ナルヴァ条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
ナルヴァ条約
種類 同盟
署名 1704年8月19日ユリウス暦
1704年8月30日グレゴリオ暦
署名場所 ナルヴァ
締約国 ロシア・ツァーリ国
ポーランド=リトアニア共和国サンドミェシュ連盟
言語 ロシア語

ナルヴァ条約(ナルヴァじょうやく、英語: Treaty of Narva)は、大北方戦争中の1704年8月30日ユリウス暦8月19日)に締結された条約[1]ポーランド=リトアニア共和国においてアウグスト2世に忠誠な一派ザクセン選帝侯領ロシア・ツァーリ国反スウェーデン同盟に参加した[1]

背景[編集]

大北方戦争の開戦時点同盟はアウグスト2世ポーランド王、リトアニア大公ザクセン選帝侯を兼任していた[2]。1699年、彼はロシアのツァーリピョートル1世プレオブラジェンスコエ条約で、デンマーク=ノルウェーフレデリク4世ドレスデン条約で同盟を締結した[3]。同盟は協力してスウェーデン・バルト帝国に攻撃をしかける素地を作り、攻撃は1700年に現実になった[4]。しかし、同年にデンマークは撤退を余儀なくされ[4]ロシアは決定的な敗北を喫した[5]。その後の数年間、スウェーデン王カール12世はポーランド=リトアニア国内でアウグスト2世を追撃、彼の軍勢を数度撃破し、一方ロシアはバルト沿岸を進軍して領地を奪回した[5]。リトアニアのマグナートは1702年4月にアウグスト2世を裏切り、スウェーデンと同盟した[6]

1704年7月、スウェーデンの進軍とそれに起因するポーランド=リトアニアの内戦により、アウグスト2世は王位を追われ、カール12世の支持する対立候補のスタニスワフ・レシチニスキがポーランド王として選出された[1][7]。しかし、アウグスト2世は未だにサンドミェシュ連盟やポーランド軍の75パーセントなど広く支持を受けていた[8]。アウグスト2世とその支持者は共和国を代表してスウェーデンに宣戦布告、ナルヴァで反スウェーデン同盟に加入した[8]

内容[編集]

条約交渉におけるポーランド代表はトマシュ・ジャウィンスキポーランド語版であり[9]、彼は直前のロシアによるナルヴァ包囲戦英語版でザクセン軍とポーランド軍を指揮した[10]。条約はピョートル1世、アウグスト2世とポーランド=リトアニアのマグナートが署名した[1]

同盟はいわゆる攻守同盟であった[1]。ポーランドとロシアが戦争を継続し、お互いの同意がなければ条約を締結できない[11]。ピョートル1世はアウグスト2世に年20万ルーブルの援助金を与え[12]、ロシア軍1万2千を駐留させ、またセメン・パレイ英語版ウクライナ侵攻とロシアのリヴォニア侵攻を元の状態に戻すことも定められた[11]

影響[編集]

ピョートル1世はこの条約でポーランド=リトアニア戦線を継続させ、スウェーデン軍を釘付けにした[9][13]。特に、コニェツポルの戦い英語版での勝利により、カール12世のロシア戦役への補給が断たれた[14]。条約で定められた援助金を支払うために、ロシアでは農民への新税が課された[15]

アウグスト2世にとっても、条約は有利なものだった。というのも、彼の立場は敗北が続いたことで弱まっていたためだった[9]。ピョートル1世は条約に従い、イヴァン・マゼーパに命じてパレイをポーランド=リトアニアのコサック地域から追放する、というポーランド側の譲れない条件を実行した[9][16]。しかし、ロシアの「友好的な占領」が予想された引き渡しにつながらず、その代わりロシアに編入された[10][16]

ポーランド=リトアニア共和国においてスタニスワフ・レシチニスキに忠誠な一派はワルシャワ連盟を結成し、1705年11月のワルシャワ条約でスウェーデンと同盟した[16]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e Donnert & Mühlpfort (1997), p. 512
  2. ^ Frost (2000), p. 227
  3. ^ Frost (2000), p. 228
  4. ^ a b Frost (2000), p. 229
  5. ^ a b Frost (2000), p. 230
  6. ^ Frost (2000), p. 265
  7. ^ Frost (2000), pp. 267-268
  8. ^ a b Frost (2000), p. 268
  9. ^ a b c d Bromley (1970), p. 699
  10. ^ a b Wróbel (1996), p. 374
  11. ^ a b Schuyler (2004 reprint), p. 28
  12. ^ Schuyler (2004 reprint), p. 29
  13. ^ Frost (2000), pp. 269-270
  14. ^ Frost (2000), p. 270
  15. ^ Anisimov (1993), p. 104
  16. ^ a b c Frost (2000), p. 269

参考文献[編集]

  • Anisimov, Evgeniĭ Viktorovich (1993). The reforms of Peter the Great. Progress through coercion in Russia. The New Russian history. M.E. Sharpe. ISBN 1-56324-047-5. 
  • Bromley, J. S. (1970). Rise of Great Britain & Russia, 1688-1725. The New Cambridge Modern History. 6. CUP Archive. ISBN 0-521-07524-6. 
  • Donnert, Erich; Mühlpfordt, Günter (1997) (German). Europa in der Frühen Neuzeit: Festschrift für Günter Mühlpfordt. Aufbruch zur Moderne. 3. Böhlau. ISBN 3-412-00697-1. 
  • Frost, Robert I (2000). The Northern Wars. War, State and Society in Northeastern Europe 1558-1721. Harlow: Longman. ISBN 978-0-582-06429-4. 
  • Schuyler, Eugene (2004). Peter the Great. 2 (reprint ed.). Kessinger Publishing. ISBN 1-4179-7143-6. 
  • Historical dictionary of Poland, 966-1945. Greenwood Publishing Group. (1996). ISBN 0-313-26007-9. 

外部リンク[編集]