ノート:安室奈美恵実母殺害事件

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

本記事について[編集]

こんにちは。身勝手ながら私は個人的な都合上ここでの議論に参加することができないので(おそらく当分はWikipediaを使うこともないでしょう)、「議論の喚起」ではなく「一個人の見解・独り言」として申し上げさせていただきます。

本記事は今のところWikipedia内でページを独立させるほどの記事量は満たしておらず、この記事が作成された2009年10月30日より後に目立って大きな加筆があるわけでもありません。現状のままであれば、記事「安室奈美恵」内での記載で充分に感じます。

私が議論に参加できないと言うなか、大変勝手ながら「安室奈美恵」との統合をご検討いただけたら、と思います。--59.140.204.227 2009年12月20日 (日) 15:11 (UTC)[返信]


上記の件は大変失礼しました。以前IPとして本記事の統合を提案(上記)させていただきました猫之介と申します。 さて、今回は正式に記事:安室奈美恵との統合を提案させていただきますが、理由は上の通り、①独立した記事としては内容量が少ないこと ②編集履歴を見るに、これ以上の大きな加筆は望めないこと の二点です。--猫之介伯爵 2010年2月23日 (火) 14:37 (UTC)[返信]

(反対)このの分量で独立記事として十分と考えていることと、記事「安室奈美恵」の肥大化より、統合には反対します。--経済準学士 2010年3月18日 (木) 11:50 (UTC)[返信]
(コメント)今回票は入れませんが、安室奈美恵の記事の量を考えるのが必要ですね。また、安室奈美恵の記事に統合提案のタグが貼られていませんので、対応お願いします。--Yotate 2010年3月18日 (木) 12:04 (UTC)[返信]
コメントが遅れ、また統合ミスの件は申し訳ありませんでした。分量について十分か不十分かの基準は人によって違うでしょうから、とりあえず保留とします。しかし本記事の作成者でもある経済準学士さんに加筆のご予定があるようでしたら、この提案は取り下げるつもりです。
次に安室奈美恵の記事量については私も気にかかりましたが、分割すべきは「バイオグラフィ」か「ディスコグラフィ」の節であると思います。また本記事では「安室奈美恵がどうした」などという安室奈美恵に関する記述がほとんどを占めているので、やはり安室奈美恵内で説明すべきであるというのが私の考えです。--猫之介伯爵 2010年3月21日 (日) 14:18 (UTC)[返信]
(反対)理由は経済準学士様と同様。この項目でも充分の記述もありますし、逆に言うと統合先の記述量も膨大となります。--目蒲東急之介 2010年4月25日 (日) 13:40 (UTC)[返信]

(反対) 当時のニュース映像や週刊誌の記事を元にもう少し細かく掘り下げる事は可能だと思います。ただ少々余分な情報関連もメモしてしまっているかもしれないのでダメならそこは即消去してください。3月17日~4月の間で流れた情報は結構あると思いますし、その後もある程度進行形の情報も確認しております。(--60.39.242.132 2010年4月28日 (水) 15:04 (UTC)通りすがり)より[返信]

(反対)事件と本人は関係があるとしても、統合すべきではないといえます。それに殺人事件の被害者と加害者が親族であるとしても、本人が直接関わったわけでもないのに、一緒にするのは相当違和感があり、やるべきではないです。--鯉華厨師 2010年5月12日 (水) 15:11 (UTC)[返信]
反対 十分事件の記事として成立している。記事サイズから見ても、統合すべきものではない。--ヨッサン 2010年5月14日 (金) 13:55 (UTC)[返信]

当初、「記事量が少ない」との批判をした者がいたせいかもしれないが、現状記事のような、事件後4日間以上に渡る微細な出来事を分刻みで列記するという記事構成は如何なものかと思う。--Eros618 2010年8月23日 (月) 16:33 (UTC)[返信]

内容が過剰ではないでしょうか[編集]

ジョン・F・ケネディの暗殺事件などならばともかく、著名人の親の殺人事件としては、内容が過剰ではないかと思います。特に安室奈美恵実母殺害事件#事件発生後の節などは、芸能リポートであるかのように思います。記述の大幅な削減を提案します。

