ノート:大仙陵古墳

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天皇陵と古墳は別の概念[編集]

仁徳天皇陵と大山古墳では指しているものが違うので分離しました。 仁徳天皇陵は当然ながら仁徳天皇の墓のことです。現在では、それがどこにあるかわからず、仮に大仙古墳ではないかとされていますが、将来的には比定が別の古墳に変わる可能性があります。しかし、歴史的には古代から仁徳天皇陵というものが確かにどこかにあることを認識されてきました。そして、現代でも、大仙古墳において仁徳天皇の祭祀が行なわれています。仁徳天皇陵の祭祀の解説を大仙古墳の項目で解説するのがおかしいように、大仙古墳の説明を仁徳天皇陵の項目でするのも不自然です。そもそも、天皇陵と古墳は別の概念であり、ひとつの項目で解説するのは不適当だと思い分離しました。Stanislaus 2005年1月1日 (土) 09:17 (UTC)

分離するのであれば、観光で大山古墳のことを書くのはおかしいでしょう。仁徳天皇陵は、どこにあるのか分らないのだから観光もできないですね。61.210.161.11 2005年10月6日 (木) 15:59 (UTC)

大山古墳への再統合を提案[編集]

近年出された吉川弘文館の「歴代天皇・年号事典」においても仁徳天皇陵≠大山古墳とする学者もいるが、少数説であるとされており、問題ないと思われます。天皇陵と古墳は別の概念とおっしゃいますが、古代日本の天皇が古代の権力者の墓である古墳の形式を取っていなかったということはありえるでしょうか?そこまで厳密にやるのは古代中国であった「白馬は馬にあらずと」同じ発想であり、一般のウィキペディア利用者の利便性という点から見て問題があると考えます。私は仁徳天皇陵≠大山古墳とする決定的な証拠が無い限りは両者の分離には問題があり、再統合(仁徳天皇陵→大山古墳)を提案いたします。--水野白楓 2005年11月20日 (日) 06:35 (UTC)

  • 確かに、「仁徳天皇陵=大山古墳」と言うのが一般的解釈であり。どうしても必要なら、大山古墳はリダイレクトに、仁徳天皇陵の中で書けばよいだけでは。--A6M4 2005年11月24日 (木) 12:23 (UTC)
  • 「仁徳天皇陵」って項目名はどうなんでしょね?中立性を保つのなら「伝仁徳天皇陵」なのでは?(天皇陵って発掘調査ができませんから、本当に仁徳陵かって確証はどの学者も持ってないはず・・・。)shimoxx 2005年11月24日 (木) 12:47 (UTC)
  • 「伝・仁徳天皇陵」という表記は、まるで実際にそういう伝承があったかのような印象を与えるので、「現・仁徳天皇陵」という言い方が提唱されていますが、少々しっくりこないと思います。古墳と天皇陵は全く異なる概念です。大山古墳が真の仁徳天皇陵であるかどうかということとは関係がありません。同じものを指すにしても捉え方が違うのです。例えば仁徳天皇の陵が古事記、日本書紀、延喜式らにどのように記載され、そして江戸時代の学者によってどのように考察されて、明治時代にどのように治定されたかというのは、大山古墳の項目に記述するのは不適切でしょう。一方、古墳としての解説では、その被葬者が誰かという問題について、いくつかの被葬者の説が上がると思いますが、それを仁徳天皇陵の記事の中に記述するのは不適切かと思います。Stanislaus 2005年12月13日 (火) 16:09 (UTC)
素人かんがえだが個人的には天皇陵古墳は別のものとおもえるが・・天皇陵古墳を統合しようというのと似たり寄ったり--66.36.145.61 2005年12月20日 (火) 14:15 (UTC)
  • 考古学に詳しくない素人としての素直な感想ですが、同じ一つのものに対して「仁徳天皇陵」と「大山古墳」の記事が別々にあることの意味がよくわかりませんでした。A6M4さんの言うような形にして、「天皇陵と古墳」については記事の中で触れていただくのではいけないのでしょうか。Komura Jutaro 2005年12月21日 (水) 17:35 (UTC)
  • 天皇陵古墳は概念的な言葉ですので、これが別のものであることはおっしゃるとおりです。しかし、一般的に「仁徳天皇陵」や「大山古墳」は具体的な地名/史跡を指しており、多くの利用者にとってこれは同じものとして認識されているのではないでしょうか?であれば、これはやはり統合したほうが良いと考えます。とらえかたの違いは記事内で吸収できるのでは?両者が指すものが全く別であると将来明らかになった際に、分離するのが良いと思います。なお、統合の方向としては、大山古墳が仁徳天皇陵という位置づけを包含するという考え方で、「仁徳天皇陵」→「大山古墳」のほうが、個人的にはすっきりします。というわけで水野白楓さんの提案に一票。Boa 2005年12月30日 (金) 06:14 (UTC)
  • 考古学者の森浩一氏は、現在の天皇陵の指定は学問的な裏付けが乏しく、また特定の天皇名からくる先入観を排除して客観的な古墳研究の対象として扱うために、通常の古墳の命名法(地名や地元での呼称)に従った名称での呼び替えを提唱しています。こうした考え方は歴史学界などで浸透しつつあり、教科書でもそのような呼称(山川・詳説日本史Bでは「大仙陵古墳」)で呼ばれています。そこで「仁徳天皇陵」を「大山古墳」に(もっと欲を言えば「大仙陵古墳」に)統合することに賛成です。そこで以下のような本文を提案します。

