概念として存在しているので、ないものとして扱ったり、無条件に当然と宣言されるべきものではない。以上。johncapistrano 2007年11月8日 (木) 01:26 (UTC)

「民族問題」は「民族問題」でいいでしょう。民族問題の全てが差別問題ではありませんし、ある問題が差別問題かどうかをめぐり意見が分かれるなら、その旨かけば済む事です。いずれにしろ、この記事においては、それが民族に関わる何らかの「問題」でさえあれば記述するに値するはずです。--Saintjust 2007年11月8日 (木) 16:44 (UTC)

問題は国籍差別が民族問題の項目に書かれることです。内容から行くと国籍差別は外国人問題に記述されるべきではないでしょうか?
何民族であっても(たとえば大和民族でも)、日本国籍を持たなければ明確に外国人扱いで(国籍法上)国籍差別されるのですから・・・つまり国籍差別≠民族だから問題にしている、ですな。(むしろ国籍の有無だけで差別内容が決まるので民族的には平等と・・・)日本は日本国籍不保持者(一般に言う外国人)に厳しい、日本国籍不保持者(いわゆる外国人)を差別しているという意見が多いのならそれは否定しません。でも、それは外国人問題に記述すべき内容です。
民族にかかわる何らかの問題として書くのなら「何民族でも、日本国籍を持たなければ国籍差別されるので国籍差別≠民族差別。」と言うようなことを遡上に書いた上で、差別問題と捉えるかどうかが読み手しだいなものなら賛成します。
--Remington 2007年11月8日 (木) 17:46 (UTC)
それは「差別」の分類でしょう。国籍を基準に差別する、民族を基準に差別する、性別を基準に差別する、などなど。当記事は「日本の民族問題」であって「日本の民族差別」ではないのですから、そういう差別の基準の分類は本質に関わる事柄ではないように思います。
「問題」においてまず第一に大事なのは、それが誰にとって問題なのか、ということです。誰も問題視していない事柄ならそれは何の問題でもありません。「日本の民族問題」の場合だと、日本社会を主体として日本社会が抱える問題としてこれを捉える事もできるし、(少数)民族を主体として捉えることもできる。いずれにしろ、ある事柄が日本社会なり(少数)民族にとって問題と見なされているなら、それは当記事に記載するに値するはずです。--Saintjust 2007年11月8日 (木) 18:35 (UTC)
あと、「日本の外国人」にならって、この記事の名前はまず「日本の少数民族」にすべきだと思います。いきなり問題の記事から作るのは変でしょう。--Saintjust 2007年11月8日 (木) 18:52 (UTC)
それならばなお、問題です。同じ民族の中でも、国籍を持つものと持たざるものがおり、国籍問題は民族全体にかかる問題ではないといった点が挙げられます。民族だけでなく個人の考えも大きくかかわるであろう国籍問題を民族問題と捉える人々が存在することは否定しません。しかし、それは日本の民族問題全てに当てはまることではありませんし、国籍を所以とする問題(国籍問題)は民族問題だと捉える人々あるいは民族もいる。その理由は・・・、とは記述できても国籍を所以とする問題は民族問題だ、とは言えないのではないかと思います。
日本の少数民族を作るのは賛成です。しかし、この項目を日本の少数民族に変えたとしてもほとんどが少数民族の問題(ナニナニ経緯がありナニナニで差別されている~とか)を書くことになるだろうと予測できます。これでは民族問題としておくほうが良いので、簡単に日本のどれくらいが何民族だ、どういう特徴がある、というようなことのみを書く項目として新たに作るほうが良いかもしれません。ただし、その場合も日本の(領土に住んでいる)少数民族か、日本の(国籍を持つ国民の中の)少数民族なのかははっきり明記したほうが良いとは思います。
--Remington 2007年11月10日 (土) 18:17 (UTC)
別に「民族全体にかかる」必要は無いと思いますし、国籍だけことさら重視すべき必要も無いと思いますが。公務員を目指してるわけじゃない在日朝鮮人にしてみたら東京都の外国人管理職試験問題など関係ありません。ウトロに住んでない在日朝鮮人にしたら同地に関する問題は関係ありません。通名を使わない在日朝鮮人もいるし、生活保護を受けていない在日朝鮮人もいるし、その他諸々、直接関係のない在日朝鮮人は五万といます。国籍もそうした諸問題の一つに過ぎません。
細かい事を言い出したら、「在日朝鮮系公務員の問題」「在日朝鮮系ウトロ住人の問題」などと記事を分割していくという馬鹿げた話になります。少し前まで、在日朝鮮人の記事を勝手に分割して作られた、帰化朝鮮人に関する「コリアンジャパニーズ」なる記事がありました。長いこと揉めた末、今はもう在日韓国・朝鮮人に再統合されましたが、またぶり返して似たような分割騒動を起こされてはたまったもんじゃありません。--Saintjust 2007年11月11日 (日) 16:28 (UTC)
同じ民族でも国籍問題を民族問題と考える人と、そうでない人がいる、ということが明記されないままではよろしくないということです。「国籍問題=民族問題」と書かずに「国籍問題=民族問題と捉える人々がいる」と書くのであれば賛成できます。
もう一つは「国籍を持たないものが多い」「国籍を持たないものが多くそのためかくかくしかじか問題がおきている」とはかけても、それを差別だ、と断言するのはいただけないということ。それを差別と考える人がいる、というのは否定しません。
--Remington 2007年11月11日 (日) 19:59 (UTC)
差別と問題は別物であり、この2つを混同していることから様々な誤解が生じていると思われます。
  • 差別の場合、「XXX差別」というのは、もっぱらXXXを基準に差別するということです(例:人種差別=人種を基準に差別待遇)。
  • 問題の場合、「XXX問題」というのは、単に「XXXに関わる問題」ということです(例:北朝鮮問題=北朝鮮との関係における問題)。
  • また、民族問題=民族差別問題ではありません。例えば領土をめぐる民族紛争などは差別は関係ないでしょう。
国籍差別と民族問題は互いに排他的ではないはずです。差別と問題とでは分類しているレベルが異なりますので、ある事柄が同時に国籍差別かつ民族問題であることは十分可能です。つまり当記事が解説する対象は、日本に居住する朝鮮人という民族集団が問題視する、国籍を基準にした差別ということです。
当記事名である「日本の民族問題」というのは、要は
  • 「日本社会が抱える少数民族に関わる問題」
  • 「日本国内の少数民族が直面する問題」
ということです。もし「日本の国籍問題」の記事と「日本の民族問題」の記事と2つあるなら、その両方に記載してもおかしくはないでしょう。もし当記事名が「日本の民族差別」であったなら、国籍を基準とした差別についてここに記載するのは誤りですが、そうではありませんので。--Saintjust 2007年11月11日 (日) 23:20 (UTC)
そういうことですか。私も解説する対象が日本に居住する朝鮮人という民族集団が問題視する、国籍を基準にした差別ということがしっかりと述べられているのなら別に記述することはよいと思います。わたしが言いたかったのは国籍を基準にした差別が問題と考えているのは誰かということがちゃんと記述されていない、それをしっかりすべきだということでしたのでこれが「朝鮮人が問題視する民族問題」と書かれるのであればぜんぜん問題でありません。問題は現状そう中立な記述にはなっていないだけで・・・
--Remington 2007年11月12日 (月) 18:20 (UTC)
この記事の在日朝鮮人のセクションに関してはTemplate:Mainを使って「詳細は在日韓国・朝鮮人を参照」としておくだけで別に詳しく言及する必要もないでしょう。--Saintjust 2007年11月12日 (月) 20:53 (UTC)

「民族」か「エスニック・マイノリティ」か[編集]

他はともかくも、この書き換えには反対です。「英語で言う「ethnie」と「nation」の二つの概念を持っている。この概念は時に相反するため学術的には厳密に区別されるべきである」とありますが、そもそもこの2つは英語でも完全に峻別されているものではありません。ウィキペディア英語版の記事「Nation」でも「The term nation is often used as a synonym for ethnic group. The concepts of nation and nationality have much in common with ethnic group and ethnicity, but have a more political connotation, since they imply the possibility of a nation-state」とあります。「the possibility of 」とあるように、nationにおいては独立国家(independent state)を希求する意識が重要なのであり、nation=state(国家)ではありませんし、nationを自認する集団が実際に独立国家(independent state)を持っている必要はありません。Black nationalismがその典型です。また、「More than one nation may comprise a state」(Britannica Concise Encyclopedia)、「A nation need not be a state—many multinational states exist」(Geography Dictionary)とあるように、複数のnationが1つのstate内に共存することもあります。

また、在日朝鮮人→在日コリアンのように、PCな問題があるとすぐカタカナ語に書き換える悪しき風潮に与するような変更には強く反対します。

用語に不明瞭な点があるのであれば、逐一定義して使用すればすむことです。安直にカタカナ語を使用するべきではないと思います。--Saintjust 2007年11月7日 (水) 08:46 (UTC)

ご意見、ありがとうございます。まずは簡単な部分から

  • 「在日コリアン」という名称について
これはごく単純に、この合意案を纏めた時点ではWikipediaの該当する記事の名前が「在日コリアン」だったと、ただそれだけのことです。それ以上の意味もそれ以下の意味もありません。「現在のWikipediaの記事名に準拠させる」というのはこれはこれで明確な基準ですから、今から合意案の書き換えおよび合意条件の追加を行っても特に問題はないでしょう。必要なら合意案を修正します。
  • 「ethnie」と「nation」の違い
さて、本命ですが……。確かに英語でも「ethnie」と「nation」が完全に峻別されてはいない=「民族」が曖昧な言葉であるのは日本語ばかりではない、とは言えるでしょう。ただ、民族などの記述からみても「時に相反する」というのは、「学術的には」という前提の元においては特に間違った表現だとは思っていません。しかし、確かに指摘されてみると若干誤解を与えかねない表現ではあるようですね。私ももう少し考えて見ますが、何か良い修正案がありましたら、是非ご提案ください。
「エスニック・マイノリティ」という言い換えですが、これは(少し上の「琉球民族」がらみでも触れましたが)「nationalな主張をしている/いないに関わらず、独自のエスニシティを保持しそれを保つことを希望している集団」という意味合いを(日本語の「民族」という言葉の曖昧さという問題を回避しつつ)この「エスニック・グループ」「エスニック・マイノリティ」という言葉に持たせたかったのです。もちろん、「ethnie」⊇「nation」ではない以上、これも厳密に正しい言葉ではありませんが、アイヌや琉球民族は(とりあえず「独自の民族」か否かという問題は脇においておいても、少なくとも)Nationalな主張はしていません。彼らのことを(国籍という、明らかにNationalな主張をしている)在日韓国・朝鮮人と同じ記事で扱う為に、この「エスニック・マイノリティ」という言葉を使用したわけです。「族群」よりはまだ解りやすいと思ったのですがね(笑)
まぁ、若干大げさな言い回しにはなりますが(苦笑)そのようなこのノートでの「歴史的経緯」がありまして現在のような文言になったわけです。もちろんこちらも、もし何かいいお考えがありましたら是非ご提案ください。以上、よろしくお願いします。

--Stranger non general person 2007年11月8日 (木) 09:01 (UTC)

