ノート:日本の民族問題/過去ログ3

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在日朝鮮・韓国人の問題は『民族問題』ではないのでは?[編集]

話の腰を折って悪いのですが私は民族問題、と在日外国人の問題がまぜこぜになっているような気がしてなりません。 もともと日本国内に住んでいる民族の問題が民族問題であって、在日~人の問題というのは在日外国人問題あるいは日本の外国人問題だと思うのですが。 本来のアイヌ民族の問題(旧土人法とか)や琉球民族の問題(琉球語がなくなってしまいそうなこととか)を差し置いて、どんな形で入国したにせよ朝鮮人韓国人系の外国人の問題が民族問題として取り上げられているのはいささかおかしいかと思うわけですが・・・在日外国人問題は民族問題とは違うのではないのですか?在日コリアンという項目もあるんで。ここに書かなくてもいいでしょう。

民族問題とは現住民族、もともと土着していた民族に対する差別だとかそういうものだと私は思うので、基本的に。 琉球民族は沖縄で生まれた民族、アイヌ民族は北海道で生まれた民族、大和民族は本州や日本列島に生まれた民族。だから大和民族が琉球やアイヌの民族を圧迫すると問題になる。 それに対して華僑は?あるいは在日コリアンは?在日ブラジル人は? どれも外国人でしょうね。 日本に来た人たちです。この時点で題にある日本の民族でないわけです。 どのようなとらえ方をするかは人それぞれだからなんともいえませんが。 在日外国人問題はそれ専用で新しいページを作ったほうがいいかと思います。

日本の少数民族と日本の在日外国人はイコールでないと思います。要するに在日外国人は日本の民族ではないわけです。日本の民族でなければ日本の民族問題として扱えないです。区別するなら在日外国人問題をこの項でするのは避けるべきですな。 余計なお世話かもしれませんが。Remington 2007年1月10日 (水) 20:44 (UTC)

Remingtonさん
節を分けました。まずはご連絡まで。
ということで……実は、まさしくそのとおりなのです。だから、ディエン氏の報告書をこの記事で取り上げるのはそもそも不適当なのですよ(苦笑) ディエン氏自身がまさしく貴方が指摘なさった間違いを犯しているのですが、その点をUNハウスに指摘して「特定の勢力の発言を鵜呑みにしているのではないか?」と聞いたところ、上記の「国連人権委員会は強制力を持たないので中立的立場を保つ義務も無い」という返事が返ってきたそうです。
他の記述に関しても、私もこの記事内で取り上げるべきではないと考えます。「在日朝鮮・韓国人は『日本人』ではなく、彼らに関する問題は(厳密には)『民族問題』ではないが、同種の問題として取り上げられることがある」として、Wikipedia内のそれぞれの記事へのリンクを貼れば十分でしょう。
--Stranger non general person 2007年1月11日 (木) 01:58 (UTC)
私もそう思うのです。ですからもしその件を書きたいのなら在日外国人と分けるのがいいのではないでしょうか?そうでなくても在日コリアンとかの記事の拡充で補うことが出来るでしょう。外国人問題を民族問題に議論をすり替るのはどうかと・・・それにどうも氏の発言が日本における「民族問題」に見合うかどうかの議論のはずが氏が中立かどうかという議論にすりかえられているようですし。Remington 2007年1月11日 (木) 09:54 (UTC)
▼悪い言葉を使わせていただきますが、「在日外国人問題は民族問題ではない」というPOVに基づく長い演説であると読むしかありませんでした。もちろん、その述べられた内容が間違っていると主張するつもりではありませんが(賛同もしませんが)、「民族問題」という切り口から排除する根拠が「一ユーザーの考え」であるというわけにはいかないと思います。「これは民族問題とは別なのではないか」という議論が展開している人がいればそれを引用するというのが事典というものだと思います。▼在日朝鮮人……というよりも旧植民地出身者が「在日外国人」でありつづけている状態が日本の特殊な点であると捉えるほうが自然であろうと思います。日本の旧植民地出身者の処遇が珍しい例でしかないのであって、このようなケースは多くの場合、移民を巡る民族問題と化している(化しやすい)ケースであろうと思います。無論これは私の捉え方です。しかし、「日本国籍保持者」を「日本人」と定義したうえで「日本人=日本国籍ではないから民族問題として考えることから排除してよかろう」という、全人類がいずれかの国家の国民であることを前提とした(=つまり国民国家クラブを前提にした)問題の切り分け方に合意しない論者が無数にいることには留意していただきたいと思います。あくまで「外国人問題(入管行政の問題)」と捉えるのか、それとも、「移民問題」と捉えるか「少数民族問題」と捉えるか(後二者を「民族問題」と呼ばない人はいないと思いますが)は考えが分かれるところです。いずれも網羅すべきだろうと思います。▼「厳密には民族問題ではないが同種の問題として取り上げられることがある」という文案をStrangerNonGeneralPersonさんが提示していらっしゃいますが、これには明確に反対を表明します。「厳密には民族問題ではない」と言えるだけの根拠があるようには思えません。「民族問題とはコレコレこうである」という広く合意された定義があるのでしょうか。▼「ディエン氏の中立性に議論がすりかえられている」というのは誤読だと思います。「中立性に疑問がある」という記述の根拠が、根拠としてあげるにはあまりにも遠すぎる話だと考えて私がコメントアウトし、それに異議がついているという状態だと理解しています。それを除いて当項目における民族問題についての記述にさほど大きな対立がノート上で表明されてはいなかったと思います。--Iosif 2007年1月11日 (木) 18:54 (UTC)
嫌な思い出があるのでしたためておきます。1週間やそこら顔を出さないくらいで、当項目に関心を失っているとみなさないでいただけますようお願いします。--Iosif 2007年1月11日 (木) 18:58 (UTC)
それならばもっと琉球民族やアイヌ民族の問題をクローズアップして取り上げるべきということには納得していただけましょうな。現行記事は民族問題の歴史についても民族問題の事件についても多くが在日コリアンのことで構成されています。あなたの言う通りに考えるなら、たしかにこの項目で在日コリアンを民族問題として取り上げてもいいでしょう。しかしそれならば他のどの民族(琉球民族、とかアイヌ民族とかもっと少数の民族について)も在日コリアンと等しいレベルで取り上げるのが当然です。むしろこれらの少数民族は民族文化が途絶える危険性もあるため日本はより大きな問題をかかえています。現行の記事ではそれらの民族は参照程度、あるいは記事のレベルにすらなってないですよ・・・Remington 2007年1月12日 (金) 09:40 (UTC)
「クローズアップ」という表現が意味するところはよく理解していないのですが、琉球民族やアイヌ民族に関する記述をもっと拡充するべきだという意味でしたら、お話ごもっともだと思います。私は琉球民族やアイヌ民族についてほとんど知らないに等しいのですが、Remingtonさんがおっしゃるように「民族文化が途絶える危険性」に直面するほど対立・軋轢・摩擦・抑圧の歴史が長い分、書かれるべきことが多いはずであるくらいならば想像できます。▼先住民との関係も民族問題ですし、スコットランド人が主張する事柄もバスク問題も民族問題。もちろん、ルーマニア在住ハンガリー人問題は体制を崩壊に火をつけたほどの民族問題ですよね。植民地出身者の民族問題を考えるときに日本の場合は「国籍が日本じゃないから」云々という「主張」がなされることがありますが国籍との関係は(少数民族が民族性を国籍によって担保したという事実は)戦後日本の対外国人政策がケッタイ、というかおそろしくユニークでありつづけたことと切り離せませんから対外国人政策の変遷をどうにか調べなければ何も書いていないのと同じなのかもしれません。そう考えるとアイヌ民族どころか朝鮮民族についてもほとんど何も書かれていないに等しいとは思っています。▼お返事になっていないかもしれませんが、とりあえず。--Iosif 2007年1月12日 (金) 20:51 (UTC)
  • ならば、その「何も書かれていない」内容を、まずは在日コリアンに記述されてはいかがですか?
  • まぁ、自身でも仰られている通り、「記述の比重が在日コリアンにあまりにも偏っている」というRemingtonさんの疑問への答えにはなっていませんね。
  • 「厳密には民族問題ではない」の根拠ですか? 大辞泉の「少数民族」には以下のように掲載されていますね。
複数の民族によって構成される国家の中で、相対的に人口が少ない民族。多くの場合、多数派民族とは文化・言語・宗教を異にするため、偏見と差別の対象となりやすい。
在日コリアンは日本国籍を有していないので、日本という国家(≠社会)を構成する一員ではありません。故に彼らは在日外国人であり、(日本の)少数民族ではありません。
  • 「厳密には」という限定は絶対に外さないでください。その上で繰り返します。所謂「辞書的」には在日コリアンの問題は民族問題ではありません。確かに既に帰化した「朝鮮系日本人」の問題(彼らに関する問題は確かに民族問題です)と密接に関連する問題ですし、完全にこの記事から記述を削除すべきではない、という御提案なら受け入れる準備はあります。ただしそれは貴方(Iosifさん)が「在日コリアンの問題は厳密には民族問題ではない」という事実(辞書にそう書いてある、という意味では「事実」です)を受け入れていただく、ということが前提になります。
--Stranger non general person 2007年1月13日 (土) 03:33 (UTC)
>ならば、その「何も書かれていない」内容を、まずは在日コリアンに記述されてはいかがですか?(Stranger non general personさん)
保護解除されたところですし、時間と労力の可能な範囲でそうしようと思います。ですが、コレ、「あっち行け」みたいな意味で言われてるんですか? 民族問題としての切り口と「在日コリアン」そのものを説明することとは別だと思いますが。Stranger non general personさんとはお返事しないままになっている論点もたくさん積み残しているのですが(どれも書くのに難しいことばかりで音を上げていた旨、書き続けましたが)、ある瞬間からどうも非友好的なおっしゃりようで戸惑ったままです。とはいえ、当然、つられて私もそういった物言いになってしまいます。
>大辞泉の「少数民族」には以下のように掲載されていますね。?(Stranger non general personさん)
▼ご紹介の辞書(のご紹介の説明文)には国籍のことなど何も書かれていません。ご発言は、在日コリアンの問題が民族問題ではないとするStranger non general personさんの一観点として承りました。「厳密には」という限定は必ず外します。また、その後につづく「民族問題ではない」とする一文にも反対します。「厳密には」と言うだけの限定に、現時点では根拠が提示されておらず、受け入れられる文案ではないからです。▼あまりに自信をもって「辞書にそう書いてあるという事実」と書いていらっしゃるので、ご紹介の文章を何度も何度も読み返しました。しかし、どこにも「国籍」への言及がない。変だなあ、引用箇所をお間違えになったのかと最初は思いました。その後、「複数の民族によって構成される国家」のくだりを読むにあたって、「構成」の語を「当該国家の国籍保持」と読解しているのだということに気づきました。▼どうも国籍保持者のみが国家構成者であるというPOVな前提で辞書を読解しているように思えます。▼しかし、米国在住の移民でグリーンカードをもっている人々がいて、その子らはもちろん米国籍であるという場合、米国籍をもたないがグリーンカードをもっている一世の労働者は合衆国を構成していないが二世の息子(例えばそれをまだ4歳だとしましょう)は合衆国を構成していると見るべきなのでしょうか。そのように見るべきか否か、これは議論が分かれると思います(ご紹介の辞書はこれを回避した表現を用いているように思えます。もちろん、国民たる法的要件は、日本では、国籍の保持ですが、少数民族の解説に法的要件をもちだしていません)。▼個人的見解を言えば、もちろんStranger non general personさんのような立場、つまりどのような名前で国籍を取得するのか勝手だが日本国籍をもてば日本人なのであるという立場を日本人の多数と日本政府が戦後すぐから堅持していれば、「在日」などというおかしな名称で認識される民族問題など発生しなかったのではないかなーと想像します。これは個人的な想像です。▼大日本帝国においては朝鮮人問題は民族問題だが、戦後、日本国籍から外したから民族問題ではないという主張なのだろうと思います。では、いずれの国民でもない(所属する国家をもたない)朝鮮籍の人間に関する問題は民族問題として認識しないということでしょうか。1945年から1948年8月~9月以前の日本在住朝鮮人に関する諸問題は民族問題として認識しないということでしょうか。そんな無茶な。▼帰化したら者との関係は国内の民族問題として捉えるが帰化しなければ国内の民族問題ではないというのは日本政府がとりつづけた立場(=POV)ですし、勿論その立場も記述されるべきですが、同時にこれに対する批判がずっと存在しつづけてきたことも、常にふまえられているべきです。そうでなければ「問題」の所在を説明できません。▼なお、梅棹忠夫監修『新訂増補版 世界民族問題事典』(平凡社、2002年)には日本の民族問題としてもっとたくさんの問題が挙げられていましたが、項目として大きかったのは北海道先住民、沖縄、朝鮮人(台湾人もあったはずですが記憶がかなり曖昧)だったように記憶しています。また借りてこないと引用できませんが、これもまた権威ある部類の本だと思っています。--Iosif 2007年1月13日 (土) 17:15 (UTC)--修正と追記。--Iosif 2007年1月13日 (土) 18:14 (UTC)
さらに追記。ロマやポマックも民族問題という認識枠組みから排除するとおっしゃっているのでしょうか??? Stranger non general personさんの解釈ではそういうことになってしまいます。これは問題があります。--Iosif 2007年1月13日 (土) 18:20 (UTC)

Iosifさんの判断には問題があります。在日外国人に関する問題は、日本の民族問題には該当しません。在日外国人は日本の民族とは呼べないのですから。在日コリアンは日本民族ではなく、朝鮮または韓民族だと主張しています。在日外国人または在日コリアンの項目に記述してください。北朝鮮籍の人々に関しては難民問題です。これは日本政府のPoVという認識は間違いであり、世界的に見ても永住権の所有者は国民ではありません。--ちとせ 2007年1月13日 (土) 21:33 (UTC)


  • 私は、在日コリアンの問題は(少なくともまず最初に)「在日コリアン」に書くべきだ、と申し上げているだけです。
  • 申し訳ありませんが、まずは私の質問に答えていただけませんか? 「貴方(Iosifさん)は、『在日コリアンの問題は厳密には日本の民族問題ではない』という事実を受け入れるのですか?」 最初から一貫して申し上げているように、「厳密には」という限定は外さないでください。つまり、もっとも厳しい条件、もっとも多岐に渡る条件において、という意味です。その前提の元でも「国家を構成する一員であるか否か」という分類の条件として、国籍の有無は含まれないのですか?
  • 「ロマやポマックも民族問題という認識枠組みから排除するとおっしゃっているのでしょうか?」という問いですが、まずは議論を拡散させないでいただきたいと釘は刺しておきます。
  • その上であえてお答えしますが、そのとおりです。なぜならこの記事は「日本の民族問題」であり、ロマやボマックの問題は明らかにこの記事の枠組みからは外れます。
  • 民族問題全般に議論の枠を広げたとしても同じことです。彼らが現在居住している国家の国籍を有していないのなら、その国の民族問題には含まれないでしょう。彼らはその国の領域に居住する他の国の国民もしくは無国籍者であり、その国を構成する一員ではありません。故に彼らの問題は厳密にはその国の民族問題ではなく、外国人定住者問題、無国籍者問題、あるいは難民問題と区分すべきです。
  • もう一つ釘を刺しておきますが、だからといってロマやボマックの人権を無視していいとは、私は一言も言っていません。また、ロマやボマックにルーツに持つ人々が(その国を構成する一員であるにも係わらず、そのルーツを理由として)差別や偏見による被害を受けているのなら、それは民族問題です。それは私の前回の投稿でも申し上げたとおり、日本における朝鮮系・韓国系日本人でも同じことが言えます。ですから(これも前回の投稿で書いたとおり)「厳密には民族問題には含まれないとしても、民族問題と密接に関係のある問題ではある」という御提案なら、お話し合いをさせていただく準備はあります。ただしWikipediaは百科事典である以上、厳密には日本の民族問題ではないという記述は必要だ、と申し上げているのです。
  • 最後に、もう一度繰り返しておきます。この記事の名称は「国際的(あるいは「国家間」)の民族問題」ではなく「日本の民族問題」です。
--Stranger non general person 2007年1月14日 (日) 02:03 (UTC)
同じ話の繰り返しです。ちとせさんのご意見に申し上げられるのは、それが「日本の民族問題」だというだけの話です。▼Stranger Jnon general personさんに対しても同じ話の繰り返しです。国籍から排除すれば「日本の民族問題」という枠組みから外すことができるというわけではありません。そのようなことが可能なら、あらゆる政府が単に行政施策のみで問題枠組みを操作できてしまいます。「外国人定住者問題、無国籍者問題、難民問題と区分すべき」というのはStranger Jnon general personさんの独創、もしくはそのように考える人が世にいくらかいるという話だと思われます。そして、「日本国籍でないがゆえに」という問題の立て方への異議申し立ても一貫して行われてきております。ご質問には最初からずっとお答えしつづけておりますが、ご覧いただいていないのでしょうか。「厳密には」という限定どころか「日本の民族問題ではない」という「主張」を「事実」であるなどとはみなしておりません。提案文には同意しません。反対です。何度もそう書いております。▼植民地時代に関東大震災で虐殺がありますね。これは民族問題ではないのでしょうか。戦時中には日本兵として戦った朝鮮人がいますね。これが日本人ではないとして恩給その他の補償から排除されるという悲劇がある。日本国籍から排除されたとたん民族問題ではなくなると言うのでしょうか。言葉遊びにしか思えません。▼では日曜日ですが出かけますので、またしばらく後か、後日に。--Iosif 2007年1月14日 (日) 03:34 (UTC)
  • 「後日」とは四ヵ月後のことでしょうか?
  • 貴方(Iosifさん)の主張は全て「在日コリアン」に(少なくとも問題の存在自体は)記述されていますね? では、なぜわざわざこの記事(日本の民族問題)に現在ほど詳しく記述する必要があるのか、と私は問うているのです。
  • 「在日コリアンの問題は特別の事情があるのだから、民族問題に準じて扱うべきだ」という主張はもう結構です。それを(完全には)否定していません。私は、現在の日本において「複数の民族によって構成される国家の中で、相対的に人口が少ない民族」という定義に日本国籍を有しない在日コリアンは含まれない場合があるのは事実だ、と書いているだけです。なぜなら在日コリアンは現在も自らの意思で日本国籍を取得することを拒んでいる=完全には日本という国家を構成する一員ではないからです。
  • 在日コリアンの「帰化」にもこうあります。
ながらく在日コリアンを日本社会の構成員として取り扱おうという主張があった。これには単なる実態の反映でしかないという見方もあれば、単に法制度が実態を反映していないという批判もあった
つまり、法的には在日コリアンは日本の構成員ではない=厳密には日本という国家を構成する一員ではないのです。
  • 最後に一言。「あらゆる政府が単に行政施策のみで問題枠組みを操作できてしまいます」とは、一体何のことですか? それぞれの国家には主権が存在し、(まともな民主主義国家ならば)立法・行政・司法の独立が定められています。日本も日本の主権の元に国籍法を定め、その枠内で行政がそれを執行し、それを司法が監視しています。全ての他の国家と同じように、です。私は貴方が何を言っているのかがさっぱり解りません。
--Stranger non general person 2007年1月14日 (日) 05:23 (UTC)

日本の国籍を持たないものはすべて皆「外国人」です。よって日本国の国籍を持たないの人々の就労問題や、差別問題を解決するときに日本としては外国人というくくりで法律を改正するより他ありません。 また、日本国はこの国に長期滞在している人々に帰化を勧めています。そうすれば日本国民として扱えるため法律・法令に照らし合わせて適当な権利を与えやすいためです。しかしながら彼らは帰化しません。他国と日本の一番の違いはここです。日本は帰化を勧めますが、相手は帰化しない。これは自分たちは朝鮮半島の国家の人間であり、日本国民でないそして日本国に外国人としているということの証明になります。よって、これは日本の外国人問題なのです。Iosifさんはどうしてここまで朝鮮半島人を日本の民族問題にしたがるのでしょうか?彼らは外国人であることを望んでいるのです。それなら当然外国人問題でしょう?Remington 2007年1月14日 (日) 12:14 (UTC)

