ドレスデン美術大学

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ドレスデン美術大学
大学設置/創立 1764年
学校種別 美術
設置者 フリードリヒ・アウグスト3世
本部所在地 ドイツザクセン州
学生数 519、414、444、465、483、486、499、527、537、579、579、595、610、630、613、599、617、587、552、528、505、515、557、549
ウェブサイト http://www.hfbk-dresden.de/
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ドレスデン美術大学(どれすでんびじゅつだいがく、英語: Dresden Academy of Fine Arts、公用語表記: Hochschule für Bildende Künste Dresden)は、ドイツザクセン州に本部を置くドイツ美術大学1764年創立、1764年大学設置。大学の略称はHfBK。

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ドレスデン美術大学 ブリュールのテラス
ドレスデン美術大学のガラスドーム - 通称「レモン絞り機」

沿革[編集]

元となる美術学校は1764年に設立され、ドレスデンで最も古い歴史を持つ大学である。1764年にザクセン選帝侯、フリードリヒ・アウグスト3世の命令で、“Allgemeine Kunst-Academie der Malerey, Bildhauer-Kunst, Kupferstecher- und Baukunst”(「絵画、彫刻、銅版画、建築、総合芸術アカデミー」)という名前で美術学校が設立された。1768年から1786年の間はフュルステンベルク宮殿(Palais Fürstenberg)に学校は置かれ、フランス生まれでイタリアで学んだ彫刻家、画家のシャルル・フランソワ・ユタンが初代の校長を務めた。1776年にユタンが亡くなると、イタリア生まれの画家、ジョヴァンニ・バティスタ・カサノヴァとドレスデン生まれのヨハン・エレアザル・ツァイシッヒが校長を継いだ。1806年12月にザクセン公国がザクセン王国になったことで「王立美術アカデミー(Königlichen Akademie der bildenden Künste)」に改名された。

この学校とは別に1875年に設立された「王立ザクセン工芸学校」( Königlich Sächsische Kunstgewerbeschule)は、ドイツ帝国が崩壊した後、1920年に「州立工芸高等学校」(Staatliche Hochschule für Werkkunst)と改名され、第2次世界大戦後の1950年に「州立美術アカデミー」(Staatlichen Akademie der bildenden Künste)と改名されていた美術学校と、統合され「ドレスデン高等美術学校」(Hochschule für Bildende Künste Dresden)となった。

キャンパス・施設[編集]

校舎[編集]

ドレスデン美術大学は三つの校舎で構成され、メインの校舎はブリュールのテラスに1894年に建てられたものであり、ドレスデン聖母教会の隣に位置する。ドレスデン工科大学ドレスデン音楽大学の2大学とも提携しており、メディアアートやサウンドアートに関するセミナーも提供している。

著名な関係者[編集]

有名な教授[編集]

有名な卒業生[編集]


脚注[編集]

外部リンク[編集]