ノート:マリアナ沖海戦

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戦争名称について[編集]

太平洋戦争、大東亜戦争、アジア・太平洋戦争と数々呼称はあり、当時も大東亜戦争と呼称されましたが、ここは「太平洋正面での最後の決戦 マリアナ沖海戦」です。 この海戦で負ければ、日本の戦争にもう脈はなかったのです。その辺りを勘違いしている愚昧な書籍を書き散らす安ぶしんが、大東亜戦争という名称を何らの説明もなく流布したツケはあまりにも重いと感じます。この単語の弄り合いは、当時の美辞麗句に彩られた軍作戦計画の内容弄りと同レベルです。 いい加減、この戦争における、あ号作戦の意義と、その戦訓を学んでください。 Kanakana89

あなたの文章は印象論でしかなく根拠が無い。マリアナ沖海戦は「大東亜戦争」に属している海戦です。--114.48.142.70 2009年6月23日 (火) 11:06 (UTC)
この項目に提示されている参考文献は、太平洋戦争という呼称を使用しております。故に印象論というのは当たりません。どうしても印象論と申されるのなら、提示されている参考文献の中のすべての太平洋戦争というワードの後に(大東亜戦争)と書くよう出版社にお申し出ください。それと参考文献をちゃんとお読みになって、マリアナ沖海戦に対する項目の内容充実にご努力のほどをお願いいたします。以上。

Kanakana89

参考文献云々関係なく当時の呼称は併用すべきでしょう。貴方の参考文献が偏ったものだからじゃないんですか?出版社?アホくさ。低レベルな責任転嫁ですね。易々と「太平洋戦争」の語を乱用し稚拙な文章で記事の質を低下させているのは貴方でしょう。--114.48.46.138 2009年6月28日 (日) 07:25 (UTC)

あなたの理論は破綻しています。よってこれ以上の話し合いは無用です。以下理由を述べていきます。まず参考文献が偏っているとのご指摘ですが、レイテ沖海戦の項目で提示した参考文献に留まらず、このマリアナ沖海戦での主な参考文献を提示し項目に加えてたのは私であります。その根拠は、私の過去の履歴をご覧頂ければ明白であると考えます。もしあなたが言うように参考文献が偏っているというならば、このマリアナ沖海戦の項目はすべからく偏ったものであると言う事になりますが、それは如何なものかと思います。それとあなたが読んでいる参考文献は何でしょうか?そして、それをマリアナ沖海戦にある参考文献の項目に加えましたか?更に、それに基づき作戦の経過等を文章にして投稿なさいましたか? 以上の論点からあなたの申し出は的外れであると考えます。 

以下、マリアナ沖海戦の項目で現在ウィキで提示されている参考文献で私が追加(私が蔵書として持っている一部ですが)したものを列挙いたします。(本文からそのまま転載いたします) 参考文献

ISBN 4-05-901078-2、下 ISBN 4-05-901079-0 (新装版)
  • 源田實『海軍航空隊始末記』(文春文庫、1996年) ISBN 4-16-731003-1
  • シーパワー編集部 編『海軍機動部隊』(軍事研究1992年7月号別冊) ISSN 0533-6716 雑誌 03242-7
  • 学研編集部 編『歴史群像 太平洋戦史シリーズ8 マリアナ沖海戦』(学習研究社、2001年) ISBN 4-05-401264-7
  • 川崎まなぶ『マリアナ沖海戦 母艦搭乗員 激闘の記録』(大日本絵画、2007年) ISBN 978-4-499-22950-0
  • 佐藤和正『レイテ沖の日米決戦 日本人的発想VS欧米人的発想』(光人社、1988年) ISBN 4-7698-0374-5
  • 佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争 51人の艦長が語った勝者の条件』(光人社、1989年) ISBN 4-7698-0445-8
  • 写真 太平洋戦争 第四巻』(光人社、1989年) ISBN 4-7698-0416-4

