セイム (ポーランド・リトアニア共和国)

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ジグムント3世時代(1587年–1632年)のセイム
アウグスト2世時代(1694年–1733年)のセイム

ポーランド・リトアニア共和国における全国議会としてのセイムまたは大セイム一般セイムポーランド語: sejm walny)は、16世紀後半から18世紀末まで行われた両院制議会であった。1569年のルブリン合同により、ポーランド王国セイムポーランド語: sejm)とリトアニア大公国ルテニアサモギティアセイマスリトアニア語: seimas)が融合して誕生し、黄金の自由として知られる共和国の特異な合議政体の軸となった。セイムは強大な立法権を有しており、国王と言えどセイムの賛同無しに法を制定することができなかった。

セイムが開催される期間や周期は年代によって変化したが、2年ごとに6週間行われるのが一般的だった。開催場所にも変化があったが、最終的に首都ワルシャワが主な開催地として定まっていった。議員数は当初上院が70人、下院が50人であったが、18世紀にはそれぞれ150人と200人にまで増えた。採決方式は当初ほとんど多数決だったと考えられているが、17世紀初頭から全会一致が求められるようになった。これはもともと全国の合意を図るための制度だったが、次第に法の制定に反対する議員によって悪用されるようになり、18世紀前半を中心に32回ものセイムが悪名高い「自由拒否権」の行使によって合意に至れず終わった。この全議員が単独で拒否権を発動できるとする仕組みは、共和国の国政をまったく麻痺させてしまった。

また通常のセイムの他にも、選挙王制が確立された1573年以降には、国王死後の空位期間に国王選挙を行う過程で、投票者の招集、選挙、戴冠のためにそれぞれ特別セイムが開かれた。これらを含めると、1569年から1793年までに全部で173回のセイムが開催された[1]

語源[編集]

全国議会にあたるセイムや地方議会にあたるセイミク(ポーランド語: sejmik)は、古チェコ語sejmovat,(呼び集める、招集する)が語源である[2]。セイム・ヴァルヌィ(sejm walny)という呼称における「ヴァルヌィ」は英語ではgeneral[3]、full[4]、ordinary[5]などと訳され、日本語では「大セイム」と訳されることが多いが、ポーランド・リトアニア共和国末期に開かれた四年セイムSejm Czteroletni)の別称Sejm Wielkiも「大セイム」と訳せるため注意が必要である。

起源[編集]

カジミェシュ3世時代のヴィエツ(14世紀)

1569年のルブリン合同に伴い、ポーランド王国セイムリトアニア大公国セイマスが統合されてポーランド・リトアニア共和国のセイムが誕生した。両国には合議制の元で立法を行う伝統があり、それはさらに遡ればスラヴ人の集会ヴィエツ(ヴェーチェ)に起源をもつ[6]。またポーランドでは国王も選挙で選ばれており、それゆえ王の生前に跡継ぎが決定されたり、王が指名した跡継ぎが明確な王位継承権を持ったりすることもなかった[7]。このように議会の権限が大きくなるにつれて、シュラフタ(貴族階級)の特権も徐々に拡大していった。特に王位が別の王朝にわたるときには、シュラフタは1374年のコシツェの特許状のように大幅な特権付与を王に要求したのである[8]。ポーランドのセイムの歴史について、歴史家のユリウシュ・バルダフは15世紀前半の全国集会を起源としている[9]が、ヤツェク・イェンドルフは初めて両院制の議会が開かれた1493年のセイムを最初とする説を提唱している[10][11]。さらにジーン・W・セドラーは、1493年のセイムは単に明確な両院制の記録が残っているものとしては最古であるだけで、実際にはより古い時代から両院制度が存在していた可能性を指摘している[8]