ご両人とも、ご意見を述べるのも、もはや繰り返しモードに入っていませんか。▼Remingtonさんに逆にうかがいたいのですが、なぜ朝鮮人問題を日本の民族問題としてとらえてはいけないのでしょう。お書きになっているとおり、「それは国家間問題である」「国家間問題以上であってはいけないものである(日本の問題ととらえてはいけないものである)」「つきつめれば日本の住んでいるのがおかしな事態なのだ」という判断を前提にしていますか?▼日本国を構成する者ではないというStrangerNonGeneralPersonさんのご意見も十分に承りましたし、国籍をもたないから「民族問題」という問題枠組みから排除したいというご意見も承りました。しかし、そのようなご意見はココでしか聞いたことがありません。あ、一部のお役人が書いたもので見たことがあるかな。しかし比較の視座がない「民族問題」項目にしてしまっては、「日本の民族問題」と題する項目である意義をもたないでしょう。旧植民地出身者がもたらす民族問題は世界中に(先進国にと言ったほうがいいか)偏在する普遍的な問題です。手近に思い出せるところで梶田孝道など多くの「民族問題」に関する教科書において「日本の民族問題」の一として朝鮮人問題を取り上げています。▼StrangerNonGeneralPersonさん、言っていることがわからないと言われても、同じことを書いているのですから、偉そうなことを言って申し訳ないですけれども、とんでもない親切を要求されている気分です。私は、日本のケースを、戦後、旧植民地出身者を出入国管理行政によって処理することで欧米では宗主国国籍になってしまうのが普通であるパターンを外国籍とすることに成功したケースであると認識していますが、このような施策によって「民族問題」として捉えることから除外されるほど、問題を認識する枠組みというのは単純ではない、それほど単純であれば解説さえ要らない……と言い換えればいいでしょうか。▼「ポマックの一部」について人権云々とおっしゃっていましたが、これは何に対して返答なさっているのかわかりません。この例示はブルガリアが国民としてみとめていない(というか存在も認めていない)ケースを指しています。これはブルガリアの民族問題だろうと思います。▼「『後日』とは四ヵ月後のことでしょうか?(StrangerNonGereralPersonさん)」とのこと。何度目かわかりませんが、この種のあてこすりはうんざりです(あてこすりになっているのかどうかはわかりませんが/4ヶ月、間があいたのは私のせいではないうえに、間があいたとして何ほどのことでもないと思っているので)。さて、同じ話を繰り返しているだけなのだから4時間後でも4ヵ月後でもやはり同じ繰り返しだと思います。で、同じ話ならばお返事が4時間後だろうと4ヶ月後だろうと非難されるいわれはないと感じていることをあらかじめ表明しておきます。▼旧植民地出身者に関する諸問題は「日本の民族問題ではない」という「主張」を「事実(StrangerNonGereralPersonさん)」であるなどとはみなせません。繰り返しになりますがStrangerNonGereralPersonさんが「辞書にそう書いてある、という意味では『事実』です」などと書いているのは驚愕すべき事態です。だって、そんなこと書いてないじゃないですか。『大辞泉』には「少数民族」に関する説明文があっても、そこで用いている「構成」の語を「当該国家の国籍保持」なのであると、同じ『大辞泉』が定義しているという事実があるわけでもありません。▼それ以前に、たかだかこのていどの記述から「日本の民族問題ではないのです」と導き出すのはStrangerNonGereralPersonさんの解釈でしかありません。そう考えて、私は、米国のグリーンカード保持者は米国民ではないが米国を構成していないと『大辞泉』はみなしているのか、そのようなものは民族問題ではないと『大辞泉』は立場表明しているのか(辞書なのに!?)とお尋ねすべく例示したわけです。私は国籍をもたない住民が民族問題として捉えられるべきケース、当該国家を構成すると考えることができるケースをいくつも挙げて尋ねていますが、これに対してStrangerNonGereralPersonさんは言及を避けています。その他、現在提出されている根拠だけですと、外国籍であれば民族問題の射程には入らないというのはStrangerNonGereralPersonさんの主張であるとしかみなせません。このような主張に拘束される必要を感じません。--Iosif 2007年1月14日 (日) 17:32 (UTC)
というか、よく見たら、辞書の、しかも「少数民族」の語を引いているわけですか。民族問題はいつから少数民族にまつわる問題であることになったのでしょうか。一事が万事、勝手に決めた枠組みだらけです。--Iosif 2007年1月14日 (日) 18:26 (UTC)
「国籍を持たない者」がいるとでも?彼らは「朝鮮半島のいずれかの国家に属する国民」ですよ。そして彼らは朝鮮半島の国家に所属する国民。また、彼ら自身が日本の一民族としてでなく朝鮮半島の民族として取り合ってほしがっていることに注意すべきだといっているのです。日本の国籍をとらない云々というのはこれの証明のために取り上げたにすぎません。
それにここに書いてある在日コリアンの問題はそれ自体が「在日コリアン」の内容と同じだということ。これ、問題ですよ。民族問題の項にも、在日コリアンの項にも、同じことが書いてある現状はおかしいですね。在日コリアンの項に「民族問題としての在日コリアン」という項目を立てるほうが重複もなくはるかに簡単ですよ。項目内容の重複が多いのは問題だという点はわかりますな?
「つきつめれば日本に住んでいること自体がおかしいのである」という事実は本当じゃないですか(笑)彼らの帰国に制度を設けて日本の国庫から金を出して応援したこともあれば、帰化制度も設けています。日本は。しかしながら朝鮮半島に帰属したいといいながら祖国に帰国しなかった。帰国しなかったにもかかわらず、帰化もしなかった。どっちに居たいかはっきりしない。それでも権利だけは求める。これがおかしくないとでも?
「国家間問題以上として扱われるべきでない」「民族問題として扱われるべきでない」といっているわけではありませんよ。中立性を保つべきだといっているのです。この問題は「民族問題」として扱われることもありますが「外国人問題」としてとりあげられることもあり、さらには「在日コリアンの問題」というどっちも含めたような、どっち付かずなときもあります。だからどっちにするかしないかでなく「在日コリアン」というこれ一つの問題にしぼった言い方にしたらいいということです。「在日コリアン」は外国人問題だという人も民族問題という人もいる、詳しくは「在日コリアン」という記述ではどうです?Remington 2007年1月14日 (日) 18:49 (UTC)
  • 当てこすりとは心外ですね。純粋に、お答えに必要な時間を質問しているだけです。
  • ともかく、「在日コリアンの問題は特別の事情があるのだから、民族問題に準じて扱うべきだ」という主張はもう結構だ、と繰り返して申し上げます。私は最も厳格な基準を当てはめた場合は、在日コリアンの問題は「日本の民族問題」ではない、と申し上げているだけです。根拠は貴方(Iosifさん)以外の全員が主張しているように、在日コリアンは、(少なくとも現在は)自らの意思で日本の国籍を取得することを拒否しているからです。故に在日コリアンは、日本という国家を構成する一員ではありません。違うと仰るなら、どのような厳格な基準に照らし合わせても、在日コリアンは日本という国家(≠社会)を構成する一員であると見なしうる、という論拠を明らかにしてください。
  • 議論を拡散させないようにしてください。アメリカのグリーンカード云々の話を持ち出しても無意味です。当然彼らは外国人定住者でありアメリカという国(≠社会)を構成する一員ではありません。故にアメリカ国民と完全には同じ権利を保障されていませんが、それはアメリカの立法府がそのような法律を定め、アメリカの行政府がその枠内で法律を執行し、アメリカの司法当局がそれが正しく執行されているかを監視している限りまったく問題はありません。そして彼らの、外国人定住者として認められた枠内での権利が侵害されたのなら、それは「アメリカの外国人定住者問題」です。アメリカの民族問題ではありません。
  • 同じように、在日コリアンは外国人定住者であり日本という国(≠社会)を構成する一員ではありません。故に日本国民と完全には同じ権利を保障されていませんが、それは日本の立法府がそのような法律を定め、日本の行政府がその枠内で法律を執行し、日本の司法当局がそれを正しく執行しているかを監視している限りまったく問題は無いのです。そして彼らの、外国人定住者として認められた枠内での権利が侵害されたのなら、それは「日本の外国人定住者問題」です。日本の民族問題ではないし、いわんやアメリカとはまったく一切何のかかわりも無い話です。
  • もう一度書いておきますが、私は(もしそのような事例があるのなら、ですが)朝鮮系/韓国系日本人が具体的な差別や偏見の被害にあっているのなら、それは「日本の民族問題」であることを認めています。(記述にどのような比重を置くかはともかくとしても)その問題が在日コリアンと密接に関係している事も認めています。ただし、日本の国籍を持たない在日コリアンの問題は厳密には『日本の』民族問題ではない、と言っているのです。
--Stranger non general person 2007年1月15日 (月) 04:48 (UTC)

そもそも民族という概念を誤解してる所が見受けられるが、リンクされてる英語版からも解るがこの記事のタイトルは「日本の民族問題」であって「日本の民族問題」ではない。韓国人も中国人もブラジル人も「ethnic group」民族であり、これ等のグループがその「ethnicity」民族性により問題に直面したらそれは「ethnic issue」民族問題と呼称される。この問題について日本国内と範囲を限定して記事を書くとタイトルは「ethnic issues in Japan」日本の民族問題となる。--Sequitur 2007年1月15日 (月) 23:29 (UTC)

それがどうかしましたか? 貴方(Sequiturさん)の言い方を借りれば、今の話題は「日本国内の民族=ethnic group in japan」という定義に、最も厳密な条件の下でも在日コリアンが含まれるか否か、ということなのですが。
いずれにしろ、ここは日本語版Wikipediaです。一義的な意味づけは日本語を元に為されるべきです。意味合いが異なるというのなら、英語版へのリンクを削除、もしくは相当する記事にリンクを貼りなおせばいいだけです
--Stranger non general person 2007年1月16日 (火) 01:06 (UTC)
貴方の言う最も厳密な条件の下とは具体的にどんな条件なのか知りませんが国連や日本政府の公式見解ではその条件を満たすのでしょうか?国連の人種差別撤廃委員会によるConcluding observations of the Committee on the Elimination of Racial Discrimination : Japanという報告書がありますがこれを訳した物が外務省にありますがこの中の一文に:
委員会の報告ガイドラインにおいて要請されているように、人口の民族的構成比についての完全な詳細、特に、韓国・朝鮮人マイノリティ、部落民及び沖縄のコミュニティを含む本条約の適用範囲によってカバーされているすべてのマイノリティの状況を反映した経済的及び社会的指標に関する情報を次回報告の中で提供するよう、締約国に勧告する。
とあります。人口の民族的構成比に在日コリアンが含まれるとすると、国連と日本政府は在日コリアンは「日本国内の民族=ethnic group in japan」に含まれると認識している事になります。またこのQ&A等にも在日韓国・朝鮮人が含まれていると明記されています。 --Sequitur 2007年1月19日 (金) 03:53 (UTC)
ええ、その報告書では、日本の民族という概念に在日コリアンを含んでいるのでしょうね。 正に貴方が仰ったとおり、その報告書はマイノリティに関する報告書ですから、民族『的』という表現で在日コリアンを含めたのでしょう。で、それがどうかしましたか?
--Stranger non general person 2007年1月19日 (金) 04:55 (UTC)

これを民族問題だと主張するなら、アメリカ国籍を持たない、日本人のアメリカ留学生はアメリカの民族問題に含まれると言うことですね・・--ちとせ 2007年1月17日 (水) 12:31 (UTC)

国籍を持ち出すところを見ると民族の概念を誤解しているようだが、日本人留学生の数が4万人程度ではなく100万人程までに膨れ上がり特筆に値する程の問題が生じたらアメリカの民族問題を語るときに触れられる事になるでしょう。--Sequitur 2007年1月19日 (金) 04:01 (UTC)
  • で、それがどうかしましたか? >Sequiturさん
  • ええ、「触れられる」事については完全に否定はしていませんよ。私はそのときに(もしそのような記事が出来たのなら)「日本人留学生はアメリカ国籍を有しておらず厳密にはアメリカの民族問題ではないが、同種の問題として語られる場合がある」と編集しようとするでしょうね。少なくとも、投票になったらこちらに一票入れます。
  • 繰り返します。「触れられる」度合いについては話し合う用意はあります。その上で「朝鮮系/韓国系日本人について問題があるのなら、それは間違いなく『日本の』民族問題だし、その問題には在日コリアンの問題が密接に関わっているのは確かだ」とも言っています。ただしその話し合いにはまず、在日コリアンの問題が厳密には『日本の』民族問題ではない、というコンセンサスが必要だ、と私は主張しているのです。
  • 国籍の有無を問題にしているのは、在日コリアンが(少なくとも現在は)自らの意思で日本国籍を取得することを拒んでいるからです。論点をずらさないでください。彼らは日本という国(≠社会)を構成する一員ではなく、また日本という国家(≠社会)を構成する一員になろうという意思も持っていません。故に彼らは厳密には『日本の』(少数)民族ではない、と言っているのです。
--Stranger non general person 2007年1月19日 (金) 04:55 (UTC)
少数民族において、在日コリアンと国籍について揉めているようですね。
大辞泉の「少数民族」の「複数の民族によって構成される国家の中で、相対的に人口が少ない民族」という文言を根拠に、構成が政治参加を前提している書き方ですね。
しかし、政治参加だけでなく、国家への帰属先が日本じゃなくても、生産活動・労働などで、日本社会に寄与し、貢献しているのであれば、社会を構成していると考えてもいいのではないでしょうかね。「構成」という言葉は「参政権」というものに結びつかなればならないものでしょうか? もしそれなら、大日本帝国時代の日本人女性は厳密には社会に構成される人々ではなかったし、現代日本の未成年は長者番付上位に乗るほど稼いでいたとしても(例:10代時代の宇多田ヒカル)、厳密には社会に構成される人々ではないと考えていいんでしょうか。--経済準学士 2007年1月30日 (火) 21:31 (UTC)


「投票の提案」節でお答えしてあります。もしお返事がいただけるならそちらに頂ければ幸いです。
念のため、こちらにも一言お返事しておくのなら、「(日本)社会≒(日本)国家」あるいは「社会⊇国家」ではあっても、(数学的な意味で)「社会=国家」ではない、ということです。
--Stranger non general person 2007年1月31日 (水) 05:50 (UTC)

合意事項の提案[編集]

さて、一週間の間、特に異論も無いようですから、保護解除に向けて以下の点を合意事項とすることを提案します。
  1. 「主要な少数民族」の節を「在日華僑」の部分で分け、その先頭に「以下のマイノリティは日本国籍を有しておらず、また(少なくとも現在は)取得の意思も無い為、厳密には彼らの問題は日本の民族問題ではないが同種の問題として語られる場合がある」という記述を追加する。
  2. 在日コリアンに関する記述を一旦全て削除し、「琉球民族」のように「詳細は在日コリアンを参照」とする。
  3. (日本国籍を有する/希望する)朝鮮系・韓国系日本人の民族問題が存在する場合は、その記述を追加することは妨げない。
    (1)ただし将来、朝鮮/韓国系日本人の記事が独立して追加された場合は再度検討する。
  4. アイヌの節を追加し「詳細はアイヌを参照」とする。
  5. 「国連人権委員会特別報告」の節は「国連人権委員会」へ移動する。この記事内ではその存在のみを記述する。
以上、ご検討ください。--Stranger non general person 2007年1月26日 (金) 05:35 (UTC)
賛成です。
Remington 2007年1月26日 (金) 19:29 (UTC)

反対。何度も述べましたが、「問題」(とみなす意識とでも言いますか)の対象となっている人間・集団の国籍と、その問題が「日本の民族問題」の枠組み内にあるか否かということとは無関係であるため。 国籍によって「民族問題と捉える範囲」を限定しようという(誤った/一般的ではない)方針に基づいた編集を加えるという意思表明がなされているかぎり、保護解除にも反対せざるを得ません。 ▼もちろん、編集方針と解除の是非とは直接関係ありませんが、明らかに批判され(批判しあい)対立がある(それも真っ向から違う/話がすぐに終わるほど違うくらいの対立がある)状態での解除がもたらすのは編集強行と編集合戦であるのは明らかです。▼保護解除の合意取り付けでさえ慎重でないところからも、保護解除後にこの項目が見せる姿を予見していただけるだろうと思います。--Iosif 2007年1月26日 (金) 19:39 (UTC)追記と修正。--Iosif 2007年1月26日 (金) 23:28 (UTC)

(まあ、「それがどうかしましたか?」で返し続けることで相手が退散したら「異論もないようですから」と宣言してみせるということ自体、無茶です--以上追記)--Iosif 2007年1月26日 (金) 19:42 (UTC)
「それがどうかしましたか?」と返しているのは、貴方(Iosifさん)やSequitur さんが私(達)が既に何回も説明している事柄を蒸し返しているからです。この記事の名称は「日本の民族問題」です。日本の国の中の問題(と、通常の日本語の解釈なら受け取られるでしょう)である以上、問題の当事者であるか否かの判定に国籍が用いられる場合があると言っているのです。
更に(少なくとも私は)「厳密には日本の民族問題では無くても、朝鮮系・韓国系日本人とは密接に関係のある問題だ。この記事の中で触れられる事自体には話し合う用意はある」と呼びかけています。それを無視しているのも貴方(Iosifさん)です。
最も顕著なのは、貴方(Iosifさん)が「現在の琉球民族(「参照」だけ)やアイヌ(Wikipedia内へのリンクすらない)に比較してあまりにも在日コリアンに記述の比重が偏りすぎている。「在日コリアン」や「特別永住者 」、「在日外国人日本の外国人)」という記事もあるのに、なぜこの記事の中でこれほど詳しく触れなければならないのか?」という疑問に一切答えていないことです。これは(少なくとも私には)貴方(Iosifさん)がPOVの元に「反対の為の反対」を行っている為としか思えません。
私は上の提案で「他の日本の少数民族と在日コリアンを同等に扱おう」「『在日コリアンは日本の国籍を持っていない』という注釈を入れよう」と提案しているのですよ? 貴方(Iosifさん)はそれにすら反対しているのです。今まで言うまいと思っていましたが、この際ですからはっきりと問いましょう。貴方(Iosifさん)には、この記事から在日コリアンの記述が削除されると困ることでもあるのですか?
--Stranger non general person 2007年1月27日 (土) 02:20 (UTC)

「日本国籍を持つ者に関する事柄でなければ『民族問題』として捉えない」などという聞いたこともないドグマを、典拠もナシに延々と繰り返しているから反対される、というだけの話です。蒸し返されたと呼ぼうと呼ぶまいと結果は今後も同じことになると思います。▼諸外国の例を出しても「これは日本の民族問題だから外国の話なんか関係ない」「議論を拡散させないでください」などと返す(「議論の拡散」という言葉の意味をご理解でないまま使っているように思えます)、「日本の民族問題は外国人を扱わない」という自分の意見を世界の常識のように言って日系ブラジル人問題さえ民族問題ではないことにしてしまう、「民族」概念の誤解を指摘されても「彼らが自分の意思で帰化を拒んでいるのだから日本の問題ではない」(注1)と関係ない個人的な論考を発表する。これで合意に至ると思うほうが間違いです。Wikipediaは論争掲示板ではないそうです。Wikipediaは無数の匿名ユーザーによって編集される事典ですが、それを構成する情報は常に権威付けされているか確度が高いとされているものでなければならない。……という説教を私は何度も食らいましたし、基本的な方針を読むようにも勧められました。

(注1)ちなみにSequiturさんに対する答えであった「彼らが日本国籍を取得することを拒んでいるからです」というのも、何かの(政治的な?)対立図式を勝手に思い描いていそうですが、そういった政治的対立図式と「民族問題」という枠組みで何を捉えるかという話はまったく関係がありません。▼なお「彼らが自分の意思で帰化を拒んでいる」という表現も単純化しすぎて「間違い」だと私は思いますが。しかも、それに続けて「論点をずらさないでください」としていますが、いつから朝鮮人の「意思」がどうであるかが論点になったのかさっぱりわからない。

▼10000歩譲って、朝鮮人が日本の少数民族であるかどうかは議論が分かれるところかもしれない……とします。だとしても、Stranger non general personさんが打ち出しているテーゼはまったく成り立ちません。▼ちょっと回り道して、さらに立場を明らかにしておきます。たまたま福岡安則・金明秀『在日韓国人青年の生活と意識』(東京大学出版会、1997年)という統計調査とその分析を行っている本を読んでいました。それを読んでいて思う私個人の意見ですが、どうも最近の(最も遅くて団塊ジュニア?70年代以降?)在日朝鮮人の意識というのは、少数民族のものだと思います。しかし、これを言い換えれば、かつては(生活実態がどうであったにせよ)自ら外国人であることを強調した世代が明らかに存在するようです。北朝鮮の「共和国公民」であることを強調して少数民族化することを危惧する運動家もいたようです。いや、もっと遡れば、日本政府は敗戦時、朝鮮人の少数民族化を防ごうとしていた(国会への登壇は国体の危機であるとした)ようですし、朝鮮人もそれを拒んだようです。そうなると、少数民族として扱いたくないという考えをもつ人がいることはわからないではありません。私はそれでも実態を鑑みて少数民族の項目が編集されるべきだと思いますけれどもね。それはここでは関係のない話でしょう。

▼しかし、「“日本の”民族問題」だから日本国民だけを扱えというのは無茶苦茶です。「民族問題」というのは(支配的民族以外の)少数民族問題だけを扱う言葉だという話もココでしか聞いたことがありません(まさかそういうことを主張していたのだとは、Stranger non general personさんが辞書で「少数民族」を引いてきたときには気づきもしませんでしたよ)。それでは多民族帝国における民族問題も、国民形成過程において生じた民族問題も記述できません。「よそはよそ。日本は日本」と何度も返していらっしゃいましたが、普遍性を目指すことを最初から拒否した概念規定に基づいている記事=ここでは日本独自の(実際にはStranger non general personさん独自の)「民族」概念定義とか「問題」概念定義に基づいている記事など、百科事典には不要どころか、あってはならないと考えます。▼Stranger non general personさんが「日本国籍をとった朝鮮系日本人については記述しようと言っているのですよ」とまるで譲歩したかのような口ぶりになっていらっしゃいますが、無茶苦茶な前提から出発した「譲歩」など検討に値しません。また、「他の日本の少数民族と在日コリアンを同等に扱おう」という点には同意しますが、実際の編集方針が「これは民族問題ではない」という特殊なものであり、提案文も「以下のマイノリティは日本国籍を有しておらず、また(少なくとも現在は)取得の意思も無い為、厳密には彼らの問題は日本の民族問題ではないが」などという論理的に何のつながりもないことを並べているものであるかぎり、編集方針・提案文の双方に反対します。不適切な編集があれば修正します。▼それでは。4時間後か4か後か4週間後か4か月後かわかりませんが、同じドグマを繰り返していらっしゃるかぎり、同じように「それはおかしい」と申し述べるだろうと思います。--Iosif 2007年1月27日 (土) 18:23 (UTC)マークアップ追加。--Iosif 2007年1月28日 (日) 19:53 (UTC)

はい。そしてもう一度繰り返しましょう。それがどうしたのですか?
国籍の有無が問題になるのは、日本国籍を有しないものはそれを有するものより、日本という国家から保障されている権利が少ないからです。これは日本の憲法の下に日本の法律に定められています。他の(そうしている)全ての国と同じように、です。これは『民族』の違いから来る差別ではありません。国籍の有無による区別です。「だから、彼らの問題はアイヌや琉球民族(彼らは日本国籍を有しており法の下の平等が日本の憲法で保障されています)の問題とは違うのではないか?」という問いを、なぜ貴方(Iosifさん)は無視しているのですか?
繰り返します。私の上記の提案は、「在日コリアンは日本国籍を有していないので、彼らの問題は厳密には日本の民族問題ではないが、同種の問題として語られることがある」という注釈を付けた上で、日本の他の少数民族と同じレベルの記述にしよう、という提案です。『「他の日本の少数民族と在日コリアンを同等に扱おう」という点には同意』するのなら、貴方が問題にしているのは『「彼らが日本の国籍を有していない」という注釈を付けるか否か』だけではありませんか。貴方はなぜ、それだけの点にこうまで反対なさるのですか?
まぁともかく「他の日本の少数民族と在日コリアンを同等に扱おう」という点には同意していただけたのですから、多少合意案を修正しましょうか。
  1. 「主要な少数民族」の節を「在日華僑」の部分で分け、その先頭に『以下のマイノリティについては、「日本国籍を有しておらず、また(少なくとも現在は)取得の意思も無い為、厳密には彼らの問題は日本の民族問題ではない」とする意見も多く、民族問題として扱うべきだとする意見との間に議論がある』という記述を追加する。
  2. 在日コリアンに関する記述を一旦全て削除し、「琉球民族」のように「詳細は在日コリアンを参照」とする。
  3. (日本国籍を有する/希望する)朝鮮系・韓国系日本人の民族問題が存在する場合は、その記述を追加することは妨げない。
    (1)ただし将来、朝鮮/韓国系日本人の記事が独立して追加された場合は再度検討する。
  4. アイヌの節を追加し「詳細はアイヌを参照」とする。
  5. 「国連人権委員会特別報告」の節は「国連人権委員会」へ移動する。この記事内ではその存在のみを記述する。
この合意案は「個別の記事が存在する民族については一旦「詳細は○○を参照」との記述で統一し、個別の記事、もしくは他の記事に記述のある記述は削除する」という基準で作成しました。「国連人権委員会特別報告」の節の移動も、その基準に則って提案しています。
最後に一言。話し合う気がないというなら、それはそれで結構です。ただし貴方(Iosifさん)は、前回の編集で管理者から「荒らしだ」と認定されていることは忘れないでください。合意に基づかない編集は決して御身の為にならないとご忠告させていただきます。
--Stranger non general person 2007年1月28日 (日) 00:51 (UTC)
追伸 節を分けましたのでご連絡まで。
IosifさんやSequiturさんがまた同じコトを言い出す前にフォローを入れておきましょう。何故、私があなた方の反論をまともに取り合わないかといえば、この記事の名称が「日本の民族問題」だからです(これ言うのは何回目か、もう忘れてしまいましたが……)「民族」という概念が社会的に構成されるものであり、国家という枠組みは(少なくとも直接には)関係がない、という点は誰も否定していません。故に、あなた方の「反論」は誰にも取り合ってもらえないのです。
この記事の名称が「民族問題」あるいは「朝鮮民族問題」であり、その一部として「日本の朝鮮民族問題」という節があるのならまだ話は別です。しかしこの記事の名称は「日本の民族問題」です。故に私は「この記事には日本という国家を構成する民族についての問題についてまず取り上げるべきだ。日本という国家(≠社会)を構成する一員ではない在日コリアンを取り上げるには、少なくとも注釈が必要だ」と提案しているのです。
なんにしろ、「他の日本の少数民族と在日コリアンを同等に扱おう」という点には同意していただけたのですから、問題はこの点(注釈を入れるか否か)だけのはずです。論点をずらさないでください、とは重ねてお願いしておきます。
--Stranger non general person 2007年1月28日 (日) 05:39 (UTC)
そもそも、この項目すら中立性を欠くと、考えられますな。(笑)なぜならウィキペディア日本語版にはまず基準となるべき民族問題の項目がありません。また、これらの問題をGoogleで検索したところ一番最初に出てくる、旧ソ連圏の民族問題の項目がありません。また、深刻化する中東の民族問題の項目もありません。もちろん、曲解すれば民族問題と考えれないこともない欧州の移民問題アメリカのヒスパニック問題は当然民族問題として取り上げてはいないですし、現に虐殺の起こったと言われる中国の民族問題は触れるか触れないかの言及にとどまり単一項目はありません。いまだに統一されない朝鮮半島の民族問題の項目も存在ません。「他項目との比較でどのような状況を民族問題として取り上げるべきか」ということがわからない今のような状況で、中立性が生まれえるわけがない、とだけは言いましょう。何しろ日本の民族問題しか項目がない(他の民族問題の項目の設立がない)時点で、ねぇ・・・
その上でお聞きしたいのですが、この項目に記述されていることが、在日コリアンに偏っているのはいかがすべきでしょう?また、コリアンについての記述のほとんどが在日コリアンの項目に存在することはどう説明するのでしょうか?在日コリアンへのリンクさえ張れば、この項目にわざわざ記述するまでもないですよ?現に、アイヌ、琉球民族もその扱いです。だから今ある在日コリアンに関する項目もリンクくらいでいいでしょう。これで内容を中立に保てるのではないでしょうか?
最後にもう一つ。どうしてここまで国籍が大切かです。これはStrangerNonGeneralPersonさんの言うとおり世界の多くの国で施行されてる法律当該国国籍を持っていないものと、当該国国籍を持っているものには、法律で区別が生じるという法律のためです。要するに「日本国籍をとれば日本国は国民に対して平等を保障している」のですよ・・・。つまり在日コリアンは国籍を日本籍にすれば平等になる可能性が十分にある、然るによって国籍をとらない外国人の問題を日本人は外国人問題といったりするわけです。Remington 2007年1月28日 (日) 18:52 (UTC)