ethnicもnationも、後者が政治的側面が強調される場合に使用されるというだけであって、共にほぼ同じ集団を指す言葉です。混同を懸念しなければならない程の差異があるとは思えません。あるethnic集団の人口のX%以上が民族自決権、分離独立を主張しだしたらnationになる、というような差異化の基準はありません。
むしろ、民族の記事にも書かれているように、民族自決権を主張する/持つ集団とそうでない集団とを明確に分けるような用語を用いる方がよっぽど余計な混乱を招きます。例えばチベットなどは、中共にしてみれば独立などさせたくないだろうから「ethnic」認定するだろうし、独立を望むチベット人は「nation」を自認するでしょう。ウィキペディアでいずれかの用語を選択することになれば、一方のPOVに与する事になり、中立的観点の問題がとたんに発生します。--Saintjust 2007年11月8日 (木) 16:44 (UTC)
……いや、実を言うと、確かにその通りなんです。そのとおりなんですよ(苦笑)
このあたりの事情は、(かなり長くて非常に大変なのですが)「過去ログを読んでください」としかお返事のしようがありません。「話し合いと妥協」という意味においては、まさしく「政治的」に、今のような合意案が形成されたのです。
ちなみに申し上げておくと、(これは以前からはっきり主張していますが)私個人の考えとしては今でも、在日朝鮮・韓国人の問題はこの記事から削除し、日本の外国人問題などという記事を新しく作成して記述すべきだ、と考えています。在日朝鮮・韓国人は日本の国籍を有しておらず、日本という国を構成する一員ではない。従って在日朝鮮・韓国人は「日本の」(少数)民族ではないので、この記事に彼らの問題を記述するのは不適当である、と私個人としては考えています。
しかし(ここはSaintjustさんの仰るとおり)「民族」という日本語は「ethnie」と「nation」の両方の意味合いを含む言葉であり、多くの場合にその意味するところの範囲は重なり合います。「日本に居住する少数『民族』の問題は『日本の民族問題』だ。この記事に記述すべき」という意見も確かに存在しています。日本語の「民族」という言葉の多義性を鑑みて、(最終的にどちらが正しいかはさておいても)この主張にある程度の根拠を認めないわけにはいきません。
ただし、現在の記事の内容に不適切な記述が含まれていることは、今まで議論に参加したWikipedia参加者の大部分が認めるところです。そこで「国籍の有無による制限と、エスニティを保持しているが故に受ける差別・偏見とを混同してはならない」という記述を含めた上で在日朝鮮・韓国人の問題もこの記事に記述しよう、という妥協が成立したのです。
ということでこの記述は、『「国籍」という明確な「民族自決権を主張する/持つ集団」を、主張していない/持っていない集団と同じ記事に記述しているが、彼ら(がそれぞれ抱えている問題)を完全に同一だと見なしてはならない』という注釈なのですよ。それをなるべく解りやすく解説したいが為に、民族から「ethnie」と「nation」という言葉を持ってきたわけです。
完全にはご納得いただけないのは解ります。とりまとめをしている私自身が納得してないんですから(笑) が、前回私が申し上げた『このノートでの「歴史的経緯」』というのはこのような次第なのです。詳しくは(長くて本当に申し訳ないのですが)過去ログをご参照ください。
もちろん、それでも今の記述にまったく問題がないとは努々思っておりません。そのような点を踏まえていただいた上で、より誤解の少ない、なるべくNPOVに近い記述に修正する為に、ご意見がありましたら是非お聞かせください。
--Stranger non general person 2007年11月11日 (日) 14:47 (UTC)
在日朝鮮人に関わる問題が全て国籍に起因するわけじゃないでしょうから、当記事から在日朝鮮人のセクションを丸々削除するのは誤りだと思います。日本の外国人問題の記事を新たに作成するのであれば、国籍に関する問題についてはそちらにも記載すれば良いでしょう。いずれにしろ、日本の民族問題の記事も日本の外国人問題の記事も、諸問題を概説するだけにとどめて、個々の問題の解説が長くなるなら独立した記事を作成するなり、あるいは朝鮮人関連の問題であれば在日韓国・朝鮮人の記事に書くのが筋です。ちなみに帰化朝鮮人専用の記事「コリアンジャパニーズ」は長い協議の末在日韓国・朝鮮人へ再統合されましたので、現状では帰化朝鮮人に関する問題も在日韓国・朝鮮人に書く事になります。
また、「外国人」というのは行政側で便宜上分類しているだけのカテゴリであって、民族や国民のようにアイデンティティのよりどころになるような類いの集団ではないと思われます。同じ「外国人」といっても出身国はまちまちなわけで同胞意識は薄いはずです。ですので、日本の民族問題の記事と日本の外国人問題の記事とでは、性質もかなり変わってくると思われます。「日本の外国人問題」の記事の場合は、もっぱら日本社会を主体として、日本社会にとっての問題という観点から書かれることになるでしょう。一方、「日本の民族問題」の場合は、日本社会にとっての問題でもあると同時に、少数民族の人々にとっての問題でもあります。日本社会を主体にすれば国籍の有無で問題の種類が分けられるかも知れませんが、少数民族の方が主体になった場合は、自分たちに関わる問題という意味では全て同じ範疇に入るわけです。国内の少数民族が武装蜂起し内乱を起こした場合なども、国籍がどうであれ「民族紛争」と呼ぶでしょう。--Saintjust 2007年11月11日 (日) 17:07 (UTC)
お返事が遅くなり申し訳ありませんでした。
ということで……いや、そのとおりです(苦笑)。私はSaintjustさんのおっしゃることを否定はしていないのです(涙)
  • 在日朝鮮人に関わる問題が全て国籍に起因するわけじゃない
つまり(まぁ、それが「差別」だと定義したい人がいるようですが、その点はさておき)、現在の合意案では国籍に起因する問題も記述に含まれているわけです。しかし、アイヌや琉球民族の問題は国籍とはなんの関わりもありませんし、彼らは(少なくとも現在は)まったくnationalな主張をしていない──最低でも「nationalな主張をしているのはごく少数」とは断言出来るでしょう──集団です。ですので、在日朝鮮・韓国人の問題をこの記事に記述するならば、彼らの問題と(これは誰からも「日本の民族問題」であることに疑問の出ていない)アイヌや琉球民族の問題とは異なる性質の問題である、という説明が、今回の合意案の冒頭の説明文なのです。
  • 個々の問題の解説が長くなるなら独立した記事を作成するなり、あるいは朝鮮人関連の問題であれば在日韓国・朝鮮人の記事に書くのが筋です。
はい、この点は合意案に既に盛り込まれています。合意案の4および5をご参照ください。
  • また、「外国人」というのは行政側で便宜上分類しているだけのカテゴリであって、民族や国民のようにアイデンティティのよりどころになるような類いの集団ではないと思われます
この点は少々認識が異なるようですね。今回問題になっているのは「外国人」という区分けそのものではありません。日本には、国籍を保有している「少数民族」(あえてこの言葉を使います)と、国籍を保有していない「少数民族」が居住している。これにはアイヌも在日朝鮮・韓国人も含まれる。しかし、アイヌがアイヌというエスニシティを保っているが故に特定の職業に就けなければこれは(少なくともこのノートの議論の参加者の間においては)誰にも異論のない「民族差別」ですが、日本国籍を取得していない在日朝鮮・韓国人が公務員になれなくても、それは単に(日本という国が憲法と法律に基づき制定した)国籍条項を満たしていないだけです。
同じ問題が(仮に)起きたとしても国籍の有無によって問題の性質が違ってくることは事実である。故に、この記事で在日朝鮮・韓国人の問題を取り上げるにしても、その点についての説明は必要である、というのが、今までのこのノートでの議論の中で形成されたコモンセンスです。
繰り返します。今回の合意案は「日本社会を主体にすれば国籍の有無で問題の種類が分けられるかも知れませんが、少数民族の方が主体になった場合は、自分たちに関わる問題という意味では全て同じ範疇に入るわけです」というSaintjustさんの主張に反するものではないと考えています。ただし、国籍の有無によって問題の性質が異なってくる以上、その「性質の違い」を予め説明しておく必要がある、というのが、この合意案の1.の趣旨なのです。その「説明」という目的において「ethnie」と「nation」という言葉を使用しているわけです。
ただし(これも繰り返しになってしまって申し訳ありませんが)、もちろん現在の記述にまったく問題がないとは努々思っておりません。そのような点を踏まえていただいた上で、より誤解の少ない、なるべくNPOVに近い記述に修正する為に、ご意見がありましたら是非お聞かせください。
--Stranger non general person 2007年11月14日 (水) 14:46 (UTC)
国籍というものを重視しすぎているように思われます。国籍問題は在日朝鮮人に特殊な問題にすぎません。日本に住む少数民族は朝鮮人だけではないのですから、斯様な問題を「日本の民族問題」のような概説・総論的記事で殊更大きく取り上げるのはおかしいと思われます。朝鮮人を巡る特殊な事情に付いては、在日韓国・朝鮮人で述べれば十分です。
そもそもナショナリズムで重要なのは自前の独立国家を希求する意識であって、単純な国籍の有無ではありません。アイヌのような土着の民族がナショナリズムを主張する場合、分離・独立運動に必然的になるわけですが、そうした主張をしている人たちも現にいます。一方、在日朝鮮人の場合は、国籍に強いこだわりがあるとしても、日本国内の土地を独占して新たに朝鮮人国家を樹立しようなんてことを強く唱導する人は殆どいないでしょう。
また、少数民族を分類する上で、土着の民族とそうでない民族とを分けるのは一般的だと思いますが、国籍の有無をメインにするような分類は私はついぞ聞いた事がありません。
アメリカ合衆国にも、インディアンやイヌイットなどの土着のネイティブ・アメリカンがいますが、扱いは他と同じethnic minorityです。また、その他の少数民族でも、黒人奴隷の末裔であるアフリカ系や、スペイン領が接収されて入って来たヒスパニック系など、それぞれ特殊な経緯を持っています。シリアなどに居住するクルド人は国籍が与えられおらず、かといってクルド人国家が他にあるわけでもなく、大きな問題となっています。いずれにしろ、そうした特殊な事情を全て考慮していったらキリがありません。--Saintjust 2007年11月14日 (水) 20:49 (UTC)

インデント戻します。

すいません。問題点を整理しましょう。Saintjustさんは
  1. そもそも、「日本には日本国籍を持つ『少数民族』と持たない『少数民族』が存在するが、国籍の有無によりそれぞれの持つ問題の性質が異なる場合があるので、両者の問題は区別されなければならない」という注意書きを入れることそのものに反対
  2. 1.の趣旨には反対しないが表現に問題がある
のどちらを主張されているのでしょうか?(前回に引き続き、ここではあえて「少数民族」という言葉を使っています) もし前者であるのなら、大変申し訳ありませんが「過去ログの議論をもう一度参照していただきたい」と繰り返しお願いするしかありません。
在日朝鮮・韓国人は明確に「自前の独立国家を希求」しています。なぜなら彼らは自分の意思で韓国籍・朝鮮籍を維持し続けているからです。朝鮮籍の場合は多少の問題があるかもしれませんが、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は、日本に居住する朝鮮籍の人々を「共和国公民」と位置づけていますし、在日朝鮮人の中で北朝鮮の国会議員(最高人民会議代議員)に選出されている人物すら複数人います。彼らが北朝鮮を「自前の独立国家」と見なしていることは明白である、と私は考えます。
インディアンその他の(Saintjustさんが例にあげられた)ethnic minorityはそれぞれその国の国籍を有しています。クルド人は独立国家の設立を求めていますが、朝鮮・韓国人はそれぞれ既に独立国家を持っており、かつ在日朝鮮・韓国人は自らの意思でその国の国籍を保持し続けています。ですので、上記の例はいずれも今回の議論に当てはめるには無理があるでしょう。いずれにしろ、この記事の名称は「日本の民族問題」です。
……ちょっと脇にそれますが……
また、少数民族を分類する上で、土着の民族とそうでない民族とを分けるのは一般的だと思いますが、国籍の有無をメインにするような分類は私はついぞ聞いた事がありません
そりゃそうでしょう。自らの意思で選択した(居住する国とは異なる)国籍を持つ人々は、フツーは外国人=foreignersとよぶハズです(涙)
もう一度繰り返します。国籍の有無によって問題の性質が異なってくる以上、その「性質の違い」を予め説明しておく必要がある、ということそのものに反対しておられるのなら、大変申し訳ありませんが過去ログでの議論をもう一度ご参照ください。その趣旨自体にはご賛同いただいた上で、国籍の違いを重視しすぎている=不適切な文章があったり説明が不十分である、ということでしたら、具体的な案を示していただければ喜んで修正の議論には応じます。過去ログの分量は非常に大きいのでなんとも心苦しいのですが、どうかよろしくお願いします。
--Stranger non general person 2007年11月15日 (木) 01:44 (UTC)
国籍の有無云々は在日朝鮮人に特有の問題であり、そうしたことは「在日韓国・朝鮮人」の記事にだけ書けばよいことです。概説・総論的な「日本の民族問題」の記事でわざわざ大きく取り上げる意味があるとは思いません。各少数民族に特殊な事情を全て取り上げていったらキリがありません。ですので、導入部のethnie/nation云々の文章は当記事には不要であると考えます。同時に、当記事内の在日韓国・朝鮮人セクションにおいても、国籍問題についてふれる必要は無いと考えます。そうした詳細は「在日韓国・朝鮮人」の記事を参照するようにすれば済むことです。
「自前の独立国家を希求」しているかどうかは程度の問題でしかありません。どんな民族にも独立志向の急進派はいますし、共存・同化寄りの穏健派もいます。その割合が各民族によって多少違うだけのことであり、そういう割合を基準に少数民族を分類するのであれば、「独立志向が強い」「独立志向がややある」などといった段階的なものになるはずで、在日朝鮮人とその他というような二値論的分類にはならないはずです。
仮に独立志向を基準に分類するなら、まず各少数民族の独立志向の度合いを数値化する必要がありますが、そういうことを行っている研究を私は知りません。況や、単純に国籍の有無だけで独立志向であるかそうでないかを認定するような乱暴な研究があるとはとても思えません。
いずれにしろ、日本の民族問題を包括的に論じるのにおいて国籍を重視する観点は特殊なものであり、それを裏付けるソースが無いのであれば独自研究に当たりウィキペディア掲載に値するとは思われません。国籍が何だろうと、在日朝鮮人は日本国の領土内に住む民族集団の一つにすぎません。在日朝鮮人だけを特別に扱い、何でも在日朝鮮人中心に書くような編集姿勢には強く反対します。--Saintjust 2007年11月15日 (木) 10:32 (UTC)
お返事の前に、大きな誤解があるのでそれをまず正していただきたいと思います。
在日朝鮮人だけを特別に扱い、何でも在日朝鮮人中心に書くような編集姿勢には強く反対します
これは明確なSaintjustさんの誤解です。何度もお願いしているように過去ログを参照してください。今回の合意案は、在日韓国・朝鮮人と(日本の)他の民族の記述を同様に扱うことを目的として纏められたものです。その目的にそぐわないとSaintjustさんがお考えの部分があるのなら、是非具体的にその箇所を指摘してください。
……どうしても過去ログを参照していただけないようなのではっきり言います。Saintjustさんの主張は(「各少数民族の独立志向の度合いを数値化する必要」とまでは踏み込みませんでしたが)、私が過去に主張していたものとほとんど同じです(涙) お願いですから過去ログを読んでください。
繰り返します。私とて現在の合意案に完全に満足しているわけではありません。が、今の記述はあまりに在日韓国・朝鮮人の記述に偏りすぎています。不正確な記述も多いです。まずはもう少しバランスの取れた記述に修正する為に、合意を形成することを優先しましょう。どうかご協力をお願いいたします。
--Stranger non general person 2007年11月16日 (金) 12:21 (UTC)
在日朝鮮人の国籍「差別」問題を取り上げること自体は至極結構なことであると思われますが、そうするあまりに別の予期せぬ問題(つまり在日朝鮮人を重視しすぎる傾向)を引き起こしているのではないか、ということです。
在日朝鮮人は日本人の土地に間借りしている身分であり、自治権もありませんし、自立したコミュニティーを形成しているわけでもありません。韓国・北朝鮮政府に面倒を見てもらっているわけでもなく、むしろ日本国の提供する様々な公共財の恩恵におんぶにだっこで生きている。台湾やチベットなどであれば公式なネーション認定が無くても特別扱いは理解できますが、国籍が外国籍なだけの在日朝鮮人は日本国内の一少数民族という扱いで十分でしょう。
「帰化しないならそれで結構だが、それならそれで身の程をわきまえて、日本人と同等の権利など期待するな」というのは一見妥当な批判ではあります。しかしこれは、何世代にも渡って外国人として居住するという異常な事態を現実として認めてしまっていることに他なりません。そもそも、帰化もせず、帰国もせず、かといって自前の自立的共同体を形成しようともせず、いつまでも日本に居残っていることが異常であり問題なのです。国籍「差別」を甘んじて受け入れるなら今のまま日本に居住していても良い、というわけではないでしょう。--Saintjust 2007年11月16日 (金) 17:33 (UTC)
(この合意案をとりあえず成立させる、という目的を前提として)そう、その通りです。だからこそ、この記事に在日韓国・朝鮮人の記述を含めるのなら、国籍に関する解説が必要なのです。
ただし、(これも過去ログで議論されていますが)、日本「国内」とはどの範囲を指すのか、という問題はあります。「日本の領土内に居住する少数民族」という意味でなら、確かに在日韓国・朝鮮人は「日本(国内)の少数民族」です。「日本という国を構成する集団」という意味でなら、在日韓国・朝鮮人を「日本(国内)の少数民族」と呼ぶことは不適当です。Saintjustさんが何気なく使われた「日本国内の一少数民族」という言葉にも、このような多義性と曖昧さが含まれています。そのような議論を踏まえた上で形成されたのが現在の合意案なのです。
ツッコミが入る前に。やはりここでは故意に「少数民族」という言葉を使っています。フォローを入れとかないとすぐにツッコミを入れてくる輩がいるので念のため(苦笑) 私はその上で「もっとも厳密に解釈すれば、在日韓国・朝鮮人は『日本の少数民族』ではない」と主張しています
……ていうか、ぶっちゃけ、当面はこの辺で妥協しましょうや(苦笑) 何度も繰り返しますが、本当に私もSaintjustさんのお考えに沿って編集したいんですよ。本当に。私自身が(まったく同じとは言わないまでも)Saintjustさんのお考えに非常に近いものをもっていますから。ただ、現在の本文の記述はあまりにも酷いです。正にSaintjustさんが仰られているように「在日朝鮮人だけを特別に扱い、何でも在日朝鮮人中心に書くような編集」になってしまっています。まずはこれを少しでも正しましょう。迂遠ではありますが、話し合いと妥協で状況を少しづつ改善すべきです。現在のような記事のままで保護状態が長く続くのは、何よりこの記事を参照する一般のWikipedia利用者にとっての不利益になります。
もちろん、「在日韓国・朝鮮人の問題をこの項目から削除するわけでなく、他のアイヌ民族や琉球民族など各民族を同等に扱う(記述の質・量をバランスさせる)、ただし彼らは日本国籍を有しておらず、アイヌや琉球民族の問題とは質的な違いがある事は明記する」という原則の下に、具体的な合意案の改善をご提案いただくのは非常に助かります。もしそのような箇所がありましたら是非ご指摘ください。
--Stranger non general person 2007年11月17日 (土) 03:21 (UTC)
在日朝鮮人は「日本国政府の統治下に居住する少数民族」であり、「日本社会を構成する集団」でもあります。国籍があろうと無かろうと、日本国、日本社会が抱えている民族集団であることに変わりはありません。「国を構成する」の「国」が、国籍という単なる法的地位の問題であるなら、当記事でわざわざ強調する必要性があるとは思えません。
とりあえず具体的な記事内容としては、
  1. ethnie/nationの節は不要。
  2. 少数民族→エスニック・マイノリティの書き換えは不要。
  3. 現行版にある「日本は単一民族ではないこと」の節も不要。
まず、日本の人口に占める少数民族の割合、各少数民族が日本国に組み込まれてきた来歴などを書いた後、朝鮮民族、漢民族、台湾人、アイヌ、琉球民族など各少数民族のセクションを作成。在日朝鮮人の節に関しては「詳細は在日韓国・朝鮮人を参照」とだけして、詳しい解説は書かないでおくことにする。国籍問題については在日韓国・朝鮮人において記述する、仮に当記事でも同問題について言及する場合でも、在日韓国・朝鮮人のセクション内だけに留める。当記事の導入部や総論などのセクションではethnie/nation云々と国籍問題について長々と述べない(無論、戦後に日本国籍を失ったなどといった史実については来歴セクションで書く)。--Saintjust 2007年11月18日 (日) 23:58 (UTC)