事件概要の節については出典の明記は求められますが、概ね修正は必要ないように思います。時系列で、何でも記述しようとしている印象を受けました。

3月17日、

復帰第2弾シングルについてはすでに概要節で述べており重複記述する必要はないように思います。

10時40分、車に3度轢かれたのは母親だけか再婚相手の夫もそうであるのかわかりにくいです。3度轢かれたが鉄パイプで応戦というのは困難でしょうし。

10時47分から11時48分、病院に運ばれたが11時48分に死亡が確認されたことだけで良いように思います。時刻については、救急車の到着が遅れたなどの事実があったわけでもないので、襲われた時刻、亡くなった時刻のみで良いように思います。

0時20分頃、事務所が安室にマネージャーを通して、母親が事故に遭ったらしいと伝えたことで十分でしょう。また、そうした記述はなくても問題ないと思います。

1時10分頃、母親が死亡したことが伝えられてイベントが中止になったことだけで十分でしょう。テレビ局の動向は不要と思います。

1時30分頃、すべて不要な記述と思います。

1時45分頃、ここに10時50分に情報のあった150名態勢で捜査にあたっていた警察が叔父の車を発見したことをまとめた方が良いでしょう。4時10分に死亡が確認され、その後自殺と断定されたことは、1つにまとめて記述した方が良いように思います。

2時50分頃、チケットが確保されたなどというレポーター情報は不要でしょう。

3時30分頃、号外が出たということは、この事件の特筆性を示すものと考えられますが、出典がありません。号外を出した新聞社が記述されている日刊スポーツ、スポーツニッポン、報知新聞なのか検証が必要となります。

3時40分頃、これも芸能レポーター的な情報でしかありません。報道陣にもみくちゃにされて転倒したのが事実ならば、過剰とも思えるくらいのマスコミの行動があったものと推測されますがこれらには出典が必要なように思います。

午後6時50分以降、母親が襲われて死亡が確認されるまでの時間には意味がありますが到着した時間はあまり重要ではないと思います。那覇空港で混乱を避けるため。パトカーに先導されて、警察まで向かったことぐらいはあっても良いと思います。霊安室で対面したこと、事件説明について終始無言だったことはあっても良いでしょう。ホテルに向かったことは、蛇足なので除去するべきです。

3月18日、新聞各紙1面、テレビトップニュースについては出典が必要です。ワイドショーなどではトップニュースであったでしょうし、新聞でもスポーツ紙は号外を出していたほどですから、トップ面で扱ったことは想像できます。現在の書き方ですと一般紙でも1面で扱ったかと誤解を招くおそれがあります。1面にもそれなりに扱われたかもしれませんが、一般紙のトップニュースにはなっていないのではないかと思います(沖縄版は除く)。

マスコミが様々な疑い、可能性を示唆した記事を書いたことは記述するべきではないでしょう。実母の著書に対する問い合わせが6万部などについては出典を明記する必要があるでしょう。

死因がくも膜下出血であったことは記述するべきでしょう。午後1時頃のホテルを出発は不要です。

2時5分頃、関係者によると、の部分は・・・らしく、とあり不確かな情報なので記述するべきではないように思います。車から降りる姿は憔悴しきっていた。というのが報道されたことなのか、テレビを見ていた執筆者の感想なのかはっきりしません。

2時30分、MAXが飛行機に乗ったことなどは明らかに過剰な情報です。

3時50分、義父についての不確かな情報は除去するべきものと思います。安室と義父の関係がどうだったのかわかりませんが、妻が亡くなったのに、家の前で悲しむというのが、ちょっと解せません。

午後7時15分以降、安室とSAMが実家を後にしたとありますが、これはホテルに泊まり翌日の出棺に立ち会ったということでしょうか。MAXが実家を訪れたことについては、安室と入れ違いとなっているそうですし、この日のMAXについて記述すべき内容は、何もないと思います。

3月19日、憶測、過熱報道の1つについて親族側が法的手段も辞さないとした点については有害であり一切記述すべきではないでしょう。2時9分以降のことについては、マスコミをシャットアウトして出棺が行われたこと程度で十分と思います。関係者談は不要と思います。

3月20日、告別式が午後行われたことを、簡潔に記述すれば十分と思います。沢山の花輪が贈られたことは曖昧な表現であるように思います。特に大物芸能人というものは主観的なものでしかありません。