以下Iosif記:

>『「彼らが日本の国籍を有していない」という注釈を付けるか否か』だけではありませんか。(StrangerNonGeneralPersonさん)

全然違いますが、既に詳しく述べたので、今日はまあいいです。

>貴方はなぜ、それだけの点にこうまで反対なさるのですか? (StrangerNonGeneralPersonさん)

「日本国籍を持つ者に関する事柄でなければ『民族問題』として捉えない」などという聞いたこともないドグマを、典拠もナシに延々と繰り返しているからです。そのようなドグマに基づく編集方針には反対。保護解除にも反対。不適切な編集は適宜修正します。▼ただ、まあ、むしろ私の目には「これは『日本の民族問題』です」と何度書いても誰も取り合わないでいると見えています。なぜならば↓……

>「日本の民族問題」です。日本の国の中の問題(と、通常の日本語の解釈なら受け取られるでしょう)である以上、問題の当事者であるか否かの判定に国籍が用いられる場合があると言っているのです。(StrangerNonGeneralPersonさん)

「日本の民族問題」という言葉から「問題の当事者であるか否かの判定に国籍が用いられる」と導きだすのは通常の日本語理解ではあり得ません。異常な日本語理解です。誰も何もコメントしようがないのは当然だと思います。--Iosif 2007年1月28日 (日) 19:53 (UTC)--書き間違いを修正する。--Iosif 2007年1月28日 (日) 21:06 (UTC)

>「民族」という概念が社会的に構成されるものであり、国家という枠組みは(少なくとも直接には)関係がない、という点は誰も否定していません。故に、あなた方の「反論」は誰にも取り合ってもらえないのです。(StrangerNonGeneralPersonさん)

否定しないのならどうしてそこで「故に」となるのか理解不能。話が全然つながらない。

>これは『民族』の違いから来る差別ではありません。国籍の有無による区別です。(StrangerNonGeneralPersonさん)

出典もない個人的な解釈をうかがうのはもう結構です。どさくさに「民族問題」を「国家や行政などにからむ制度的に生じた問題」だけに限定しないように。たとえばミクロな人間関係における差別は制度によって作られるものもあればそうでないものもあります。--Iosif 2007年1月28日 (日) 19:53 (UTC)


同じことを繰り返さないでください。私は「国籍の有無が民族問題として捉えるか否かの条件になる」などと書いたことは一度もありません。「当事者の日本の国籍保持の有無が、日本の民族問題として捉えるか否かの条件になる(場合がある)」と書いているのです。 本当に理解できないのですか? それとも解らないフリをしているだけなのですか?
「ミクロな人間関係における差別」は、それはあるでしょう。それを否定したことはありませんし(差別を)容認したこともありません。それをWikipediaで取り上げることを否定したこともありません。ただし、日本国籍を有しないものに対する差別は外国人差別と区分されるべきであり、(無条件には)民族差別と区分すべきでないと言っているのです。そこで「少なくとも(日本国籍を有する)琉球民族やアイヌに対する差別と同列にあつかう場合は注釈をつけるべきだ」という合意案を提示したのです。
お返事をいただけるのは結構ですが、話を前進させるために、上記の合意案の何に反対なのか、まずそこを具体的に述べてはいただけませんか? 「前提が間違っている」というお話はもう結構です。でなければそれこそ、貴方が自分と政治的意見を異にする人間を議論から排除しようとしているように思われてしまいますよ?
繰り返しになりますが、貴方(Iosifさん)は前回の編集で管理者から「荒らしだ」と認定されていることは忘れないでください。合意に基づかない編集は決して御身の為にならないと繰り返しご忠告させていただきます。
--Stranger non general person 2007年1月29日 (月) 00:42 (UTC)
追伸
失礼、Iosifさんははっきり『「日本の民族問題」という言葉から「問題の当事者であるか否かの判定に国籍が用いられる」と導きだすのは通常の日本語理解ではあり得ません。異常な日本語理解です』と書いてらっしゃいますね。これは、貴方(Iosifさん)と私が(この問題に限っては)日本語でコミニュケーションを取る事は不可能であると仰られていると解釈するしかないでしょう。投票を依頼した方がよさそうですね。
--Stranger non general person 2007年1月29日 (月) 01:59 (UTC)

投票設置反対、なのはもちろんです。むしろ、コメント依頼でしょう。横着してるんじゃないですか。▼しかし、私は延々と独自の論考・独自の定義・独自の決めつけにしか見えないし、そう確信しているんですが、StrangerNonGeneralPersonさんがそれほどご自分の解釈に自信があって同じことを言い続けるなら、どうして典拠の一つも出ないんですか? 朝鮮人問題を民族問題と扱っているものは梅棹忠夫編『新訂増補版 世界民族問題事典』(平凡社、2002年)、梶田孝道『国際社会学』(放送大学教育振興会, 1995年)、田中宏『在日外国人』(岩波書店、改訂版1995年)等々、手元にあるだけでも出てくるんですが。 --Iosif 2007年1月29日 (月) 07:50 (UTC)--誤って呼び捨て。失礼しました。修正。--Iosif 2007年1月29日 (月) 07:58 (UTC)

私の意見は無視ですかな?
現在この記事の内容が全体的に在日コリアンに偏っていること(中立性の欠如)、さらに項目の内容の中に在日コリアンの項目の抜粋、あるいは重複と見られる部分が多くあること、これについて、まず意見をお聞かせ願いたい。125.55.168.184 2007年1月29日 (月) 08:14 (UTC)
ログイン忘れてました、失礼しました Remington 2007年1月29日 (月) 08:17 (UTC)


申し訳ありませんが、私から貴方(Iosifさん)にお返事する意思はもうありません。貴方は私の意見に対して「通常の日本語理解ではあり得ません。異常な日本語理解です」という評価を為さいました。これは(少なくとも私には)私に対するコミュニケーションを拒否したとしか解釈できません。私からお返事できるのは、貴方(Iosifさん)には私が投票依頼を出すのを止める権利は無いという事実を指摘することだけです。--Stranger non general person 2007年1月29日 (月) 08:34 (UTC)

「日本国籍を持つ者に関する事柄でなければ『民族問題』として捉えない」などという聞いたこともないドグマを、典拠もナシに延々と繰り返すのみならず、それに対して説明することなく「何度も繰り返します」「言っておきます」と前置きしたうえで(上記のドグマについて)「通常の日本語理解ではこうなります」と繰り返すのであれば、他に評しようがありません。それは通常の理解ではありません。これまで「これは通常の日本語理解」とだけ繰り返すのみで、何を根拠に言っているのか説明なさらなかったことのほうが対話拒否に当たると考えますが、それはまあいいです。そういう人は多いです。しかし、それに対する反応を引いてStranger non general person さんが私の権利を云々するのはひどい飛躍ですね。ですが、まあ、それも結構です。投票依頼というのは何を意味するのかわかりませんが、「依頼」という名にふさわしくどこか、ノートの外で広く判断を仰ぐ意思があるのであれば私はかまわないと思っています。しかし、誰も見ていないローカルな場所で、こっそり強行採決するのであれば異議を唱えつづけますし、そんな方法で物事は進まないでしょう。具体的には、それで、まず保護解除できるのかどうかが極めて疑問です。--Iosif 2007年1月29日 (月) 09:06 (UTC)--Iosif 2007年1月29日 (月) 09:13 (UTC)

ノート:少数民族でも申し上げましたが、同じことを繰り返すことをご容赦ください。
まず「在日韓国・朝鮮人を日本の少数民族と認めた場合、在日韓国・朝鮮人の問題が『日本の民族問題』となる」ということはご同意いただけるかと思います。そして在日韓国・朝鮮人を日本の少数民族とする学術的立場はノート:少数民族でIP氏が挙げられたように明確に存在しています。翻ってStrangerNonGeneralPersonさんやちとせさんが主張なさる「日本国籍を有しない限り少数民族とは認められない」という考えは一体どこの誰が主張しているのかが不明です。日本政府はこの手の話に付いては明言を避けるというのが一貫した態度と思われますし、どなたかこの考えをはっきりと明言した方はおられるのでしょうか?もし仮にStrangerNonGeneralPersonさんやちとせさんによる独自の主張であるならばウィキペディアに記載するのは不可です。Wikipedia:ウィキペディアは何でないかWikipedia:検証可能性などを参照ください。この立場が存在したとしても「他者か検証可能な出典を提示」することが記載するためには不可欠です。
そして「日本国籍を有しない限り少数民族とは認められない」という考えの出典が提示された場合も「両論併記」が原則であり、どちらか一方のみの記載は認められません。
以上のようなことより、私もこのことを投票で決めることには反対。そもそも投票で決めるような事柄ではありません。
ただIosifさんももう少し上手い説明のしかたがあったのではと思います。唐突に口を挟んでこのようなことを申し上げるのは、全く持って無礼の極みであり、長年のIosifさんのご苦労はもちろん存じ上げておりますが・・・。すいません。らりた 2007年2月2日 (金) 12:16 (UTC)
えーと、この節に書くことが適切がどうか、ちょっと判断付かないのですが、「在日韓国・朝鮮人を日本の少数民族とする学術的立場」について追加です。政治学において「デニズン」という概念があります。定住外国人を共同体の一員と捉え、一時的に居住する外国人(エイリアン)と市民権/国籍保持者(シティズン)の中間に位置づけるという考え方なのです。この考え方に従えば、永住権を持つ在日韓国・朝鮮人を巡る問題は「日本のエスニック・マイノリティに関する問題」に含まれます。もともとはトーマス・ハンマーという学者の主張(氏の著書は『永住市民(デニズン)と国民国家』として邦訳されています)ですが、私が読んだのはハンマー氏の著書ではなく、それを元にした李光一氏による論文です(「デニズンと国民国家―西欧諸国における定住外国人のシチズンシップ」『思想』第854号、1995)。もともと私は文学部なので、デニズンという概念がどの程度一般的だったのかは分からないのですが、グローバル化が進む現在において、ますます増える定住外国人を如何に共同体に受け入れていくかというテーマは、重要な研究対象たりうると感じました。実際、ナショナリズム研究の分野においても、アンダーソンの最近の著書『比較の亡霊』のように、民族分布から見て本来の居住地ではない地域からの「遠隔地ナショナリズム」など、グローバル化する社会を前提とした研究テーマに中心がシフトして来ているような感じです。とはいえ、「少数民族」や「民族問題」という訳語の選択に強い違和感を覚えると同時に、国民国家形成時の公定ナショナリズムによるエスニシティの剥奪をなんの保留もなしに帝国主義に端を発するディアスポラと同列に扱って良いのかという気はしますが。 コータ 2007年2月2日 (金) 16:07 (UTC)


なぜ話がかみあわないかといえば、「日本の民族問題」という言葉そのものがあいまいだからでしょう。在日コリアンの問題は、日本に居住する(少数)民族の問題ではあっても、日本という国を構成する(少数)民族の問題ではありません。「日本の」という言葉がどちらをも示しうる言葉だから、話がかみ合わないのでは?

ただ、在日コリアンの問題は琉球民族やアイヌの問題とまったく同じではない、という主張は正しいと思います。まずは注釈をつけることには合意した上で、注釈の文面のみに話を絞ってはいかがでしょうか?

--126.112.208.102 2007年2月2日 (金) 16:50 (UTC)

■らりたさん:らりたさんがおっしゃっていたポイントに加えて、常に私は同時にもう一つのことを言いつづけるべきだと思っていました。もう一つのことというのは(繰り返してしまいますが)「日本の少数民族であるか否かという議論と、日本の民族問題か否かということは別だ」「少数民族と認め得るかどうかについて議論が分かれても、民族問題であることに変わりはない」というものです。日系ブラジル人を数や凝集性からして少数民族とみなすべきかどうかは難しいけれども、彼らの周囲に民族問題が発生していないとは言えないと思います。なし崩し的に定住せざるを得なくなっている難民だって民族問題の起因になっている。うんと極端なことを言えば「外国人なので民族問題に入らない」テーゼを適用すると、仮にクロアチア国籍をもつセルビア在住者がいる場合、「彼らが何に巻き込まれても民族問題ではない、それは外国人問題ないし国家間問題である」ということになります。▼このようなことを強調しなければいけなかったのは「国籍のない民がいるとでも?」(いるよ)という反問が当たり前のように出てくることに驚いたからです。このような前提で「民族問題」の語が用いられて疑問を呈する人が少ない状態であるかぎり「朝鮮人が日本の少数民族であるか否か」がメルクマールになるかのような議論へと摩り替わってはならないという思いがあります。
■らりたさんに向けたものではないですが、参考までに。山内昌之『民族の時代』(PHP研究所、1994年)は「現代の民族問題」を(1)民族自決・分離独立問題、 (2)国境・帰属変更問題、(3)少数民族問題・先住民問題、(4)(国民形成問題・国民統合問題、(5)移民・難民問題の5つに分類しています。外国人問題も難民問題も民族問題ではないとするのは(例によって利用者:ちとせさん)私にとって仰天でしたが、どうも上記(3)のみを民族問題として呼ぼうと考えていらっしゃる方は複数いらっる様子です。もちろん、山内昌之は(3)番を日本のアイヌ民族や在日韓国・朝鮮人の問題と解説しているのですが。
■コータさん:▼「公定ナショナリズムによるエスニシティ剥奪と帝国主義がもたらした移民・難民」とは同列に扱っているように見える記事になっているのかどうかは別にして、それを言うならば、先住民だったアイヌと、統治機構をもっていた琉球をきっちり書き分けなければならないとい、その度合いにあまり違いはないと思います。それぞれ個別の経緯と性格をもつというのは当然ですがそういうことだけではないつもりです。やはりアイヌとなると先住民開拓者関係としての性格がピックアップしたうえで世界の先住民問題との比較観点が導入されるべきだと思いますし、琉球処分の場合は日本が帝国へと成長することへの火蓋を切って落としたとも言えるので、やはり加えられた圧力の質も、同化過程における姿勢も違う。それが、それぞれ記述されるべきだと思っています。もちろん、一つの項目に詳述はできるはずがありませんが「日本の民族問題」という名前の目次のような役割を果たすとりまとめ記事は存在意義があると思っていました。
■126.112.208.102さん:日本の民族問題という言葉があいまい……とまでは思いませんが、指し示す領域がすごく広いとは思います。そして、記事名はココでの議論の前提でありつづけました。だから、私は、そういう役割を果たす記事なのだという理解でいます。より細分化・限定したほうが良い記事になるというお話でしたら(それを否定も肯定もまだできませんが)ちょっと別の議題かと思います。▼同時にStranger non general personさんにも加えて:ここで提案されていたことは、国家は社会とかならずしも一致するわけではないいう当たり前の知識を逆用して、逆に諸々の社会問題を「国家問題ではないので別にイイのだ」と扱うことで「日本」そのものに存在している問題を把握しづらくするものです。▼不思議なこと一つ。Stranger non general personさんは「日本」という言葉イコール「日本国家」と結びつけるのを自明視して書いているわけですが(なのに国家と社会は違うと言い出し、その場その場で都合の良いほうを選ぶ)……本当にそう思って書いているんでしょうか。開陳なさっている主張へと議論を導くための方便なのでしょうが、言っていて次第に信じはじめているふしがあります(そもそも北海道先住民や琉球に関心ありますか?Stranger non general personさん、加筆できますか?)
なら、朝鮮民族をあれだけ書けるのだから当然これらを書いた人たちは日本の民族問題にお詳しいでしょうし当然のことながら北海道先住民や琉球民族について同じ量の記事をかけますよね?それをあなたもできるのですかな?
一方の民族に偏らないようにするには多くの量の側を削るか少ない側をを増やすかという二択しかありません。当然のことながら書いた側には責任があります。だから書いた方は
  1. 責任を持って量の多い民族の記事を削る。
  2. アイヌや琉球民族に関して調べ、どの民族に対しても中立な内容にする。
という二択の義務があります。「朝鮮民族のことしか書かない。」「朝鮮民族以外の民族はあなた方が調べて書けばいい。自分はそんな民族に関しては知らない。書かない。」とは中立性の破棄、個人視点を反映させろという身勝手極まりない意見です。記事への責任感を持ってください。
もう一つ。まぁ、アイヌや琉球民族に関することは調べればかなりの事がかけるでしょう。しかしながらアイヌ琉球民族に詳細が書いてあるため、この記事に書けば内容の重複になります。だからこれらの民族へは参照としてあるのです。然るに朝鮮民族も同じ問題をかかえているので多い分量を削減して参照で十分だと思いますが?
Remington 2007年2月3日 (土) 14:57 (UTC)
>それをあなたもできるのですかな?(Remingtonさん)
>という二択の義務があります。(Remingtonさん)
そのような義務はありません。ただし「言いだしっぺがやるべき」という、人間のごく普通の協働空間(「職場」とか)の常識に照らせばStranger non general personさんやRemingtonさんに対して「やらないの?どうして?」というていどのことを問うてもかまわないとは思っています。とはいえ、お二人にも義務はありませんよね、ボランティアなんだから。
>一方の民族に偏らないようにするには多くの量の側を削るか少ない側をを増やすかという二択しかありません(Remingtonさん)
▼論点ずらしでしょう。そんなことはこれまで一度も議題になっていません。記述を減らせとか増やせとかさまざまな提案のいずれも、結局はRemingtonさんの言う「単なるバランス問題」を理由にしたりしませんでした(単なる記述のバランス問題であれば賛同しますよと私は一番最初に述べたのですが、覚えていますか?)。▼まず、お二人が主張する編集方針の「理由」として挙げられている「日本国籍を持つ者に関する事柄でなければ『民族問題』として捉えない/捉えるべきではない」という(誤っているとしか思えない)前提を撤回していただくのが先です。▼撤回したうえでの再提案でないかぎり、話が込み入っていて私の能力では検討しようがありません。しかし、提案の前提をなす「枠組みと原則」は記述を大きく縛る重要なものであると考えております。これを抜きにして表層的な表現だけで合意するのは大変難しいです。--Iosif 2007年2月3日 (土) 20:51 (UTC)


事実関係の誤りのみ指摘しておきます。
論点ずらしでしょう。そんなことはこれまで一度も議題になっていません
「投票の提案」節の先頭、「投票の主題」部分をご覧ください。少なくともこの提案以降は主要な論点の一つです。そして(まだ投票は始まっていませんが)貴方はこの提案に対して反対の意思表示をしています
以上、事実関係の明らかな誤りのみ指摘しておきます。--Stranger non general person 2007年2月4日 (日) 15:18 (UTC)
やっぱり私の言葉は届いていなかったんでしょうね・・・
『私の意見は無視ですかな?
現在この記事の内容が全体的に在日コリアンに偏っていること(中立性の欠如)、さらに項目の内容の中に在日コリアンの項目の抜粋、あるいは重複と見られる部分が多くあること、これについて、まず意見をお聞かせ願いたい。』
2007年1月29日 (月) 08:14ですね。そんな前じゃないんですけどね・・・中立の欠如、つまりバランスがだめになってるよ、ということを言っているのですけど・・・。自分の言葉がわかりにくかったのだと自省しておきます。
Remington 2007年2月4日 (日) 17:09 (UTC)

以下Iosif記:

>以上、事実関係の明らかな誤りのみ指摘しておきます。(Stranger non general personさん2007年2月4日 (日) 15:18 (UTC) )

Stranger non general personさん…そういうことを書くよりも、先に「日本国籍を持つ者に関する事柄でなければ『民族問題』として捉えない/捉えるべきではない」という自論を裏付ける根拠を探すべきなんじゃないですか。それとも「根拠なんか探したってない」という点ではIosifの予想とStrangernongeneralpersonさんの認識は一致しているんでしょうか。(それから「事実関係」云々の部分、どうしてこういうすぐにばれることばかり書くのでしょうか???)。

>「投票の提案」節の先頭、「投票の主題」部分をご覧ください。少なくともこの提案以降は主要な論点の一つです。(StrangerNonGeneralPerson)

▼また話をそらしています。StrangerNonGeneralPerson提案に対して反対が起きるのは「日本国籍を持つ者に関する事柄でなければ『民族問題』として捉えない」などという認識に基づいて「問題」の対象をカテゴライズしているからです。これを撤回しなければずっと同じことです。争いの元は、「民族問題」から「日本のちょうせんじん」を排除しようとして発明したこのStrangerNonGeneralPersonテーゼそのものにあるんですから。
「論点の一つ」だと主張なさっている「記述量のバランス」については、たしかに、再度論点として提示されることはありましたが、そもそも争いがない。提案があって、それきりである、というだけです(提案の体裁をもっともらしいものにしようとしたのだな、と放っておきましたが)。私も、かなり最初に、Remingtonさんに向けて……

>「クローズアップ」という表現が意味するところはよく理解していないのですが、琉球民族やアイヌ民族に関する記述をもっと拡充するべきだという意味でしたら、お話ごもっともだと思います。(Iosif 2007年1月12日 (金) 20:51 (UTC)記)

……以上のように書いています。それ以来、この点では争うことはなかったわけです。▼なるほど「議題になっていません」という私の表現がわかりにくかったのかもしれません。では、言い換えましょう。「そのような事柄について争ったり、争いぶくみの議論を交わしたことはありません」と言えばわかりやすいですか。
なお、だから「各民族すべてについて言及しないことにしよう、それぞれの記事へのリンクのみにしよう」という案に転じたときに備えて、それにも反対であることを表明しておきます。

>一方の民族に偏らないようにするには多くの量の側を削るか少ない側をを増やすかという二択しかありません(Remingtonさん)