インデント戻します。

……お願いだから過去ログ読んでくださいってば(涙)
  • 在日朝鮮人は「日本国政府の統治下に居住する少数民族」であり、「日本社会を構成する集団」でもあります
その通りです。だから(今回の合意案では)在日韓国・朝鮮人の事例を取り扱っているのです。
  • 「国を構成する」の「国」が、国籍という単なる法的地位の問題であるなら、当記事でわざわざ強調する必要性があるとは思えません。
強調はしていません。少なくともこの合意案は、他のアイヌや琉球民族と同等に扱う(記述の質・量をバランスさせる)。ただし、「アイヌや琉球民族は日本国籍を有しているが在日韓国・朝鮮人は日本国籍を有していない。故にそれぞれの問題には質的な差異がある」という記述を明記する、という原則の元に起案されています。Saintjustさんは
  1. そもそも国籍の有無などに触れてはならない
  2. 触れるのはいいが不必要に強調しすぎている
の、どちらなのでしょうか? 1.なら、大変申し訳ありませんが「過去ログを読んでください」というお返事を繰り返すしかありません。この点は一年以上に渡って繰り返し議論されてきた話題です。残念ですが、これまでのSaintjustさんの主張ではそれを覆すに足る論拠は無い、とお返事せざるを得ません。
2.でしたら、以下のような具体的な点を上げていただければ喜んで合意案に反映させていただきます。
  • 日本の人口に占める少数民族の割合
具体的な数値が示された資料があれば是非ご紹介ください。(ソースがあれば)他の皆さんからも合意案に反映することに異論は出ないでしょう。
  • 各少数民族が日本国に組み込まれてきた来歴
これは合意案の2.では不十分でしょうか?
  • 朝鮮民族、漢民族、台湾人、アイヌ、琉球民族など各少数民族のセクションを作成
これも、分割自体は合意案の3.でなされています。不十分な点があればご指摘ください。
  • 在日朝鮮人の節に関しては「詳細は在日韓国・朝鮮人を参照」とだけして、詳しい解説は書かないでおくことにする
残念ですが、この案は過去の議論で却下されました。誰あろう、過去に「リンクだけにしよう」と提案したのは私自身です(苦笑) 「各民族ごとの問題の大まかな概要を書くことは、この記事を参照する利用者にとって参考になるだろう」という意見を受け入れて、現在の合意案のような内容になりました。ただしここでも「各民族の記述の質・量をバランスさせる」という原則は守られる必要があるのは当然です。現在は確かに、多少在日韓国・朝鮮人の記述が大きいような気もしますので、具体的にそぎ落とせる場所があればご指摘いただけますか?
  • 当記事の導入部や総論などのセクションではethnie/nation云々と国籍問題について長々と述べない
ethnieとnationの違いに触れたのは、「民族」で明確にその二つを分けて記述してあるからです。この記述を参考にすれば、自らの意思で日本国籍を取得していない在日韓国・朝鮮人の問題と(日本国民である)アイヌ、琉球民族の違いがより理解されやすくなるだろう、という意味で触れたものです。民族にある「ナショナルな主張を行わないエスニック・グループ」という言葉は、(異なる国籍を持つ在日韓国・朝鮮人との対比、という意味で)まさしくアイヌや琉球民族を正しく表現した言葉でしょう。
ただし、上記の原則を守っていただいた上で「別に触れなくとも、もっと解りやすくなる記述があるのではないか?」ということでしたら、もちろん検討する価値はあるでしょう。具体的な案がありましたら是非ご提示ください。
なお、「仮に当記事でも同問題について言及する場合でも、在日韓国・朝鮮人のセクション内だけに留める」というのもやはり私自身が過去に提案しましたが、議論の結果、総論に移動させることになった、という過去の経緯があります(苦笑)
……すいません。いままでしつこいほど「過去ログ読んで」とお願いしてきた意味がお分かりいただけましたでしょうか? 私の考えは、実は非常にSaintjustさんに近いんです。私がこの合意案に満足していない以上、Saintjustさんもこの合意案に満足していないであろうことは十分に想像できます。が、ここはとにかく、現在のあの記事本文を少しでも改善することを優先しましょう。
--Stranger non general person 2007年11月19日 (月) 06:13 (UTC)
そもそも現行の文面にも無い、当記事が編集保護に至った原因であったわけでもない、新たな論争の火種になること必至な文章を追加する意味が不明です。このノートにおける強い反発を見るだけでも明白でしょう。
過去の一時点で形成されたコンセンサスは、未来永劫に渡り拘束力を持つわけではありません。そのコンセンサスが形成された時点で速やかに編集に反映されなかったのであれば意味がありません。期限を設定して投票を行うなど、正式な手続きを経て形成されたコンセンサスであったなら、とうの昔に編集保護も解除され、その同意された内容が本文に反映されていたことでしょう。されていないなら、何らかの深刻な問題があったということです。
私の主張は上で何度も書いているように:
  1. 日本に居住する朝鮮民族の多くが日本国籍を保有しないという事実について当記事で言及するのは構わない。
  2. それを日本の少数民族全体に関わるような本質的区分として、当記事の総論部において、論評・分析することには反対。
  3. 当記事の在日朝鮮人の節内、および在日朝鮮人の記事内においてであれば、他の少数民族と異なり国籍を持たない特殊性、その歴史的経緯、およびそこから生じる各種問題について述べるのも構わない。
在日朝鮮人は日本の少数民族の一つにすぎず、国籍問題はその在日朝鮮人に特殊な問題にすぎません。そのような特殊な問題について、わざわざアイヌや琉球民族など他の少数民族と比較し、それがまるで日本の民族問題における本質的区分であるかのように当記事の総論において長々と言及する必要があるとは思えないということです。少数民族は皆ユニークな背景を持っており、「質的な差異」があるのはどの民族でも同じあるということも上で述べました。全ての民族の特殊性について総論で言及していったらキリがありません。
また、国籍問題は単なる法的身分の問題であって、ethnic/nation区別の本質的基準になるような代物ではないことも上で述べました。在日朝鮮人の特殊性は単なる国籍の有無に還元されるものではありません。ソースの裏付けの無い独自研究の類いであれば論外です。--Saintjust 2007年11月19日 (月) 12:04 (UTC)


一番簡単に言えば、そもそも、日本の民族問題という項目があることがおかしいのです。一つ一つの民族ごとに経緯も問題も違うはずであるのに日本が抱える民族問題全てを枠に当てはめて考えるのにむりがあります。総論できるはずがない。もし書くのなら、「日本の朝鮮民族問題」のように各民族ごとに項目を立てねばならんでしょう。さらに現在日本語版ウィキペディアには日本の民族という項目も民族問題という項目もありません。なぜ、日本の民族問題選考なのか?
もう一つの問題は日本の民族問題というきわめてあいまいな表現です。日本民族問題なのか、日本の民族(の)問題なのかはっきりしない上、日本に居住しているものをさすのか、日本の国籍を持ったいわゆる日本人の民族問題をさすのか、日本にかかわるものの民族問題なのかもはっきりしません。極限に広く捉えるのならアメリカ在住の日系人の問題だって日本の民族問題です。
しかしながらこのような問題をおかしいからどうにかしようという話までは進みませんでしたし、進ませてもらえませんでした。
わしが一番懸念していたのはある民族―具体的には朝鮮民族―に記述が偏っていること、さらに、各民族の項目の中身とかぶるため、各民族の項目に記述した上で多い部分は削除でよいと思いましたが、その提案は、今の記述より記述量が削減されることはならない、それについてはすり合わせもしない、と言う人の反対で却下になりました。そのような人々を説得しきれないのなら、他の民族も同じ程度取り上げ、違いも書かざるおえないでしょう。
そこで(ある人にいたっては琉球民族やアイヌについての項目を立ち上げることにすら反対しておりましたが)朝鮮民族は国籍を持たない者が多く、また不法入国者や犯罪率も大きい、他の民族(琉球民族やアイヌ)とは同じに考えられない、などと書かざるを得ないのではないかということです。どの民族も等しく書くならば、このような朝鮮民族特有の事例がある(だからいろんな考え方もありややこしい)と言う注釈を書かなければ朝鮮民族に肩入れしているようなものです。
しかし、そこでも同じ民族でも国籍を持つ持たないの問題が問題になるうえ国籍を持たないものが多い民族は朝鮮民族だけではないという反論があったので、現在のようにどの民族であれど国籍の有無での問題と民族問題はちょっと違うとなったのです。妥協の上にここにたどり着いた、ということで、反対者に振り回されすぎといえばそうなのかも。でも、それをもういちど前に戻して議論するのがもう・・・
つまり私は
  1. この項目の存在自体が何か変だ。
  2. そもそも日本のとは何か?この項目は朝鮮民族に偏りすぎだ。現在の内容は実質日本の朝鮮民族問題。
  3. この項目は他の項目とかぶる内容も多いから、削減すべきではないか。
  4. この項目を残すのなら朝鮮民族の記述を減らすべきだ。それぞれの民族を簡潔に解説する程度にすべき。
  5. ディエン報告については関連項目ではあるが、ぶっちゃけ、独自項目にすべき。
  6. この項目より先に日本の民族といった項目や民族問題の項目を拡充するべき。
などと考えているのですが、2・3・4・5になると否定する人がいるのです。過去ログを一応見てください。潜在的には1が一番言いたいことですがどんな反論に遭うか・・・
--Remington 2007年11月19日 (月) 18:32 (UTC)
このように沢山の争点を抱えた記事を、まるまる全面改訂するようなドラフトを一気に書いて、コンセンサス形成しようというのがそもそもの間違いのような気もします。まずは比較的意見が対立しない箇所から始めて、異論が多い箇所については保留にしても良いでしょう。そうした箇所を加筆する際には、後で個々にノートで議論して行うようにすることにして。
とりあえず一番もめている国連人権委員会特別報告と朝鮮民族の節については、メインの記事を参照するようにするだけで良いと思われます。国連人権委員会特別報告の記事については、まだ無いようなら新規に作成して。
記事名については、上でも書いているように、「日本の外国人」にならって「日本の少数民族」に変えるのに賛成です。--Saintjust 2007年11月19日 (月) 23:18 (UTC)
すみません、今日はちょっと纏まったお返事が出来そうに無いので一言だけ。ちゃんとしたお返事は後で書きます。
まずは比較的意見が対立しない箇所から始めて、異論が多い箇所については保留にしても良いでしょう
それも却下されたんですよ、過去の議論で……(涙) ちなみに分割を提案したのもやっぱり私自身です(涙)
--Stranger non general person 2007年11月21日 (水) 01:47 (UTC)


というコトでお返事が遅くなり申し訳ありません。ようやく妥協点が見えてきたようですね。
  • 国連人権委員会特別報告はメインの記事を参照するようにする。まだ無いようなら新規に作成
はい、そこも以前(というか、直近の議論で(苦笑))異議が出たところです。ここは合意案で「今後も議論を行うことを前提として現状維持」としてあります。もっとも、それすらも拒否する御仁が居るようですが(苦笑)
  • 朝鮮民族の節については、メインの記事を参照するようにする
残念ですが、それだと現在の記事のほとんど全ての記述をごっそり削除することになります。そもそもの議論の始まりが「この記事の記述があまりにも在日韓国・朝鮮人に偏りすぎている」という点から始まっているのですからね。
私は、ethnic/nationの解説を概論等の記事の冒頭部分に挿入することに拘っているわけではないのです。この記事で解説している『少数民族』には日本国籍を持つ『少数民族』と持たない『少数民族』がおり、両者の問題には質的な違いがある、という解説を入れることに拘っているのです。それをWikipedia利用者に解りやすく解説するために「ethnic」「nation」という言葉を使っただけで、前記の前提の元に「別にethnicやnationという言葉を使わなくてももっと解りやすく出来るはずだ」ということであれば、具体案をお示しいただければ喜んで修正に応じます。(もちろん、その案が他の議論参加者にも支持されれば、というのは当然ですが)
同じように、私は「エスニック・マイノリティ」という言葉を使いたいのではなく、(「民族」でも「日常語では何の問題もない「少数民族」という言葉も、社会科学では極めて問題含みの言葉として批判されることもある」と記述されている)「少数民族」という言葉を使いたくない(可能な限り使わずに済ませる)という点に拘っているのです。「日本国籍を持つ『民族』と持たない『民族』とではその問題に質的な差異がある。しかし(ここはSaintjustさんの仰るとおり)『日本国の領域内に定住している少数民族』ということで、この記事では両者を取り上げる。ただしこの記事での「民族」(の全て)が、『民族国家』を志向しているわけではない」ということを示したいが為に、「エスニック・マイノリティ」という言葉を使っているのです。
……いや、繰り返しているとおり、私自身「こんな無理をしなくても『日本の外国人問題』に分割すればいいだけじゃん」と思ってます(苦笑) ただ、それを持ち出すと今までの議論が完全に覆ってしまいます。必要であれば(国連人権委員会特別報告の部分と同じように)「××の問題については、この合意案での修正後も引き続き議論を行う」と明示的に盛り込んで引き続き議論を行う、という選択肢もあります。
繰り返しますが、この合意案は今現在の『あの』記事本文よりは随分とマシなものである、という自負はあります(苦笑) まずは少しずつでも改善していきましょう。Saintjustさんにもご協力をいただければ幸いです。よろしくお願いします。
--Stranger non general person 2007年11月22日 (木) 02:14 (UTC)