==統合後の本文案==
大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)(大山古墳)は、大阪府堺市大仙町に所在する日本最大の前方後円墳である。現在宮内庁により定められている陵名は百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)で、仁徳天皇の陵墓に比定されていることから仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)(もしくは仁徳陵古墳)と一般的に呼ばれる。

三重の濠で囲まれており、周囲には陪冢と考えられる小古墳が点在している。計測方法にもよるが、墓としての面積は世界最大であるともいい、エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並び世界三大陵墓の一つに数えられる。

で、項目については大山古墳の1~6はそのまま残し、項目7,8と仁徳天皇陵の項目3(観光)、4を以下のように入れる。

==観光==
歴史の教科書に「世界最大級の墳墓」として掲載されているため、期待して観に行く人が多いが、近くで見ても雑木の生えた小山が堀に囲まれているだけである。また宮内庁管理のため陵域内への自由な出入りはできず、堀の内側に立ち入ることは出来ない。ただ、手軽なところでは堺市役所高層館21階の展望ロビーから巨大な前方後円墳の全容を見ることが出来る。(同ロビーは休日でも開放されている。詳細は堺市公式ページ[1]に)

==その他==
その広大な敷地から、平安時代に編纂された延喜式の記述において仁徳天皇の百舌鳥耳原中陵とされているのは、当古墳とみて間違いない。考古学的には仁徳天皇の陵であることに否定的な見解が唱えられてきたが、築造時期が確定したことによって、文献史学的に想定される仁徳天皇の活動時期に近づいたとする見解もある。

なお、アメリカのボストン美術館に仁徳天皇陵出土と伝える獣帯鏡や環頭大刀等が保管されていることは有名であるが、その所伝は信じるにたるものではなく、遺物の内容も6世紀前半のものと考えられるものであり、当古墳のものではない可能性のほうが高い。

堺市内の一部の地名は、この古墳からの方角から付けられており(陵南・向陵など)、住民は同古墳を「御陵」(ごりょう)「御陵さん」と呼んでいる。

==関連事項==

仁徳天皇陵の項目1(記紀の記述),2(歴史)については関連事項に仁徳天皇を入れ、仁徳天皇の項目に付け足しすることで省略できると思います。--163.139.215.193 2006年1月15日 (日) 06:10 (UTC)

これまでの議論には参加していませんが、1週間反対がないようですので、統合作業を行いたいと思います。IPユーザの方は記事の移動ができないので、こちらで作業をしたほうが簡便なのもあります。--Tamago915 2006年1月22日 (日) 07:08 (UTC)

大仙古墳が正しいのでは?[編集]

「仁徳天皇陵」か、「大山古墳」かで揉めていたのに、どうして、突然「大仙陵古墳」になるのですか? 「陵」は天皇の墓のことです。墓の主が誰だか分からないと主張する学者は「陵」という言葉を入れません。山川は古いのでは? ちなみに地元では「大仙古墳」と書いております。