以上です、もしこれらの参考文献が偏っていると申されるのならば、その根拠を具体的に申し上げてもらいたいと考えます。次に"出版社に責任転嫁している"とのご指摘ですが、私はそれには当たらないと考えます。次に"易々と「太平洋戦争」の語を乱用し稚拙な文章で記事の質を低下させている"とのご指摘ですが、それはいささか語るに落ちては居ないでしょうか? 私の投稿はマリアナ沖海戦の項目の一部を形成しております、しかしあなたの一連の履歴と、このマリアナ沖海戦での履歴を見る限り、あなたは作戦経過や諸問題における項目には、何ら手を付けておられないのはどうしてでしょうか。私はこのマリアナ沖海戦のみならず、レイテ沖海戦の項目でも最初に実際的な参考文献を提示し項目に追加し、または写真の艦名の間違いを指摘し、かつ修正しております(ご確認いただけると幸いです)、故に「記事の質を低下させている」とは全くの見当違いであり、むしろあなたは太平洋戦争という"戦争名称のみ"に固執し、戦争名称を弄ることによってのみでしか、この項目に参加していないように感じます。よって、まずはあなたが言う偏っていない参考文献というのを例示し、項目に追加しあなたの言う正しいマリアナ沖海戦の経緯を記述しては如何でしょうか。 蛇足ですが、私はこの戦争名称は太平洋戦争でもあり、大東亜戦争でもあると認識しております。 しかしながら広く一般に知られている名称から見て"太平洋戦争"である方がウィキのルールにも則していると考えておる次第です。私はこの戦争の正式名称は、当時の政府が命名したように大東亜戦争であると考えます。 しかし先に述べたように、広く周知された名称を載せるのがウィキのルールであります。しかしながら太平洋戦争と大東亜戦争という名称はコインの表の裏であり、その問題は別項目でも未だ議論があるところであり、本文においてもその両方を併記することは閲覧者の混乱を招くだけではなく可読性も損なうと考えております。 また、繰り返しますが前述した通り「戦争:太平洋戦争\大東亜戦争」については問題がないと表明しておりますが、お読みになって頂けていないのでしょうか。 以上です。 これ以上は混乱を招くと考えますので。どうか自重していただけると幸いであります。 それとあなたが言う偏っていない参考文献の提示と例示も併せてお願いするものであります。 それからBlogに書けとのご指摘ですが、それは問題をすり替えた個人攻撃であり、深く遺憾の意を表するものであります。 Kanakana89

長文での返答有難う御座います。戦争名称についても中立的呼称への変換を有難う御座います。さて私の返信ですが貴方の資料が偏っているとは申しておりません。歴史認識については貴方と近いものがあるでしょうから何も貴方を個人攻撃する気はありません。私はマリアナ沖海戦での貴方の編集に合意しています。以降名称についてもめることはないでしょう。私も貴方の返信を見て大東亜戦争史の軍事的側面の習得する必要があると考えさせられました。良いご指摘をどうも。貴方の編集内容については参考資料によく目を通した緻密な編集だと考えております。これからも記事内容の充実にご尽力ください。短文、乱文で失礼しました。--114.48.169.165 2009年6月29日 (月) 09:32 (UTC)

ご丁寧な返答有り難う御座います。内容は了解しました。 そして今回の事態が、己の至らなさによって招来された事を深く反省するものであります。 Kanakana89

出典[編集]

Template:unreferencedが貼られたついでですが、参加兵力の出典をご存知の方がいらっしゃいましたら参考文献の節を作成して、そちらに投稿してください。よろしくお願いします。--sabulyn 2006年12月28日 (木) 15:02 (UTC)

参考文献が掲示されたので Template:出典の明記 は必要なくなりましたが、参加兵力の出典があるのか、また、あるのであればいずれかなのか判断できないので、Templateを参加兵力の節に移動しました。--sabulyn 2007年11月8日 (木) 05:19 (UTC)

 小澤長官訓辞の出典。 戦史叢書「マリアナ沖海戦」朝雲新聞社 機動部隊 奥宮正武著 写真 太平洋戦争 第四巻 丸編集部 他。


「日本海軍航空隊敗北の原因」に出典要求のテンプレが貼られていますが、あのくらいの説は戦史関連なら、どの本にも載っていますよ。 VT信管によって高角砲弾の命中率20倍という話ははじめて聞きましたがそれ以外は。 まあ、放っておけば投稿者か通行者が似たような説明のある文献の書名を出すとは思いますが、最近その分野の当たり前のことについて、出典要求を貼りまくっている人が多い気がする。--希望 2008年3月19日 (水) 17:14 (UTC)