▼別のポイントから指摘しますが、これはどこまで行っても論点ずらしでしかありません。好意的に見ても、これまで交わされた議論を突然放棄して&なかったことにして、別の論点を出しているに過ぎません。▼私の反対理由は次のようなものでした。Remingtonさんが時間を特定し(2007年1月29日 (月) 08:14の発言は私の発言じゃないですけどね)、Stranger non general personさんが「貴方は反対の意思表示をしています」と胸を張っていらっしゃる箇所って以下の部分についてですよね?
投票実施に反対。 下記の理由に拠る。
>「日本国籍を持つ者に関する事柄でなければ『民族問題』として捉えない」などという聞いたこともない(誤った/一般的ではい)方針に基づいた編集を加えると意思表明がなされているかぎり保護解除に反対。「問題」の対象となっている人間・集団の国籍と、その問題が「日本の民族問題」の枠組み内にあるか否かということとは無関係であると異議を唱えています(略)(Iosif記)
また、その直前「合意事項の提案」節では、次のように述べています。
>国籍によって「民族問題と捉える範囲」を限定しようという(誤った/一般的ではない)方針に基づいた編集を加えるという意思表明がなされているかぎり、保護解除にも反対せざるを得ません。(Iosif:2007年1月26日 (金) 19:39記)
らりたさんは「StrangerNonGeneralPersonさんやちとせさんが主張なさる『日本国籍を有しない限り少数民族とは認められない』という考えは一体どこの誰が主張しているのかが不明です」と指摘しています。これは私からも何度も尋ねていることです。▼第(1)にこの典拠を挙げてください。第(2)に、今後はその典拠にしたがって記事全体の構成を変えることが適切かどうかに絞って提起してください。第(3)に、仮に「日本の少数民族ではない」として、それがなぜ「日本の民族問題」では扱われない理由になるのか、ご自身の考えは繰り返すのはもう結構ですから、何かしらの典拠を挙げたうえで、それが一般的な分類であるのだということと、その分類を採用すべきであるとした基準(ご自分の考え以外で)があるのだということを説明してください。▼さもなければ、「日本国籍を持つ者に関する事柄でなければ『民族問題』として捉えない/捉えるべきではない」という(誤っているとしか思えない)前提を撤回していただくのが先です。▼これを放ったらかしたままで「記述バランスに問題がないか?」という議論には入りようがありません。
▼Remingtonさんに一つだけ。Remingtonさんが指摘している記述の「バランス」がうまくいっていない(と感じられる)のと価値における「中立」とは、この場合、別の問題だと思います。
▼では、また来週。ウィークデイに入りましたので当項目のノートは読むのは難しい(先週は釣られすぎた)。無論アクセスもしますし草取りや荒らし対応など、すぐにできることはやるかもしれませんが、こういうやりとりを平日にやっている余裕はありませんので。急ぎ召喚したい場合は利用者ノートかメールでお願いします。--Iosif 2007年2月4日 (日) 22:10 (UTC)
▼あと、ドゥドゥ・ディエンに関する記述はまったく合意に至っていませんがこれまでの議論を過去ログしてしまっていいんでしょうか。ディエン報告をかばう動機も知識もありませんが、報告書の内容とはまったくかかわりのない理由で「政治的中立を疑う」云々と記述することには反対であることをあらためて表明しておきます。--Iosif 2007年2月4日 (日) 22:10 (UTC)


どうぞ、お好きなように。ただし、せめてご自身で仰られたことは覚えていてください。私は「お前の日本語は変だ」と言われた相手と討論が成立すると信じられないので、貴方は私とのコミニュケーションを放棄したと見なす、とは以前にお伝えしたとおりです。--Stranger non general person 2007年2月5日 (月) 05:38 (UTC)
※2007/02/06追記
↓以下の記述は私のものではありません。文面からするとIosfさんだと思われますが、書き込む際には御署名をお願いします。以上、念のため。--Stranger non general person 2007年2月6日 (火) 04:34 (UTC)
とか何とか言って、その後もご自分が答えやすいと思われた(=誤解した?)とおぼしきときにはお元気に返事していらっしゃいましたが。ダンマリに入りたいときだけ人のせいになさっているように感じます。が、それはそれで結構だとも思っています。ただ、私が尋ねているのは、そのまんま、現在もなお、Stranger non general personさん自身が出された再提案に関わることでありつづけています。これは後ろの節で述べます。
Iosif殿、議論のすり替えではありません。それでも議論のすり替えとおっしゃるなら新しい見解として聞いてください。
  • 今のこの項目は朝鮮民族に傾いていて(天秤が朝鮮民族側に傾いている)、バランスがかけている。中立とはいえない。
          ↓
  • 中立性を取り戻すため(天秤の傾きを是正する)にはどうすればいいか?
          ↓
  • 中立性を取り戻すにはバランスを考え
  1. アイヌ、琉球民族についての記述を増やして朝鮮民族の内容と同じくらいの記述にする。(軽いものの量を増やす)
  2. 朝鮮民族についての記述を減らしてアイヌ、琉球民族の内容と同じくらいの記述にする。(重いものの量を減らす)
のどちらかで天秤がつりあうような形に持っていかなければならない。
          ↓
然るによって私は2を選ぶ。
こういうことが言いたいんです。
Remington 2007年2月5日 (月) 08:10 (UTC)
私は「日本の民族問題」には日本社会において民族というカテゴリーに分けられ、その中で民族間の問題が発生していれば、朝鮮民族も入ると考えている。私はIosifさんとは別個の記事で何個か対立したことはあるけれど、少なくともこの記事では、「日本国籍を持つ者に関する事柄でなければ『民族問題』として捉えない「」などという聞いたこともないドグマ」という意見には賛成だし(実際、聞いたことないし、明白な出展も提示されていない)。
ただ、この記事自体が朝鮮民族問題の記載が入りすぎているとは思う。だから、この記事では「朝鮮民族問題」に関しては「日本国内の朝鮮民族を民族問題として捕らえる」ことを前提にした簡略な記載にとどめたほうがいいと思う。
在日コリアンは外国人問題というのは、「在日コリアンは外国人なので日本人と完全に同じ権利がないのは当然」という思想からあるのでしょうか。私はその意見自体には反対がありません。しかし、日本社会がかつて(そして今もひそかに)日本民族以外の他の民族に対して、同化するか排除するかを求め、他民族が日本社会に存在することすら否定的な社会であったと指摘されることがあげられます。それは「外国人だから日本人と待遇に差があるのは当然だ」というような許容を超えるような問題が存在しているのではないかという話です。
私は在日コリアンは外国人問題でもあり民族問題であると考えています。
大体、国籍とかで民族問題という概念が外れるのであれば、ユーゴスラビア紛争における幾多の国会独立によって、民族問題がなくなり外国人問題になったというんでしょうかね(もっとも、ユーゴ関連諸国の独立と国籍変更は自動的に決定されるものではないけれど)?
私は民族というカテゴリーが存在し、その民族の定義が学問上(もしくは一般通念上)にもはっきりと区分できる場合、その上でその民族というカテゴリー間で「外国人という理由による限度」を越えている社会問題が発生していると認められる場合は、当該人物(当該民族)がどこが国家の帰属先だろうと、民族問題として捉えるべきではないでしょうか?--経済準学士 2007年2月5日 (月) 16:12 (UTC)
言われている意味はよくわかります。「外国人定住者として認められた枠内での権利が侵害されたのなら、それは「日本の外国人定住者問題」です。」(StrangerNonGeneralPersonさん)、厳密にはその国の民族問題ではなく、「外国人定住者問題」、「無国籍者問題」、あるいは「難民問題」と区分すべきです。が、外国人は他民族ですから「民族問題」とも言えてしまうだけのことで言葉の曖昧さの問題ではないでしょうか。わたしも経済準学士さんの危惧されているような問題がもし日本に存在するなら是非実情を知りたいと思っています。だからこそ法的な権利義務の異なる土着の民族・帰化日本人の民族問題と在日外国人の民族問題とを明確に区別して記述してほしいのです。Poor man 2007年2月5日 (月) 17:51 (UTC)


では、このような観点での考察をなされてはいかがでしょうか?
現在、在日コリアンに発生している問題の原因は、彼らが外国人だからですか? それとも彼らが民族的アイデンティティを保っているからですか?
(割合はともかく)100%どちらか一つが原因ではなく、複合していることは承知しています。また、この二つだけが原因ではないことも承知しています。 その前提の上で、在日コリアンの問題が国籍の有無と切り離せるか否か、という観点で、私は問題を提起しています。
在日コリアンの問題は両者の複合です。しかしアイヌや琉球民族の問題は(この二択の範囲内では)100%後者(民族的アイデンティティ)だけが原因です。故に私は「在日コリアンとアイヌ・琉球民族の問題はまったく同一の性質のものではなく、この記事の中で取り上げるには(少なくとも)注釈が必要だ」と主張しているのです。
日本国籍を取得した次の日から問題がまったく無くなるわけではないこと、朝鮮民族がその民族的アイデンティティを保っているが故に発生する問題もあることは十分に承知しています。故に私は、(日本国籍を取得した)朝鮮・韓国系日本人に関する問題は(「朝鮮・韓国系日本人」という独立した記事が立たない限りは)その記述を追加することは妨げない、という一文を合意案に盛り込みました。

私は今でも在日コリアンの問題は「日本の」民族問題ではないと考えていますが、コメント依頼以降、日本語の「民族」という言葉の曖昧さについて勉強不足だった部分が多々あることは感じています。新たな観点からの御意見をいただくことは非常に参考になりました。その点に関してはこの場を借りて関係者の皆様に感謝したいと思っております。

--Stranger non general person 2007年2月6日 (火) 04:34 (UTC)

投票の提案[編集]

以下の点についてWikipediaユーザーの投票を行うことを提案します。この提案はWikipedia:コメント依頼に告知し広くWikipediaユーザーの意見を集めたいと思います。

ノート:日本の民族問題

  • 投票の主題
  1. 琉球民族アイヌなどの問題と、在日コリアンを初めとする日本国籍を持たないマイノリティに関する問題を「日本の民族問題」として完全に同一視してよいのか?
  2. 現在の記述の量が在日コリアンについてに偏りすぎているのではないか?
  • 投票の場所
ノート:日本の民族問題#投票(現在未設置)
  • 投票に先立って行われた議論
ノート:日本の民族問題#在日朝鮮・韓国人の問題は『民族問題』ではないのでは?
  • 投票者に必要な資格
2006年2月5日 0:00(UTC)の投票開始時点で50回以上の投稿履歴があるアカウント保持者(ログイン利用者)
  • 補則
利用者1人につき各案に1票まで投票可。期間中なら意見の変更が可能で、投票終了時点で投票していたものを最終的な投票とみなす。
  • 投票の開始および終了年月日・時間
2006年2月5日 0:00(UTC)(日本時間同日午前9時) ~ 2006年2月25日 23:59(UTC)(日本時間翌日午前8時59分)
  • 投票期間
20日間
  • 投票成立の要件
最多数得票
  • 選択肢
以下の1.および2.にそれぞれ「賛成」もしくは「反対」
  1. 外国籍を持つマイノリティに関する問題を日本の民族問題に記述する場合、「外国籍のマイノリティに関しては『彼らは日本の国籍を保有していない以上、彼らの問題は日本の民族問題ではない』とする意見もあり、民族問題として扱うべきであるとする意見との間に議論がある」旨の注釈を付加する。
  2. 以下の基準に従って各民族の記述を揃える
(a)独立した記事のある民族およびマイノリティに関しては、原則として「○○を参照」としてリンクを貼ることに留め、個別の記述は行わない。
(b)Wikipediaの他の記事と重複した記述は原則として削除する。
(c)民族以外の記述に関しても、独立した記事のある記述に関しては原則としてそちらに移動する。ただしリンクを設置すること、記事の存在自体とこの記事(日本の民族問題)との関連について記述することは妨げない。
以上、御検討ください。--Stranger non general person 2007年1月29日 (月) 09:10 (UTC)

投票実施に反対。 下記の理由に拠る。

  1. 「日本国籍を持つ者に関する事柄でなければ『民族問題』として捉えない」などという聞いたこともない(誤った/一般的ではない)方針に基づいた編集を加えると意思表明がなされているかぎり保護解除に反対。「問題」の対象となっている人間・集団の国籍と、その問題が「日本の民族問題」の枠組み内にあるか否かということとは無関係であると異議を唱えていますが、結果的には「通常の日本語理解ではそうなんです」という答えしかいただいていません。
  2. そもそもこのような事柄が投票によって決められて良いとは思えないため。

なお「あなたには反対する権利がない」と決め付けた上での投票実施はいわゆる「審議拒否」による「強行採決」だと思うのですが、同時にコメント依頼なさっている点は正当な手順を踏んでいると考えます。この点には敬意を評しますが、なぜ、その後にできないのでしょうか。--Iosif 2007年1月29日 (月) 09:29 (UTC)

事実関係の明白な誤りのみ記述しておきます。
  1. 何回書いたか本当に忘れてしまいましたが、私は「日本国籍を持つ者に関する事柄でなければ『日本の民族問題』として捉えない場合がある」と主張しているのです。勝手に人の主張を変更しないでください。
  2. 「通常の日本語の理解」という言葉を使ったのは貴方(Iosifさん)であって私ではありません
  3. 私は「あなたには反対する権利がない」などとは書いていません。『「日本の民族問題」という言葉から「問題の当事者であるか否かの判定に国籍が用いられる」と導きだすのは通常の日本語理解ではあり得ません。異常な日本語理解です』という貴方(Iosifさん)の言葉を、私は、貴方(Iosifさん)が私に対するコミュニケーションを放棄したと見なす、と書いただけです。
以上、事実関係の明白な誤りのみ訂正しておきます。--Stranger non general person 2007年1月29日 (月) 11:11 (UTC)

StrangerNonGeneralPersonさんの考える方向でいいと思いますよ。 私は当然当該民族(在日コリアン)に対する問題は民族へ対する問題でなく、国籍を持たないものへ対する問題と捉えるであると思っています。 仮に日本国籍を持たない大和民族がいたとしましょう。 当然就労に問題をきたす(外国人就労は法律で何かと問題がある。)し、日本国籍を持たない人と結婚したくない人もいるでしょう。また、日本国籍を持っていなければいかなる民族であっても参政権その他もろもろの権利は認められないわけですな(外国人参政権は今はないんです)。 また、この記事で取り上げられている朝鮮民族の事件などは「北朝鮮への敵意が間違った方向に向けられた」という問題であり、民族問題ではありません。

だから日本国籍を持たないものの民族問題については「民族問題と考えるものもいる、民族問題と考えないものもいる。その両者の間に議論がある」という表記があれば十分中立だと思いますよ。
あ、これを投票でやるんですね・・・
Iosifさん、これは保護解除への投票ではないですよ。期間限定の投票式コメント依頼なのです。広く意見を聞こうということです。「むしろコメント依頼でしょう」と言ったのですから落としどころとしてこの辺で妥協なさってはいかがでしょか。
なお、この投票に
3.もっと他国の民族問題の項目を増やしたほうがいいのではないか
という議題を入れていただけるといいかと。・・・いや、自分は他国の民族問題を書ける技量もないですし、書く気もないですが、他の国家(例,旧ソ連圏、中東、中国、朝鮮半島、オーストラリア等)の現在進行形の民族問題は比較記述のためにも必要だと思います。Remington 2007年1月29日 (月) 12:39 (UTC)

以下Iosif記:

>何回書いたか本当に忘れてしまいましたが、私は「日本国籍を持つ者に関する事柄でなければ『日本の民族問題』として捉えない場合がある」と主張しているのです。勝手に人の主張を変更しないでください。(Stranger non general personさん)

だから「主張」じゃダメですってば!。そんなの何回書いても同じに決まってるでしょう。「捉えない場合がある」とは誰がどこで「捉えない」と言ったんですか?

>Iosifさん、これは保護解除への投票ではないですよ。期間限定の投票式コメント依頼なのです。広く意見を聞こうということです。(Remingtonさん)

いやあ、一瞬そうかなあと思いそうになりました。しかし、投票してくれと提示してある選択肢を見てみると、やはり誤った枠組みからは誤った選択肢しか出てこないという典型例であると思いなおしました。
例えば「これは民族問題ではないでしょう」という意見があるとして、それを「こういう意見もある。だれそれが言っている」と加筆するならばわかります(ただし、その意見を言っている人がStranger non general personさんやRemingtonさんであってはいけないのはWikipediaの約束事であるのは了解なさっていますよね?)。しかし、いろいろなことを「問題」として紹介する場所(この項目)から何人かのユーザーの主張でしかないものを理由にして特定の対象を外そうという話でしたよ、最初から。これは、よろしくないと思います。まして「投票」形態は「広く意見を聞こう」というものにはなりにくい、そもそも水と油の形態だと思います。
現に冒頭で引用したようなことを書いていらっしゃるわけです。
「何回書いたか本当に忘れてしまいましたが、私は「日本国籍を持つ者に関する事柄でなければ『日本の民族問題』として捉えない場合がある」と主張しているのです(Stranger non general personさん)」と。で、その「主張」を正当化する根拠を何一つ挙げない。挙げられたのは『大辞泉』と「通常の日本語理解」という言葉だけですが、どさくさに解釈だけ先へ先へと進めていて、日本の民族問題は、日本国民であると日本国が認定した者どうしの民族問題だけであるということになっている。こんな枠組みを採用したら世界の民族問題のうちいくつかの事柄が記述されなくなります。

>「通常の日本語の理解」という言葉を使ったのは貴方(Iosifさん)であって(Stranger non general personさん)

これも嘘でしょう。ちゃんと下のように書いています。

>この記事の名称は「日本の民族問題」です。日本の国の中の問題(と、通常の日本語の解釈なら受け取られるでしょう)である以上、問題の当事者であるか否かの判定に国籍が用いられる場合があると言っているのです。(Stranger non general personさん:2007年1月27日 (土) 02:20 (UTC)発言[1]

何回読んでも、このセンテンスに混じっている議論の進め方を「これは通常の日本語解釈」であるという言葉で正当化できると思えません。「日本の●●」という言葉を「日本の中の●●」と考えるだけならばわかります。しかし、「日本の」という言葉をあっという間に→「日本国家の」→「日本国家が定めるところによる」と進めている。そのへんの論理上の進行を指摘されても、すべて「日本語理解」で正当化して、それ以外の説明はしませんでした。おかしいものはおかしいです。

>外国籍を持つマイノリティに関する問題を日本の民族問題に記述する場合、「外国籍のマイノリティに関しては『彼らは日本の国籍を保有していない以上、彼らの問題は日本の民族問題ではない』とする意見もあり、民族問題として扱うべきであるとする意見との間に議論がある」旨の注釈を付加する。 (Stranger non general person さん提案の一つ)

どこにそんな議論があるんでしょうか? ja.wikipediaユーザーの間以外に。まったく聞いたことがない。
Stranger non general personさんの言っていることは、日系ブラジル人にまつわる問題も「民族問題」ではないということです。裁判所も加害者側の差別意識によるものと認定しているエルクラノ君殺害事件も「民族問題ではない」。裁判所が認定した「差別意識」については「それは外国人差別ではあっても民族差別ではない」ということになる。で、「ええ、そうですよ。しかし別に外国人差別だから肯定するわけではない」と答えるのではないかと思います。しかしStranger non general personさん個人が肯定しても否定しても関係ありません。かつてStranger non general personさんは「ロマやボマックの人権を無視していいとは、私は一言も言っていません」と述べたが、そういうことも問題にしていません。それこそ「連中の人権は無視していい」と主張しても一向にかまいません。
単に、「外国人にまつわる問題は民族問題に含まれない」という勝手な区分が問題だと言っているのです。外国人差別は民族差別ではないというだけでも初耳です。「民族差別」という言葉がどう使われてきたかという用例も無視している。「日本国籍を有しないものに対する差別は外国人差別と区分されるべきであり、(無条件には)民族差別と区分すべきでないと言っているのです(Stranger non general person さん)」と再三書いていますが、そんな個人的な意見を聞かされても困ります。--Iosif 2007年1月29日 (月) 23:55 (UTC)


  • 繰り返します。私は『「日本の民族問題」という言葉から「問題の当事者であるか否かの判定に国籍が用いられる」と導きだすのは通常の日本語理解ではあり得ません。異常な日本語理解です』という貴方(Iosifさん)の言葉を、私は、貴方(Iosifさん)が私に対するコミュニケーションを放棄したと見なす、と書いただけです。「お前の日本語は変だ」といわれてしまっては、私はそれ以上どんな返事をしていいのか解りません。私からお返事が出来るのはそれだけです。
  • ただし、「日本国籍を有していない在日コリアンを初めとする外国籍マイノリティは『日本の少数民族』ではないとする意見は存在する」という問題提起は、「少数民族」でも私以外の多くのWikipediaユーザーから為されている、とだけは指摘しておきます。こちらでは、私が掲示した大辞泉の記述以外にも多くのソースが提示されています。もちろん貴方(Iosifさん)は御存知ですよね? あちら(ノート:少数民族)でも「在日コリアンは『日本の少数民族』であり、その点に議論の余地は無い」と主張なされているのですから。「日本国籍を有さないマイノリティの問題は日本の民族問題ではないと見なす場合がある」とする見解が私個人の独自の考えであるような貴方(Iosifさん)の主張は明確な誤りですので、その点ははっきりと指摘しておきます。
  • ついでにフォローしておきますが、何故貴方(Iosifさん)は、「貴方(Iosifさん)は私とのコミュニケーションを放棄したと見なす」と言った私にばかり返事をして、Remingtonさんの問いかけには一切応じないのですか?
--Stranger non general person 2007年1月30日 (火) 01:11 (UTC)
追伸
  • ああ、もう貴方(Iosifさん)、自爆してましたね。もう議論は終わっていました。
「日本の」という言葉をあっという間に→「日本国家の」→「日本国家が定めるところによる」と進めている
はい、そのとおりです。つまり貴方(Iosifさん)は、日本国家(立法、司法および行政)は「在日コリアンは日本の少数民族とは見なさない(場合もある)」という見解を持っている事を認めたわけですね?
  • 私は、(少なくとも今回の合意案では)それが正しいか間違っているかを問題にしているのではありません。そのような意見が(Wikipediaに記述すべき量・質を持って)存在していることを問題にしているのです。
  • ということで、何の問題もありませんね。「在日コリアンは日本の少数民族ではないとする意見も存在する」という記述に「日本政府などには」(行政・立法など、表現は多少変更の余地があるでしょうが)という注釈をつけましょう。それで私と貴方(Iosifさん)の争うところは、もう何もありません。
--Stranger non general person 2007年1月30日 (火) 01:29 (UTC)
もう、本当に困った人だなあ。大いに争うべきところだらけなんですが。さすがに疲れました。結局、時間がたくさんある人がやりたい放題、言いたい放題となるわけですか。▼「コミュニケーション拒否と受け取った」とかなんとか脅迫してもしなくてもどっちでもかまいませんが、StrangerNonGeneralPersonさんの自らの言う「日本語理解」が無茶苦茶なことになっている(というか読んでないでしょ?)のはたしかだと思いつづけています。読まずに「自爆」とかなんとかとりあえず決め付けてみせてるでしょう? すっかり某掲示板みたいです。
>「日本の」という言葉をあっという間に→「日本国家の」→「日本国家が定めるところによる」と進めている
>はい、そのとおりです。(StrangerNonGeneralPersonさん)
えーっ。最初と言っていることが全然違います。人の手を借りて議論を進めるうちに(焦点をずらした部分で)宗旨替えをしたうえで、胸を張るとは。
私はノート:少数民族は内容をちゃんとフォローできてないと思うんですが、あちらでも「在日コリアンは日本の少数民族ではないとする意見も存在する」という記述は正当化されていないはずです。典拠が挙げられているのは、あくまでも日本政府が「少数民族」としての存在を認めることを回避しているということまでです。
>「在日コリアンは日本の少数民族ではないとする意見も存在する」という記述に「日本政府などには」(行政・立法など、表現は多少変更の余地があるでしょうが)という注釈をつけましょう。(StrangerNonGeneralPersonさん)
そんな部分は、「個人的主張である」と指摘されずっと問題視されている部分とまったく関係がありません。誤魔化さないように。
これも何度も書きましたが少数民族であるか否かという事柄でさえ、日本の民族問題であるか否かとは直接関係しません。注釈をつけようがつけまいが「『日本の民族問題』ではない」というStrangerNonGeneralPersonさんの「主張」とはまったく別の事柄で、別箇所に書かれる説明です。それこそ現行の「主要な少数民族」の節の「在日コリアン」部分に、まず少数民族とみなす見解が加筆され、そのうえで「しかし、そうではないという立場」として加筆されるべきとStrangerNonGeneralPersonさんが主張しているようなもので、「記述多いからこの項目から失くすか減らすかしようよ」という話とは相容れません。
▼そのうえ、これは「民族問題と事件#朝鮮民族」における記述とは関係しません。StrangerNonGeneralPersonさんは「少数民族と認定しなければ民族問題として記述されない」と思い込んだきりいくら指摘されても言及を避けていますが、「少数民族ではないという意見も(中略)注釈をつけましょう」と言った段階で自ら話をあくまで「少数民族」に限定したわけですが、この段階で「それがイコール民族問題として扱うか否かという話ではないよ」というポイントを避けたままでいられなくなっているのを認めてください。具体的に、まずは「『日本の民族問題』ではない」という主張と、よって「この項目で取り扱わないか取り扱っても日本国籍保持者にかぎるべきだ」という主張を撤回してください。次いで、この主張に基づいて書かれている……
>『彼らは日本の国籍を保有していない以上、彼らの問題は日本の民族問題ではない』とする意見もあり、民族問題として扱うべきであるとする意見との間に議論がある」旨の注釈を付加する。(StrangerNonGeneralPersonさん)
……などというどこにも典拠も根拠もない(個人的な決めつけでしかない)提案も取り下げていただきましょう。このような提案が掲示されているかぎり、保護解除にも反対、是非を問う投票の実施にも反対します。StrangerNonGeneralPersonさん自らの提案と関係ない部分で(=少数民族認定において)「注釈をつけましょう」と言って誤魔化せる事柄ではありません。--Iosif 2007年1月30日 (火) 06:50 (UTC)--修正。--Iosif 2007年1月30日 (火) 07:12 (UTC)
>Remingtonさんの問いかけには一切応じないのですか?
単に時間がないんですよ。一日中パソコンに張り付いていろと言うんですか? あまり意識しませんでしたが、返信を要求するという点でStrangerNonGeneralPersonさんがキャッチーなのかもしれませんね(釣り上手ってこと?)。--Iosif 2007年1月30日 (火) 07:12 (UTC)--インデントのずれ修正。--Iosif 2007年1月30日 (火) 07:16 (UTC)