Shinobar 2006年6月8日 (木) 12:58 (UTC)

古墳時代史の中心的な研究者の一人である白石太一郎氏の『古墳とヤマト政権』(文春新書)8ページに「大仙陵古墳」という呼称が使われてますので、学界で認められてる呼称の一つだと言えそうです。--shimoxx 2006年6月8日 (木) 17:16 (UTC)

ノートの整理ありがとうございます。「大仙陵古墳」は、学界で、また教科書で「使われている」呼称の一つだということは理解しています。さきの近つ飛鳥博物館の説明からすると、呼称は次のように変遷しています。

仁徳天皇陵 → 仁徳陵 → 仁徳陵古墳 → 大仙陵古墳 → 大仙古墳

そこで、同博物館は、新しい教育を受けている人には「大仙古墳」、古い教育を受けている人のために「仁徳陵古墳」を使用しているとのことです。 Wikipedia の記事名の付け方として慣用名を用いるということでは、どれでもよいのかもしれませんが、地名にもとづく名に「陵」を入れ込む「大仙陵古墳」という呼称は、良くて折衷、悪く言えば僭称で、いずれにせよ学術的でない。「陵」は天皇の地位を示す格付けですから(→天皇陵)。中立性のため人の名に敬称を付けないという基準からも(天皇は付けているけど)、違和感があります。Shinobar 2006年6月9日 (金) 01:44 (UTC)

とりあえず「大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)(大仙古墳、大山古墳とも)」としておきましたが、正式名称は「大仙古墳」であるべきだとの私の考えは変わっていません。ちなみに、地元の地名に「大仙」はありますが、「大山」はありません。Shinobar 2006年6月9日 (金) 02:02 (UTC)

近つ飛鳥博物館サイトの説明をよく読んでみますと、
仁徳天皇陵・仁徳陵 → 仁徳陵古墳 → 大山古墳 → 大仙古墳・大仙陵古墳
ですね(^_^)。大仙陵古墳って呼称は決して否定視されてないようです。Shinobarさんが違和感を抱かれるお気持ちは判るのですが、白石太一郎先生など学界の中心的立場にいる学者さんも普通に使用していますし、もし学界で「大仙陵古墳という呼称は宜しくない」という議論が提起されていれば話は別でしょうけど、どうもそうした論争が起きているようでもありません。近つ飛鳥博物館サイトにもあったとおり、まだ正式名称は確定的でないわけで、学界で大仙古墳=大仙陵古墳と同列視されている現状を鑑みれば、項目名の変更をする必要もないのかな、と思う次第でございます。(むしろ第一人者である白石先生のご見解をリスペクトすべき、という意見だってあり得るかも知れないですしね(^^;)--shimoxx 2006年6月10日 (土) 04:06 (UTC)

その白石太一郎先生は現在、近つ飛鳥博物館の館長もされています。何度も引用されているその館の説明は、保護者先生方すなわち古い教育を受けてきた方々に色々説明した上で、子供たち向けには館としてけっきょく大仙古墳にしているというしだいです。まあ、あと数年経てば大仙「陵」古墳という呼称は死に絶えるでしょうから、それまで待ちますか。とくに深刻な問題とは思ってませんし。Shinobar 2006年6月10日 (土) 05:42 (UTC) 先生も「どっちゃでもええやん」と思ってらっしゃるのかも(笑)。Shinobar 2006年6月10日 (土) 05:46 (UTC)

ちなみに、私自身は仁徳天皇陵で呼び慣れていますが、学会ではこれが仁徳天皇陵であるとするのは少数派です。その大きさから天皇クラスの墓だと考えられていますが、仁徳天皇あるいはそれに相当する大王の墓がこれだとは言えないとするのが通説であると思います。他の古墳で「陵」の字が入るものが無いにもかかわらず、この場合にのみ大仙陵古墳という呼び方があるのは、これだけ大きいのだから天皇クラスの墓であることは疑いないという気持ちが働いたのではないかと思います。しかし、それが現在の天皇家の先祖であるかどうかは分からないのだから、「陵」の字を入れるのはやはり間違いであると私は思っています。引き続きみなさんの議論をお待ちします。Shinobar 2006年6月11日 (日) 23:11 (UTC)