区切り1[編集]

「既に拒否されている」「過去ログ参照しろ」と何度もおっしゃられていますが、Stranger non general personさんご自身はその「拒否」を認めておられるんですか? 同意しないにせよ、尊重すべき意見である、妥協を目指すに値するものだ、とは考えておられるのですか? 私自身が過去ログを拝見した限りでは、改訂案への反対の多くは議論の流れから生まれているだけのものが多いように思われます。いずれにしろ、その拒否する根拠が正当な考慮に値するものだとStranger non general personさんご自身が考えておられるのであれば、是非、それをここにあらためて記して、その正当性を私に示してみてください。何でも反対すればいいというものではありません。もしその反対が妥当な根拠に基づくものではなく、さらにはその反対者が今この場に居すらしないのであれば、考慮する必要はないと私は思います。

国籍問題は在日朝鮮人特有の問題であり、在日朝鮮人にとっても国籍に起因する問題は同民族の抱える問題の一部でしかありません。ゆえに、そのような特殊な問題に関する記述を「日本の民族問題」の記事の導入部や総論部で長々と言及することには強く反対するとは既に何度も述べました。そのような記述は、在日朝鮮人のセクションが無用に長大になるのと同じくらい、不要です。また、当記事は「日本の少数民族」に改名すべきであると私は考えておりますので、その点でも「問題」について導入部で長々と書く必要はないと考えます。--Saintjust 2007年11月22日 (木) 12:01 (UTC)

相手の意見を尊重すべきでないと切り捨てるのは簡単ですが、後々の禍根を残すことになりかねないのです。へまをするとリバート合戦になるでしょう。もちろん、尊重に値するかどうかは別ですが・・・もしよければ反対派の方と是非議論していただきたい。
いずれにせよ、今までの拒否は議論を深めても妥協を知らずに自分の意見を通したいと思っているのは確かなのですから、いずれ投票などで決着を図るべきですが、その投票すら反対する人がいます。まぁ、投票否定のような意見がまかり通るようなままではいけないとは思いますがね。
--Remington 2007年11月22日 (木) 19:48 (UTC)
その反対者が今この場にいないのであれば、どうしようも無いでしょう。その人が将来またウィキペディア編集に復活するという保証はありませんし、まったく別の反対者が将来現れることも十分ありえます。そういうことをイチイチ考慮していったらキリがありませんし、何も永遠にまとまりゃしません。また、この場にいないのであれば投票もできませんし、投票時に忙しくて参加できなかったなどという言い訳は通じません。正式な投票の結果にはそれなりの拘束力が伴います。もし投票が始まりそうになったときだけ顔を出してくるような吾人であれば、それを期にその人と議論できますので、願ったりかなったりです。--Saintjust 2007年11月22日 (木) 21:13 (UTC)
失礼、少々お返事が遅くなりました。
  • 同意しないにせよ、尊重すべき意見である、妥協を目指すに値するものだ、とは考えておられるのですか?
現在の記述を可能な限り速やかに少しでも改善する、という目的の元において、Yesです。最初から申し上げているように、現在の合意案に私自身が完全に満足しているわけではありません。しかし現在の記事本文よりはかなり改善され、(もちろん修正点がまったく無いわけでは無いでしょうが、その方針において)それなりの期間維持されるに足るものであるとは思っています。
  • さらにはその反対者が今この場に居すらしないのであれば、考慮する必要はないと私は思います。
私は一度口に出したこと(書いたこと)はなるべく守りたいと思っています。もちろん、常に完全に守れるわけではないですが、少なくとも守れなかった時には明確な謝罪を行うべきだとは考えています。私は上記の目的において一度妥協しました。相手も、これが私の本心では無い事は了解していただいた上で、上記の共通の目的の為にそれを了解しました。私はその妥協を可能な限り守ります。その限りにおいては、妥協した相手の名前と共に我々という言葉が使えるからです。だから私はjohncapistrano氏に対して「途中で議論を抜けたのなら、その間に交わされた議論とその参加者に対しては敬意を払うべきだ」と言えるのです。
  • 国籍問題は在日朝鮮人特有の問題であり、在日朝鮮人にとっても国籍に起因する問題は同民族の抱える問題の一部でしかありません。ゆえに、そのような特殊な問題に関する記述を「日本の民族問題」の記事の導入部や総論部で長々と言及することには強く反対する
何度も申し上げているように、それはSaintjustさんの認識が謝っています。そもそも「在日朝鮮人特有の問題」ではありません。法的には中華民国籍の人々(代表例は王貞治氏)はまったく同じ立場にあるし、合意案でも他に日系ブラジル人などに触れています。
……いえ、解ります。事実上、「在日朝鮮人特有の問題」である、ということは。このことを声を荒げて「差別だ」と言い立てるのは彼ら(在日韓国・朝鮮人)くらいのものです。ですのであえて問います。Saintjustさんこそ、そういった彼らの「大きな声」に引っ張られてしまっているのではありませんか?
今回の合意案では「彼らの問題(彼らが「問題」だと言っている事項)は国籍を保有していないから発生しているだけだ。別にこれは、彼らが在日韓国・朝鮮人である(彼らがそのエスニシティを保ち続ける)事とは関係が無い」と述べている──少なくともそれを目的として合意案が形成されている──のです。これは「在日韓国・朝鮮人を特別扱い」していることになるでしょうか?
もっとも彼ら(在日韓国・朝鮮人)にとっては、国籍とは自分達のアイデンティティを保つのに必要不可欠な要素であるようですが……。故に私は彼らを「nation」である、と言っているのです
--Stranger non general person 2007年11月27日 (火) 01:04 (UTC)
Stranger non general personさんが義理堅いことにこの場にいない反対者の主張まで尊重されるのは結構なことですが、私自身は彼らとこの問題に関して議論をしたことはありませんし、議論もせずにその主張を尊重しろと言われても承服しかねます。その反対者がこの場にいない以上は、今から私と議論することもできないのですから、現状では彼らの意見を聞き入れるわけにはいきません。議論をしてもコンセンサス形成されない場合には投票になるわけですが、そうした投票の際、その場にいない人間の票など換算しないのと同じことです。ですので、Stranger non general personさんが過去に誰それが私の主張に反対する意見を表明していたと幾らおっしゃられたところで、その事実自体は私の関知するところではありません。無論、その反対者の主張をStranger non general personさんが代弁して議論できるのであれば話は別ですが。
Stranger non general personさんが反対者らとの話し合いの末に作成されたと思われる改訂草案に関しては、そのままでは受け入れられるものではないことは既に述べた通りです。現行版も確かに酷い代物ではありますが、提案されている改訂版が完璧であるとは思えません。また、過去ログを見ても、Iosif氏ら反対者がこの改訂版の文面を支持してるようにはとても見受けられません。とりあえず私個人としては:
  1. 「少数民族」の用語はそのままで「エスニック・マイノリティ」には書き換えない。記事名も現状維持。記事名はできれば「日本の少数民族」(「問題」は抜く)に改名したいが、これについては当面は置くことにする。
  2. 導入部は基本、現行版のまま。ethnie/nationに関する加筆は不要。国籍問題は朝鮮民族の節あるいは在日韓国・朝鮮人の記事においてのみ言及し、導入部や総論ではふれない。国籍問題は在日朝鮮(・中国)人特有の問題であり、また在日朝鮮人にとっても国籍に起因する問題は同民族の抱える問題の一部でしかない以上、同問題に関する記述を当記事導入部や総論部で長々と言及することは「特別扱い」になるため。中国における台湾などであれば特別扱いも理解できるが、国籍が外国籍なだけの在日朝鮮人は日本国内の一少数民族という扱いが妥当。
  3. 「主要な少数民族」の節は改定案の通りで良い。
  4. 「民族問題事件と事件」節内「在日コリアン」の節名は元の「朝鮮民族」のままにする。帰化した朝鮮系日本人と外国籍を保持している在日朝鮮人を分けない。国籍問題と共に国籍に関わらない結婚、就職問題などについても言及する。全体的に記述の分量を控えめにし、詳細は在日韓国・朝鮮人参照とする(あるいは国籍問題にもその他問題にも言及せず、丸々「在日韓国・朝鮮人参照」としても良い)。
  5. ディエン報告については新規に記事を作成し、当記事ではその新規作成記事を参照としておく。日本における民族問題を概説するソースを他に見つけられないならば、当記事で民族問題について概説するような記事を書くと必然ディエン報告にのみ依る偏向した内容になってしまうため(ウェザロールなど同報告自体に対する批判についても言及しても、それはディエン報告評論になってしまう)。他に参照できるソースがあるなら、それも参照して中立的に記述する限りにおいて、当記事で詳しく紹介するのも可とする。
以上の点(特に2および4)が反映されるなら賛成票を投じます。できれば投票は幾つかの区分に別に分けて行って欲しいです。投票の後、その結果がどうあれ、異論の多い箇所に関して以後編集する際にはまずノートで提案・検討しコンセンサスを形成してから行うようにする。それで問題ないと思います。--Saintjust 2007年11月27日 (火) 20:37 (UTC)


では、まずは2.と4.について優先的にすりあわせをしましょう。
  • 国籍が外国籍なだけの在日朝鮮人は日本国内の一少数民族という扱いが妥当。
はい、今回の合意案はそのような意図から纏められています。そして、在日韓国・朝鮮人を特別扱いしないために、国籍問題を導入部に記述しているのです。合意案では日本国籍を有していない他の『少数民族』(在日台湾(中華民国)人や日系ブラジル人、東南アジア系難民)についても触れています。国籍問題は在日韓国・朝鮮人だけでなく、彼らにとって共通の問題です。 「歴史的経緯を考慮し我々を特別扱いしろ」という在日韓国・朝鮮人の主張については個々のセクション(および在日韓国・朝鮮人の記事内の記述)に移動してもいいでしょう。しかし、国籍条項を初めとする「日本国籍を有していないことを理由とする不利益」は在日韓国・朝鮮人だけに存在するのではありません。故にこの問題は導入部もしくは概要に記述するのが適当であると考えます。
  • 帰化した朝鮮系日本人と外国籍を保持している在日朝鮮人を分けない
現在も分けてはいません。分けているのは(最も狭義の)在日韓国・朝鮮人と、戦後に入国した韓国人(所謂ニューカマー)です。帰化した「朝鮮系日本人」に触れていないのは、彼らに特有の問題が存在しない(現在のところ「問題」とはなっていない)為です。
  • 国籍に関わらない結婚、就職問題などについても言及する
それが
  1. エスニシティを保持していることを理由とする問題である。
  2. アイヌ、琉球民族などと共通する一般的な問題ではなく、朝鮮民族というエスニシティを保持しているが故の問題である
のなら、「在日韓国・朝鮮人」(あるいは「朝鮮民族」)のセクション内の記述に含めることに合意します。ソースを示していただけますか?
単に「朝鮮人とは結婚させない!」「朝鮮人だから不採用」という話だけなら、「異なるエスニシティを持った異民族に対する差別意識」なのか、「異なる国籍を持つ故の問題」なのかが不明瞭である、ということです。加えて前者(異なるエスニシティを~)の場合、それがアイヌや琉球民族の場合は該当せず、朝鮮民族(在日韓国・朝鮮人および朝鮮系/韓国系日本人)だけの固有の問題である必要があります。でなければその問題は導入部もしくは概要に記述すべきですね。その問題は本当に「国籍に関わらない」のですか?
  • 全体的に記述の分量を控えめにし、詳細は在日韓国・朝鮮人参照とする
具体的にどのあたりを削るべきだとお考えですか? 是非具体例をご提案ください。
--Stranger non general person 2007年11月29日 (木) 10:53 (UTC)
追伸
Iosif氏やjohncapistrano氏の意見は確かにこの合意案には(ほとんど)反映されていません。特にjohncapistrano氏に関しては、私は自分でそう明言して議論から排除しました。ただしそれは、彼らが自分の意見に固執し妥協にほとんど応じなかった為、あるいは速やかな合意形成を妨害する意図を持ってると判断した為です。私の目的は現在の記述を可能な限り速やかに少しでも改善する事であり、その目的は現在も変化してはいません。
在日コリアン節:「在日コリアン」という節名は、厳密には日本に居住する外国籍朝鮮人を指し、日本に帰化した朝鮮人は含まないわけですから、名称として不適切です。だから元の「朝鮮民族」にしたほうが良いということです。無論、これは当記事の「民族問題事件と事件」節内の「在日コリアン」節に関して言ってることで、時系列に少数民族を列記している「主要な少数民族」節における同民族集団の扱いについて言ってるものではありません。
導入部:現改訂案は、導入部に関してはethnie/nationの段落を加筆することしか書かれておりませんので、他の民族問題については触れられていません。ですので、現改訂案のままでは支持することはできません。また、導入部で他の民族問題についても概説するように拡張するなら、相当な時間と労力を要するものと思われます。無論、Stranger non general personさんなり他の誰かが調査してソースを探して来て書き上げるというのであれば結構なことですが、そうすると完成するまで保護継続ということになってしまいます。
異なるエスニシティ:「異なるエスニシティを持った異民族に対する差別意識」だろうと「異なる国籍を持つ故の問題」だろうと、日本国内の少数民族が抱える主要な問題であることに変わりはないのですから、仮に「不明瞭」であっても大きな問題ではありません。当記事は「民族問題」を扱うものであって、「民族差別問題」に限定されたものではないからです。民族問題=民族差別問題ではありません。例えば領土をめぐる民族紛争などは差別は関係ありませんが、れっきとした民族問題です。在日朝鮮人ならウトロ地区問題なども別に「国籍」や「差別意識」は直接関係ありませんが民族問題です。
在日朝鮮人の場合、彼らが「異なる国籍」を持つに至ったのは同集団構成員の多くに共通する特殊な歴史的背景に起因するわけですから、その「異なる国籍」から派生する諸問題は十分「民族問題」たりえ当記事に記載するに値します。アファーマティブアクションで是正されるところの学力的・経済的格差も、それ自体は国籍差別と同じく何人だろうと関係ありませんが(自助努力が足りずに低学歴なり低収入であるなら当然の結果)、それが特定の少数民族において顕著に見られ、かつその発生がその特定少数民族の歴史的背景に由来すると考えられるから、民族問題となるわけです。--Saintjust 2007年11月29日 (木) 21:10 (UTC)