典拠が挙げられているのは、あくまでも日本政府が「少数民族」としての存在を認めることを回避しているということまでです。
以上、証明終わり。日本政府は「在日コリアンは日本国籍を持たないが故に、日本の少数民族であると認めない場合があることは貴方(Iosifさん)も認めたということです。
私はこの見解は正しいと思いますが、それは少なくとも今回の(修正した)合意案には反映していません。今回の合意案は「そのような意見もある」という記述しかありません。貴方(Iosifさん)が今回の合意案に反対する論拠は無くなった、ということでよろしいですね?
--Stranger non general person 2007年1月30日 (火) 10:41 (UTC)

つまり、losif様の書きたい事は、

  • 在日は日本の少数民族であるという事実。
  • それにもかかわらず、日本政府は在日が少数民族であるという事実を認めず、弾圧されていると言う事実。

という、日本人は悪辣であると言う一方的な事実だけなのですよ。

しかしそれは、在日が日本の少数民族ではないとする意見があることの裏返しであって、しかし在日が日本の少数民族ではないとする意見はlosif様の歴史観から見た事実に反するので書いてはいけないことらしいです。 中立的な観点にはお互い気をつけたいものですねw

--ちとせ 2007年1月30日 (火) 12:44 (UTC)

在日コリアンの問題については、在日コリアンの問題があると紹介するにとどめ、詳細はアイヌのようにそのページに記述することには賛成します。在日コリアンが少数民族と呼べるか否かについては、Stranger non general person様の言われるとおり、中立的な観点に配慮して、両論を併記するべきでしょう。Wikipediaの他の記事と重複した記述は出来るだけ移動に配慮するようにしていただければ、提案には賛成です。

--ちとせ 2007年1月30日 (火) 12:58 (UTC)


私の話は時間がないから聞けないですか(苦笑)。面白くないですか。釣りべたですか。そうですか、見る時間も価値もないっていう言い方、全否定ですよね・・・不都合な真実には目を通さないだけかと思ってた・・・と、失礼しました。まぁ、いいっすわ。私は誰でも判断材料に出来るようなものが書けりゃねぇ。

さて、Iosifさんはおっしゃいました。我々の私見ではいけないと。(全体的に考えているだけですが・・・)では、解かりやすく言いましょう。このような問題(在日コリアンの問題)は、社会一般的に「なに問題」と言われているでしょう?少なくとも私の購読しているマスコミではこれと同じ問題(この問題)が「在日朝鮮人問題」と表記されることが多いです。(朝日・産経調べ)テレビも然りですな。「民族問題」という考え方をとる記述は皆無といっていいほどに見ないですわ。切り離して考えているのかもしれません。

では、「民族問題」として取り扱ってはいけないか?それは私には解かりません。でも、世間一般は情報をマスコミを通じて知るわけで、よって「在日朝鮮人問題」を「在日朝鮮人問題」として知りはしても「民族問題」として知っている人は少ないと考えるのが妥当です。Iosifさんの仰せられる文献の中では「民族問題」と言われているかも知れませんが、マスコミと言う大衆に影響を与えるほどの大きな機関が今のところ「在日朝鮮人問題」といっていると言うことが大事です。きっと理由があるのでしょう。ここがポイントですね。在日朝鮮人問題として知っている人間のほうが多いであろうからこの問題は在日コリアンの項に移し、在日韓国朝鮮人問題の項目を作り、更に独立記事を作るほうがよりいい記事が出来るのではないかと思います。ここは「在日朝鮮人問題」が民族問題であると宣伝する場ではないのです。この項目には民族問題と考えるものもいると注釈をつけることで十分に納得できましょう。(在日朝鮮人問題を扱う項目に民族問題と見られる、あるいは民族問題だと大々的に宣伝して書くのは大いに結構ですよ。別にそこはどうしようとしったこっちゃない。そこにまで議論を広める気はさっらさらないです。)

Iosifさん、投票はかたくなにいかんいかんとおっしゃいますが、何故でしょう?「在日朝鮮人問題」をどの様な扱いにすべきか投票することは間違っているとお考えですかな?それとも自信がない?・・・どっちにしろ我々には投票者を動かす力はありません。多くの人にこの議論を見てもらい、正しいと思うほうを選んでもらうのが一番良い解決方法でしょう。どの様な扱いにすべきか、ここでは議論の終着点が見えないために投票しましょうといっているのですよ。この問題の扱い方さえきまればこの項目の改稿は非常に簡単になるでしょう。

保護で放置がいいというのなら保護のまま放置プレイもいいと思います。この項目が偏ってるとこそ思えど、だから絶対どうにかしようと言う感情はわかないし。議論を延々続けることはマンネリになるでしょう。・・・どの道このままでは永久放置同然の結果に落ち着きます(苦笑)。結論のないまま何時までも延びていくノート。進まない改稿。ひとつの民族にだけ偏った内容・・・このまま放置ではこの項目は伸びたうどんみたいに見苦しくなるだけッスけどね。長々すんません。釣り下手な私(餌が大きすぎ手飲み込めないのかな?)ですがIosifさんに一度目を通していただきたいと思う次第です。

Remington 2007年1月30日 (火) 19:23 (UTC)

追記、
  1. 韓国人はマイノリティーであって少数民族ではないのではないかなぁ、現に在日コリアン民族とは言わんし、日本に在日コリアンはいても朝鮮民族はいないし。
  2. 賛成3反対1。予定通り投票でいい気がしてきた。
なんだかなぁ・・・馬の耳に念仏?
Remington 2007年1月30日 (火) 19:51 (UTC)

知識の補完
少数民族のノートを読めば分かるように、在日の方々を少数民族として見る立場は社会学には有ります。また国連もそういう立場です。無いという場合、その諸研究に反論する学術研究を提示する必要があります。さらにいえば、これも先のノートに引用した書物ですが、岡本雅享編『日本の民族差別ー人種差別撤廃条約からみた課題』明石書店、2005)では在日の方々をめぐる諸問題を民族問題として捉えています。さらにさらに追加するとネットで百科@Home(平凡社世界大百科事典のオンライン版)の「少数民族」の項目には「日本の少数民族(問題)としては、在日朝鮮人・アイヌ民族・在日華僑などがあげられる」という文章があり、やはり民族問題として捉えています。したがってRemingtonさんの「追記1」に書かれた部分は事実誤認です。あと「マイノリティ」ということばは「少数民族」という意味で使用する場合があります。他ならぬ日本外務省がそう訳したものが存在します。参考までに。それと投票するかどうかはともかく、ここを含めコメント依頼出した方がよいとは思います。--219.98.5.171 2007年1月30日 (火) 21:08 (UTC)


今日は少々外出する用事があったのでこんな時間に失礼。

  • 219.98.5.171さん
ここまで議論が長くなってしまったので「全部読め」というのは少々酷だとは承知していますが、その話題は既に出ています。私は「在日コリアン(および在日華僑などの在日外国人)は、日本という社会を構成する一員ではあっても日本という国家を構成する一員ではない。故に『複数の民族で構成された国家における相対的に人口が少ない民族』という区分に該当しない場合がある」と主張しています。なぜなら、在日コリアンには、(他の、異論無く「日本の少数民族」だと認められている)琉球民族やアイヌと比較して日本という国家から与えられている権利が少ないからです。アイヌや琉球民族が、その民族に属しているが故に代議員や上級公務員になれなければ、それは民族差別です。在日コリアンが日本国籍を有していないが故に代議員や上級公務員になれなくても、それは国籍による区別であり、朝鮮民族に属しているが故の差別ではありません。同じ事態が発生しても、日本国籍の有無によってそれが問題となるか否か、そしてどんな問題になるかという区分が異なるのです。だから、本来ならこの「日本の少数民族」という記事に記述すべきでない。記述するなら注釈をつけるべきだと、私は主張しています。
それと、コメント依頼は既に出しています。Wikipedia:コメント依頼 Wikipedia:コメント依頼/リストを御確認ください。
  • 経済準学士さん
上記の答えは、貴方の疑問(直下のものと、途中に付け加えたものの両方)への答えにもなっていると思いますが、いかがでしょうか?
追伸
  • Remingtonさん
一つ訂正を。何人いるかはともかく、日本にも朝鮮民族はいますよ。帰化し日本国籍を取得してなお朝鮮民族というアイデンティティを保っている人は朝鮮系/韓国系日本人と呼ぶべきであり、彼らに対して(その民族的アイデンティティを保っていることを理由とする)差別や偏見があったのなら、それは間違いなく日本の民族問題です。なぜなら、彼らが日本の法律を遵守し日本国民としての義務を果たしている限り、琉球民族やアイヌと同じように等しく日本国民としての権利を享受する権利があり、日本の憲法および法律は日本国籍を有している国民に対しては、どの民族に属しているからという理由で区別を行うことを禁じているからです。
--Stranger non general person 2007年1月31日 (水) 06:52 (UTC)
知識の補完ありがとうございます。確かにそうですね。朝鮮系/韓国系日本人のこと、StrangerNonGeneralPersonさんのおっしゃるとおりですね。すみませんでした。Remington 2007年1月31日 (水) 18:47 (UTC)
■Remingtonさん:ちょっと驚くような反応だったんですが、自分の最後のメッセージを読み返せば「あまり意識していませんでしが、返信を要求するという点で」と書いていたんですね。この「意識していませんでしが」というのは、Remingtonさんの発言を読んでいないという意味ではなく、「その日は答えなかった」「ということがつづいていた」ということを意識していなかったという意味でした。いちおう書いておくと、最後にここに書いた数日前までメッセージはすべて読んでいます。以降はノート自体を見ておりませんでしたが。
>では、解かりやすく言いましょう。このような問題(在日コリアンの問題)は、社会一般的に「なに問題」と言われているでしょう?(Remingtonさん)
これを待ってました↑という感じです。私は、こういう議論の進め方が望ましいと思っています。われわれは用例に即すというのが原則だと思います。しかし「在日朝鮮人問題」…いやここ数十年のマスコミでは「在日韓国朝鮮人問題」でしょうか、この言葉を使うことがどうして「『民族問題』という考え方を取らない記述」なんでしょうか?
>Iosifさん、投票はかたくなにいかんいかんとおっしゃいますが、何故でしょう?
投票で決めていいなら、ノートなんか要らないし、典拠も要らないし、事典自体が要らないでしょう。世論調査でも読みます。
>アイヌや琉球民族が、その民族に属しているが故に代議員や上級公務員になれなければ、それは民族差別です。在日コリアンが日本国籍を有していないが故に代議員や上級公務員になれなくても、それは国籍による区別であり、朝鮮民族に属しているが故の差別ではありません。(Stranger non general personさん)
もう……そんな「日本と祖国の名誉を守る」みたいな動機のために「民族問題」の枠組みを勝手に改変したり、その言葉で捉えられると一般化している事柄の範囲を無根拠に決めてみたりするのはやめてください。そんなものは民族問題として取り上げられている朝鮮人について書く場で政府に代弁させて書けばいいだけのことだとしか思えません。▼とも思いますが、それ以前に「それは民族差別です」「それは国籍による区別であり(民族差別とは無関係)」という点についても典拠をください。そういう意見がたくさん存在しているのは知っていますが、これ、何か学術的な根拠に基づいて主張される類のものでしょうか? ちなみに(もちろんおわかりのように)この種の決め付けに反論している人々はいくらでも紹介できます。--Iosif 2007年2月3日 (土) 00:57 (UTC)
Iosifさん、それならば別個に「在日韓国朝鮮人問題」を作ったほうがいいでしょう?少なくともそういう風に知られていると考えるならそれがいいでしょう。多くのマスコミ、または多くの論説では「在日韓国朝鮮人問題」として取り上げているということは理解していただけました。それに対し「民族問題である在日韓国朝鮮人」「民族問題」として取り上げている人間のほうが一部でしょう。それなのにナゼ民族問題にしようとこだわるのかが解からないです。多くのマスコミ、論説、文章では「在日韓国朝鮮人問題」として知られる、それを「民族問題」という少数派もいるというのが中立といえるのではないでしょうか?
ここに記述されるべきことはマキシマムでこれだけです。あとは在日韓国朝鮮人問題の項目を「在日コリアン」の中にでも作ってお書きになったほうがよろしいでしょう。:::::Remington 2007年2月4日 (日) 08:33 (UTC)

民族って何ですか?[編集]

そもそも民族って何ですか? --経済準学士 2007年1月30日 (火) 20:43 (UTC)


幸いにして、wikipediaの民族の項が比較的良い記事です。

== 翻訳にまつわる問題 日本語の民族という言葉には二つの主要な意味内容が存在する。一方はネーション(nation)であり、もうひとつはエトノス(ethnos:英ethnic group)である。訳語としての「民族」は、nationに対するものであるとされている。

現代日本語では、nationは民族、国民、国家、国民国家、ネーションなどと強調されている側面に応じて訳し分け、他方でethnic系統の語は民族と訳されることもある。しかしエスニック・グループは、社会科学の分野では、エスニック集団などと訳し、民族という語を避ける場合も多い。(なお台湾などの中国語圏でも、民族nation概念に対して、ethnic groupは"族群"と訳され、民族との訳語を避けることが多く、日本でも族群概念を導入した論文もある。)日常語では何の問題もない「少数民族」という言葉も、社会科学では極めて問題含みの言葉として批判されることもあり、正確にはエスニック・マイノリティと訳すべきである。

--ちとせ 2007年1月31日 (水) 14:28 (UTC)


通り掛かりです。コメント依頼の方から来ました。ちとせさんの説明と被る所もありますが、一応、局外者から「民族」の説明をさせていただきます。まず結論から言えば、民族とは「文化・言語・領域などによる共属感情によって結ばれた共同体」です。言い換えると「『俺たちゃ、なになに人!』とか自分で考えている人たちの集合」ということになります。これはB.アンダーソンの「想像の共同体」という概念なのですが、「新しい古典」と言われるくらいなので、おおむね一般的な理解といって良いと思います。その上で話を進めると、日本語で「民族」といわれる概念には二種類、「ネイション"nation"」と「エトニ"ethnie"」があります。ネイションはある程度政治的な共同体で、エトニはネイション形成には至っていない文化的な共同体です。エトニは場合によってエスニック・グループとも言われます。ただ「エスニック・グループ」は多文化主義など、やや現代的な文脈で使われる様な気がします。ちなみにエトニは仏語、エトノスはギリシア語、エスニック・グループは英語です。"nation"や"ethnie"という言葉は、基本的に「民族」と訳さないことが推奨されます。日本語の「民族」ではエトニかネイションかを区別できないからです。その手の専門書であれば、脚註か「はじめに」でその様に断られていることが多いです。ちなみに「族群」はあまり一般的ではないように思います。ネイションとエトニの関係ですが、あるエトニが近代になって周辺のエトニを包摂して成立したのがネイションと考えてもらえれば良いかと思います。エトニとネイションの詳細についてはA.D.スミスの『ナショナリズムの生命力』および『ネイションとエスニシティ』を、ネイション成立過程についてはB.アンダーソンの『想像の共同体』をご覧下さい。スミスとアンダーソンの都合の良いとこだけ持ってきた説明なので、本格的に勉強している人から見たら噴飯物かもしれませんが、いちディレッタントとしては民族をこんな様な感じで理解しています。 コータ 2007年1月31日 (水) 17:35 (UTC)


まったく関係ない話題で申し訳ないのですが……このノート、「在日朝鮮・韓国人の問題は『民族問題』ではないのでは? 」でもう一度分割してはいかがでしょう? ちょっと長すぎるような気がしますし、話題的にはここで分断されていると思います。
……すいません、私、分割の方法知らないんです(苦笑)
--221.22.136.247 2007年2月1日 (木) 03:01 (UTC)

ディレッタントでさえない、学生時代の一般教養の古い記憶でお恥ずかしいですが、それに頼って(ちょっとこの項目でつづいた話にとって大事になるかもしれないような)気になる点を付け加えます。説明が間違ってたらすみません。。エスニー(ethnie)概念(私が読んだころにはエスニーと訳されていましたが…他を知らないので知っているほうに準拠)エスニーの提唱には、アンダーソンの著作より前からあった(ナショナリズム論の近代主義を受けた行き過ぎ?である)「ネイションは架空・想像の存在であり一切無根拠であり虚構である」という論調(そしてそう言っていればまるでネイションステイトが消えてなくなるんだといわんばかりの議論等々)への対抗であることを意識して措定された(と思われる)側面も指摘すべきかと思います。単数か複数のエスニックグループがいきなり(なにかしら抑圧的な権力者群?などによって人為的に)ネイションにさせられたり、一部の者はエスニシティを侵されるというイメージやら、国家的創作物としてのイメージやら、歴史的断絶ばかりを強調する向きへの対抗でしょうか。ネイションはそれほど無根拠な存在ではなく、原初的な形態かからネイションへと連続するその基礎には(神話やいろんな象徴を媒介にした)エスニックな紐帯の前近代的な形態があるのだと言って、それがエスニーだとして想定したのだ……と理解しています。単なる他者認識から生まれた仲間意識というよりはずっと発展したもの(知識人やエリートをもっていてシンボルを共有できる状態になっているもの)として措かれているとも言い換えることができそうです(勝手な想像ですが、朝鮮史に当てはめると、朝鮮王朝期の朝鮮半島住人がまさにこの言葉で言い表されるかなと思います。当事者の自意識もふくめて)。「民族って何?」かを問われる方には「俺たちはナニナニ人」という自意識が民族の最大の決定要素であるという点に戻って強調したいと思います。--Iosif 2007年2月3日 (土) 00:57 (UTC)

>対抗であることを意識して措定された(と思われる)側面も指摘(私Iosif)
「と思われる」とかじゃ、ダメじゃん(>_<)。あー!書くんじゃなかった。つまらん口をはさんですみません。--Iosif 2007年2月3日 (土) 01:18 (UTC)

少数民族として区分けされていますが、日系ブラジル人は大和民族ではないのでしょうか? 彼らは何民族とされているのですか? --いたる 2007年2月5日 (月) 22:22 (UTC)

私が答えるのはちょっと筋違いでしょうから少しずれるかもしれません。▼強く意識していなかったのですが、本当だ、分類されてる……。「主要な少数民族」という節題名に語弊があるのかもしれません。この節題名がのせいで項目「日本の民族問題」において扱われる問題は「少数民族(と支配民族との間)の問題だ」という誤解を招いているのかもしれません(余談:そういう扱い方なら項目を「日本の少数民族」とすべきだと思うのですがそれに徹した項目では私は項目としての存在意義が薄れると思います)。同・節題をまず「主要な民族的マイノリティ」とすべきかという気がします。▼日系ブラジル人に関しては大和民族なのかどうかわかりません。少なくとも自己認識は日本のマジョリティとは違うものだろうということはわかります。南米への移民には沖縄出身者も多かったはずですが、ブラジル人についてはよくわかりませんし、また沖縄出身であることが移民三世や四世の意識にどう影響を与えるのか詳しいことはわかりません。ただ、このことからも、いちがいに「大和民族」としてしまうのも難しいのかなと考えました。ご存知のことがあればご教示ください。▼これは、いたるさんに向けて書くのではありませんが(可笑しな「合意提案」を打ち出している方と提案支持者に向けていますが)日系ブラジル人を少数民族と呼ぶべきなのかどうかという点で疑問が生じることからみても、やはり「少数民族ではないから民族問題ではない」とする提案はおかしいのだろうと思います。少数民族と呼ぶべきなのか否かに拘わらず、日系ブラジル人に関する問題を「日本の民族問題として捉えるべきではない」という人がいるとは思えませんから。▼いるとは思えないと書きましたが、ひょっとしたらいるのでしょうか。このノートでは吃驚仰天することの連続なので心構えだけはしておいたほうがいいのかもしれない……。--Iosif 2007年2月6日 (火) 04:44 (UTC)
大和民族というくくりが小さければ、日本民族でもよいのですが、いわゆる「日系人」というのは日本人の血が流れている異国で数世代暮らした人たちのことを指すのかな、と考えていたもので。すでに他国と同化した日系の人が日本で暮らすことで起こる問題は、すでに異民族間の問題になるのか、同民族内の問題の範疇なのか、難しいですね。--いたる 2007年2月6日 (火) 14:05 (UTC)

投票の延期と合意案の修正[編集]

コメント依頼の成果が出て、多くの御意見をいただきました。当面、投票は延期した方がよさそうですね。
今までの御意見を参考に、合意案を以下のように修正してみました。再度御検討いただき、評価をお聞かせ頂ければと存じます。
  1. 記事の先頭に、「民族」へのリンクと、日本語の「民族」の曖昧さ(ethnieとnationの二つの、時には相反する概念を含んでいること。現在は通常「nation」の訳が「民族」であるが、ethnieの場合も、混同して使われることもまた多いこと)についての記述を追加する。
  2. 「主要な少数民族」の節を「在日華僑」の部分で分け、その先頭に『以下のマイノリティは、民族という日本語を「nation」という概念で捉えた場合は(彼らは日本国籍を有しておらず、また少なくとも現在は取得の意思も無い為)彼らの問題は「日本の」民族問題ではないが、ethnieという概念から民族問題を捉え、同種の問題として見なすべきであるとする意見もある。両者の概念の違いの詳細については「民族」を参照のこと』という記述を追加する。
  3. 在日コリアンに関する記述を一旦全て削除し、「琉球民族」のように「詳細は在日コリアンを参照」とする。
  4. (日本国籍を有する/希望する)朝鮮系・韓国系日本人の民族問題が存在する場合は、その記述を追加することは妨げない。
    (1)ただし将来、朝鮮/韓国系日本人の記事が独立して追加された場合は再度検討する。
  5. アイヌの節を追加し「詳細はアイヌを参照」とする。
  6. 「国連人権委員会特別報告」の節は「国連人権委員会」へ移動する。この記事内ではその存在のみを記述する。