希望様の指摘はいちいちごもっともと思うと同時に、懲りないなあと思いますね。つい最近ですよね、急にマリアナ沖関係におかしなのが増えたのは。 前回の全く根拠が提示されない独自考察は論外ですけど、今回のは少なくともある意味妥当です。 敗因とは、いろんな要素が混ざり合って招来されるものですし、これが唯一の原因と言うのは存在しないはずと考えております。 ただ、最近は良書が少ない、それなりの書籍をそろえているのは当たり前と思っているのは少し危険だと思いますよ。 ただ出典を盾に、レイテ沖海戦の項目はスゴいことになってますね。何がそこまでさせるんでしょうかと思います。 Kanakana89

参考文献[編集]

搭載機数に関しては㈱世界文化社発行の「日本歴史シリーズ」第21巻 太平洋戦争です。これとは別に「機動部隊」(朝日ソノラマ)には「定数 601航空隊225機、652航空隊144機,653航空隊81機の計450機ただし実際の搭載機数はこれより多い」と書かれています。--Harpoon マナー向上委員会 2007年4月6日 (金) 17:53 (UTC)

参加兵力で偵察機が抜けていたので加筆しました。搭載機数は不明ですが、1段索敵は水上機16機のみ、2段索敵に九七式艦上攻撃機13機と水上機1機,3段索敵に二式艦上偵察機11機と水上機2機が出撃しています。「機動部隊」(朝日ソノラマ)より--Harpoon マナー向上委員会 2007年8月8日 (水) 17:45 (UTC)

いわゆる「あほう作戦」について[編集]

結果の項において、<またこの作戦が失敗に終わると予測していた搭乗員も多数おり、「あほう」作戦とも揶揄された。>との記述があり、「要出典」になっているところです。

いわゆる「あほう作戦」については、「搭乗員」ではなく、当時第1戦隊司令官であった宇垣纏中将が、その日記「戦藻録」の昭和19年6月8日の記述に残した漢詩

蒼樹覆礁南陬境 艨艟圧海髀肉到 興廃戦機横眼前 阿呆作戦拱手茫

が出典ではないかと推測されます。

ただし、この漢詩は連合軍のビアク島上陸(昭和19年5月27日)に際し、ビアク島の戦略価値を重視して積極的な反撃と増援を行うべきと主張した宇垣中将に対し、第一機動艦隊司令部が主決戦場はマリアナであるとして、増援輸送部隊に少数の護衛しかつけなかったために輸送作戦が失敗した件を批判するものであり、アウトレンジ戦法等「あ号作戦」の戦術それ自体を批判したものではありません。(宇垣中将としては、「あ号作戦」に基づくマリアナ決戦に固執する第一機動艦隊司令部の方針を、「あ号作戦」を「阿呆作戦」と揶揄することによって批判する意図があったと読み取れます。)

 ですので、渾作戦の項ならばいざしらず、マリアナ沖海戦の項でこの記述は不適切ではないかと考えます。

 ※もちろん、搭乗員の間で「あほう作戦」と呼び習わしていたとする史料・証言等あれば記載して差し支えないと思います。 --治部少輔 2007年4月14日 (土) 06:44 (UTC)

参謀クラスならともかく、搭乗員たちが作戦の成功、失敗の予想について口に出すとは考えにくいのですが・・・--Harpoon マナー向上委員会 2007年4月19日 (木) 17:26 (UTC)

治部少輔さんやHarpoonさんに対する反論および反証が行われないので、異論なしとみなし削除の編集対応しました。--sabulyn 2007年11月8日 (木) 05:19 (UTC)

アウトレンジ戦法の考察[編集]

1.以下の出典を提示していただきたい。

こうした作戦での損失はあったものの~(中略)練度の低い搭乗員が多く含まれているのである。(数字・パーセンテージの根拠)

2.以下は、現実を全く無視したものと思われますが。再考の余地はないのでしょうか?

