ネーション・オブ・ドミネーション

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ザ・ネーション・オブ・ドミネーションThe Nation of Domination)は、1996年から1998年にかけて、アメリカ合衆国WWFで活動したプロレスラーユニットである。ネーション・オブ・イスラムブラックパンサー党をイメージしたヒールのユニットとして、アフリカ系アメリカ人の選手を中心に構成された。

メンバー[編集]

( )内は在籍期間。USWAでの初期メンバーは割愛。

来歴[編集]

オリジナル版のネーション・オブ・ドミネーション(以下NOD)は、当時WWFと提携していたテネシー州メンフィスUSWAにて1996年に結成されていた。メンバーは、ビル・ダンディーの息子であるJ・C・アイスウルフィー・DPG-13[1]を中心に、イライジャ(スペルバインダー)、シャキール・アリ(トレイシー・スマザーズ)、サー・モハメッド(メイブルとのメン・オン・ナ・ミッションで知られるロバート・ホーン)、クイーン・モイシャ(後にWWF女子王者となるジャクリーン・ムーア)など、白人と黒人の混成ユニットだった[2]

第1期[編集]

1996年11月、元WCW世界ヘビー級王者ファルークをリーダーに、WWFにてNODは再編される。マネージャーには黒人弁護士のクラレンス・メイソン[3]を迎え、彼がマネージメントしていたクラッシュもファルークの「白人ボディーガード」として加入、USWAから移籍してきたPG-13も入場時のエスコート役を務め、入場テーマ曲のラップを担当した。ファルークはマルコムXをデフォルメしたキャラクターとなって黒人至上主義を提唱し、暴力による白人優位社会の打倒を目指す急進的政治結社としてNODを組織、若手時代のディーロ・ブラウンを含む黒人メンバーを従えてリング上でのアジテーションを行った。

1997年からはベビーフェイスの黒人選手アーメッド・ジョンソンとの思想闘争が開始され、ファルークとの黒人同士による抗争アングルが繰り広げられる。NODはプエルトリカンサビオ・ベガヒールターンさせてメンバーに加えるなど戦力を増強し、3月23日にシカゴで開催された『レッスルマニア13』ではファルーク、クラッシュ、ベガ対ジョンソン&リージョン・オブ・ドゥームシカゴ・ストリート・ファイトが行われた[4]

第2期[編集]

1997年6月8日、PPVキング・オブ・ザ・リング』のメインイベントにてファルークはジ・アンダーテイカーWWF世界ヘビー級王座に挑戦するが敗退[5]。敗因はセコンドに付いていたクラッシュ、サビオ・ベガ、クラレンス・メイソンの責任であるとして、ファルークはディーロ・ブラウンを除く全員をNODから追放、"Bigger and Blacker" を強調し黒人レスラーのみで構成された新生NODを結成する。新メンバーにはカマ・ムスタファ、そして仇敵のアーメッド・ジョンソンが加わるが、ジョンソンは数週間で脱退。彼に代わって、往年の黒人スター選手ロッキー・ジョンソンの息子ロッキー・メイビアがヒールターンし、"ザ・ロック" ロッキー・メイビアを名乗って加入した。

一方、NODから追放されたクラッシュは白人バイカーグループのDOADisciples of Apocalypse[6]、サビオ・ベガはプエルトリコ系ストリートギャング集団のロス・ボリクアスLos Boricuas[7]を結成。以降、人種間による三つ巴の軍団抗争が展開された。

また、ロッキー・メイビアはシングル戦線においてもストーン・コールド・スティーブ・オースチンケン・シャムロックとの抗争を開始、12月8日の『Raw is War』ではインターコンチネンタル王座の新チャンピオンに認定された[8][9]

第3期[編集]