リトアニア大公国で多数の貴族が集結した議会・集会としては、1398年のサリナス条約締結時と1413年のホロドウォ合同時などが挙げられる。1445年にフロドナで行われたカジミェシュ4世リトアニア領主評議会の間での交渉が、リトアニアで最初に開かれたセイマスとされている。その後リトアニアは1492年から1582年の長期にわたり断続的にモスクワ大公国との戦争を続けており、軍を維持するために税収増を図ったリトアニア大公たちは頻繁にセイマスを開催した。貴族たちは大公に協力する見返りとして、セイマスの権限強化など様々な特権を獲得した。初期のセイマスは単に国内外の問題や税制、戦争、一部の予算について議論する場であったが、16世紀に入ると一部の立法権を有するようになった。セイマスは何らかの法を制定するよう大公に請願することができた[12]

政治的影響力[編集]

ヘンリク・ヴァレジを選出した最初の国王自由選挙(1573年)

セイムの権限は極めて大きく、国王の権力に厳しい制限をかけた。

これはルブリン合同前か強い権力を握っていたポーランド王国のセイムの特徴を受け継いだものと言える。1505年のニヒル・ノヴィ成立以降、ポーランド国王はセイムの承認なく立法することができなくなった[13]。ニヒル・ノヴィの条文には、法の制定には国王、上院、下院というセイム内の三階級の同意が必要であると記されている[13]。国王がセイムの承認なしに法令を出せるのは、王の直轄都市、王領の農民、ユダヤ人、鉱山といった限られた分野に対してのみとなった[13]。セイムを構成する三階級は、租税、予算、国家財政(軍事費を含む)、外交(外国使節の受け入れや大使派遣を含む)、貴族叙任について最終判断を下した[9][13]。またセイムは財務大臣(ポトスカルビ podskarbi)から年度報告を受けたり、重大な裁判について議論したりし、恩赦恩降の権限も持っていた[13]。さらにセイムは国王不在時に法律を制定する権限も有していたが、これについては国王の事後承諾を要した[9]

1791年に採択された5月3日憲法によって、上院議員の拒否権は制限された。下院の立法権も制限され、国王が上院議員、大臣、その他の役職の任命権を握り、上院の進行を務め、法の守護者(ストラシュ・プラフ Straż Praw)と呼ばれる新たな行政機関と共に新法を提出することができるようになった[14]。セイムは大臣やその他の役職者が責任を負う監督機関となった[14]

採決[編集]

16世紀までは多数決による採決が普通だった[15][16]。後にマグナート(大貴族)の力が強まるにつれて、シュラフタの特権として自由拒否権(リベルム・ヴェト)が認められるようになった[17]。17世紀後半以降、セイムは自由拒否権の行使によって頻繁に麻痺するようになり、ポーランド・リトアニア共和国の急速な衰退を招いた[16][18]。地方議会であるセイミクの権限拡大もセイムの能力低下に拍車をかけた。セイムの議員たちは地元のセイミクの決定に縛られ、自由に法案に賛同することができなくなった[16][19]。セイムの中小シュラフタによる中央集権化を求めた履行運動は17世紀にはほぼ消滅し、多数決の原則は連盟セイム(sejm rokoszowy, konny, konfederacyjny)でしか見られなくなった[15]。自由拒否権は5月3日憲法で廃止された[20]

1764年から1766年の改革で、セイムの議事進行が改善された[21]。経済・税制などの重大な議題以外では多数決が導入され、またセイミクによるセイム議員束縛も禁止された[21]。1767年の改革と1773年から1775年の改革によって、セイムの役割の一部は選任された代表による委員会に移譲されるようになった[21]。1768年以降、ヘトマンが上院議員に、1775年からは国家副出納官に含まれるようになった[21]

上院では採決は行われなかった。議題に関する議論が行われたのち、国王か宰相が多数派の意見に基づいた上院全体の見解をまとめた[16]

5月3日憲法以降、すべての採決方式が多数決に置き換わったが、重大案件の可決に際しては4分の3の賛同を要した[14]

構成[編集]