>また、出撃前、機動部隊がタウイタウイ泊地に閉じこめられたことで、

>航空機訓練が不十分だったとの説もあるが、

タウイタウイには、第一機動艦隊全機を揚げて訓練する適切な飛行場も無かったことを無視してませんか?(1ヶ月間の飛行無しとはそう言うことです) 母艦航空隊の搭乗員は、平時においては1年の基礎訓練、それから更に選抜し、1年以上の母艦による訓練が必要とされておりました。 母艦搭乗員は、発着艦、洋上飛行・航法を要求されました。  陸軍機は、トラック・ラボール間での洋上航法による移動だけで50パーセント以上を失うことがありました、それだけ難しいのです。 そのような状態で、発着艦訓練が一航戦で2回、第二、三航戦で2回(タウイタウイ回航中一回、入泊後 5/18・5/31の二回)しか行われなかった事を考えると、致命的であったとするのが妥当です。

>ミッドウェー海戦時をはじめ、海戦前に充分な訓練を行ってから出撃したケースは多くない。

ハワイ作戦時は、総仕上げとして、昭和16年11月3日から三日にわたって佐伯湾を真珠湾と想定した演習が行われております。(出典・阿川弘之 山本五十六下巻) よって、あまりにも乱暴な論旨であると思われます、そもそも想像や妄想で書いてませんか?

よって記述者は、母艦航空隊の練度とはどのようなものかを全く理解していないとしか思われません。

>練度低下はあったと考えられるが、それが決定的な要因だったとは考え難い。

母艦搭乗員の練度は通常の海軍航空隊や陸軍航空隊の練度より多少高いのです。むしろ高いといえるでしょう。その視点で言えば、当時の第一機動艦隊の搭乗員練度が一概に低いとはいえません。

狭い甲板への離着艦や、洋上航法、単独航法を+した上で戦闘能力が重ねられるのですから。 それは、ソロモン方面におけるに母艦機転用(い号、ろ号作戦含む)がよく示していませんか? 決定的な要因ではないかもしれませんが、根元に関わる原因であるのではないのでしょうか?

最後に「磁気コンパスの調整」がまったく触れられて居ませんが、その辺の所見をいただきたい 長距離索敵や、長距離航法には絶対に必要なものです。 地磁気は知っておられましょうか?第二第三航戦は、内地でその調整を行っておりますが、その後マリアナ沖海戦時までコンパスの誤差は修正されなかったのですが、これを抜かしているのはいかがなものか。

あほう作戦

たんに、ミッドウェイ海戦後、米国放送のウィリアム・ウインターが南雲部隊に対して「あほう鳥」と呼んだことを、宇垣さんの戦藻録の阿呆にこじつけただけではないか?

記述者の参考文献が「機動部隊」だけのようですし。

参考文献  真実の太平洋戦争 奥宮正武著 ISBN4-569-56179-9
日本はいかに敗れたか(上巻・マリアナ沖海戦終了まで) 奥宮正武著 ISBN4-569-54182-8
海軍航空隊始末記 源田實著 ISBN4-16-731003-1
レイテ沖の日米決戦(日本人的発想VS欧米人的発想)ISBN4-7698-0374-5
ニミッツの太平洋海戦史 チェスター・C・ニミッツ・ポッター共著 実松譲・富永謙吾共訳 ISBN4-7704-0757-2
なお、参考史料は他に、まだいくらか蔵書がありますので、ご不明の点がある場合はお調べいたします。

真偽の程はともかく、百科辞典レベルにそこまで詳細な解説は不要だと考え、削除された編集者に同意します。
ちなみにマリアナ沖海戦を語る上では「零戦空戦記」(現タイトル:最後の零戦)白浜芳次郎著をお読みすることをお勧めします。--Harpoon マナー向上委員会 2007年9月25日 (火) 18:28 (UTC)

戦闘機の爆装[編集]

戦闘機の爆装については旧式化した九九艦爆に代わるものとして使用されたと思われます。また護衛の戦闘機まで爆装したわけではないのだから敗因の1は事実誤認と思われます。--KZY 12:55 2004年6月12日 (UTC)

リンク先[編集]