1998年1月にはマーク・ヘンリーもヒールターンしてメンバーに加わり、NODはファルーク、メイビア、ムスタファ、ブラウン、ヘンリーの5人組となったが、シングル王座を獲得したメイビアとリーダーのファルークの間に不協和音が発生。最終的にはメイビアがユニットを乗っ取った形でファルークを追放し、3月30日放送の『Raw is War』にて新リーダーとなったことを宣言した[10]。これを機に、ユニット名はザ・ネーションThe Nation)、メイビアのリングネームはザ・ロックと、それぞれ簡略化された。また、カマ・ムスタファも黒人のピンプをイメージしたザ・ゴッドファーザーに変身、4月末からはオーエン・ハートも白人でありながら "The Black Hart" を名乗って加入。以降、トリプルHニュー・エイジ・アウトローズXパックチャイナD-ジェネレーションXとの軍団抗争を繰り広げ、アティテュード路線に入ったWWFを牽引するヒール・ユニットとなった[11]

しかし、DXやストーン・コールド・スティーブ・オースチンとの抗争を通してロックの悪役人気は観客の支持へと変わり、ロックは10月にネーションを脱退してベビーフェイスに転向。ゴッドファーザーもポン引きギミックはそのままにフェイスターンする。すでにオーエン・ハートもユニットを抜けてジェフ・ジャレットと新コンビを結成しており、残ったブラウンとヘンリーはタッグチームとしてネーションを継続させていたが、それぞれシングルで活動することとなり、1998年をもってネーション・オブ・ドミネーションは終焉を迎えた。

解散後[編集]

以後、ロックはストーン・コールド・スティーブ・オースチンと共にWWFのアティテュード路線を代表するスーパースターとなり、ゴッドファーザーはミッドカードの盛り上げ役となって不動の会場人気を獲得。ブラウンはIC王座戦線で活躍し、ヘンリーはセクシャル・チョコレートを名乗る異色のプレイボーイ・キャラクターに変身した。ファルークはNODを追われてからは中堅ベビーフェイスのポジションに甘んじていたものの、ブラッドショーとのアコライツを経てAPAのギミックで人気を博すなど、それぞれがアティテュード期のWWFにおいて成功を収めた。

なお、オーエン・ハートは1999年5月23日のPPV『オーバー・ジ・エッジ』における入場時の落下事故で死去したが、当日はネーション時代の盟友ゴッドファーザーと対戦する予定だった[12]

獲得タイトル[編集]

ユニットが存続していた1996年末から1998年にかけて、その時点での所属メンバーが戴冠したタイトル。

脚注[編集]

  1. ^ Tag Team Profiles: PG-13”. Online World of Wrestling. 2010年10月24日閲覧。
  2. ^ Faction Profiles: Nation of Domination”. Online World of Wrestling. 2010年10月24日閲覧。
  3. ^ Miscellaneous Profiles: Clarence Mason”. Online World of Wrestling. 2010年10月24日閲覧。
  4. ^ WWF WrestleMania XIII”. pWw-Everything Wrestling. 2010年10月24日閲覧。
  5. ^ WWF King of the Ring 1997”. pWw-Everything Wrestling. 2010年10月1日閲覧。
  6. ^ Faction Profiles: Disciples of Apocalypse”. Online World of Wrestling. 2010年10月24日閲覧。
  7. ^ Faction Profiles: Los Boricuas”. Online World of Wrestling. 2010年10月24日閲覧。
  8. ^ a b WWF Intercontinental Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月24日閲覧。
  9. ^ WWE Yearly Results 1997”. The History of WWE. 2010年10月24日閲覧。
  10. ^ Raw is War: March 30, 1998”. tOA Wrestling History. 2008年2月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年10月24日閲覧。
  11. ^ WWE Yearly Results 1998”. The History of WWE. 2010年10月24日閲覧。
  12. ^ WWF Over the Edge 1999”. pWw-Everything Wrestling. 2010年10月1日閲覧。
  13. ^ The Rock's second Intercontinental Championship reign”. WWE.com. 2010年10月24日閲覧。
  14. ^ WWF European Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月24日閲覧。
  15. ^ D'Lo Brown's first European Championship reign”. WWE.com. 2010年10月24日閲覧。
  16. ^ D'Lo Brown's second European Championship reign”. WWE.com. 2010年10月24日閲覧。

外部リンク[編集]