お返事の間隔が不安定になってしまい申し訳ありません。特に週末はなかなか時間が作れず、お返事が遅くなってしまいます。お許しください。
  • 「在日コリアン」という節名は、厳密には日本に居住する外国籍朝鮮人を指し、日本に帰化した朝鮮人は含まないわけですから、名称として不適切です。だから元の「朝鮮民族」にしたほうが良いということです
なるほど。この部分に関しては、原則としては了解しました。確かに「在日コリアン」は現在「在日韓国・朝鮮人」にリダイレクトされていますし、合意案の文中にも『日本国籍を取得した者、第二次大戦終了後に日本に移住した者も含め「在日コリアン」と呼ぶ場合もある』とあります。「国籍の有無に関わらず同じエスニシティを共有するグループ」という観点から、「各エスニック・マイノリティ(少数民族)毎の問題」のセクション名としては寧ろこの方が望ましいかもしれませんね。ただ、文中の『彼らの中で「日本国籍を取得すれば朝鮮民族ではなくなってしまう」と捉えられている』の部分とどのように整合性を取るか、少し文案を練り直す必要があるでしょう。少々文章を考えてみます。
  • 現改訂案は、導入部に関してはethnie/nationの段落を加筆することしか書かれておりませんので、他の民族問題については触れられていません。ですので、現改訂案のままでは支持することはできません
いや、ですので、導入部では個々の民族問題にはあえてふれていないんですよ(^^;) 導入部の文案で私が企図しているのは
  1. 日本国籍を有する「少数民族」の問題と、日本国籍を有さない「少数民族」の問題とは問題の性質が違う。しかしこの記事では両者に付いて言及する。
  2. ではなぜ両者を同じ「少数民族」という言葉で呼ぶのか?
  3. それは日本語の「民族」という言葉がとても曖昧だから
  4. どう曖昧なの?
  5. 具体的には大きく「ネーション」と「エトノス」という二つの概念に分けられるが、詳細は「民族」を読んでね
という流れで、「この記事では『少数民族』という言葉を違う意味で使うことがあるよ」と説明することです。このうち、私が拘っているのは1.だけです。3~5については別に削ってもかまいません。ただし、2.はこの記事を読むWikipedia利用者が必ず抱く疑問のはずです。何しろ同じ記事内で同じ「(少数)民族」という言葉を違う意味で使っている(そして記事中でそれを明言している)のですから。このことを「ethnie」「nation」という言葉抜きでもっと簡潔に説明できるなら、私はこの言葉を使うことに固執しているわけではありません。繰り返しお願いしているように、文案の具体案がありましたら是非ご提示ください。1.さえ外していなければ、少なくとも(私以外の参加者も)検討に値する案としては取り扱ってくれるはずです。
少しわき道に逸れますが、文中で「少数民族」を(固有名詞・引用を除き)「エスニック・マイノリティ」に置き換えているのもそれが原因です。「琉球民族」を参照していただければご理解いただけると思いますが、(独自のエスニシティが存在しそれを共有するからといって)あるグループを『民族』と呼ぶか否か、というのは、非常に政治的な論争になりやすいデリケートな問題です。この部分については、合意案を提示した直後にもツッコミが入ったばかりです(苦笑) 合意案で「少数民族」という言葉を使用するのを極力避けているのは、「この言葉は『あるエスニシティを共有するグループ』を指すもので、それ以上の意味もそれ以下の意味も無い。あるグループを『民族』と呼ぶか呼ばないかという論争のどちらかを支持することを意味するものではない」という意思表示なのです。
故に、Saintjustさんの「各エスニック・マイノリティ(少数民族)毎の問題では『朝鮮民族』とすべき」というご提案にも同意したのです。
このことをもっと端的に表す言葉/説明があれば、別に言い換えに拘っているわけではありません。是非具体案をご提示ください。
  • 例えば領土をめぐる民族紛争などは差別は関係ありませんが、れっきとした民族問題です
その通りですが、現在、日本国内には領土をめぐる民族紛争は存在しません。この記事の名称は「日本の民族問題」ですので、特にその点に関して言及する必要があるとは思えません
  • 在日朝鮮人ならウトロ地区問題なども別に「国籍」や「差別意識」は直接関係ありませんが民族問題です
いいえ。国籍問題は(それが全てではないにしろ)直接関わってくる問題です。彼らは日本人(日本国民)ではありません。故に日本国憲法およびそれに基づき定められた日本の法律の保護を(外国人としての範疇でしか)享受できません。住民達は「住民は日本政府が住民の居住権を保障すべき」と主張していますが、日本政府が外国人に対して保障できる権利は日本人に対するそれと比べて小さい/少ないものにならざるを得ません。故にこの問題にも国籍は直接関係しているといえます。それに、不動産を含む財産の相続・継承に関しても、当事者の国籍は重要な要素となり得ます。詳細は朝鮮籍を参照してください。
もっともウトロ地区の現状は「在日韓国・朝鮮人同士の内輪もめ」としか表現のしようがないと思うのですがね(苦笑) 日本は財産の私有を認めている法治国家なのですから、現状で日本政府が(行政として)出来ることは何一つ無い、としか言いようがないのでは無いでしょうか?
  • 在日朝鮮人の場合、彼らが「異なる国籍」を持つに至ったのは同集団構成員の多くに共通する特殊な歴史的背景に起因するわけですから、その「異なる国籍」から派生する諸問題は十分「民族問題」たりえ当記事に記載するに値します
私自身はその主張には反対ですが、今回の合意案では、このSaintjustさんの(上記の引用に限った部分での)主張に反する案では無いと考えております。ただし、故に「日本国籍を有する「少数民族」の問題と、日本国籍を有さない「少数民族」の問題とは問題の性質が違うことは明記されなければならない」と繰り返し主張しているのです。
--Stranger non general person 2007年12月4日 (火) 03:06 (UTC)
「個々の民族問題」に中途半端にふれることで特定の問題・観点を「特別扱い」することに反対するということです。概説するならするで包括的に諸問題をバランスよく概説すればよい。しないなら、中途半端に個々の問題についてふれたりしない。国籍問題も民族問題の一つにすぎません。民族問題と国籍問題を峻別し、これを殊更重視する特殊な観点に寄するような記述は承認しかねます(況やそれが独自調査に基づくものであったなら尚更です)。Stranger non general personさんの指摘されている「疑問」が特別扱いされるに値するほど広く共有されているとも思えません。--Saintjust 2007年12月4日 (火) 09:32 (UTC)
国籍問題が民族問題の一つに過ぎないと言うのが間違いです。朝鮮民族の多くが国籍を持たないことが民族問題というのならわかりますが朝鮮民族の多くが国籍を持たないことによって受ける諸問題(国籍問題)が民族問題というのは間違いです。わかりやすく書くならば日本人は背が低いのは民族問題と言っても過言ではないが、背が低いことによって受けるバスケに弱いと言う問題は民族問題といえないのと同義です。
確かに朝鮮民族を朝鮮民族だからといって日本国籍から朝鮮国籍に一方的に戻した当時の日本の対応は民族問題といえるかもしれません。しかしながら朝鮮国籍に戻ったら日本国籍と同じにならないのは当然です。それは日本では法律上日本国籍保持者が外国籍保持者に権利で勝るようになっているからです。国籍法には何の問題もありません。だから朝鮮国籍のものが日本国籍のものに就学、就職、結婚で劣る権利しかないと言うのは法律上問題ありません。その国籍と言う権利をもたない、奪われたという経緯は民族問題といえるかもしれませんが、だからといって国籍という権利が無いがゆえ発生する諸問題は国籍を基点に起こる問題であってどの民族にも平等です。理由のいかんにかかわらず、国籍を持たぬが故に発生する就学、就職、結婚などの諸問題を朝鮮民族独特のもの(日本の朝鮮民族の民族問題)のように書くのであればそれこそある民族に対する「特別扱い」と言わざるを得ません。どの様な経緯であれ国籍法上はどの民族も平等です。ただ、外国籍ゆえに、という一言が入るのであれば別にかまいませんが。
余談ですがその権利は国籍を持つ国では保証されるはずです。されなければいかんですな。法律的に考えて。ただ、外国籍のまま日本にいざるを得なかったのは棄民政策とかも大きくかかわってるし、国籍がないのに日本にとどまったものも多いし自身の望んだ民族問題でもあると言うことですな。さらに住民税を軽減されてたこと、人数あたりの犯罪率が高いことなんか民族問題と思うのですが・・・
何度も言いますが、国籍がないがゆえに発生する諸問題を民族問題という人間がいることについては否定しませんし書くべきでないとも思いません。また、民族の多くが国籍を持たなくなった理由については民族問題が含まれる可能性も否定しません。しかし国籍ゆえに起こる問題についてはある民族を「特別扱い」するわけにはいかないでしょう。
--Remington 2007年12月7日 (金) 17:58 (UTC)
ここで言う「国籍問題」は無論、少数民族が抱えている国籍問題のことです。少数民族問題ではない国籍問題も当然あるでしょうし、斯様な問題については国籍問題なり外国人問題の記事を別途に作成して、そこに記述すれば良いでしょう。少数民族の抱える国籍問題については当記事、外国人問題記事の両方で言及してもよい。また、私自身は何度も述べているように、法律における国籍に基づく区別を「差別」であるとは考えていません。--Saintjust 2007年12月7日 (金) 21:49 (UTC)
もうしわけありません。仕事の方で今しばらく多忙な状況が続きそうです。お返事のペースが遅くなることをご容赦ください。
……なのですが……。
「個々の民族問題」に中途半端にふれることで特定の問題・観点を「特別扱い」することに反対するということです。概説するならするで包括的に諸問題をバランスよく概説すればよい。しないなら、中途半端に個々の問題についてふれたりしない。国籍問題も民族問題の一つにすぎません。
大変申し訳ありませんが、ここだけはSaintjustさんの主張がまったく理解できません。概説で「ここで述べる『少数民族』には日本国籍を有するものと有さないものがおり、両者の問題はその性質が異なる(場合がある)」ことを述べることが、どうして『特定の問題・観点を「特別扱い」すること』になるのでしょうか? この問題は特定の民族の問題ではありません。この記事で記述している『少数民族』には、日本国籍を有するもの/有さないもの、それぞれ複数の記述があります。それ(日本国籍を有さない事による不利益)を民族問題だ、と主張しているのは確かに(事実上)在日韓国・朝鮮人だけだとは言えるでしょう。そのことは「在日韓国・朝鮮人」(あるいは「朝鮮民族」)のセクションに記述してもいいとは思います。が、私には今の合意案の記述が『特定の問題・観点を「特別扱い」すること』に繋がるとは思えませんし、今までのSaintjustさんの主張からもその考えを変更するに足るだけの説得力を見出すことは出来ません。
--Stranger non general person 2007年12月9日 (日) 10:36 (UTC)
民族問題の分類は国籍以外にもあります。にもかかわらず国籍による分類のみを導入部で言及するのは明らかに「特別扱い」ですし、そうすれば必然、国籍問題だけを強調することになり、観点的にも偏向していると見られかねません。それ以前に不自然でしょう。--Saintjust 2007年12月9日 (日) 11:36 (UTC)

区切り2[編集]

彼らの問題には国籍問題も含まれている可能性がある、ということを書くのがナゼいけないのかが馬鹿な私にはわからんのです。もちろん国籍問題なんて微塵も関与しない琉球民族やアイヌの人々もおりますが。 彼らは、民族問題と言いますが、無論それが民族にかかわるは当然としても、それが民族に所以するものかはわかりません。分類がなんであろうが、そういうことです。しかしながら、朝鮮民族に関しては参政権や、就学、就職、結婚などの国籍が大きくかかわるであろう問題を民族問題と叫んでいるわけです。(参政権はともかく、就学就職結婚は国籍問題か、民族問題か以前にそんなものは人柄と能力と人間的面白さだと信じますが。)だから、これらの問題には国籍がかかわる可能性が大きく、国籍の有無が権利に関している可能性が否定できないという話になるのは当然ですがね。国籍について書けないのならば参政権はもちろん、就学、就職、結婚について民族問題に書くべきではありません。と言うか、これらが民族問題とははなはだおかしなものです。(よほど就学、就職、結婚させたくない民族性とか、よほど日本人は好んで民族差別をしたがるとか?どっちにしてもおかしなものです。) 国籍がからむからこそ問題が複雑化している、ということを朝鮮民族だけに書いてもいいですが、それだと反対されますしね。 --Remington 2007年12月9日 (日) 17:51 (UTC)