上院の座席表

1569年のルブリン合同でポーランドのセイムにリトアニアのセイミクから多数の議員が参加したため、下院議員の数が急激に増加した[22]。下院議員の任期は特に定められていなかったが、実際には彼らはセイミクで選出されてから4か月ごとに地元のセイミクにセイムの進行状況を報告し、セイミクの審査を受けていたため、この期間ごとに別の議員と交代する場合があった[15]。下院議員は免責特権を持ち、また彼らに対するあらゆる犯罪は不敬罪に分類された[15]

  • 上院(senat): 聖界監督や高官によって構成される[23]。1791年の5月3日憲法により、定数が132人と定められた[14]
  • 下院: 下級官や一般的な貴族によって構成される[9]。ポーランド・リトアニア共和国においては、下院議員数は上院議員数を上回っていた[23]。1569年のセイムでは、各地のセイミクで選出された170人の下院議員 (ポーランド語, : poseł,)が出席した。そのうち48人がリトアニアの議員だった[24]。また一部の都市の代表もオブザーバーとしての参加を認められた[24]。1764年から1768年のセイムでは議員数が236人前後にまで増えたが、四年セイムでは181人に減少した[23]。5月3日憲法では定数204人とされ、うち24人は都市代表であった[14]

5月3日憲法では、下院議員の任期は2年とされ、その間に臨時セイムが招集された際にもセイミクで改めて信任を得る必要はなかった[14]。上院議員の大部分は、セイミクが推薦した中から国王が選任することとなった[14]

通常、からは規模に応じて6人から2人、ジェミャziemia)からは2人か1人の下院議員が選出された[24]。1569年の勅令によれば、各選挙区の議員定数は#下院で示す通り[25][26]

通常セイム[編集]

進行[編集]

セイムは荘重なミサに始まり、最初に議員の義務の確認とセイム議長の選出を行う[27][28]。このセイムやセイミクの議事進行を統括する議長の選挙は、17世紀に生まれた手続きである[9]。続いて、宰相(カンツレシュ kanclerz)が両院に向けて国王の意向を宣し、そこから両院は閉会式まで別々に討議を行っていく[28]

決議書はポーランド王国時代にはラテン語が一般に用いられていたが、1543年以降はポーランド語で書かれるようになっている[29]。セイムで成立した法は、そのセイムの憲法(コンスティトゥツィア、ポーランド語: konstytucja) として布告された。逆に言えば、ポーランド・リトアニア共和国において「憲法」と言えば、それはすべてセイムを通過した法のことを指していた[30]。国家基本法としての近代憲法の性格を持つ「憲法」は5月3日憲法のみである[31]。16世紀末以降、憲法は印刷されて国王の印章を押され、ポーランド王冠領とリトアニア大公国のすべての県の評議会に送付されるようになった.[16][32]。度々憲法の印刷前に国王が微修正を加えることがあったが、これは貴族の強い反対を受けた[16]

開催地[編集]

ワルシャワ王宮内の旧議場(左)、新議場(右)

歴史上多くのセイムはワルシャワ王宮で開催された[22]。ただ一部のセイム、特に連合成立初期のものは頻繁に開催地を変えており、また1673年以降、3回に1回はリトアニア大公国のグロドノで開かれることになった。ここでの開催地は当初は古グロドノ城だったが、後に新グロドノ城に移った[33]。とはいえ実際には148回のセイムがワルシャワで行われたのに対し、グロドノではいわゆるグロドノ・セイムをはじめ11回しか開催されなかった[34]

ワルシャワ王宮の中には「三柱の間」があり、ここが下院議場だった。上院の議場は文字通りこの上の階にあった[34]。17世紀後半に下院議場が拡張され、18世紀中盤には上院も同規模に拡張された[34]。上院議場は、開会式の際に上下院議員が一堂に会するため、下院議場よりも広かった[34]

会期と周期[編集]

15世紀中盤のポーランド王国では、1年に1回セイムが開かれていた[9]。特に明確な開会期間は定められておらず、国王が次のセイムの開会を予告する形で閉会した[11]。全国セイムが開催されなかった場合は、各地のセイミクでその時の議題を扱った[9]