2006-04-24 17:38:48 の版へのrvについて[編集]

神宮皇后卑弥呼でもrvしました。面白い見解で本当に惜しいんですが、特定の見解を事実のように記載しているのはWikipedia:中立的な観点の「意見は書くな」に違反します。申し訳ないのですが、表現について客観性を担保したうえで「そういう見解がある」という文章で投稿してください。--ろう 2006年5月22日 (月) 08:04 (UTC)

133.188.5.31さんの投稿記録を見る限り、一部の投稿に関しては客観性に少し配慮が見られるものの、この項目については、あまりご理解頂けていないようです。文意を損なわない範囲で修正します。--ろう 2006年5月25日 (木) 23:49 (UTC)

 大仙陵古墳の治定について(UTC様へ) [編集]

大仙陵古墳の被葬者について、民俗学者の主張するヒメ・ヒコ制で見直すべき立場から投稿させていただいたのですが、その根拠とする文献は、『古墳に卑弥呼の系譜を読む』(三一書房/永井寛著)です。 わが国においては、特に古代史の分野において考古学も含めてどこまで事実が伝えられとぃえうのか、きわめて疑問です。特に自然科学に身をおくものかえら見て、とりわけわが国の古代史に関し、その学問分野において、科学的・客観的な判断というものが十分機能しているようには思えません。学会そのものにそのような判断が機能しないために、旧石器捏造のような事件が起きたものと考えます。 「天皇陵」の問題も、旧石器捏造事件と少し性格は異なりますが、真実の追求を放棄している意味で問題の根は同じと認識しています。古代史について、とりわけそれを職業としている専門家が事実を事実として述べる難しさは、それなりに見聞きし、承知しているつもりです。 Wikipediaでたびたび述べられる「中立的見解」とか「客観的見解」という表現も、わが国のそのような「歴史学」・「考古学」の常識であって、より科学的事実を指しているとは思えません。それは、UTC様もよく理解いただいていることと思います。 わが国では、教科書会社のようなところで発刊している歴史辞典、百科事典の類は、その「歴史学」・「考古学」の常識のみが記されていて、より科学的・客観的な歴史は、異説という形でも載せられていません。Wikipediaは、その種の百科事典と同じものなのですか。当方の理解は、そのような常識の束縛・しがらみから多少なりと開放され、自由な議論ができる(それなりの制約はあるでしょうが)ことが重要と思っております。何より重要なことは、日本の国民が一方的な常識化された歴史観だけでなく、Wikipediaがより真実の歴史を知ることができる窓口となるべきであろうと考えます。以上の署名の無いコメントは、125.14.135.3会話履歴)氏が[2006年7月9日 (日) 07:20 ]に投稿したものです(--案山子 2006年11月25日 (土) 01:10 (UTC)による付記)。

「窓口」としての役目を果たすため、参考文献(この場合は、永井寛の著?)を、記事本文中に挙げておかれることを希望します。Shinobar 2006年7月9日 (日) 07:58 (UTC)

本当の世界一は誉田山古墳[編集]

本当の総面積世界一は誉田山古墳だったのですね。大山古墳より巨大な誉田山古墳、日本の歴史はロマンがありますね。——以上の署名の無いコメントは、27.121.249.48ノート/Whois IPv4IPv6)さんが 2011年8月10日05:12(UTC) に投稿したものです(Juiceapple 2011年9月18日 (日) 15:20 (UTC)による付記)。

誉田山古墳が世界一だという出典を示していただけないでしょうか? 出典がないことと信憑性に疑問があるため当該記事を差し戻しました。--Juiceapple 2011年9月18日 (日) 15:20 (UTC)

誉田御廟山古墳が世界一という証拠は全くございません最近の調査も入れて正確に書き直しました。これは明らかにいたずらですね(酒井)

古墳の呼び方[編集]

古墳の呼び方には、その時代人々、の考え方、や信仰なども入ってきますし、もちろん考古学的ななまえ。客観的な名前などいろいろあります。大仙古墳は地名ということで客観的でしょうね。感情的にはいろいろあったでしょうが、この選択は素晴らしかったと思いますよ。冥王星を惑星から外したくらいのすごい英断だったと思います。    ところで、世間では大仙古墳のことを仁徳天皇陵と呼ばれることがとても多いのですが、学術論文検索をしてみると、仁徳陵という呼び方が主流でした。したがって、学会で主流になっている呼び方を無視するわけにはいかないため、この名前も併記するひつようがあろうとおもます。