「空母と基地航空隊」から”「あ」号作戦ーマリアナ沖海戦の検証”へ変更

理由:
1.内容の思想性が強すぎ、公平な視点で書かれたものと言い難い。
(web 運営者の学術的考察を否定するものではない)
2.拝読したところ、太平洋戦争全般を、国内外の政治勢力を元に考証しているページであり、
 「マリアナ沖海戦」の、参考リンク先にした意図が不明瞭。
3.太平洋戦争における一作戦に対する、参考リンク先とは不適当と認む。
4.信頼出来る史料を元に、純軍事学的に考察した、ページに差し替えるのが妥当と思われる。
--以上の署名の無いコメントは、Kanakana89ノート履歴)さんが 2007年9月25日 (火) 18:46 に投稿したものです。

鳥飼行博研究室ですか。この人のクセの強い記事については大和 (戦艦)のページでも物議をかもし出しましたよ。すでに本文からは削除されていますが、リンクは残っているようです。--Harpoon マナー向上委員会 2007年9月27日 (木) 16:38 (UTC)

喪失潜水艦[編集]

あ号作戦期間中の喪失潜水艦数をどのように集計したのでしょうか?
あ号作戦発令中に失われた潜水艦は出撃21隻に対し損害8隻、戦果米側戦史で被害ゼロ、となります。

この時期の潜水艦喪失17隻の詳細(公刊戦史による)

  • あ号作戦前の5月下旬の大量喪失5隻(呂104、105、106、108、116)
  • ほかマーシャル方面で偵察、輸送任務に当たっていた3隻の喪失(伊16、176、183)
  • 北方艦隊の伊180の喪失(ただし、アリューシャン方面)
  • あ号作戦中の邀撃任務に出た21隻のうち8隻の喪失(伊184,185、呂36,42,44,111,114,117)

--Yuki Sue 2007 2007年7月3日 (火) 15:47 (UTC)

20隻の内訳(公刊戦史「潜水艦史」による)
5月3日「あ号作戦計画」発令
5月14日「あ号作戦配備」発令 各潜水艦は邀撃任務のため担当散開線に向かう
イ176(5月16日没)、イ16(5月19日没)
5月20日「あ号作戦計画開始」発令
ロ106(5月22日没)、ロ104(5月23日没)、ロ116(5月24日没)、ロ108(5月26日没)、ロ105(5月30日没)

6月13日「あ号作戦決戦用意」発令 潜水艦部隊はマリアナ東方海域に急行
6月19~20日水上決戦
6月21日 展開潜水艦部隊に帰還指令 
この間での未帰還 イ184、イ185、ロ36、ロ42,ロ44、ロ111、ロ114,ロ117

孤立したマリアナ諸島への物資輸送、通信連絡、パイロット・第六艦隊司令部収容任務での未帰還
イ5、イ6、イ10、イ55、ロ48
7月27日を以ってア号作戦中部太平洋潜水艦作戦中止
-- 59.139.180.26 2007年9月18日 (火) 10:22 (UTC)

以上の内容は、本文にも記した方がよくないですか?--GNR-Patience 2008年3月22日 (土) 19:46 (UTC)

アメリカの完勝、日本の完敗というのは誇大表現では?[編集]

2倍近い戦力差がありながらそこそこの打撃を与えたのであるし単にアメリカ軍の勝利と記すべきではないですか?122.134.156.253 2008年3月17日 (月) 08:25 (UTC)

日本軍は空母3隻を喪失し、他にも多くの艦が損傷しました。そして、艦の喪失以上に致命的だったのが艦載機と搭乗員の大量損失です。378機もの艦載機と388人もの搭乗員を失った日本海軍は、最早機動部隊を再建することが不可能になりました。一方、アメリカ軍は沈没艦0、搭乗員損失は101人でしたが、育成システムに優れており、人的資源も豊富であったアメリカ軍には打撃がほとんどありませんでした。マリアナ沖海戦は、ミッドウェー海戦以上に一方的な日本の敗戦であり、継戦能力に与えた影響という点では、ミッドウェー海戦をも上回ると言えるでしょう。故に、単に「アメリカ軍の勝利」だけではなく、極めて一方的な結果であったということを表現する必要があると思われます。--GNR-Patience 2008年3月22日 (土) 19:45 (UTC)