繰り返しになりますが、この合意案は以下の基準の下に作成しました。
  • 個別の記事が存在する民族については一旦「詳細は○○を参照」との記述で統一する
  • 個別の記事、もしくは他の記事に記述のある記述は削除する
  • 個別の記事が存在し、その記事に(「日本の民族問題」に存在する)記述が無い場合は、該当記事に移動させる
以上、再度御検討頂ければ幸いです。よろしくお願いします。--Stranger non general person 2007年2月5日 (月) 06:02 (UTC)
反対。合意できません。
しつこいようで申し訳ないです。しかし、提案内容のうち争点となった箇所については何一つ変わっていないのだから仕方がありません。
▼StrangerNonGeneralPersonさんは「日本国籍を持つ者に関する事柄でなければ『民族問題』として捉えない」という(聞いたことのない、典拠のない、誤った)独自テーゼを打ち出していました。前回の提案はこのStrangerNonGeneralPersonテーゼに即して提案を行ったわけですが、今回の提案もStrangerNonGeneralPersonテーゼを前提にしています。「コメント依頼の成果が出て多数の意見をいただ」(StrangerNonGeneralPersonさん言)いたのに、全然反映していないのには仰天します。以下、問題となる提案文。
>「主要な少数民族」の節を「在日華僑」の部分で分け、その先頭に『以下のマイノリティは、民族という日本語を「nation」という概念で捉えた場合は(彼らは日本国籍を有しておらず、また少なくとも現在は取得の意思も無い為)彼らの問題は「日本の」民族問題ではないが、ethnieという概念から民族問題を捉え、同種の問題として見なすべきであるとする意見もある。両者の概念の違いの詳細については「民族」を参照のこと』という記述を追加する。(StrangerNonGeneralPersonさん)
どさくさに「彼らの問題は日本の民族問題ではないが」等々と混ぜ込んでいる。諸概念について単純に誤解しているふしもあるし、大変わかりづらい提案文だという点はおいておきます。最も問題になりつづけていた「●●は日本の民族問題ではない」という決め付けを裏付ける議論はStrangerNonGeneralPersonさん独自の論考のみだったという点を私は強調しています。その結果、StrangerNonGeneralPersonさんは寄せられた意見を何らを反映していない提案文を再提出するに至りました。
>『nation』という概念で捉えた場合は(彼らは日本国籍を有しておらず、また少なくとも現在は取得の意思も無い為)(StrangerNonGeneralPersonさん)
nation stateが全人類を区分するということが不可能になっていることも「民族問題」の発生原因の一つです。そういった事柄を捉える概念を使って、しかし、概念というか言葉だけを使って「取得の意思も無い為」云々と自分の論考に結びつけ、結局は特定の問題を「『把握する』ということから排除する」。こんなことをやっていて事典記事を作成するうえで何の意味があるんでしょうか。
>(彼らは日本国籍を有しておらず、また少なくとも現在は取得の意思も無い為)彼らの問題は「日本の」民族問題ではないが(StrangerNonGeneralPersonさん)
この決め付けについて、誰がそんなことを言っているのか、誰がそんな考え方を前提に「民族問題」論を展開しているのか、典拠を出してくださいと何度も求められています。私が求めているだけではないのはご存知のとおり。(典拠を出すのは無理だと思うので)撤回なさってはいかがですか。
Stranger non general personさんは、「日本国籍を持つ者に関する事柄でなければ『民族問題』として捉えない/捉えるべきではない」という自論を裏付ける根拠を提示することなく、しかし撤回することもなく、どうやって自説を押し通すつもりでいらっしゃるんでしょうか。
>ethnieという概念から民族問題を捉え、同種の問題として見なすべきであるとする意見もある。(StrangerNonGeneralPersonさん)
意味不明ですよ。エスニックグループという側面からアプローチする…というくらいの意味でしょうか。どちらにしても「ethnie」とはあまり関係しないようにしか読めないのですが……。
>(日本国籍を有する/希望する)朝鮮系・韓国系日本人の民族問題が存在する場合は、その記述を追加することは妨げない。(StrangerNonGeneralPersonさん)
ここにも露骨に出ていますが、Stranger non general personさんは、各民族それぞれの問題に関して単に記述量を減らすとかスリムにするなどということを提案しているのではない。「日本国籍を持つ者に関する事柄でなければ『民族問題』として捉えない/捉えるべきではない」という自説を反映しようとしている。その自説について検証されることを拒否したまま、自説反映を周囲に呑ませようと試みるとはわがままがすぎます。--Iosif 2007年2月5日 (月) 08:19 (UTC)

Stranger non general personさんは「投票の延期と合意案の修正」し歩み寄っておられるので、自説反映を周囲に呑ませようとしつこく試みているのはIosifさんのほうですね。様々な解釈はあるのはわかるが、本文に「詳細は在日コリアン参照 」とある後に長く詳細な内容があって、しかも他民族についてはほとんど記述なしではアンバランスです。そもそも在日コリアン(この項目もIosifさんが原因で保護になりましたが)に書けばいいことをわざわざ編集合戦してまで重複して書くこともない。ここは便宜上「日本(国民)の民族問題」と解釈すべきでしょう。日本に帰化した朝鮮民族の問題はここで書き、在日コリアン問題はあちらに書けば済むことです。それも嫌なら自分のHPでも作って思う存分気が済むまで自説をアピールしなさいな。はっきり言って迷惑です。Poor man 2007年2月5日 (月) 12:22 (UTC)

(Iosifさんへ)まず半可通な知識しか持たないで口出しし、更にIosifさんへ偉そうに説教をしてしまったこと、すいませんでした。良く知らないことに対して口出しはすべきではないと思うのですが、更に口出しします。
まずStranger non general personさんは「在日朝鮮・韓国人は日本国籍を持たない、故に在日朝鮮・韓国人の問題は日本の民族問題ではない」という主張に関しては撤回したと考えて宜しいのでしょうか?
次に、他の記述とバランスが取れてないから削除というのは本末転倒です。他の記述を太らせる努力をすべきであり、それをしないで削除すべきなどとは論外です。
更に言えば、現時点で朝鮮民族に関する記述は「多い」とはいえないレベルです。これが単独の記事ならまず間違いなくスタブを張られるレベルです。
もう一つ更に言えば、ウィキペディアに於けるNPOVとは様々な論点を「並列に」書き記すのではなく、現社会の状況をそのまま、「偏りがあるのならばその偏りをそのまま」書き記すというものです。現在の日本で言及される「日本の民族問題」では在日朝鮮・韓国人に付いて言及されることが圧倒的に多いことを考えれば、記述量が多くなるのもむべなるかなと思われます。
アイヌや琉球民族に付いての記述が増えるのは大歓迎です。しかし現在の記事の状態から在日朝鮮・韓国人の記述だけを削除することに関してははっきり反対です。らりた 2007年2月5日 (月) 12:44 (UTC)
上の文を読んで、Stranger non general personさんが撤回されていないと理解しました。これに関しては何度か言われている通りに典拠を示してください。らりた 2007年2月5日 (月) 12:45 (UTC)
再度追記。過去ログ化に関しては、サブページ化よりも過去の履歴を貼り付けるやり方の方が一般的と思います。上の-2006.4.11/の過去ログにはそのやり方でなっているようですが。らりた 2007年2月5日 (月) 12:57 (UTC)
御指摘ありがとうございます。過去ログ化の作業は初めてなので、不備がありましたら修正をお願いします。--Stranger non general person 2007年2月6日 (火) 04:38 (UTC)
はばかりながら申しますが、「日本の民族問題」では在日朝鮮・韓国人に付いて言及されることが圧倒的に多いとはどういう意味でしょうか?アイヌ、琉球民族に対して「我が朝鮮民族から比べれば小さい問題だ」と言っていると同義とかんじました。まぁ、なんにせよ無神経。らりたさん、アイヌと琉球民族の扱い、ひどくないですか?朝鮮民族から比べればそこまでたくさん書かなくていいとでもおっしゃいますか?
大体民族問題なんていう微妙な問題がいくらかの割合で分けれるという考えはいかがなもんでしょう?どの民族も一対一、平等に扱ってもらいたい。
Remington 2007年2月5日 (月) 16:40 (UTC)
同じことを繰り返しますが、現在の日本のマスコミに於いて、在日朝鮮韓国人問題とアイヌ・琉球民族との問題について取り上げられる回数は圧倒的に偏っているのが現状であると思います。そして「現状が偏っているならその偏りをそのまま表記する」のがウィキペディアに於ける中立性であると申し上げています。以上のこと(1在日朝鮮・韓国人問題と琉球・アイヌに関する問題の取り上げられる回数、2偏りをそのまま記述するのがウィキペディアの中立性)の二点に関して異論があるならばどうぞ。私のことを「我が朝鮮民族」だとか言っていますが、私は福岡生まれの福岡育ちの日本人です。そういうレッテル張りはやめてください。らりた 2007年2月6日 (火) 12:13 (UTC)
ツマランこと(線で消した部分のこと)を言いました。撤回します。らりた 2007年2月6日 (火) 12:54 (UTC)
このような問題を偏ったまま記載することはウィキペディアにおいても中立であるとは思えません。また、在日朝鮮韓国人問題は、取り上げられることも多いですが、マスコミがそれを民族問題として捉えているとかんがえなさるのならそれは全くの勘違いです。マスコミは、在日朝鮮韓国人問題を個別の問題としてあげていると考えたほうがよろしいですよ。じゃなきゃ民族問題と明記しますって。あるいは明記できない理由があるとか・・・
在日朝鮮韓国人問題民族問題ということを知ってくださいな。イコールに近いかどうかは知りません。在日朝鮮韓国人問題を民族問題として扱う人間もいるでしょう。ですがその一方外国人問題として扱う人間も経済難民として扱う人間もいるのですから。
Remington 2007年2月6日 (火) 17:38 (UTC)


わたしの提案に異論がないことを確認して追記です。リンクを残した上で帰化した朝鮮民族についての問題があれば朝鮮民族系日本人として記述すればいいでしょう。現行リンクを「帰化していない朝鮮民族についての問題は在日コリアンを参照 」とでもして残しておけばいいと思います。戦前の在日コリアンから戦後の在日コリアン・・・阪神教育事件、法的地位の変遷、就業実態と経済活動、在日コリアンを取り巻く諸問題とわざわざ重複して書く必要のない十二分な記述が見られます。これ以上互いの見解の典拠や反論を重ねて、さらに重複記事を置いておいてもリンクの意味もなく無駄にスペースを消費するだけなので提案として追記します。Poor man 2007年2月5日 (月) 14:58 (UTC)

合意案に賛成です。少なくともアイヌの項目を作ることには反論はないでしょう。

Remington 2007年2月5日 (月) 16:45 (UTC)

Stranger non general person 2007年2月5日 (月) 06:02 (UTC) の合意案に賛成します。Poor man 2007年2月5日 (月) 18:07 (UTC)

  • 反対して異論を提起します。「日本国籍」を有しないことをもってそのまま「日本の」民族問題ではない、とするのは乱暴でしょう。国籍のみが無条件に民族の定義、なのではありません。「わたしの提案に異論がない」などと勝手に決め付けている利用者:Poor manの姿勢にも、非常に問題があります。少数民族に対する差別の事例として、在日コリアンについても記述されるのは自然なことです。さらに、民族集住(中華街、コリアタウン、沖縄出身者の大阪府居住、など)の観点も必要でしょう。--わたあめひみつ 2007年2月6日 (火) 08:31 (UTC)


 一つ誤解があるようなので、その点に関して注釈を。私は、少なくとも今回の合意案では、在日コリアンの問題そのものをこの記事から完全に排除しようと提案しているのではありません。アイヌや琉球民族の問題とは意味合いが異なる、という注釈をつけようと提案しています。
 在日コリアンの記述を削除しようと提案しているのは
  • 在日コリアン」にある記述と重複しているため
  • 他の民族との記述の量と比較して明らかに偏っているため
の二つの理由です。だから今回の合意案では、他の民族と同じ記述にしようと提案しているのです。
 確かに私は、在日コリアンの問題は「日本の民族問題」では無いと考えていますし、その理由も説明しました。(特にコメント依頼をした後の)皆さんの御意見を拝聴しまだまだ勉強が足りないと感じさせられた部分はありましたが、まだその考えが間違っていたとは思っていません。また、そう思っていることを隠してもいません。しかし、「提案者が特定の政治的意図を持っているので、提案の内容など検討するまでもなく受け入れられない」というのもまたPOVではないでしょうか? Wikipediaは、記事とその内容については中立であることが求められていますが、個々の参加者が中立であることまでは求めていません。ノートでの議論は、参加者それぞれの価値観をすり合わせるためでなく、記述からその価値観をそぎ落とすためにあります。
 要約すれば「私個人の価値観が偏っていることは認めますし、それを隠しもしません。しかし、私の提案が偏っているのなら、具体的にその場所を指摘してください」ということです。
 私は今日の別の書き込みで「現在、在日コリアンに発生している問題の原因は、彼らが外国人だからですか? それとも彼らが民族的アイデンティティを保っているからですか?」と問いました。もしよろしければ、貴方(わたあめひみつ さん)の答えも聞かせてください
--Stranger non general person 2007年2月6日 (火) 10:01 (UTC)
「アイヌや琉球民族の問題とは意味合いが異なる」というのはどこの誰の諸説によるものなのかを提示してください。StrangerNonGeneralPersonさんの主張であるならばウィキペディアには記載できません。と前も同じことを言いましたが。
「特定の政治立場が・・・」などよりも「出展が明示されていないから削除」ということです。そのことをご理解ください。らりた 2007年2月6日 (火) 12:13 (UTC)


…………。
ごめんなさい、ちょっと確認させてください。貴方(らいた さん)は、「在日コリアンの(現在、この「日本の民族問題」に記述されている)問題の原因は、彼らが民族的アイデンティティを保っているからだけでは無く、彼らが自らの意思で外国籍であり続けていること(とりあえず朝鮮籍の問題は置いておきます)原因の一つだ」というのは私独自の主張であり、記事に反映したいなら論拠を示せ、と仰られているのですか?
いいですね? 「だけ」「も」をつけたことを見落とさないでくださいね? その割合について極めて大きな隔たりがあるのは承知していますが、それはともかく、私は彼らが民族的アイデンティティを保っている事原因のひとつではあるがそれだけではない、と言っているんですよ? それでも「それは『独自の主張』だから論拠を示せ」と仰られているんですか?
…………。ごめんなさい。やっぱり投票を実行した方がいいみたいですね>ALL 少なくとも私は、この問題に関して合意を形成する自信が無くなりました。……まぁ、彼らが何にこだわっているのかが解ったのは収穫の一つですが……。いやまったく、この世は新鮮な驚きに満ちています。その点だけはIosifさんに同感ですね。
--Stranger non general person 2007年2月6日 (火) 13:01 (UTC)


横から失礼します。話の腰を折ってしまいますが、ご容赦下さい。バランスが悪いから、というのは文章を削る理由としては不適切ですが、他の項目と重複しているというのであれば検討に値すると思います。ただ、全部消して「どこどこ参照」とするのではなくて、問題の起源や経緯、現在の状況などの概要を解説した上で、「詳細は何々参照」とするのはどうでしょうか。例えば在日朝鮮人・韓国人の場合であれば、「永住権は持つものの、外国籍であるために参政権など一部の市民権が制限されている。日本国籍を取得すれば選挙権も得ることができるが、韓国や北朝鮮国籍をそのまま保持するケースも多い。権利が欲しければ帰化すれば良いという意見もあるが、彼らが日本にやってきた状況などを考慮する必要もある。基本的人権や社会への包摂という見地から、他の外国人定住者も含めた外国人参政権の在り方が議論されている。」などと書いた上で「詳細は在日コリアン参照」と誘導する。琉球やアイヌなどについても、江戸時代までは独自の途を歩んでいたとか、アメリカ軍基地が多いとか、日本国民であるから政治的な権利は守られているが民族的な文化と伝統が危機に瀕しているとか、最近では伝統文化の復興運動が起きつつある、といった様なこと(上記の内容は適当ですが)を解説して詳細はアイヌ」や沖縄の歴史に譲る。勿論、中華系住人や日系ブラジル人、その他の定住外国籍保有者についても極力概要を記述し、可能なら適切に誘導する。…というのはどうでしょうか。
ポイントは、1.「日本国籍でないので日本の民族問題ではないという見方もある」ということは書かない(出典がまだ示されていませんので)。2.他の項目と重複する情報を減らす事ができる。3.各問題の説明の中で原因が国籍の差違による無権利状態なのか、同化政策によるエスニシティの危機なのか、国内における経済的社会的地位の問題なのかを示す事ができる(沖縄とアイヌも決して同じ問題ではありません)。4.一つの記事を読むだけで、ある程度全体像を掴むことができる。・・・いかがでしょうか、結局、概要に何を書くかという問題は残りますが、幾つかの問題は解消できると思うのですが。--コータ 2007年2月6日 (火) 13:59 (UTC)
えと、すいません。「他の項目と重複する情報を減らす」のなら、やはり「詳細は在日コリアン参照」以外のほぼ全ての記述を削除することになると思うのですが……。
--Stranger non general person 2007年2月7日 (水) 01:14 (UTC)
こーたさんへ。そもそも、外国籍の人間を日本の民族問題ととらえるとらえ方は、一般的なとらえ方ではありません。日本とは日本国家のことであり、在日は日本国家に包摂されていないからです。したがって、それを区別するのは当然です。その区別の仕方について「彼らが日本にやってきた状況などを考慮する必要もある。」とはいえますが、現在では、徴用できた人間およびその子孫は在日人口の1割に満たないことがわかっています。したがって、それ主に記事を書くことも妥当ではありません。これらの原則は守られるべきです。在日は基本的に在日外国人問題の一つであり、日本の民族問題の一つではありません。したがって、『ポイント1.「日本国籍でないので日本の民族問題ではないという見方もある」ということは書かない』というのは妥当ではありません。これについての出展は、たとえば広辞苑をあげれば十分です。広辞苑には国家の定義として「【国家】(state; nation) 一定の領土とその住民を治める排他的な権力組織と統治権とをもつ政治社会。近代以降では通常、領土・人民・主権がその概念の3要素とされる。」とかかれています。したがって、在日は憲法上他国の国民ですので日本国民とは別の扱いを受けるように、日本国の十全な一員ではなく、在日外国人問題として問題を把握されるのです。ブラジル人や中国人のニューカマーを日本の民族問題と把握することがないのと同様です。したがって、その経緯から在日朝鮮人を日本の民族問題の類縁として考えるのはともかく、民族問題そのものではないと言うことになります。したがって、ポイント1については、「在日朝鮮韓国人の永住資格を持つ人々は本来、外国籍のため日本の民族問題ではないが、その経緯から類縁の問題として論じられることがある」とするのが中立的な妥協点になるでしょう。Tsu382 2007年2月7日 (水) 02:56 (UTC)
Stranger non general person さんへ。単独記事の冒頭定義部分ぐらいの本当にざっくりとした説明で良いと思います。節の中が「在日コリアン参照」、「アイヌ参照」、「沖縄参照」だけでは、それこそ「在日」問題において国籍が重大な要因になっていることも他の記事を見なければ分かりません。あるいは「アイヌに比べ琉球文化はまだ残っている」といった比較もそれぞれの記事を見てその内容から判断しなければなりません。そういったことを考えると、「全てのルールを無視しなさい」という程ではありませんが、最低限の重複は許容されるのではないかと思います。
Tsu382さんへ。確かに私も最初は「民族問題」と言われるとバスク、クルドなどのマイノリティ・ナショナリズムを思い浮かべてしまう為、違和感があったのですが、これに関しては山内昌之氏の『民族の時代』が根拠としてあがっています。依然、「エスニック・マイノリティ問題」とした方が良いのではないかという気がしますが、それはまた別の話です。逆にTsu382さんの言う「日本の民族問題」でないという根拠として山内氏の文献に匹敵する根拠が提示されていない様に記憶しています。広辞苑などは国語辞書としては優れていますが、専門的な内容に関してはやはり信頼性に欠ける所があります。「日本とは日本国家のことであり・・・」という論理についてですが、「日本国家」という言い回しの不自然さは置くとしても、ちょっと無理があると思います。「日本」という時、それは確かに「国家としての日本」という可能性は否定できませんが、同時に地理的な概念での「日本」かもしれません。また「国」というときと「国家」というときでニュアンスが異なります。そういった事を考えると、少なくとも「日本の民族問題」という七文字からは、他の解釈を押しのけて「日本国家」と積極的に解釈する根拠は見出せません。そう解釈したい気持ちは理解できますが、やはり周囲を説得するだけの根拠が必要です。山内氏ほどの専門家でなくとも、信頼の置ける研究書や論文がなければちょっと説得力に欠けると思われます。逆にお聞きしたいのが、「本当に文献の心当たりが無いのですか?」という事です。興味がある分野であれば、文献の一つや二つ出てきそうなものですが、「活字離れ」というやつなのでしょうか。それはさておき、現状、「在日朝鮮韓国人の永住資格を持つ人々は本来、外国籍のため日本の民族問題ではない」と宣言できるだけの根拠が示されているとは思えません。ただいわゆる「在日」問題において国籍が重要な位置を占めており、「日本国籍を持っていないことが原因という点では、アイヌや琉球の場合とは問題の意味合いが違う」という事は確かです(逆を返せばアイヌと琉球の問題は日本国籍がある人たちの問題であるという程度にしか共通点がないとも言えます)。ですから、そういった解説も含めて、各記事に誘導する際の短い概要を付けたら良いのでないかと考えました。国籍の有無も数ある論点の一つ、というスタンスにはなりますが、国籍が重要なファクターであるということは盛り込めると思います。あと、具体的に概要に何を書くかまでは私から提案するつもりはありません。たとえば、の話で書いたまでです。ただ「経緯」というのは、徴用か、自発的かという事だけでなく、彼らが「内地」に来たときは日本国籍を持つ「日本国民」だった(「植民地化」でなく「併合」ですから)、という事も含めてです。あくまで主観ですし、Tsu382さんにはTsu382さんの考えもお有りでしょう。まあ、特に主張するつもりも必要もありませんし、論点からも外れますので、何か「間違った認識を正してやる」みたいなことがありましたらメールかユーザーノートに。一応、自分の思想と価値観を記述から極力切り離す様にしてますので。信じられないかもしれませんが(自分でも自信ありませんし)。
--コータ 2007年2月7日 (水) 16:49 (UTC)


日本国籍を持っていないことが原因という点では、アイヌや琉球の場合とは問題の意味合いが違う」という事は確か
了解しました。このコンセンサスの元でなら、合意に達することは可能だと思います。私は(最終的にはそうすべきだとは思っていますが、今回の合意案では)在日コリアンの記述を完全に排除しようと提案しているのではありません。(一番最初の提案でさえ)「厳密には在日コリアンの問題は『日本の民族問題』ではないが、同種の問題として扱われる場合がある」という注釈を付けた上で、在日コリアンと他の民族の記述をバランスさせようと提案していたのです。その意味では、「最も厳密に解釈した場合は、『日本の』=『日本国家の』となるので」とすれば(そう解釈する余地があることがあることまでは認めていただいているので)、コータさんと私との認識にはそう大きなギャップは無いものと考えています。
  • 「単独記事の冒頭定義部分ぐらいの本当にざっくりとした説明」
各民族ごとに同じ基準での引用を行う、という条件で同意します。私も具体的な文案を考えて見ますので、コータさんにもし素案があれば是非御提示ください。
--Stranger non general person 2007年2月8日 (木) 01:30 (UTC)
コータさんの「単独記事の冒頭定義部分ぐらいの本当にざっくりとした説明」に私も賛成いたします。
国籍に付いて。「アイヌや琉球民族の問題とは意味合いが異なる」というのは事実ですが、それを問題として「民族問題とは捉えられない」あるいは「同列には扱えない」とするのは一つの立場です。ですから注釈を付けるとしても「国籍の有無が論点として取り上げられることがある」などと書いて双方の意見の出典を明示すべきであると思います。わかりにくい文章を書いてスイマセンらりた 2007年2月8日 (木) 12:57 (UTC)

以下Iosif記:インデント戻します。

>ただいわゆる「在日」問題において国籍が重要な位置を占めており、「日本国籍を持っていないことが原因という点では、アイヌや琉球の場合とは問題の意味合いが違う」という事は確かです(コータさん)