 閑話休題。本当に百科事典的に呼ぶなら天皇も豪族も同じルールで呼ぶのが理想(あくまで理想)ですが、(理系出身なものですから、学問分野で貴賤や出自を区別しないというのは当たり前すぎるくらい当たり前ことですので)、日本でこんな時代が来るのは相当先でしょうね。こんな呼び方をすると国が安定しないなんて人が一部でいるようですからね(ウィキをみれば明らか)。外国君主は呼び捨てにしても、日本の皇族に同じようなことをするなどとんでもないと考える人がいるのも事実ですから。とはいえさすがに現役を退いた将軍や藩主は呼び捨てが普通になりましたね。でも江戸時代に主君にこんな呼び方をしてたらどうなっていたんでしょうね。

結局は本当の価値がわかればそうはならないとおもうのですが。 余談でした。

仏教徒にも、お釈迦様を呼ぶとき、釈迦牟尼とよんだりゴーダマ・シッダールタと呼んだりして、尊敬する釈迦牟尼と、歴史上の人物してのゴーダマを使い分消している人も多いのではないでしょうかね。お釈迦様じゃあ格が違いすぎる?>利用者:Saragamineのブロック破り投稿を取り消し。--uaa会話) 2015年2月1日 (日) 14:14 (UTC)

del閉じ。--さんぽーる会話) 2016年4月10日 (日) 08:34 (UTC)

「世界三大墳墓」「世界最大の墓」という評価[編集]

Saigen Jiroさんが高嶋伸欣による批判を削除されましたが、この批判は育鵬社の歴史認識であるだけでなく、大仙古墳を「世界最大の墓」とする歴史認識への批判でもあります。特定の観点に偏らずあらゆる観点からの描写を平等に扱うという中立的な観点から削除に同意できません。また、高嶋伸欣の「立体的な構造物を築く技術が未熟で、平面の規模を大きくするしかなかった」という評価は、有意な言及で、取るに足らないようなものではありません。中国社会科学院考古研究員の劉振東も「中日古代墳丘墓の比較研究」(立命館大学博士論文34315乙第521号)p.175-177で、中国の墓葬の地上施設は豊かで、墳丘高を等級制度の量的指標にしているが、日本の墓葬は墳丘と周溝など僅かな地上施設があるだけで、明確な等級制度も形成されていない。中国の墓葬は種類が多く、規模も大きく、墓室の構造も複雑で、棺槨の葬具も完整で、副葬品も発達しているが、日本の墓葬は貧弱と評価しています。

この問題は、大仙古墳の過大評価を問題視するもので、育鵬社教科書にかぎらず、「世界最大」「世界最大級」という評価は行政観光系の情報や中学教育のパンフレットでよくあります。しかし、学術論文で大仙古墳を「世界最大の墓」と断定するものはありません。白井久美子「前方後円墳の理解」(千葉大学)では大仙古墳の平面規模が世界最大としていますが、体積や高さの指標で比較されていません。平面規模以外の比較では「大仙古墳は世界最大の墓」という評価は正確とはいえません。「世界最大」「世界一」という評価は、高嶋伸欣が批判するようにギネス登録のような怪しさがある一方で、世界有数の規模であることは確実で、これらの規模の評価や批判には特筆性はあります。--さんぽーる会話) 2016年4月10日 (日) 08:33 (UTC)

前の文章は両論併記に反し中立性を欠きましたが、「批判された対象」が記された今の文章でしたら良いと思います。陵域面積(墳丘面積ではない)は始皇帝陵のほうが広いので、平面規模が始皇帝陵を凌ぐという記述は事実に反しますけども。--Saigen Jiro会話) 2016年4月10日 (日) 10:17 (UTC)
ご理解感謝します。平面規模は「墳丘の」を追加します。--さんぽーる会話) 2016年4月10日 (日) 14:14 (UTC)

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

大仙陵古墳」上の1個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月30日 (土) 03:57 (UTC)