そもそもethnie/nationの節は、在日朝鮮人が「日本の構成員ではない」から(外国人であり少数民族ではないから)「民族問題という問題枠組みから排除」しようとする動きがまずあり、それに対する反発との妥協として生まれたように見受けられます。しかし、そうした過去ログにおける経緯を読んでない人には、いきなり民族問題の記事の冒頭でそのような文章が出て来たら意味不明でしょう。また、在日朝鮮人問題を外国籍だからという理由で民族問題から外す分類がソースに基づくものではない独自調査的分類である以上は、そもそも言及するに値するかどうかも疑問です。ウィキペディアは信頼のおける外部ソースに基づき記述することを旨とする百科事典ですから、単なる名無し編集者の素朴な一疑問を大きく反映するわけにはいきません。--Saintjust 2007年12月9日 (日) 22:37 (UTC)
今日はたまたま時間があったので。
まずは一言。他の人の書き込みを操作した場合はその旨を明記した方がいいですよ。まぁ、今回の場合はそれほど問題にはならないとは思いますが、マナーとして一言断った方がいいでしょう。
で、本題ですが……『「民族問題という問題枠組みから排除」しようとする動きがまずあり、それに対する反発との妥協として生まれたように見受けられます』は、確かにその通りです。「排除」という言葉はともかく「自分の意思で外国籍であり続ける『民族』は『日本の』少数民族では無い。故にこの記事に記述するのは不適当だ」という意見からこの記述は生まれました。しかし、その議論の過程も無視しないでください。
Saintjustさんは「『日本の少数民族』とはどのような基準でどのようなグループを指すのか」という問いに明確な答えを出せますか?
……はい、解っています。私は答えの無い(出せない)質問をしました。誰かがこの質問に明確な答えが出せるなら、そもそも「民族」の記事で「ネーションとしての民族」「エトノスとしての民族」と記述が別れているはずがありません。故に、過去のノートの議論でも「日本語の『民族』という言葉に曖昧さが存在する以上、それは無理(少なくとも短期的な討論では結論が出せない問題)だ。ただし国籍の有無で『民族問題』の性質が変化することは確かなので、『民族』という言葉のあいまいさと共にその旨を概論で説明しよう」というコンセンサスの下に、現在の合意案は纏められているのです。
また、在日朝鮮人問題を外国籍だからという理由で民族問題から外す分類がソースに基づくものではない独自調査的分類である以上」というのは(何度もご説明しているように)Saintjustさんの誤解です。すくなくとも今回の合意案ではそのような意図はありません。ただし、「国籍の有無で『民族問題』の性質が変化する」事は独自研究でもなんでもありません。日本国籍を有する「日本国民」に関しては、日本国憲法第14条の「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」という記述、およびこの条文に基づく法律・各種条例により法の下の平等が保障されています。(日本国籍を有しているなら)特定の『民族意識』(あえてこの言葉を使います。以下同じ)を保持しているが故に何らかの制限を受けることは、この条文に明確に反する行為です。
一方、日本国籍を有さない「外国人」にはこの条文が適用されません。(あるいは「日本国憲法は日本国民にのみ適用されるもので、外国人はその記述に完全には拘束されない」と表現すべきでしょうか?) 少なくとも、法律および各種条例、それに基づく行政判断に適合する限りにおいては、外国人に対する「制限」は憲法にも法律にも何ら反するものではないのです。
その制限が「正しい」ものであるか否か、という議論は確かに存在します。そのことについて触れるのは「個々の民族問題だ」というのは私も是とするところです。(何度も言っているように)この制限について問題視しているのは、事実上在日韓国・朝鮮人だけですからね。ただし、「自らの『民族意識』を保つためにあえて日本国籍を取得しない」という人々は在日韓国・朝鮮人だけではありません(だから私は王貞治氏の例を挙げたのです)。近年、「自らの『民族意識』を保ったまま日本に帰化する(元)在日韓国・朝鮮人=韓国・朝鮮系日本人」も徐々に増えてきています。(だから私は、Saintjustさんの『「在日コリアン」というセクション名は「朝鮮民族」にすべきでは無いのか?』という提案には(原則としては)賛成したのです) 故に私はこの問題について概説で触れることは必要であると考えますし、Saintjustさんの主張に私の考えを変えるほどの説得力を見出すことは出来ない、と繰り返し申し上げているのです。
なお、これも繰り返しですが、私は「ethnie」「nation」という言葉を使うことに拘っているわけではありません。
  1. 日本語の「民族」という言葉が曖昧で多義的であること。
  2. 故にこの記事では「(少数)民族」という言葉の範囲を広く取ること
  3. ただし日本国籍を有する「少数民族」と有さない「少数民族」では、その問題には質的な違いがあること
の三点を記述することに拘っているのです。この点がクリアーされていれば、別に「ethnie」「nation」という言葉を必ずしも使う必要はないと考えています。現在の合意案の文章は「いきなり『詳細は「民族」を参照』ではあまりにも不親切だろう」という意図から最低限の説明を盛り込む、という意図で作成したものです。改善の具体案がありましたら是非ご提示ください。
--Stranger non general person 2007年12月11日 (火) 02:29 (UTC)
そもそも、この記事で扱っているのは「少数民族」であって「民族」ではありません。「少数民族」に相当する語は「ethnic minorities」以外にありませんので、nationとの混同の余地はありません。
また、この記事は日本の少数民族問題を概説するものですから、まず参照されるべきは同問題に関する社会学、政治学、人類学的な研究です。憲法など一次資料の独自解釈は、個々のセクションにおいて言及する程度ならまだしも、信頼のおける二次的研究の裏付け無しには導入部で大きく取り上げるのは適切ではないでしょう。--Saintjust 2007年12月11日 (火) 04:12 (UTC)
私が一度も言わなかったethnie/nationなんてむつかしいことについてレスされても困りますが・・・ 相手が民族問題だということを否定など全くしておりません。むしろどの民族の言う民族問題だろうと平等に取り上げるべきと思います。しかしながら、それがどの民族から見ても平均的に言える民族問題であるかどうかというのは少し解説が必要だと考えます。
「国籍を持たないに至った経緯は民族問題」と言うならそれはそうかもしれません。また、「国籍を持たないから振り分けられる(就職、結婚などの)権利が少ない」のが民族問題だというのもそうかもしれません。でも「権利が少ないのが民族問題」と言うのはいくらなんでも原因を中略しすぎです。(現状そういう記述です。)もちろん「権利が少ないのが民族問題」と主張している人がいるというのは否定しません。
朝鮮民族の場合、国籍を持っていないものが多く、それが故問題が複雑化している(就学、結婚など)、と言うのが妥当な事実です。だから、はっきり言ってethnie/nationなんてむつかしいことは私にはわからんですが、国籍についての基本くらいは触れとくべきだと思っています。まぁ、国籍にリンク飛ばせばいい話かも知れませんがね。
さらに、現状この項目では民族差別についてしか述べられておりません。(朝鮮民族の項目については特に。)民族問題の看板を掲げながらアイヌ文化の継承者がいないだとか、琉球民族の琉球民族としての自我がなくなりつつあるとか、在日朝鮮人も世代を経るに従って民族としての意識が薄まりつつあるとかいった問題のひとかけらも出てこない現状は日本の民族問題のお項目から考えるとちゃんちゃらおかしいとしか言いようが無いです。社会学的にも政治学的にも人類学的にも、と言うよりこの項目、まず本来書くべき問題を書くにすらいたっていないんじゃ・・・
--Remington 2007年12月11日 (火) 19:44 (UTC)
国籍問題はもっぱら公務員試験の受験資格とか選挙権に関するもので、「就学、就職、結婚」には関係ないでしょう。後者は一般に国籍差別ではなく民族的出自を問題にされる民族差別と見なされていると思われます。「就学、就職、結婚」問題も全て民族的出自ではなく外国籍であることに起因すると主張する研究が無い以上は、1ウィキペディア編集者が疑問を呈しているだけなのであれば、言及するに値しないでしょう。ソースがあればその限りではありませんが。--Saintjust 2007年12月11日 (火) 23:32 (UTC)


はい、Saintjustさん自身が、私の主張を裏付けてくれましたね。
「少数民族」に相当する語は「ethnic minorities」以外にありませんので、nationとの混同の余地はありません
以外にありえない、とまでいいませんが、通常はそう訳する、というところまでは同意しましょう。その上で指摘します。
  1. 「民族」の訳は(やはり「通常はそう訳する」という範囲では)「nation」です。
  2. そして文法的な意味では、「少数民族」とはある母集団(この記事ではその母集団を「日本社会」とするか「日本国家」とするかで揉めていた訳ですが……)において比較的少数である「民族」ということです
私は、1.から2.に至る過程で、何故日本語では同じ「民族」という言葉が、訳においてnationからethnie(ethnic)に変わってしまうのか? と問うているのです。Saintjustさん、あなた自身が正に今、nationとethnieを混同して使っているではありませんか。 私は合意案の中で「民族」という言葉を使ったことはあっても、(あえて使う、と宣言した場合を除いて)「少数民族」という言葉を使ってはいませんよ? だから私は合意案の中でしつこいぐらいに『少数民族』という言葉を「エスニック・マイノリティ」に置き換えてきたのです。
多少フォローしておきますが、別に私はSaintjustさんの揚げ足を取りたいわけではありません。「民族」という言葉はこうも色々な解釈の仕方がある、という実例を示しているに過ぎません。故に「民族」という言葉の曖昧さと多義性を説明し、異なる性質を持つ問題を同じ記事内で取り扱うことについての説明が必要である、と考えているのです。
「独自研究」に関しては、少なくとも今回の合意案に限っては、Saintjustさんの指摘は当たらない(その指摘は間違っている)と繰り返しお返事するしかありません。上記の通り、国籍の有無によって『民族問題』の性質が異なってくるのは、憲法にまで遡れる日本の法体系に依存する問題です。独自の解釈など入り込む余地はありません。
  1. 日本の法律は、「どのエスニシティを保持しているか」による区別(差別)は禁じています
  2. しかし「どの国籍を保持しているか」による区別は肯定しています。
  3. これは「どの国籍を保持しているか」ではなく「日本国籍を保持しているか否か」による区別です。どのエスニシティを保持していようと、どの国の国籍を保持していようと、日本国籍を保持していない限り、その理由には係らず、等しく課された制限(区別)です。
  4. 故に、これは「個々の民族問題」ではありません。個々の民族問題では無い限り、概説、少なくとも個別の民族ごとの解説からは切り離された場所で触れるのが妥当です。
以上、この問題について他に特に説明する必要を感じませんし、(この問題に限っては)Saintjustさんの主張には、少なくとも私にとってまったくは説得力を持たない、と繰り返しお返事するしかありません。
--Stranger non general person 2007年12月12日 (水) 01:21 (UTC)
一番最初に書いた通り、そもそも英語においても「nation」と「ethnic」は排他的に峻別される概念ではないのですから、「混同」を懸念する必要がありません。訳語として日本語のどの語を英語のどの語に当てはめるかというのは、もっぱら言語的な慣例の問題です。ウィキペディアは百科事典であって国語辞典ではないのですから、これら2つが定義的に大きく異なる概念でない以上、「民族」以外の記事において細かな語源的差異に言及する意味はありません。英語においても「nation」と「ethnic」の語源を巡り日本語同様複雑な経緯がありますし、ドイツ語など他の言語の話もしだしたらキリがありません。英語で民族主義はnationalism、自民族中心主義はethnocentrism、民族国家はnation-state、少数民族はethnic minorityです。重要なのは、現在これらの語がそれぞれの文脈において如何に定義されているかです。各語をわざわざ分解して「nation」「ethnic」だけを取り出し語源を云々する意味はありません。そもそも少数民族や民族差別の問題において英語のethnicと同義的に使用されてきたのはrace(人種)の方で、もっぱら「国」や「国民」を意味するnationではありません。
ある事柄を「問題」視するには、ある特定の観点が前提とされます。ある法律が民族問題に関わっているという関連性の認識も、観点なしには成立しえません。その観点にソースの裏付けが無いのであれば「独自研究」ですから百科事典で言及するに値しません。何の観点も無いのなら、問題意識も関連付けも成立しえませんから、当記事で言及する意味がありません。--Saintjust 2007年12月12日 (水) 02:21 (UTC)
  • 「少数民族」に相当する語は「ethnic minorities」以外にありませんので、nationとの混同の余地はありません
  • そもそも英語においても「nation」と「ethnic」は排他的に峻別される概念ではないのですから
大変失礼ですが、私にはSaintjustさんの主張が非常に混乱されているようにお見受けします。お返事を頂く期間もかなり短いようですし、一度論点を整理された方がいいのではありませんか? 今回のお返事は差し控えさせていただきますので、しばらく冷却期間を置いてもう一度お返事をいただければ幸いです。
--Stranger non general person 2007年12月12日 (水) 05:27 (UTC)
「少数民族」の中の「民族」と、単体の「民族」とでは、別物だということです。「少数民族」というのは明確な定義を持つ一個の独立した専門用語です。そこから「民族」だけとり出してnationなど他の類似概念と比較したところで、それは「少数民族」(ethnic minorities)という概念自体には直接関係のない話だということです。「少数民族」の「民族」は「ethnic minorities」の「ethnic」に相当するものであり、「nation」の入り込む余地はありません。また、仮にethnicとnationを混同した所で、元の英語でも類似概念なのですから、そもそも大した問題では無いということです。
言葉というのは、数学のように論理的に分解したり再構成したりできる代物では必ずしもありません。ある概念がある表記法を持つに至った経緯というのは、その時々の特殊な社会的背景による部分が大きく、どこぞの偉い言語学者が「これとあれを組み合わせてその概念を表す用語としよう」といった感じで論理的に作成されているわけではありません。--Saintjust 2007年12月12日 (水) 06:03 (UTC)
大変申し訳ありません。やはり私にはSaintjustさんが大変混乱なされておられるようにお見受けします。
「少数民族」の中の「民族」と、単体の「民族」とでは、別物
私は、だからこそ、そのことを概説で説明しようと言っているのです。そして、だからこそ、記事内では「少数民族」を「エスニック・マイノリティに置き換えようと言っているのです。
Saintjustさん、まずは落ち着いて、もう一度最初から(私以外の書き込みも含めて)ノートをもう一度よく読み返してみてください。やはり今回も、上記以外のお返事は差し控えさせていただきます。
--Stranger non general person 2007年12月13日 (木) 00:26 (UTC)
まとめますと:
  1. 「少数民族」という用語の中にある「民族」は「ethnic minority」の「ethnic」に相当するものであり、「nation」は関係ありません。ですので混同の余地は全くありません。
  2. 「少数民族」と「民族」は別個の独立した概念であり、「nationを意味する場合の民族」について当記事で解説する必要はありません。それは民族の記事で解説すれば済む事です。
  3. 記事名に「民族」と入っているだけでnation/ethnicの解説を入れなければならないなら、民族主義nationalism)、自民族中心主義ethnocentrism)、民族国家nation-state)、少数民族ethnic minority)他、全ての記事において同解説を書くという馬鹿げた話になります。
  4. 「少数民族」から「民族」だけを取り出すなら、さらに「民族」から「民」と「族」を取り出してそれぞれ解説する、というこれまた同じく馬鹿げた話に繋がりかねません。
  5. 仮にethnicとnationを混同したところで、元の英語でも類似概念なのですから、そもそも大した問題ではありません。
ということで、nation/ethnicの節は当記事において不要だということです。--Saintjust 2007年12月13日 (木) 01:40 (UTC)
>>一般に民族的出自を問題にされる民族差別と見なされている
文中が上記のような記述なら、文句はありません。
朝鮮民族には自らの民族アイデンティティーの為に自民族を文化も法律も周囲から孤立化させるグループがあり、また全く逆に文化は保てど、日本国民並みに権利を獲得しようとするグループもあります。このような民族を一概にまとめて言うほうがばかげているのかもしれません。
どうも、議論が伸びているようですが、nation/ethnicは議論を続けることにして、他の項目を先に整える事は出来ませんかね?あと、民族問題の項目たるものアイヌの文化の喪失や、琉球民族の民族意識の喪失、朝鮮民族の民族関係の希薄化、それぞれへの対策くらいは書くべきですな。
--Remington 2007年12月14日 (金) 19:35 (UTC)
あえてRemingtonさんだけにお返事しますが……実は、私はSaintjustさんが何を言っているのかさっぱり解りません。私はSaintjustさんの「nation/ethnicの節は当記事において不要だということです」という提案そのものに反対したことは一度も無いからです。私が真に拘っているのは
  1. 「日本語の『民族』という言葉は曖昧で多義的だ。この記事では『民族』という言葉の意味を広く取る」
  2. 「ただし、この記事で触れている『少数民族』には、日本国籍を有するものと有しないものが(それぞれ複数)存在し、双方の『民族問題』には質的な違いがある」
の二点だけです。この事は何回も書いています。「nation」「ethnic」という言葉を使ったのは1.をなるべく簡潔に解説したいというだけで、それ以上の意味もそれ以下の意味もありません。「民族」という言葉の多義性をこの言葉を使わずに説明できるなら、代案を出していただければ喜んで検討する、と言っているにも関わらず、Saintjustさんは一度も具体的な代案を提示していません。
日本語の「民族」という言葉が曖昧で多義的だ、というのは、既に議論する意味がありません。これに具体的なソースをもって意義を唱えることが出来るのなら、Saintjustさんは当に民族の記事を書き換えることが出来ているはずです(苦笑) 私は日本語の「民族」という言葉が曖昧で多義的だと言っているのであって、「『民族』はnationと訳し『少数民族』はethnic minoritiesと訳す」というのはそれを(Saintjustさん自身も混用して使っていることを)例示する為に持ち出したに過ぎません。
英語への訳が何になろうと、日本語の「少数民族」とは、ある母集団(国家あるいは地域に済む住人)の中で比較的少数の「民族」を指すのです。これは日本語の文法の問題です。「民族」という言葉が曖昧で多義的なのなら、「少数民族」の定義も当然、曖昧で多義的にならざるを得ません。
何回繰り返したか忘れてしまいましたが、もう一度書きます。これはRemingtonさんにもお願いしておきます。私は、「nation」「ethnic」という言葉を合意案から外してもまったくかまいません。ただし、上記1.および2.をもっと解りやすく述べることが出来る代替案を提示してください。
ついでにいうと、「エスニック・マイノリティ」という言葉にも拘りはありません。これも以前に書いたとおり、私は「民族」「少数民族」という言葉を(少なくとも注釈抜きでは)使いたくないだけなのです。例えば少数民族では「民族集団」という言葉をethnic groupの直訳として用いています。やはり概論、もしくは記事の先頭で「この記事内では『民族』という言葉の曖昧さを回避するため、ethnic groupの直訳として『民族集団』という言葉を用いる。この言葉は(少なくともこの記事内では)『共通のエスニシティを保つ集団』という以上の意味を持たない」とでも書いておけばいいでしょう。私が拘っているのは単語ではなく、Wikipediaの利用者に如何に正確かつ端的に情報を伝えるかであり、そのためには上記1.2.のような注釈、およびこのような言葉の工夫が必要であると提案しているのです。私はポリティカル・コレクトネスなど一顧だにしたことはありません。
--Stranger non general person 2007年12月17日 (月) 07:02 (UTC)
Stranger non general personさんは、ある根拠に基づいてnation/ethnicの節が必要だと主張されていたわけです。
その根拠というのは、「民族」概念の多義性に関する懸念です。
しかし、この懸念が全く無用な心配であることは、上で示した通りです。「民族」という語の語源に関わる細かな多義性は:
  1. 民族の記事で言及しておけば十分な程度の代物であり、
  2. 「民族」と記事名に入る全ての記事においていちいち注意書きしなければならないほど深刻な問題をもたらす代物ではない、
からです。
つまり、Stranger non general personさんの指摘される懸念が考慮に値する十分なものではない、単なる杞憂であるから、nation/ethnicは当記事において不要であると私は主張しているわけです。
ですので、仮にStranger non general personさんが同じ懸念に基づいて全く別の記述の加筆を提案されるのであっても、同じ理由で反対ということです。「このような言葉の工夫」はそもそも必要無いから、いらぬ心配だからです。--Saintjust 2007年12月17日 (月) 08:56 (UTC)
Saintjustさん、まぁ、その話は置くとして、nation/ethnic以外の他の部分を先に整える事は出来ませんか?
--Remington 2007年12月20日 (木) 18:08 (UTC)
他の節に関しても上の方でも何回か書いてるのですが、とりあえず一回、このノーとページを過去ログ化したほうがいいでしょう。--Saintjust 2007年12月21日 (金) 06:36 (UTC)
ようやく時間が取れました。時間を空けてしまって申し訳ありません。
が……大変申し訳ありませんが、Saintjustさんは要するに
  1. 日本語の「民族」という言葉が曖昧で多義的であり、故にこの記事では「(少数)民族」という言葉の範囲を広く取ること
  2. ただし、その広く意味を取った「日本の少数民族」には日本国籍を有する「少数民族」と有さない「少数民族」が存在し、それぞれの「民族問題」には質的な違いがあること
という解説を概説に取り入れることそのものに反対なのですか? だとするのなら、残念ながらもう議論の余地は無い、とお返事せざるを得ません。この点に関しては私としても譲れない部分である、と再三申し上げてきましたし、これは今までのノートでの長い議論の末に導き出された合意です。Saintjustさんの今までの主張は(少なくとも上記の二点に関しては)今までの議論の結果を覆すに足る説得力を見出すことは出来ない、とは繰り返しお伝えしてきたところです。Saintjustさんの支持を得られないことは非常に残念ですが、このままの合意案で投票を依頼しましょう。
最後に繰り返し申し上げておきますが、私はnation/ethnicという言葉を使うことに拘っているのではなく、上記二点の解説をこの記事に入れることに拘っているのです。この言葉を外してもまったくかまいません。ただし、上記1.および2.を(この言葉を使わず)もっと解りやすく述べることが出来る代替案を提示してください。
--Stranger non general person 2007年12月23日 (日) 06:23 (UTC)
「説得力」は関係ないでしょう。重要なのは主張を裏付けるソースの有無Wikipedia:検証可能性です。ウィキペディアで重要なのは「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。
  1. 当記事は「少数民族=ethnic minorities」に関するものであり、「少数民族」の「民族」は国語辞典を見ても英和辞典を見ても分かるように明示的に「ethnic」なのですから、日本語の「民族」概念自体の語源におけるnation/ethnicの多義性はまったく関係ありません。
  2. ですので、日本の少数民族問題において、「民族」概念の多義性に起因する「日本国籍を有する少数民族と有さない少数民族」の混同問題などは存在しえません。
  3. 無論、もし日本の少数民族問題を論じるのにおいて「民族」概念の多義性を問題視する研究、論考が存在するのであれば、話は別です。その場合は、その研究なり論考を参照して、出典を明記し、記載すべきでしょう。しかし、ソースの無い独自調査であれば掲載に値しません。
  4. そもそもnation概念とethnic概念の間にそれほど顕著な質的差異が存在しないことは一番最初に書いた通りです。その差異は語源に由来する些細な強調点の差異であり、民族の記事で言及すれば済む程度の事です。「民族」と記事名に入る記事全てに注意書きを書いて回らなければならないほど大きな問題ではありません。
「民族」概念の多義性と、「日本国籍を有する少数民族と有さない少数民族」は、別個の独立した問題です。前者は言葉の問題、後者は社会問題であり、この2つの間に因果関係はありません。Stranger non general personさんが、前者とは関係なく後者について当記事で言及したいというのであれば、まだ理解できます。しかし、その場合もそれを裏付けるソースは必須です。関係のないnation/ethnicの話を無理矢理こじつけてもソースの用は成さないということです。
つまり、何であれその「問題」を問題視する観点を裏付けるソース無しには、Stranger non general personさんの独自調査に基づく個人的な懸念に留まる限りは、ウィキペディアに掲載することは支持できません。--Saintjust 2007年12月23日 (日) 07:21 (UTC)