ちょっと変だなあという気がします。ついつられて譲っているだけに見えるのですが、どうでしょうか。変な拡大解釈を許しているように思います。朝鮮人にまつわる諸問題がすべて「日本国籍をもっていないことが原因」と、コータさんは言えるでしょうか? ▼ここで、すべて、と付けるのはずるいとおっしゃるかもしれません。しかし、国籍如何問題へと議題を特化し得る以前から(現在も特化し得るとは思いませんが)朝鮮人は存在していて「植民地出身者」問題という民族問題は存在しています。それをふまえて「問題」そのものは持続的・歴史的に捉えるのが一般的であるように思います。高度成長期以降にあてはめても国籍が直接関係するのは市民的諸権利に関する事柄に限られていて、民間における差別や偏見や文化的摩擦は国籍とは直接関係しないように思います(現実には同化が進んでいるからオーケーだと言う人がいるでしょうけれども、そう言い切るのも大雑把でしょう)。朝鮮人にまつわる諸問題は植民地時代までさかのぼらないと説明しようのないことだらけだと思いますが、これを説明するうえで「国籍選択ができるようになった」(それ自体、嘘だと言う人もいますが)段階から断絶して捉える有力な論考があるとも思えません。▼話が空想的になりますが、日本が敗戦後も朝鮮人を日本国籍のまま包含していたとします。当時からそれをやっていたら、現在ほどに日本人に同化させられなかったろうと思います(典拠が必要ならやりますが、これは在日朝鮮人史研究においてそう珍しくない認識です。たしか諸権利の制限もなく日本の民主化だけが起きたわけですから、9割の朝鮮人が出自を隠している状態であったり、民族的同化の必要に迫られないだろうという理屈です)。朝鮮人組織の主流を占めた北の「共和国公民団体」は少数民族圧力団体として機能していたのかもしれません。もちろん、これは空想ですけれども。もし、敗戦後すぐに朝鮮人を日本国民として認めたまま民主化していたら日本は典型的な少数民族を抱え込んだだろうと思います。いや、そうなっただろうと言うだけの根拠もないかもしれませんが、かといって日本国籍をもっていたら「民族問題」として消え去るとは到底思えませんし、そう考える根拠もないのではないでしょうか。▼以下少しだけ自説なので無視していただいてかまわないのですが、ポリティカルアイデンティティとエスニックアイデンティティの峻別は大変難しいです。政治対立は民族の構成要素に常につきまとうのは意識やネイションの成立過程に重要な役割を果たす要素であることはご存知のとおりだと思います。少数民族においてはなおさらです。Stranger non general personさんが反発することに象徴的にあらわれているように、私は「在日」当事者の意識には政治的アイデンティティとしての側面があると思うのですが(鶏が先か卵が先かわかりませんが)、それをもって「民族問題」という捉え方から排除しようというのがStranger non general personさん提案ではないかという気がしています。そして、もちろん私は、それに対してどう思うかは別として、「問題」として捉えることから排除するのはとても乱暴だと思っています。モスレム人とセルビア人を別個に形成した要因があるとすれば、それは宗教だと思いますが、だからといって双方による紛争はあくまでも民族紛争として捉えられていますし、そう捉えるべきです。
▼話がそれました。元に戻します。

>権利が欲しければ帰化すれば良いという意見もあるが、彼らが日本にやってきた状況などを考慮する必要もある。(コータさん)

……という記述が、在日コリアンを説明するときに付いているのならばおかしいと思いません。しかし、これは在日朝鮮人による日本国家への諸権利要求(請願?)に対する反論や賛同として存在する「意見」だと思うのです。このことと「民族問題としての在日問題」を説明することとは特に関係がないと思います。▼もちろん、この項目であっても、あくまで「在日コリアン」の諸権利要求にまで踏み込んで説明した上で、それに対する論評として紹介するのであれば、問題ないと思います。しかし、それくらい記述を増やそうという話のほうが反対は多いように思えます。▼で、どうしてこんな細かくて口うるさいことを言うかと言うと、下のような拡大解釈が飛び出しているからです。ここから先はStranger non general personさんへのコメントです。

>「最も厳密に解釈した場合は、『日本の』=『日本国家の』となるので」とすれば(そう解釈する余地があることがあることまでは認めていただいているので、(Stranger non general personさん)

どこをどう読めば、そんな解釈を許す余地を認めていることになるのでしょうか? これは「認めている」と解釈されたコータさんにお尋ねしたいのですが、そういうお考えだと読めばいいのでしょうか?▼Stranger non general personさんの言う「最も厳密に」の「厳密」とはどういうルールに即した「厳密」さなのか、一度も説明されていません。説明されている事柄もありましたが、それはStrangernongeneralpersonさんの自論=自分ルールだけでした。ずーっと典拠を求められているのがおわかりになりませんか。それは誰の意見ですか?と。--署名忘れの補填と修正と追記。--Iosif 2007年2月9日 (金) 00:19 (UTC)
前回の編集でフォローを忘れていたので
  • らいた さん
「民族問題とは捉えられない」あるいは「同列には扱えない」とするのは一つの立場です」はその通りですが、この立場をとる意見は(以前にも紹介しましたが)確かに存在します。以前私自身が紹介した大辞泉の「少数民族」の定義、「複数の民族によって構成される国家の中で、相対的に人口が少ない民族」を初めとして、「ノート:少数民族」でいくつか紹介されています。Iosifさんも(あまりあの人の発言を引用したくはありませんが……(苦笑))「典拠が挙げられているのは、あくまでも日本政府が「少数民族」としての存在を認めることを回避しているということまで」という表現で、日本政府が在日コリアンを少数民族と認めない場合がある事は認めています。在日コリアンを(国籍の有無を基準に)少数民族と認めない立場/意見は存在する、というソースは既に提示されている、と考えています。
--Stranger non general person 2007年2月9日 (金) 01:11 (UTC)
細かいことを言って申し訳ないですが、発言順どおりに並べ替えさせていただきました。発言順に従わないで挿入すると先に発言したものが、後から発言しているように読めるので、おやめください。▼「在日コリアンを少数民族と認めない立場/意見は存在する」のはそれはそうだろうと思いますが、どうしてドサクサに自説を混ぜて呑ませようとするかなあ……。「(国籍の有無を基準に)少数民族と認めない立場」となると話は別です。聞いたことがありません。単に辞書が多民族国家を前提にして説明しているだけです。「在日」などという特殊な存在や、特殊日本文脈の特殊在日問題においてのみ特殊な意味をもたされてしまっている「国籍」になど、引用なさっている大辞泉も言及していません。それから、「(苦笑)」とかやめたほうがいいと思います(私の顔文字も同じですが)。--Iosif 2007年2月9日 (金) 01:59 (UTC)
大変申し訳ありませんが、私は貴方に対して発言しているわけではありません。今後、私の記述を勝手に移動しないでください。既に貴方は(移動されてしまった後の)発言をしてしまっているので修正はしませんが、以後同様の行動をとられた場合、そのことのみを理由としてブロック依頼を行うこともありえます。厳重に注意してください。--Stranger non general person 2007年2月9日 (金) 07:07 (UTC)
これはもうとんでもないことを言い出したものです。発言順を入れ替えたのはStranger non general personさんです。あなたが誰に対して発言しているかというあなた自身の意図にかかわらず他人(この場合は私=Iosif)の書き込み位置を勝手に移動させないでください。Wikipediaでは各節内で発言順に後ろに書いていくのがほとんどルールに近い慣行です。にもかかわらず、今回の場合は[2]←こちらでわかるように、私が発言した箇所の一つ前に、Stranger non general personさんは自分の発言を挿入させたわけです。このようなことを自由にやられては、実際にはStranger non general personさんの発言が後であるにもかかわらず、私があなたの発言を読んだうえで発言しているかのように見せることができいます。私が現在の発言位置を修正しないのは当然ですが、以降もStranger non general personさんが他人の発言順序を入れ替えることを繰り返せば、注意を受けてわかっていたうえで行った他者発言の改竄であると認めます。これこそ、Stranger non general personさんのブロックを依頼する理由になります。▼また、今回私は、Stranger non general personさんの勘違いか、もしくはまったく不当な理由によって、ブロック依頼をちらつかされるという脅迫を受けたことを確認します。--Iosif 2007年2月9日 (金) 12:03 (UTC)
私は「他人の投稿を勝手に改変するな」としか言っていません。記述の場所を移動させるのも当然改変に含まれるはずです。貴方(Iosifさん)が何を仰られても自由ですが、同様の行為は二度となさらないようにと重ねて御注意申し上げます。私から申し上げることは他にありません。--Stranger non general person 2007年2月9日 (金) 13:26 (UTC)


Iosifさんへ。私自身、多分に認識の甘い所があり、恐縮するばかりです。話に聞く限り、そして状況を見る限り、国籍に依らない民族的な差別が厳然と存在するのは確かな様です(学生時代、大学への道すがら、朝鮮総連付近を通りかかる事が多かったのですが、現在ほど問題が先鋭化する前であったのにも関わらず路上の厳戒態勢はなかなかに興味深いものがありました。「興味深い」といっては不謹慎ですが)。ただそういった差別は日本国籍を既に取得して日本人となっている韓国・朝鮮系の方たちのケースと関連させて論じることは不可能でしょうか。既に帰化した韓国・朝鮮系の方たちと在日韓国・朝鮮人の方たちに限って考えた場合、国籍に基づく排除は在日韓国・朝鮮人の方たちに特有の問題で、そしてそれ以外の差別は韓国・朝鮮系日本人の方たちと在日韓国・朝鮮人の方たちに共通の問題と言えるのではないかと思います。そうであるならば、乱暴な話かもしれませんが、共通の問題として「韓国・朝鮮系日本人」の節で触れるのが良いと思うのですが、いかがでしょうか。 --コータ 2007年2月9日 (金) 16:21 (UTC)
議論をおいておいて申し訳ありませんが、先に。
>Stranger non general personさん:
>同様の行為は二度となさらないようにと(Stranger non general personさん)
私の「行為」がコレを指すのだとしたら、原状復帰のため何度でも修正します。甲さんが「A」と発言し次にIosifが「B」と発言したところ、AとBの間に誰かがCの発言をはさむ。そのことで会話の流れをわかりづらくする。私はPeace系諸アカウントからこの種の嫌がらせをさんざん受けてきました(例としてノート:極東国際軍事裁判がある。そのなかでも一例としてこういう編集を何度もやられているのは前後の履歴でおわかりいただけると思います)。Stranger non general personさんがやっているのは、これと同じです。返事したい相手のすぐ下に書いたほうがやりやすいのはわかるので、私もその誘惑に駆られることがありますが、他人の発言意図をどのように損なうかわからないので我慢しております。Stranger non general personさんさんが「御注意申し上げます」などと開き直って投稿順序が入れ替わって見えるような挿入を行えば、次は確信犯としてPeace系と同じ嫌がらせを行ったとみなして然るべく対処いたします。ただし、この段階ですでに、お返事をうかがうかぎり、いつ同じことをやられてしまうかわからない状態ですから、管理者掲示板で相談がわりに救済を訴えるつもりですが、まあ、今日は眠いので後回しにします。--Iosif 2007年2月9日 (金) 22:58 (UTC)


繰り返しますが、私は「他人の投稿を勝手に改変するな」としか言っていません。ノートにおいて(それを望んでいないと明言しているにも係らず)他人の発言を改変する行為を繰り返すのならブロック依頼を行う、と警告しただけです。それがWikipediaの何らかの規約に違反していると考えるのなら、どうぞ御自由になさってください。ただし私は「他人の投稿を勝手に改変するな」としか言っていないことは重ねて申し上げておきます。--Stranger non general person 2007年2月10日 (土) 00:54 (UTC)
いいえ、違います。Stranger non general personさんは発言順序を入れ替える(=すでに書き込まれている発言の狭間に割り込む)ということを先にやってのけました。Stranger non general personさんによれば「記述の場所を移動させるのも当然改変に含まれるはず」だそうです。その改変をこのように自らやっておきながら、私が原状復帰をはかると「他人の投稿を改変するな」と言って「ブロック依頼を行う」と脅迫しました。StrangerNonGeneralPersonさんが上に書いた弁明自体が何を誤魔化そうとなさっているか明らかにしていると思います。いや、これが「うっかり」だったり「相手がそんなに嫌がるとは思わなかったのでこれからはやめとこう」というのならばわかるのですが、抗議を受けても「今後に渡って順序を無視した発言の挿入を繰り返す」「邪魔するのは許さない」と宣言しているようなものですので、これはとんでもない問題発言です。--Iosif 2007年2月10日 (土) 01:26 (UTC)
以下Iosif記:
コータ さんへ。一点だけです。長いですが、でも、他の論点にまで手がまわっていない言い訳として「一点だけ」と前置きさせていただきます。一点とは何かと言うと「国籍に基づく排除は在日韓国・朝鮮人の方たちに特有の問題」とおっしゃっている点です。ちょっと前置き的な引用から入ります。
>ただそういった差別は日本国籍を既に取得して日本人となっている韓国・朝鮮系の方たちのケースと関連させて論じることは不可能でしょうか(コータさん)
可能でしょうけれども、そうする必然性が感じられません。いや、違うか?。関連させて論じることは可能ですが、わざわざ切り分けて片方に関連させる、その前段階の「切り分け」に反対だと言えばいいでしょうか。日本における朝鮮人がその後たどった運命(?)という切り分け方をしてそれぞれを一箇所で解説するのならばわかりますが、項目を分けようとなると違っていると思います。まして、朝鮮民族にかぎらず異民族普遍として起き得る問題をどうして「日本国籍を既に取得している人のケース」とだけ関連させなければいけないのかわかりません。▼なにより、その他の民族問題と完全に分断してしまうこと自体が「日本の民族問題」を俯瞰する項目としての意義を失わせるように思います。「帰化した朝鮮系たちと在日朝鮮人たちとに特有の問題」だけであれば、それだけを在日コリアンなり日本籍コリアンなりに書かれるべきだと思いますが、「民族問題」という広い捉え方から朝鮮人問題を排除すべきではないと思いますし、「民族問題」という捉え方から見えてくるものも排除してしまうことになると考えます。ところが、そういう提案がなされているのだと思うわけです。
>既に帰化した韓国・朝鮮系の方たちと在日韓国・朝鮮人の方たちに限って考えた場合、国籍に基づく排除は在日韓国・朝鮮人の方たちに特有の問題で(コータ さん)
そのようにおっしゃるために「既に帰化した韓国・朝鮮系の方たちと在日韓国・朝鮮人の方たちに限って考えた場合」という留保がなくてはいけないわけですよね。留保をつけてまで「在日朝鮮人に起きた特殊現象」であるかのように描き出すことで失われるものが多いと私は思っています。たしかに朝鮮人問題は、植民地政策以上に戦後の経緯が特殊であることから、日本くらいでしか見られないユニークな問題だろうと思います。しかし、かつての植民地帝国が(帝国主義時代の施策の結果として)抱え込んだ民族問題として捉えることもできます。これを、わざわざ「帰化したもの」「そうでないもの」と分けては、世界の先進国が「かつて植民地をもっていたことの後始末」とセットなものとして民族問題に頭を悩ませてきたこととの比較の視点を失わせると思います。
▼もう少しおしゃべりします。たしかに日本においては「国籍に基づく排除は在日韓国・朝鮮人の方たちに特有の問題」とコータさんにも言われてしまうくらい、朝鮮人くらいしか数的な存在感がなかったのかもしれません。しかし、厳密には朝鮮人にしか起きていないわけではないのもすぐにお気づきだと思います。まず、台湾人がいます。台湾人の戦後補償問題も話題になりました。1973年にインドネシアで発見された日本兵が台湾の先住民だとわかったとき、元軍兵として補償できないことを日本のマスコミは単なる法の不備だとしか捉えておらず「戦後補償問題」という問題系があるという視点自体がなかったほどです(これはの新聞縮刷版をご覧いただければすぐわかります、現在とは違って法的不備を疑問視する記述はまったく見られません)。だから、知らない問題がたくさんありそうだと思っています。もちろん、台湾人の場合、朝鮮人のように「帰化しない」ということがイデオロギーの一部を構成したとは思えませんが。えーと、それから、無国籍児の問題がありましたよね。結局は米国の圧力で法改正したけれども、父親が外国籍である場合に無国籍になってしまう(要するに米国兵と日本人女性との子どもですが)ということが長く続いていましたし、長らく抗議されながらも日本政府はなかなか国籍法の改正に応じませんでした。帰化行政の問題を挙げる場所ではありませんが、ユダヤ教徒であることを理由に帰化を拒んだとして騒ぎになったこともあります(←あくまで「騒ぎ」であり、当然立証不可能)。少なくとも「同化の程度に問題がある」と回答したことはあります。▼まず、これらの細かい事柄を演繹したうえで、戦後の日本国が(一時期まで)(1)大和民族の血を引いており(2)男系出生であるということを「日本人の要件」としてきたのだと指摘している“人がいる”ことを挙げたいです(西江雅之金敬得など)。一応言っておくと、Iosifはこの考え方を支持しません。支持しないにもかかわらず、さらに続けます。このような「日本人」規定が、かつて植民地帝国であったことの「後始末」方策として日本国が選んだ道だという解釈だってあります(記憶おぼろげですがたしか金静美だったか)。私が問題視しているのはここから後です。上記諸々の解釈が紹介される余地も存在する余地も一切なくなってしまうような「民族問題」の(提案者Stranger non general personによる、統一された基準と根拠のない勝手な)カテゴライズが提案されている、そういう事態です。これを看過するわけにはいきません。POVなカテゴライズは、POVな記述&表現よりも修正に労力を要し、後々に及ぼす悪弊が大きいからです。▼私は朝鮮人に共通する問題を一つところでまとめて記述することに反対しませんが、「日本の民族問題」としての切り口から日本における他の民族と並列して(「民族問題」としての側面が)書かれるべきだと思っています。ですから現在の記事に満足しているわけではありません。--Iosif 2007年2月10日 (土) 01:26 (UTC)
追伸。来週半ばまでとのことでしたが、私も週明けまではほとんど帰宅しませんので(私の動向なんかどうでもいいかもしれませんが)どうぞ気兼ねなくお過ごしください。--Iosif 2007年2月10日 (土) 01:31 (UTC)

合意案の再修正[編集]

概ねコンセンサスが形成出来てきたようですね。上記の議論をたたき台にして、再度合意案を修正してみました。御検討ください。

  1. 記事の先頭に、「民族」へのリンクと、日本語の「民族」の曖昧さ(ethnieとnationの二つの、時には相反する概念を含んでいること。現在は通常「nation」の訳が「民族」であるが、ethnieの場合も、混同して使われることもまた多いこと)についての記述を追加する。
    (1)記述に際しては「民族」の記述を元に、必要最小限の解説に留めるよう留意する
  2. 「主要な少数民族」の節を「在日華僑」の部分で分け、その先頭に『以下のマイノリティは日本国籍を有しておらず、上記の少数民族の問題とは意味合いが異なる。「民族」をnationという概念で捉え「日本の」民族問題ではないとする意見も存在し、ethnieという概念から「民族問題と捉えるべきだ」とする意見との議論がある」という記述を追加する。
  3. アイヌの節を追加し「詳細はアイヌを参照」とする。同じ節にアイヌ問題の必要最小限の解説を付け加える。
  4. 琉球民族の節に、琉球民族問題の必要最小限の解説を付け加える。
  5. 在日コリアンに関する記述を一旦全て削除し、「琉球民族」のように「詳細は在日コリアンを参照」とする。同じ節に在日コリアン問題の必要最小限の解説を付け加える。
  6. 3.~5.に関しては各民族を同等に扱い、記述の質・量をバランスさせることに留意する。
  7. (日本国籍を有する/希望する)朝鮮系・韓国系日本人の民族問題が存在する場合は、その記述を追加することは妨げない。これは6.の適用外とする
    (1)ただし将来、朝鮮/韓国系日本人の記事が独立して追加された場合は(各民族を同等に扱うという観点から)再度検討する。
  8. 「国連人権委員会特別報告」の節は「国連人権委員会」へ移動する。この記事内ではその存在のみを記述する。


以上、再度御検討頂ければ幸いです。よろしく願いします。--Stranger non general person 2007年2月5日 (月) 06:02 (UTC)

反対します。
>「最も厳密に解釈した場合は、『日本の』=『日本国家の』となるので」とすれば(そう解釈する余地があることがあることまでは認めていただいているので、(Stranger non general personさん)
私にはそんな解釈を許す余地を認めているようには読めませんし、元々、一人二人を除いて上記引用のように前提することに異議を唱えています。▼Stranger non general personさんの言う「最も厳密に」の「厳密」とはどういうルールに即した「厳密」さなのか、一度も説明されておらず、出典は挙げられていないままです。以下、提案文に即して述べます。
>その先頭に『以下のマイノリティは日本国籍を有しておらず、上記の少数民族の問題とは意味合いが異なる。「民族」をnationという概念で捉え「日本の」民族問題ではないとする意見も存在し、ethnieという概念から「民族問題と捉えるべきだ」とする意見との議論がある」という記述を追加する。(Stranger non general personさん提案)
上記の提案文のうち次の部分↓
>「民族」をnationという概念で捉え「日本の」民族問題ではないとする意見も存在し
「一体どこにそんな意見が存在しているのですか? 誰がそんな意見を述べているのですか?」と、ずーっとお尋ねしつづけています。ちなみに、そんな意見は存在しない、するはずがない…というのが私の認識であり、この認識ゆえに一貫して異議を唱えています(するはずがないなどとまで言う理由は既述ですが、ここでは簡単に、そのような基準を導入したとたん捉えられなくなる民族問題がたくさん出てくるとだけ書きます)。
「誰がそんな意見を述べているのか?」←これにお答えにならず、どさくさにStranger non general personさんの意見を混ぜ込んでいるかぎり、反対です。もちろん、お答えいただいた次には「その人はどういう研究結果と論理展開によってそのような立場をとり得るのか」をお尋ねしますが)。--Iosif 2007年2月8日 (木) 23:24 (UTC)
論点が八つに別れているので、どの論点に反対するのか明確にし、反対する論点全てに理由を述べるべきだと思うのですが。Iosifさんだって流石に3, 4, 8 辺りにまで反対だとは思えませんし。5, も、『在日コリアンに関する記述を全て在日コリアンの項目へ集約し、「琉球民族」のように「詳細は在日コリアンを参照」とする。同じ節に在日コリアン問題の必要最小限の解説を付け加える。』と変えれば、「重複は望ましくない」という観点から見てこれに反対する理由は存在し得ないと思いますし。211.127.11.134 2007年2月9日 (金) 06:31 (UTC)
こちらの記事の記述で在日コリアン(およびチマチョゴリ切り裂き事件などの関連する記事)の記事の内容にない記述があるのなら、もちろん211.127.11.134さんの意見に賛成します。が、現在、そのような記述は特に見られないと思うのですが……。もし私が見逃している記述があれば御指摘をお願いします。--Stranger non general person 2007年2月9日 (金) 07:12 (UTC)
まずStranger non general personさん。私はらたです。よろしくお願いします。
それでですが、コータさんもおっしゃっているように辞書を典拠とするのは無理があります。辞書の編纂者は民族問題の専門家ではなく、国語学者であり、限られたページ数で纏めるためにはどうしても最大公約数的な記述になるものです。更に言えば『大辞泉』の記述、「複数の民族によって構成される国家の中で、相対的に人口が少ない民族」の定義をそのまま受け入れるとしてもこの文中の「構成される」の必要条件が「国籍を取得している、あるいは取得する意思がある」であるとは私には読み取れません。同じことをIosifさんにも言われていますが。そして日本政府は「この手の話に付いては明言を避けるというのが一貫した態度と思われます」と私が前の方で書いてましたが、これは大きな勘違いなのでしょうか?どこかで日本政府の人間が「在日朝鮮・韓国人は日本国籍を持たないから日本の少数民族ではない、あるいは同列には扱えない」などと明言したのでしょうか?それがあるならそれを提示してください。そして
それでですが、Stranger non general personさんの提案に対して3-7に関しては賛成。8に関しては私からはなんとも言えず保留。1,2は反対です。理由は「ethnieとnationとを区別し、その観点から『以下のマイノリティは日本国籍を有しておらず』以下の文章に繋がるような意見を発表している主体」が不明であるからです。
僭越ながらStranger non general personさんに申し上げたいことは、とりあえず記述量を等しくすることで妥協しませんか?ということです。らりた 2007年2月9日 (金) 12:14 (UTC)