午後5時頃の義父についての記述は安室やその兄弟に対して涙ながらに陳謝したことのみで十分で、それ以上のプライベートなことは蛇足でしかありません。

午後7時30分以降については単に東京へ帰宅するだけのことであり、記述は不要でしょう。

その後の関連事項、いずれも出典が必要です。3月29日にTV復帰した事実は問題ありませんが、割れんばかりの大歓声、プラカードなどは過剰な説明ですし、会場全体でバックアップした、というのはテレビで見た主観であるように思います。ダウンタウンが重く緊張した雰囲気、これも主観です。力強い笑顔で見事歌いきり、は出典が示されないことには過剰な表現と見ることも可能です。

プロ意識の高さ、涙したファンも多い。立派に歌い上げた、はWikipedia:中立的な観点に欠けたファン的目線での独自研究であるように思います。

5月4日、四十九日の法要をマスコミの影響を考えて欠席した点は残していいと思いますが、しかし以降については独自研究にあたり除去するべきでしょう。

後日談、雑誌インタビューについて誌名が記述されておらず検証可能性を満たしておりません。

以上です。ご意見をよろしくお願いします。--Tiyoringo 2011年6月7日 (火) 04:59 (UTC)[返信]

いわゆる、事実関係の一般的な概略については、特に出典を求めずとも記述して問題ないとは思うのですが、時系列にまで踏み込んだ詳細なレポートは除去すべきです。情報源がすべて(TV新聞などを参考)と書いており、複数の情報源にあたった雰囲気は感じられるのですが、不明瞭で現状では全く使いものにならないです。そもそも本項目自体の存在意義についても甚だ疑問です。単独項目にするようなことなんでしょうか?--Geso 2011年6月8日 (水) 02:07 (UTC)[返信]

コメント依頼から来ました。過剰な内容で出典もなく、独自研究に当たるものは除去しても良いと思いました。Tiyoringoさんの提案に賛成です。Gesoさんが言及している、本項の存在意義については、個人的にはあっても良いと思います。芸能人の家族関係の事件では、津川雅彦長女誘拐事件とか片岡仁左衛門一家殺害事件とかを見てみると、本項の概要部分の文字数や分量でも記事として存在しています。参考までに--Mr.Max 2011年6月13日 (月) 15:25 (UTC)[返信]

コメント 記述を見る限りでは確かに詳細すぎるきらいはありますので、ある程度の整理は必要でしょう。本記事の存在意義についてですが、週刊誌やマスコミで大きく取り上げられたことから特筆性は十分と思われるので単独記事として十分な存在意義があると考えます。--ヨッサン 2011年6月16日 (木) 14:13 (UTC)[返信]

コメント 皆様コメントありがとうございます。まず母親が殺されたことについてWikipedia上に記すことについては、誰も反対しないように思います。独立記事の存在意義については、様々な意見があるようですが。非常に気になっているのが、実母殺害事件という記事名です。これはおそらく、警察が作った対策本部名ではないでしょうね。実母とあると、事情を知らない人には、実母以外に育ての母がいるのか、と思ってしまう場合もあるように思います。事件が起きて、裁判まで行ったケースに比べると単独記事の必要性は薄いと思います。殺害された場合に限らず、親、配偶者、子どもが亡くなった場合、週刊誌、メディアでは大きくとりあげられます。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説台ではありませんの3、「スキャンダルやゴシップのまとめサイト」に書かれているケースにあたるおそれも多少あります(全く書くべきではない、ということではありません。)。事件の背景などから注目を集めそうな殺人事件は、メディアで多く報道されます。この事件が、通常の殺人事件と異なる点は著名人が人気絶頂の時に、親族が殺害された点でしょう。

最終的に独立記事を残すべきかどうかについては、ほとんど意見の一致している、過剰な内容を整理した上で単独記事として残すか否かという判断になると思いますので、早急に結論が出なくてもよいとは思いますが、親族が不慮の死を遂げた点でいうと、風見しんごの娘が交通事故死したケースでの記述のような形でも良いのではないかとも思います。--Tiyoringo 2011年6月16日 (木) 15:41 (UTC)[返信]

コメントTemplate:内容過剰の使用は、ポータルやプロジェクトで運用基準が制定されていることが前提になります。該当する運用基準を明確にしていただけないでしょうか。もし一定期間内にご返答がなければ、Wikipedia:過剰な内容の整理#タグの貼付に異議があるときの「タグの除去についてノートで合意が得られた場合」に該当すると判断してテンプレートを除去させていただきます。--倫敦橋 (Londonbashi) 2011年12月30日 (金) 01:55 (UTC)[返信]