外国人である在日韓国朝鮮人に対する民族差別が存在する、とするソースをいくつか。

⇒同和問題に関して色々と法的な措置が取られてきたのは、この社会に部落差別があるということを社会がはっきりと認めてきたからである。 ところが在日外国人問題については、単に「外国人を理解しましょう」という啓発しかしていない。在日韓国・朝鮮人を含めた民族差別が日本の社会には根強くあるということのオーソライズが、まず大切である。

 いま同胞社会の中では「在日本大韓民国民団(民団)」が一方的に推進する「参政権獲得運動」を憂慮する声が高まっている。民団の地方幹部の間からは「… 民族性を守る立場での深い反省と自責の念をこめて『参政権獲得運動』を放棄する」との声も出ている。日本人士の間からも「参政権」が「基本的人権の伸長と民族差別の撤廃に貢献するとの認識は一面的であり、誤りであった」とか、「内政干渉につながり、今まで築いてきた朝鮮の人たちとの良好な関係に亀裂を生じさせる」などの声が出ている。

そのように主張する人たちはいるようです。--Jjok 2007年12月29日 (土) 04:38 (UTC)

もう投票を開始しては?[編集]

結局Saintjust氏はとにかく国籍問題をこの記事に記述したくないだけらしい。Iosifやjohncapistranoと同じで、結局は自身の政治的嗜好に記事を沿わせたいだけなのでは?

  • 日本には日本国籍を持つ「少数民族」と持たない「少数民族」がいる
  • 日本国籍を持たない「少数民族」は、日本の法律によって保障されている権利が異なる
  • よって日本国籍を保有する「少数民族」と保有しない「少数民族」では、その問題の性質が異なる

この三点の事実のいったい何処が独自研究なのだ? どうしてもこれを書きたくなければ(そして本当に「別個の独立した問題」だと考えているのなら)、在日のことは在日中国・台湾人やその他の外国人と一緒に日本に定住する外国人問題という記事をSaintjust氏自身が立てて記述を分割すればいい。ただしもちろん、この記事で分割に反対していたすべてのユーザーを説得する義務をSaintjust氏が負うことになる。 ・・・やはりただ単に、この記事の保護期間を延ばすことだけが狙いなのだろうか? ともかく、Iosifやjohncapistranoのような「とにかくStranger non general person氏のやることには反対」というユーザー以外で、上記三点に意義を唱えているのはSaintjust氏だけだ、というのも、また事実であることは確かだ。これ以上、たった一人のユーザーの反対の為に保護期間を延ばすべきではないのでは? --220.254.38.240 2007年12月26日 (水) 16:29 (UTC)

そうですね。これ以上は何を言っても無駄かもしれません。IP氏の発言を全面的に支持するものではありませんが、『「説得力」は関係ないでしょう』というSaintjustさんの発言からは、結局私の言うことを理解していない/できないという結論を導き出すしかありません。『「別個の独立した問題」であるから別記事にすべきだ』と主張していた私が妥協して今の合意案を取りまとめたという事実を知っていながら、その私すら説得できないで自分の主張を通せると、Saintjustさんは本当に思っているのでしょうか?
--Stranger non general person 2007年12月29日 (土) 03:11 (UTC)
立証責任は記述の掲載を希望する側にあります。当該記述の妥当性と検証可能性を立証し、掲載反対派を「説得」する必要があるのはStranger non general personさんであって私ではありません。Stranger non general personさんがこれまでに提示してきた当該記述掲載を妥当だとする論拠が全て不十分なものであることは、私が上で示した通りです。妥当性も検証可能性も欠く記述の掲載を認めることはできません。--Saintjust 2007年12月29日 (土) 03:49 (UTC)

議論が停滞しているようですが、私にはStranger non general personさんとSaintjustさんの意見がそれほど隔たっているとは思いません。

  1. まず、(それが特定の「民族」であるにしろ)日本国籍を有しないが故の不利益を「民族問題」だ、と主張しているグループが存在するのは各種報道からも明らかです。Jjokさんからの情報の提供で(Saintjustさんが主張する)検証可能性は十分にクリア出来ているでしょう。
  2. そしてStranger non general personさんは「自分はネーションやエスニ(エスニック)という言葉を使うことにこだわっているのではない。日本国籍を持つ『民族』と持たない『民族』では問題の質が違う、と記述したいのだ」と主張されています。これは(1.がクリアされているのですから)十分に妥当性のある主張でしょう。事実、少なくともこの部分に関してはSaintjustさんに賛成している(議論に参加している)ユーザーはいません。
  3. しかしSaintjustさんの「ネーションとエスニはそれほど厳密に区別すべき概念なのか?」という疑問はもっともだと思います。英語でも日本語でも、この両者はそれほど厳密に区別されているとは思いません。
  4. ただし、両者は違う「モノ」であることも事実です。日本語版の民族でも、英語版のEthnic groupでも、両者は明らかに違う概念として、かなりの字数を割いて解説されています。「厳密には違う概念だ」というStranger non general personさんの主張にも一定の根拠はあるとは思いますが、私は(個人的には)どちらかといえばSaintjustさんの方に賛成です。
  5. ここで問題になるのは、ある特定のグループ・・・はっきり言ってしまえば在日朝鮮人たちが、自分たちに都合よく両者を使い分けている、ということです。「日本国籍を取得すれば『朝鮮民族』では無くなってしまう」と主張して日本国籍を取得することを拒み、その一方で「自分たちに日本人(日本国籍保有者)と同じ権利を認めないのはEthnic persecutionだ」と海外に向けて主張しています。これは極めて卑劣なやり方です。
  6. 私が「どちらかといえばSaintjustさんに賛成」というのはここなのです。「ネーションとエスニは違うものだ」と書かなければならない(とStranger non general personさんが主張している)のは、在日朝鮮人という特定の1グループがこのような卑劣な主張を行っているからであり、それは在日朝鮮人固有の問題で、「日本の民族問題」という普遍的な記事名の中で(少なくともこれほど深くは)踏み込む必要のない事柄だ、と考えます。彼ら(在日朝鮮人さえいなければ、わざわざネーションとエスニを区別する必要などないのです。
  7. とはいえ、このことを真っ正直に書いてしまえば、今まで以上の更なる議論を巻き起こすことは必死でしょう。そのようなことまで考えてStranger non general personさんは「これは特定の『民族』に架せられた制限ではなく、日本国籍を有しない『民族』に等しく架せられた制限なのだ」という記述にしたい、と言っているのではないでしょうか?