インデント戻します。

まずはお名前を間違えていたこと、失礼しました。お詫びします。
ということで、らりたさん、ノート:少数民族にもいらっしゃいましたよね?(^^; ならば御存知とは思いますが、あちらの220.211.215.164さんの解説が非常によくまとまっていますので、他の皆様への御紹介も兼ねて引用しましょう。
政府が在日の方々を少数民族として認知してない立場とするのは、社会学者やNGOらの指摘や政府の姿勢から伺えます。たとえば、社会学者佐々木てるは、戦後日本政府は少数民族問題として顕在化するのを回避するために「彼ら(=在日の方々、投稿者挿入)に対し本国へ帰還するか、もしくは日本国籍を取得するかという選択を提示した」とのべています。別箇所では「〈特殊な外国人〉、つまりは少数民族の問題を回避するために、協定永住権付与の期間を限定したことがわかる」とも述べています。つまり政府は日本に少数民族が存在することを望んでいなかったということになります。(以上は佐々木『日本の国籍制度とコリア系日本人』明石書店、2006、pp38-41から引用)
これは戦後直後だけではありません。現在まで政府は積極的に認めようとはしていません。近藤敦編『講座グローバル化する日本と移民問題 第1期第2巻 外国人の法的地位と人権擁護』に「韓国・朝鮮人の民族性を、歴史的にそして戦後半世紀が過ぎた今日に至るまで否定し続けた日本」という箇所があることは先日紹介しましたが、さらに続けて該書では自由権規約27条について分析しています。(外務省の訳文は以前リンク貼りました) それをまとめると、この条文はマイノリティが事故の文化をマジョリティから否定されない権利を定めたものですが、問題なのは「マイノリティが存在する国において」という一節があることにより、締約国がマイノリティの存在を認めない限り、27条の自国への適用を免れるというからくりがある。事実、日本政府は自由規約の実施状況報告において27条でいうようなマイノリティは存在しないと報告しています。同時期中曽根首相が「日本は単一民族国家である」とぶちあげ、国内外の批判を浴びて、ようやくアイヌ民族だけはマイノリティとして認めた。しかし在日韓国・朝鮮の人々は外国人であってマイノリティとはいえないという立場をとり続けている。以上が該書(pp266-270)における指摘です。日本政府が認めていないとした理由をご理解いただけたでしょうか。
尚ネット上でも確認できます。自由権規約27条の外務省が「マイノリティ」を「少数民族」と訳したことに関し、参議院議員竹村泰子氏が在日の人々は含まれるのかどうか質問したところ、当時の首相橋本龍太郎は「第二十七条にいう「少数民族」であるか否かについては、必ずしも判断を要しないものと考えている」と答弁し、明言を避けています。[3] これだけだと自明だから言及しないとも取れますが、先日投稿した国連CERDとのやりとりと考え合わせると(CERDは在日の人々に対しマイノリティという用語を使用していない点を追及している)、政府が少数民族として認定したくないという姿勢が浮かび上がってきます。
「日本政府は在日コリアンを『日本の少数民族』とは認めない場合がある」=「在日コリアンは『日本の少数民族』ではないとする意見もある」のソースは、上記で十分に示されているのではないでしょうか?
ethnieとnationの区別うんぬんの部分はこのノートでのやり取りを纏めたものですので、合意に向けたご意見があれば再々修正することにはまったく異議はありません。ただし、国籍の有無に関しては触れないわけにはいかないでしょう。「日本国籍を持っていないことが原因という点では、アイヌや琉球の場合とは問題の意味合いが違う」「帰化した在日コリアンは朝鮮系/韓国系日本人であり、彼らの問題は(もし存在するのなら)アイヌや琉球民族の問題と同じ意味合いを持つ」というコンセンサスの上に為された御提案でしたら喜んでお伺いしますので、是非お聞かせください。
妥協については……残りの部分(1,2および8)に関しては引き続き話し合いを行う、ということなら、合意案を分けるという形で可能だと思います。分けた部分に関しては引き続き合意に向けた話し合いを継続する、と、明示的に同意していただけますか?
よーするに、切り分けた事で「お前は一度引っ込めたのだから同じ話を蒸し返すな」と言い出されたらイヤだ、とゆーことです(^^;
らりたさん以外の他の人の(明示的な)同意も頂ければ、という条件で、先の合意案の3~7を切り分けることに同意します。
--Stranger non general person 2007年2月9日 (金) 13:20 (UTC)


まず、Iosifさんのご質問から。「最も厳密に解釈した場合」にそうなるかと言えば違いますが、「日本の民族問題」と言った場合に「日本国籍保有者の民族問題」と解釈しうるのは確かです。純粋に修辞上の事であって、アカデミックなレベルでは有り得ないことだとは思いますが。ただ論理に穴があるとはいえ、途が通っていない訳ではないということです。実際、Stranger non general personさんやTsu382さん、その他何人かの方がそう解釈しています。無論、出典が示されていない現状では個人的な見解の域を出ない訳ですが、そういった意見を切り捨てるよりも、むしろそれも含めて民族問題の難しさとは考えられないでしょうか。世の中の皆が姜尚中を読む訳ではありませんし、学者がいくら正しい事を言ってもそれだけでは問題は解決しません。その辺りを踏まえた上で、Stranger non general personさんの提案にコメントさせて頂きます。
Stranger non general personさんへ。3~7の切り分けに同意します。やはり最大の焦点は2かと。出典の示されていない現状では「民族問題でない」とする見解は「独自の研究」の域を出ていません。そういう意見が存在するといっても、それだけでは採り上げる理由にはならず、文脈上盛り込む必要性を明らかにすべきかと思います。言説の展開されている場所と文脈を明らかにして、「ネット上では日本国籍が無いことを理由に「『日本の』民族問題ではない」とする見解も散見され、問題解決の難しさを物語っている」という様な扱いでなら盛り込むことも可能だと思うのですが。厳密には独自の研究である事には変わりないのですが、「ネット上では」の部分は出典が見つかれば「一部保守系評論家の中には」と言った感じにする事もできると思います(保守系論壇誌のバックナンバーを精査すれば一人くらい言っているのではないでしょうか。ネット情報よりは遙かに望ましいので可能なら探していただけると助かります)。正直、目的と手段を取り違えていると言われればその通りですし、妥協の産物以外の何者でもありませんが、私にはこれ以外に落とし所が見付けられません。Stranger non general personさんとIosifさん、どちらに多くの譲歩を強いているかは分かりませんが、ご検討頂ければと思います。
なお、大詰めに入りつつある所で恐縮なのですが、仕事の為、来週半ばまで議論に参加できません。ネットは見れると思うのですが、ログインして書き込めるかどうかは分かりません。ご承知置き下さい。
--コータ 2007年2月9日 (金) 16:31 (UTC)
この問題の一番の難点は「在日韓国朝鮮人問題」を、いろいろな視点から解釈できること。彼らは「民族」でありながら「外国人」でもあるのです。「民族問題」と見る向きも当然あるのでしょうが、「在日外国人問題」と見る向きもあるのでして。(参政権問題では在日コリアンは必ず「在日外国人」としての韓国朝鮮民族として扱われます。)
「日本の外から日本へ来た人々」を「民族」と考える人も「外国人、ect.」ととらえる人もいる、ということです。だから「日本の外から日本へ来た人々」を「民族」と捉えるのが正しい、一般的、そうするべき、という書き方は中立に反するのではないでしょうか?「民族」と考えるのが絶対、というのは間違いではないのですか?「外国人」と捉える人もいますよ?
要約すると在日韓国朝鮮人問題民族問題と見る人がいる。それ以外にも外国人問題と見る人もいる。また他にも捉え方はある。「民族問題と考えるのが正しい、そうするべき」というのは間違い、また同じように「民族問題と考えるのが間違い、そうせぬべき」というのもまた間違い。というように記述するのがベストではないカナと思います。「在日韓国朝鮮人問題」は民族問題で外国人問題でect・・・であり、どれか一つが正解ではないのです。だから在日韓国朝鮮人問題を作ったほうがいいのではないかと思うのですが・・・ なお、「在日韓国朝鮮人問題」を「外国人問題」と捉える論文の例ならば「在日韓国朝鮮人問題」を「民族問題でない」とする見解の書かれた論文を探すよりは簡単でしょう。(手元に持っていないですから少し探さなければなりませんけど・・・)
またgoogleで検索の結果
朝鮮人 民族問題 の検索結果 約 703,000
朝鮮人 外国人問題 の検索結果 約 756,000 件
コリアン 民族問題 の検索結果 約 359,000 件
コリアン 外国人問題 の検索結果 約 453,000 件
(2月10日現在)
と、なっております。とてもじゃないですが一部保守評論家だけが外国人問題と考えているというのは誤りですね。(ネットには信憑性が薄いといってますけど、ぜんぜんダメとか言いませんよね?)だから「一般には民族問題と考える」あるいは「それが多数派」、その対である「民族問題以外の捉え方をする人は少数派」「民族問題として捉えないのは少数派」と書くのも正しくなんかないと思いますよ。
Remington 2007年2月9日 (金) 18:27 (UTC)

賛成票に一票です。

--Remington 2007年2月9日 (金) 18:29 (UTC)
合意案について、方向性は賛成なのですが、ちょっと表現にあいまいさがあるともいます。在日朝鮮韓国人問題が「日本の民族問題ではない」のは、民族の多義性によるのではなく、「日本」の多義性によるからです。すでに書きましたが、領土としての日本ではなく国家としての日本を考えた場合、在日外国人は日本国家に包摂されません。それはNationがその構成要素とする、領土・人民・主権のうち人民に在日外国人が含まれないからです。これは法的地位の権利義務関係が明らかに異なるのでべつの問題として国際法上もあつかわれます。この件についてソースがないかのようなことをいておられる方がいますが、これはあらゆる憲法論の教科書に常識のレベルで載っていることです。その本をあげればいいのならあげられますが。あげましょうか?数十冊ありますが。在日韓国朝鮮人の歴史性から特殊な考慮がいるにしても本来、「日本の」民族問題ではないということは押さえておく必要があります。そうしなければ、在日朝鮮人に日本国家に対する義務が生じるかのような扱いをしなければならなくなります。一般に権利と義務は切り離せないからです。Tsu382 2007年2月9日 (金) 22:00 (UTC)
ひとつ、思いついたのですが……もしかしたら、「在日コリアンが『日本の少数民族』では無い」=「日本国籍を持たないマイノリティは『日本の少数民族』では無い」という式が(厳密に、数学的な意味では)成り立たないことが、論議を呼ぶ原因になっているのでしょうか?
私としては「在日コリアンと朝鮮系/韓国系日本人を区別する点は国籍にしかないのだから、上記の式が成り立つのは自明である」と思い込んでいたのですが、考えてみれば、在日コリアンを『日本の少数民族』と見なさないのが、国籍の有無という問題のみにあるのかは、確かにソースがありません。
だとすれば、2.を以下のように修正すれば合意を形成することが可能かもしれませんね。
「主要な少数民族」の節を「在日華僑」の部分で分け、その先頭に『以下のマイノリティは日本国籍を有しておらず、上記の少数民族の問題とは意味合いが異なる。特に在日コリアンについては「『日本の少数民族』ではない」とする意見も多い。日本政府も現在はこの立場を取っている』という記述を追加する。
この提案のポイントは
  • 「日本国籍を持っていないことが原因という点では、アイヌや琉球の場合とは問題の意味合いが違う」という現在合意されつつあるコンセンサスを、可能な限り簡潔に取り込む
  • 「日本政府は在日コリアンを『日本の少数民族』とは認めない場合がある」という記述を意見・立場の紹介として取り込む。
の二点です。 以上、合意案の分割とは別に御検討ください。合意案の分割については、引き続き「『分離した後の案も引き続き合意に向けて協議する』という参加者の明示的な合意があれば同意する」ということで、合意の表明をお待ちしています。……ぶっちゃけ、この問題に関しては(他人を信用しないようで申し訳ないのですが)言質を取っておかないと安心できないので(苦笑)
--Stranger non general person 2007年2月10日 (土) 01:24 (UTC)
>私としては「在日コリアンと朝鮮系/韓国系日本人を区別する点は国籍にしかないのだから、上記の式が成り立つのは自明である」と思い込んでいたのですが
私はもめている原因は、これだと思います。簡単にいうと日本人じゃないという立場から来る権利と、日本人としての権利の両方ともできる限り持ちたいという、都合のいい欲求が背景にあると思います。しかし、権利と義務は対応していなければ不当です。日本人である義務を負わず、しかも日本人としての権利はほしいと言うような場合、徴用などで来たような特殊な事例や、戦後間もない時の物理的に帰国ができないような時期をのぞいて、合理化されません。したがって、原則として在日朝鮮韓国人問題は、日本の外国人問題の一つであり、民族問題ではないとしたうえで考えるべきだと思います。Tsu382 2007年2月10日 (土) 01:34 (UTC)
それは議論としてちょっと違うんじゃないかと思います。「都合のいい欲求が背景にあると思います。」という点が正しいとしても、それはそのような人達の考えの問題です。それよりは、そのような人達が現実に日本領土内に生存し、定住し、生活しているということにあると思うんですよ。だからこそ他の集団との間に問題が生じる。それを民族問題というのではないでしょうか。横から失礼しました。--Ks 2007年2月10日 (土) 01:54 (UTC)
もう一つ横から失礼(^^; Ksさんの仰ることは概ね正しいと思いますが、現在問題になっているのは「『日本の』民族問題か否か」という点です。Ksさんの解説は「民族問題とは何か」であって、「日本の民族問題とは何か」ではない点が、議論を複雑にしてしまっている原因だと考えます。ご一考いただければ幸いです。--Stranger non general person 2007年2月10日 (土) 02:17 (UTC)

提案内容の2には反対します。--いたる 2007年2月10日 (土) 03:29 (UTC)

今まで議論に参加していないので恐縮ですが、異論としまして。「日本国内の少数民族」を「日本国民を構成する諸民族のうち大和民族以外の民族集団」と考えるか「日本という地域に存在する大和民族以外の民族的集団」と考えるかによって書き方は変わるでしょう。その項にある定義の「日本国内で生活し、日本国籍をもつ者」を前提とするなら前者になろうかとは思います。ただし、「国内」とは地域を指す言葉でありますので、この場合定義にある「日本国籍を持つ者」は限定のしすぎであり、含めるなら題を「日本国民内の少数民族」とせねばおかしいのではないでしょうか。「日本国内の犯罪・事件」とする場合日本国民が起こした犯罪だけのことにはなりませんよね? また「日本の民族問題」に在日朝鮮民族の問題を含めるかどうかですが、現に日本にいる人が抱えている民族問題ですので、地域としては韓国のでも北朝鮮のでもなく「日本の」以外に表現のしようがないかと感じます。対象の国籍性をより明確にするなら「日本国民を構成する民族の抱える民族的問題」と題を改めたほうが混乱しないとは思いますが、民族問題とはその地域に居住する人間によって起こることですので、居住の事実があるなら国籍で区分することそのものに意味があるのか疑問です。
ただ、現在の記事、特に朝鮮民族についてですが、民族にかかわりなく国籍が違うことや法的資格を満たさないために起こることは民族差別ではありませんので、法的に各種学校である民族学校の取り扱いが他の各種学校と同じであることを民族ゆえの差別であるかのように断定する現在の記述は中立的とは言えないと感じます。また、民族問題としての視点からは、在日コリアンの中で帰化は民族を捨てることという考え方があり(あった)、また帰化が名前の変更など日本人への同化的な意味合いも持つと考えられたことから、日本で生まれ暮らしても日本国籍を持とうとしない者も多いということ、つまり民族性維持のためにあえて帰化せず結果参政権や公務員登用がないなどの社会的不利益を受けなければならなくなっている、ということがらを、日本の朝鮮民族が抱えている問題として説明しておく必要があるのではないでしょうか。それから、日系ブラジル人がここにあるのはやっぱり違和感強いですね。--いたる 2007年2月10日 (土) 03:29 (UTC)
御意見、ありがとうございます。いたるさんとも「在日コリアンの問題は(日本国籍を持っていないという点で)アイヌや琉球の場合とは問題の意味合いが違う」という部分ではコンセンサスを得られているとは思いますので、前回の私の提案
「主要な少数民族」の節を「在日華僑」の部分で分け、その先頭に『以下のマイノリティは日本国籍を有しておらず、上記の少数民族の問題とは意味合いが異なる。特に在日コリアンについては「『日本の少数民族』ではない」とする意見も多い。日本政府も現在はこの立場を取っている』という記述を追加する。
ではいかがでしょう? もちろん文面そのものに関しては、御意見があればぜひお聞かせいただきたいのですが、まず方針・方向性として御検討いただく、ということで。
それと、部分的には御同意いただける点もある、ということなので、下の「合意案の分割に関する合意についてのメモ」も併せ御参照いただけますか? 切り分けた提案についても引き続き議論を行うことに同意していただけるなら、合意できる(合意を形成できる見込みの大きい)部分を切り分けます。
--Stranger non general person 2007年2月10日 (土) 05:25 (UTC)
、国籍に限らずどの少数民族の抱える問題においてもなんらかの「意味合いが異なる」部分はあると思うので、その案では在日コリアンをことさらに民族問題から排除すると受け止められかねない書き方になってないかな、と感じます。中項目の「日本国内の少数民族」が前提にありますので、「日本国内の少数民族」の項の小分類として「現在の日本領土内に発祥する少数民族」「他国に発祥を持つ少数民族」としてそれぞれ分け、前者に日本国籍を持ち日本国民を構成する者がほとんどである、後者には日本国籍を持たない者が多く日本国民の概念からはずして考えられることもある、と記述するのはどうでしょう? また彼らが「日本人の少数民族」ではない、という意見は多いかもしれませんが、日本にいることはたしかなので「日本の少数民族ではないとする意見も多い」とすることには同意しかねます。それは「日本の」という言葉のニュアンスをどう受け止めたかだけの問題だと思うので、無用の誤解を招く表現かと。--いたる 2007年2月10日 (土) 06:30 (UTC)
提案者Stranger non general personさんには強引に議事を進めるようなことはやめてくれとお願いしたいのですが、ここだけいったん歩調をあわせることにして、提案のうち反対している部分がどこまでなのかを表明しておきます。提案のうち2番と3番と4番と5番と7番と8番に反対します。▼まず、2番についてはさんざん既述。Stranger non general personさんテーゼ(典拠ナシ)を前提に問題を区分したものです。いたるさんがおっしゃるように(「民族問題」というのは大きな括りですから)どのような民族なりマイノリティに関する問題であってもそれぞれ意味合いが異なるのは当たり前ですし、提案者の前提がおかしいため提案も大変おかしなことになっています。7番は2番を前提にしているので問題外です。▼次に、3番から5番まで反対。アイヌ・沖縄とも、総体を説明するのではなく項目冒頭にあるように「民族政策や民族差別」について記述の拡充を目指すべきです。▼8番にも反対。国連人権委員会による日本に関する報告はその内容くらい当項目で書かれないと意味不明です。それにご不満の方もいらっしゃるでしょうから、報告内容の真偽と是非に関しても書かれるべきだと思います(もちろん、案内員のイトコのハトコがアカだから報告もおかしいに違いないとかいう内容は単なる悪口の域を出ないので記述対象外であるべきと考える)。またドゥドゥ・ディエン氏が沖縄の基地問題を「人種差別」として報告したことやそれに対する批判も書かれるべきだと思います。「国連人権委員会」の項目は国連人権委員会とは何かを説明する項目であって、日本に関する言及を無理に移す場所ではないと考えています。▼しかし何より問題なのは延々と討議をつづけながらも、提案者が提案の前提となっている自説の典拠を求められながら回答せず、提案内容の細部に変更を加えながらも最も批判を受けている「日本国籍でないため」云々という記述に固執している点です。この記述について合意を装いたいのではないかという疑いが生じるのはさほど不合理なことではないと思います。現状のまま強行に合意を装っても、そのような編集方針に拘束されなければいけない理由がないということを指摘しつづけます。--Iosif 2007年2月10日 (土) 14:41 (UTC)


Stranger non general person氏の提案の趣旨をものすごく簡単にまとめてしまうと、在日コリアンの問題をこの項目から削除するわけでなく他のアイヌ民族や琉球民族など各民族を同等に扱う(記述の質・量をバランスをとる)、ただし日本国籍は有していない事は明記する、ということですよね? その記述の文言については今後の議論に待つとしても、そこまでの大筋では私も同意します。問題は「日本の」民族問題に含むとするのか含まないとするのか、ということだと思いますがこの点についてはやはり『「日本の」民族問題』をどう定義するかによって様々な捉え方があるんでしょうね。--マチーン 2007年2月10日 (土) 15:47 (UTC)

2について、『以下のマイノリティは日本の他国を起源とする民族である。これらのマイノリティは日本国籍を有していないことが多いために法的資格が足らず、権利が少ない。その日本国籍を持たないが故に法的権利が少ないこと(例1、例2)は厳密には民族問題とはいえず、外国人問題ととらえるべきとの向きもあり議論がある。(ノート参照、特に在日コリアンについて議論が大きい。)そのため、アイヌや琉球民族とは少し色合いが異なる。』なんていうのは如何でしょうか?・・・在日コリアンの項目に『在日コリアンは帰化が民族を捨てることととらえる意識があるため、祖国籍を捨てて日本国籍をとらないということには注意すべきである』と書けば法的な~についてのフォローは出来るのではないかと。それよりむこうは議論が決着するまで書かない。(例)には参政権とか入れればよいと思います。

--Remington 2007年2月10日 (土) 19:53 (UTC)

合意案の分割に関する合意についてのメモ[編集]

これは、私(Stranger non general person)が2007年2月9日 (金) 13:20 (UTC)に提案した、現在議論が行われている合意案の分割について、私が依頼した「明示的な合意」の有無を整理するためのメモです。この節は、議論の中に私がお願いした「明示的な合意」が埋まってしまうことの無いよう、どなたに合意頂いたかを整理するために作りました。この節については(事実に即している限り)自由に編集してくださって結構ですが、参加者名および賛否の有無以外は記述しないで頂ければ幸いです。この節は合意案の分割および(分割された)合意案に関する合意が成立した時点で削除したいと考えています。

提案の要旨

  1. 現在の合意案(2007年2月5日 (月) 06:02 (UTC) 提示)の内、概ね合意が得られる見込みがある3.~7.を切り分け、先行して合意するための新たな合意案を纏める。
  2. 先行した合意案が合意された後も、切り分けた残りの合意案(1.、2.、および8.)について、引き続き合意に向けた話し合いを継続する。この提案は(残りの合意案についての)将来の記述への反映の有無については影響を及ぼさない。

以上について明示的に同意する。

  • (提案者)Stranger non general person
  • (同意)コータ さん(2007年2月9日 (金) 16:31 (UTC))
  • (同意)Remington さん(2007年2月9日 (金) 18:29 (UTC))
  • (同意)いたる 2007年2月10日 (土) 06:27 (UTC)

※Tsu382さんにはおそらく同意していただけていると思われますが、未確認の為外してあります。もしよろしければ明示的に同意の旨を書き込んでいただければ幸いです。

3番と4番と5番と7番に反対します。理由は上の節で述べたとおり。--Iosif 2007年2月10日 (土) 14:45 (UTC)

「切り分け」を名乗っていますがひどい切り分け方だと思います。提案の2番と7番はセットでしょう。2番の立場に同意できないのにどうして7番への同意を取り付けられると考えるのでしょうか。7番の提案「日本国籍をとった朝鮮人については……」というくだりを呑むことは2番が前提としている「日本国籍を持つ者に関する事柄でなければ『民族問題』として捉えない」という(聞いたことのない、典拠のない、誤った)Stranger non general personさん独自テーゼを呑むのと同じだと思います。--Iosif 2007年2月10日 (土) 14:50 (UTC)


今まで議論に参加していなかった者ですが、コメント依頼を見て誘導されてきました。Stranger non general person氏の提案ですが、2番以外は同意です。つまり、この節の趣旨の1.2.8.以外を切り分けることに同意します。--マチーン 2007年2月10日 (土) 15:22 (UTC)