それは単にアメリカ軍が人材が豊富だっただけで当戦闘の損害とは関係ないでしょう。相手の3分の1もの損害を受けている以上完勝とは言えません。イラク戦争では10:1以上もの損害を与えても米軍の損害は甚大とされますから。完勝というのは誰が見てもそうである戦闘、たとえば日本海海戦のような戦闘を指すのではないでしょうか。59.171.50.242 2008年4月8日 (火) 09:12 (UTC)
英語版では「Decisive American victory」となっています。参考までに。--GNR-Patience 2008年4月16日 (水) 17:33 (UTC)

日本側搭乗員の技量低下に付いての補足[編集]

>意外にも本海戦に参加した搭乗員の平均飛行時間は、
>開戦時と比べても遜色ないレベルであった。
その根拠を具体的に説明して頂きたいが、もはや何も言いません。

前述の通り、開戦当初からの様々な戦いによって、 卓越した技量と戦闘経験を持った熟練搭乗員を損耗しただけでなく、 い号作戦以降、幾度と無く繰り返された母艦搭乗員の陸上基地転用により、 編隊を率いる指揮官クラスの搭乗員が激減していた。 特に後者の損耗は致命的であり、またこれらの搭乗員は、 容易に補充も急速錬成も出来無いものであった。

日本海軍は、新規搭乗員の大量養成に努力し、 また、母艦に配属された新規搭乗員の急速錬成にもかなりの努力を払ったが、 本海戦においては、それら実戦経験が少ない新規搭乗員を率いる事の出来る、 実戦経験豊富な指揮官クラスの搭乗員が決定的に不足していた。

故に、本海戦に参加した全母艦搭乗員の平均飛行時間は、開戦時~南太平洋海戦までと比べ、 あまり遜色ないレベルであったものの、その大半が基礎訓練を終えたばかりの新規搭乗員で占められ、 更に、編隊指揮官の任に堪えうる熟練搭乗員は少数に過ぎなかった。

故に彼ら母艦搭乗員を、本作戦におけるアウトレンジ戦法に必要な技量に引き上げる為には、 発着艦を初めとする各種戦技及び航法訓練が必要であったが、 本海戦の待機泊地であったタウイタウイでは、彼ら搭乗員に殆ど訓練の機会を与える事が出来無かった。

一航戦の第601航空隊搭乗員は、リンガ泊地で約一ヶ月程の訓練の後タウイタウイに入泊したものの、 二航戦の第652航空隊、三航戦の第653航空隊は、内地で訓練が出来無いままタウイタウイに直行した為、この事態は致命的になった。

特に重要な発着艦訓練を伴う戦技訓練は、一航戦で二回、第二、三航戦で三回だけであり (タウイタウイ回航中に一回、入泊後 05/18・05/31の二回)それ以外は飛ぶ事も出来無かった。 その為、二航戦の奥宮航空参謀は、その著書(如何に日本は敗れたか・上巻)の中で 「タウイタウイでは”如何に練度を上げるかではなく””如何に練度を下げないようにするか”」に腐心したと記している。 

結局、タウイタウイに閉じこめられた事で、飛行時間を初めとして技量的には、 あまり問題はなかった指揮官クラスの搭乗員は、列機を率い戦う訓練を行う事が出来ず、 また、発着艦を初めとした諸訓練を、もっとも必要とした新規搭乗員は、 日一日と、元々あった技量を更に低下させる結果を招来した。

故に、敵艦隊や敵機に遭遇せずとも未帰還(行方不明)と認定された機体が多かったのは、 彼ら母艦搭乗員に、十分な訓練の機会と時間を与えてやれなかった事が原因であり、 それがそのまま敗北の一因を形成している。

以上により、長距離の洋上航法と編隊飛行、そして攻撃の後、再び母艦まで帰投する事を要求されるアウトレンジ戦法は、 当時の母艦搭乗員が置かれていた現実と、それによってもたらされた技量低下を無視して強行された戦法であることを考慮しなければならない。

本海戦に参加した彼ら母艦搭乗員の技量は、確かに米海軍搭乗員に対して著しく劣っていた。 しかし、1ヶ月もまともに訓練していなければ技量が低下するのは当然の事であり、 特に大多数を占めていた急速練成中の新規搭乗員にとっては致命的であった事を、 十分考慮するべきである。 また、編隊を率いる指揮官クラスの搭乗員も、また同じく所要の訓練が行われなかった事を考慮されるべきである。

#以上補足です。 Kanakana89