以上、もしよろしければ、Saintjustさんももう少し歩み寄られてはいかがでしょうか? 繰り返しますが、お二人の間にそれほど見解の相違があるとは、私には思えません。--202.150.54.182 2008年1月21日 (月) 14:58 (UTC)

多重では?[編集]

上の節に出てくる、IP:220.254.38.240会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois,IP:202.150.54.182会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois(前者は長野のISP、後者は長野のネットカフェ)はノート:最後の授業ノート:在日韓国・朝鮮人ノート:無防備都市宣言で全く同じ登場をしています。Stranger non general person氏はCUしてもバレないようにこれらのIPではログインされていないのでしょうが極めて不誠実な参加姿勢だと思います。johncapistrano 2008年1月26日 (土) 13:53 (UTC)

明確な証拠も無いのに他人を貶める発言をするのは感心しません。その二人がStranger non general personさんであるという確信を持つに至った根拠が、あなたの印象以外になにかあるのでしょうか? そもそも、220.254.38.240氏については、ノート:在日韓国・朝鮮人において「そうそう、一応念のため書いておきますが、220.254.38.240=210.172.24.240です。IPユーザーですから証拠はありませんけどね。--210.172.24.240 2007年4月16日 (月) 13:33 (UTC)」と発言してますし、202.150.54.182さんともどもStranger non general personさんといろいろ議論なさってるんですが、johncapistranoさんはこれらも自演だとおっしゃるわけですか?--いたる 2008年1月26日 (土) 14:13 (UTC)
IP:210.172.24.240会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisは見ていませんでしたが、言動や編集の癖が一致しているので自演にしか見えません。johncapistrano 2008年1月26日 (土) 14:19 (UTC)
「言動や編集の癖が一致している」とのことですが、具体的に説明願います。多重による議論かく乱は無期限にも該当するブロック理由になります。逆に、たいした根拠も無いのに軽々しく口にしていいことでもありません。あなたは上で極めて断定的にStranger non general person氏が不誠実だと非難されていますが、多重だとする根拠が十分だとすれば投稿ブロック依頼を出すべきだと私は考えますし、逆にたんなる印象程度で客観的にみて根拠が薄弱なのであったら、あなたの上の発言は議論相手に対する不当な攻撃として糾弾されるべきものだと考えます。詳細な説明をお願いします。--いたる 2008年1月26日 (土) 14:25 (UTC)
まぁ、私も長野県の人間なのでそういう印象を持たれたのかもしれませんが……。いたるさんのお返事が全てですね。私から付け加えることは特にありません。--Stranger non general person 2008年1月26日 (土) 14:40 (UTC)
210.172.24.240は一度「ベルナドット隊長(仮名)」を名乗っているので別人であることが事実であれば他人を装った知人になりますが、ネットカフェのユーザーが同一かどうかは証明困難です。でもいずれも他人を装って(特に標的にされているのはIosif氏ですが)、Stranger non general person氏を一部では批判するように見せかけていてもStranger non general person氏の主張にそう主張を繰り広げている。強調やインデントの癖が同じ。同じエリアからアクセスしている。これだけ揃っててリアルで知人だとしたら可能性はありますが、だとすれば第三者を装った参加姿勢が不誠実だとは言えます。同じ考えで近所で知人ならば議論に参加する際には多重でないと明白になるような態度で臨まれることを希望します。johncapistrano 2008年1月26日 (土) 14:41 (UTC)
「別人であることが事実であれば他人を装った知人になります」ということですが、なぜ「なります」と断言できるのか私には理解できません。知人である具体的な証拠があなたの空想以外にあるわけでしょうか? 同一県に住み意見がほぼ一致するのは本人でなければ知人しかありえないというお考えなのですか? 私はネットは不特定多数の者が接続できますし、教育環境などから同年代の同一県民は考え方とか近くなりやすいものなので、同じような意見であってもおかしくはないと思いますけどね。長野の人口は何百万人もいますので。それに仮に知人であれStranger non general person氏と別人なのでしたら、意見はともかく「編集の癖が一致」しようがしまいが別に根拠にはならないんじゃないのですか? Peaceのように事例が多数あり類推方式がルール化されてるケースならともかく、あなたのおっしゃる程度の論拠で断定的に相手を多重呼ばわりすることが許されるとは思えません。多重との十分な根拠があればブロック依頼ですし、類推程度ならまずcu依頼をし、賛同者が多ければcuを行い、その結果が一致してはじめて断定できるというのがwpのルールだと思うのですがね。正当な手順を踏んでいないにも関わらず断定的に相手を多重・不誠実と決め付けた先のあなたの発言は、撤回すべきものであると私は考えます。--いたる 2008年1月26日 (土) 15:32 (UTC)

これはちなみにですが、202.150.54.182さんのコメントから今日まですでに5日間経過してその後特に進展もしていなかったのですが、Stranger non general personさんが某氏への投稿ブロック依頼提出の呼びかけをはじめてから数十分後にこの節が作られたことに、いろいろと興味深い思いを抱いています。--いたる 2008年1月26日 (土) 15:32 (UTC)

何が興味深いのか知りませんが、(事実かどうかは不明として)ベルナドット隊長とStranger non general person氏は電凸をソースとして認めろという主張でこのノートに過去に出現し知人だと書いています。探すのは面倒なのでご自身で見つけて下さい。johncapistrano 2008年1月26日 (土) 15:38 (UTC)
いたるさん、それを言い出せばそれこそ収集が付かなくなってしまいます。Iosif氏にも申し上げたとおり、johncapistrano氏の行動がどのように評価されるかは、他の人たちが各々に結論を出せばいいのです。--Stranger non general person 2008年1月26日 (土) 16:02 (UTC)
少し先手を打っておきますが……まさか、いたるさんと私が「実は同一人物、または知人」とは言い出しますまいな(苦笑)>johncapistranoさん
--Stranger non general person 2008年1月26日 (土) 16:13 (UTC)
勿論そんなことは書きませんが、いたる氏があなたの何を信頼されているのか全く分かりませんね。johncapistrano 2008年1月26日 (土) 16:17 (UTC)
なるほど過去ログを読む限り、「210.172.24.240」ことベルナドット隊長さんの?掲示板にStranger non general personさんが投稿されたことがあるようですね。でもそれって一般的に「リアルで知人」と呼べるのでしょうか? それになによりそういう過去の経過があっても同一人物の自演とされた最初の書き込みですけど正直意味がわかんないですが。
また、wp上で関わりがある人物であることをすでに宣言されてたのなら「他人を装った知人」というのもあたりませんよね。まあ202.150.54.182さんと210.172.24.240さんが同一人物かどうかは不明ですが、仮に同一人物としてもそれは202.150.54.182さんの問題であって、Stranger non general personさんを不誠実と責めるのは筋違いじゃないんですか。
それから、信頼しているとかいないとかそういう問題ではなく、自分と同じ意見の持ち主であろうが違う意見の持ち主であろうが、wpに参加している限り守るべきルールはあるでしょう、ということです、私が言いたいのは。そういう意味で現状ではStranger non general personさんを信頼しているというより、十分な根拠もなく他人を極めて不誠実と断定した最初の書き込みを撤回しないあなたの態度に不信感は持っています。--いたる 2008年1月26日 (土) 16:31 (UTC)
そうですね。johncapistrano氏には明確に発言を撤回していただきたいところですが、正直、私はこれ以上私の個人情報が詮索されることを望みません。--Stranger non general person 2008年1月26日 (土) 17:05 (UTC)
・・・言葉尻だけ捉えて同一人物か知人ってjohnさんは言語学の先生かなんかでしょうか?そうですか、お偉いさんだったんですね。尊敬します。・・・とかですか? 乗りツッコミの無礼、お許しください。
・・・常識的に考えればそりゃないって姿勢ですな。まさか、johnさんなりのギャグでしょうか?johnさんの発言に私が責任持つ必要はないですが、明らかになんの根拠もないのに個人を不誠実だとか、多重アカウンだとか、知人だとか、それは酷いでしょう。世間ではそれを妄想と呼びます。2chにでも行ったら?因みに私はインデントの付け方を私が見てきた人たちから学んだからStrangerNonGeneralPersonさんとか、いたるさんとか、johnさんのに似てるかもね。
johnさんがこんな風に発言したいのは理解してもいいでしょう。似てると言うのは私には判断しづらいからあなたの言う通り似ているのだだと考えてもいい。しかし、仮にそう発言したとして、このページでなにが変わりますか?話し方が似てるから同一人物?どうしてわかるの?超能力者ですか? いたるさんも興味深いとかなしでおねがいしますよ。
因みにまぁ、言っておきますけど私とStranger non general personさん。私といたるさんは同一ではありませんからね。(笑)
--Remington 2008年1月26日 (土) 19:25 (UTC)
  • Remingtonさん
正直、これ以上煽らないで頂けると助かります。上にも書いたとおり、私はこれ以上私の個人情報が詮索されるのを望みませんので。上記の記述だけで少なからぬ個人情報が明らかにされてしまいました。出来れば削除をお願いしたいところなのですがね。まぁ、IPアドレスからたどれば解ることではあります。--Stranger non general person 2008年1月26日 (土) 20:02 (UTC)
申し訳ないです。ちょっと感情的でした。
--Remington 2008年1月26日 (土) 21:14 (UTC)
いえいえ。まぁ、流石に今回はちょっと気力が萎えました。Wikipediaへのかかわり方ももう少し考えないといけないかもしれませんね。
まぁ、痛くも無い腹をこれ以上探られたくないので(いたるさんもご指摘の通り)「ベルナドット隊長(仮名)」氏と私には「関わり」がある、とは改めて明言しておきます。もっとも氏は(本人も明言している通り)IPユーザーでかつネットカフェからのアクセスですので、それを証明する手立ては何一つありませんし、今後騙りが出てきても判別は不可能ですが……。
では、今回はこれまでということにしていただければ幸いです。
--Stranger non general person 2008年1月27日 (日) 10:05 (UTC)
では今後一切どの議論においても近所のネットカフェなどからの書込みに呼応して議論相手の出典提示要請を有耶無耶にするということを繰返さないと態度で示して下さい。宜しくお願いします。johncapistrano 2008年1月27日 (日) 10:13 (UTC)
なぜ「近所」とわかるのですかね?決め付けがちょっとひどすぎます。正直今回の件ではほとほと呆れました。このような自分の言葉に責任を持てない極めて不誠実な人が言う「不誠実」云々など、なんら説得力を持たないことを強く指摘して置きます。--いたる 2008年1月27日 (日) 11:13 (UTC)

どなたからも全うな対応を頂けなかったので(途中ですが)Wikipedia:コメント依頼/StrangerNonGeneralPersonを作成しました。コメントお待ちします。johncapistrano 2008年1月28日 (月) 16:00 (UTC)

……大変申し訳ありませんが、「もう付き合いきれない」というのが正直なところです。解りました。私はWikipediaの編集から撤退します。大変申し訳ありませんが、私にも失うものがあります。こういうやり方で個人情報を詮索されてはどうにもなりません。もう何も反論はしません。どうぞ無期限投稿ブロックでも何でもなさって下さい。いたるさんやRemingtonさんには大変申し訳ありませんが、ちょっとこれ以上気力が続きそうにないのです。--Stranger non general person 2008年1月28日 (月) 18:10 (UTC)

ほとんどジョークとしか思えない記事[編集]

「…国の民族問題」なんて記事は日本のもの以外に無い。「アメリカの民族問題」「韓国の民族問題」なんて記事は無い。英語版ウィキペディアも同様。英語版「日本の民族問題」記事の初版は素っ頓狂な外人編集者がソースも無しに好き勝手書いただけの作文。日本語版も初版は言語間リンクのみで中身はゼロ。だいたい「日本の(少数)民族」の記事も無いのに、なんでいきなり民族「問題」の記事ができるのか。英語版のen:Demography of Japanに相当する記事すら日本語版には無い(日本の記事に節があるのみ)。--222.3.75.248 2007年10月28日 (日) 20:43 (UTC)

アメリカ合衆国の人種差別がありますが。初版が糞記事というのは残念ながら即時削除されなければよくあることです(余り他人のことは言えませんが)。無い記事は作って頂ければ歓迎されるのでは。johncapistrano 2007年10月28日 (日) 23:25 (UTC)

私としてもこの記事は妙だと思います。 アイヌ民族や琉球民族は当然だとしても,在日コリアンを含んでいることが妙。 犯罪報道の通名報道,生活保護受給などの在日特権が在日コリアンにはあるのに対し,韓国では,韓国人の日本人に対する犯罪の黙殺などが行われています。 韓国においても日本においても優遇されていて,現在も選挙権要求なんてことをしていながら,選挙権を他国民に与えようとしない韓国人が,差別だなんだと言っているのは明らかに変です。 --宵月 2007年11月11日 (日) 11:04 (UTC)

  • 宵月 さん
済みませんが、そのあたりのお話は(上にも書きましたが)過去ログを参照してください。私個人としては「在日朝鮮・韓国人の問題は別の記事にすべきだ」と考えているのですが、そのあたりは今回の合意案では上記のような妥協の上に「今回は記述を残そう」という事で話し合いが進んできた、という経緯があります。納得いかないものがあるのは私も同様なのですが(苦笑)、とりあえずは過去ログを参照いただき、保護解除を優先する、という観点で今回の合意案に賛成いただければと存じます。ご検討いただければ幸いです。
--Stranger non general person 2007年11月11日 (日) 14:53 (UTC)
222.3.75.248氏は結局何が言いたいのか?記事成立プロセスは今更どうしようもない。記事文面に難があれば是非編集すれば良い。--219.127.51.12 2007年12月11日 (火) 23:55 (UTC)

「荒らし」にご注意[編集]

この項目はWP:Peaceの長期荒らしの対象となっております。Wikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Peace#関連記事参照。この「荒らし」は今後も繰り返される可能性があります。再出現の際はWikipedia:進行中の荒らし行為/長期/Peace#編集傾向を読んでWikipedia:管理者伝言板/投稿ブロック#Peace系に報告なさることをお薦めいたします。--大六天 2008年3月6日 (木) 01:29 (UTC)

なぜ今頃、それを書かれたのでしょう?ずいぶんの間、コチラでは見かけないと思いますが。1年以上も保護をし、記事の発展を止めているのは異常だと思います。そろそろ保護解除をしてみてはいかがでしょう。--Suginamin 2008年3月20日 (木) 00:28 (UTC)

保護解除の提案[編集]

保護から一年と八ヶ月ですが、比較的最近まで活発な議論が続いていたようです。ただ保護当時、対立していた二名の方はウィキペディアを去った(ブレイク?)されたようです。無理との意見も御座いますでしょうが、保護解除を提案します。--スミス16号 2008年6月8日 (日) 13:36 (UTC)

去ったというのは私のことでしょうか?まぁ、良いですけどね。アイヌ民族が日本の先住民族と認められたりしたので書くことはいろいろ在るはずです。あと、琉球民族も少なくとも今より拡充すべきかと。
とりあえず保護解除に賛成です。また、解除に関連して言うなら民族問題の項目や日本の民族の項目があったほうがいいかとは思います。--Remington 2008年6月17日 (火) 17:29 (UTC)
賛成有難う御座います、去ったと言ったのは貴方の事ではないですよ(S氏とI氏の事)。民族に関する項目は整理が必要ですよね。--スミス16号 2008年6月17日 (火) 21:33 (UTC)
賛意は戴けた様なので解除依頼を行います。--スミス16号 2008年6月21日 (土) 01:31 (UTC)

保護が解除されました。--スミス16号 2008年6月21日 (土) 05:16 (UTC)

記事名変更の提案[編集]

民族問題というのは要するに人種差別問題なので、記事名を「日本における人種差別」に変更し、記事「人種差別」の子記事とすることを提案します。そうすれば国籍の有無に関係なく取り上げることができます。あわせて、Category:民族問題は、Category:人種差別に統合することを提案します。--Reedo 2008年6月17日 (火) 18:02 (UTC)