英語版での殺された方の扱いについて[編集]

議論の本題とは外れますが英語版で著名人あるいはその家族で亡くなった方の記事をいくつか参考にします。英語版と日本語版は同じにする必要はありませんので、こうすべきだというものではありません。日本だと殺人事件などが、事件の判例と見なす場合が多いのかなと思いますが、殺人が多いことによるものか、ここには取り上げておりませんが著名人が殺害された場合も基本的には人物記事内に記載する場合が多いようです。--Tiyoringo 2011年6月13日 (月) 16:57 (UTC)[返信]

家族

本人

  • パット・ティルマン en:Pat Tillman 同時多発テロの後、アフガニスタンへ行くことを志願したNFL選手です。英語版では亡くなって以降の記述が過半数を占めます。


日本版だと、本項や私が前の節で例に挙げた片岡仁左衛門一家殺害事件のように、単独記事になっているのや、高島忠夫長男殺害事件のように立項されても著作権侵害で削除されたもの、渡辺貞夫の兄[ソース]みたいに、殺されても本人のページに記載すら無いものもあります。日本語版として特筆性があれば単独記事はOKか、それとも原則当人の記事内にするかを、決めれたら良いと思っています。今後、また芸能人の家族関係の事件が発生した場合、同じ議論をしないといけないですし--Mr.Max 2011年6月14日 (火) 01:23 (UTC)[返信]

本人が殺害された場合、本人と家族が殺害された場合、家族が殺害された場合の3通りが考えられますね。この辺は事件の持つ重みと記述できる内容量の2つが関わっているように思います。浅沼稲次郎刺殺事件は単独記事ですが伊藤博文は単独記事とはなっていません。独立記事が必要かどうかについてもそうですが、どんなことは書くべき、どんなことは書くべきではないかの仕分けが必要だなあと思います。(完全に機械的にできるものでもありませんが。)--Tiyoringo 2011年6月16日 (木) 16:03 (UTC)[返信]

事件について必要な情報、不要な情報[編集]

この節で必要な情報、不要な情報について意見をいただければと思います。

安室奈美恵#1995〜: 小室哲哉プロデュース時代に、「3月17日に安室奈美恵実母殺害事件が発生した。事件のショックでしばらくは活動休止状態になると見られていたが、3月29日のテレビ出演を皮切りに活動を再開」とあります。(見られていたがについては出典がないので、そういう見方をした方もいたとは思いますが)

事件記事を単独で残す場合について考えた場合、いつ事件が起きたか、容疑者との関係、どのように殺害されたか、襲われた時刻と、死亡が確認された時刻については、即死に近い状態であったと推測できる内容なので必要情報かなと思います。ただこの事件は容疑者が自殺して裁判とはなっていないため、殺人罪か傷害致死罪か争われたケースと異なり、それほど重要でないかもしれません。警察発表による死因が書かれていないのが気になります。

義理の父親の負傷の度合いがはっきりと書かれていません。大事を取って入院ということは軽傷なのでしょうが。2人が3度轢かれたのか、3回轢こうとされたのか、検証が必要と思います。(3回を除去する手もあると思います。)

捜査の結果、自殺を図った容疑者が発見され、その後死亡したことは必要と思いますが、それ以上に詳細な記述はいらないように思います。

事件の影響として母親の著書が飛ぶように売れたことは特筆すべきことと思いますが、出典が見つけられるかというと、厳しそうに思います。

事務所関係者談、テレビレポーターの報道というものは不要と思います。まったくの嘘はまずないと思いますが、事務所関係者ですと、イメージに配慮した発言をする場合、レポーターですと視聴者を引き込むような報道(大言壮語的になったり、自分の推測を踏まえて報道する場合もあります。)も考えられます。

雑誌名が書かれていないのが検証しづらいところですが、本人が後に事件について語っている点は事件の中では重要な部分と思います。ただし数年後のアメリカの雑誌などという情報は大変曖昧すぎます。加筆した方は自身でお読みになり翻訳したのだと思いますが。2006年のライヴのパンフレット、これも情報源としてはどれだけ出回ったものなのか、という点を考慮する必要があるかもしれません。ファンクラブの会報が出典として適切かどうかという議論もあります。--Tiyoringo 2011年6月16日 (木) 16:58 (UTC)[返信]