1573年以降に即位した国王それぞれが署名を求められたヘンリク条項は、国王に6週間のセイムを2年に1度開くよう求めており、また2週間の臨時セイム(sejm ekstraordynaryjny, nadzwyczajny)にといても規定している[15][33]。臨時セイムは国家の緊急事態、例えば他国の侵入を受けてポスポリテ・ルシェニェ(総動員)が必要になった時などに開かれた。このセイムは、全議員が同意すれば会期を延長できた[33]。セイムが一年のどの時期に開かれるかも特に定められていなかったが、貴族でもある議員が地元の差配に忙しい農繁期を避け、晩秋や冬の初めに開かれるのが普通だった[15]

5月3日憲法では、セイムは2年ごとに70日間開かれるものとし、延長も100日間までと規定された[14]。また同時に、臨時セイムや制憲セイム(25年ごと)に関する規定も作られた[14]

1493年から1793年までの300年間に開かれたセイムは240回ほどと推定されている[35]。ヤツェク・イェンドルフは245回としており、またそのうち192回で新法の制定に成功したと述べている[15]。18世紀初頭を中心に32回は悪名高い自由拒否権の行使により法制定に失敗した[15]。最後の2回はそれぞれ別の意味でイレギュラーだった。1788年に始まったセイムは1792年まで続き四年セイム(大セイム)と呼ばれているが、ここで5月3日憲法が採択された。一方、ポーランド・ロシア戦争敗北後の1793年に開かれたグロドノ・セイムでは、議員たちがロシアに買収されたり脅迫されたりして、5月3日憲法を破棄し第2次ポーランド分割を受け入れた[36][37]

特別セイム[編集]

国王選挙[編集]

スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキの国王選出(1764年)

通常のセイムや緊急時の臨時セイムに加え、国王死去後の空位時代には3種類の特別セイムが開かれた[38]

  • 召集セイム (Sejm konwokacyjny). 国王の死去や廃位に際して、王権代行するグニェズノ大司教が召集する[38]。このセイムでは国王自由選挙の日取りや制度について話し合い、特に貴族たちが新国王に要求するパクタ・コンヴェンタもここでまとめられた[38]。会期は2週間[15]
  • 選挙セイム (Sejm elekcyjny), 貴族たちが国王選挙で投票するためのセイム。セイミク選出の議員に限らず、投票を希望する貴族は誰でも出席でき、多くの場合通常セイムよりもはるかに多数の出席者が集まった[38][39]。その正確な数が記録されたことはなく、1万人から10万人まで諸説ある。そのため投票を行うだけでも数日(最初の1573年の選挙セイムは4日間)を要した[40]。当然通常のセイム議場には参加者が収まらないため、選挙セイムはワルシャワ近郊のヴォラ村で開かれた[38]。国王候補たちは選挙セイムに参加することもあったが、代理を出席させることも認められていた[40]。会期は6週間[15]
  • 戴冠セイム (Sejm koronacyjny). クラクフで行われる。一般に、それまで王権を代行してきた大司教が主催し、その権力を放棄して新王に移譲する戴冠式を行う[41]。会期は2週間[15]

連盟セイム[編集]

5月3日憲法はワルシャワ王宮で開かれた四年セイムおよび上院において採択された。

国家によらず連盟の元で召集され進行する自治議会である連盟セイム (Sejm skonfederowany) は1573年を最初に生まれ、18世紀には自由拒否権で麻痺した全国セイムに代わりポーランド政治の中心の役割を担った[42]。緊急時や非常時に召集された連盟セイムは、多数決制を用いることで議論や採決、立法の効率化と迅速化を図った[15][42]。選挙セイムの大部分は連盟セイムで、度々大(全国)セイムの代わりにもなった[38][42]

ヤツェク・イェンドルフは大セイムを通常議会と位置付けたうえで、連盟セイムには以下のような役割・性格があったと述べている。

  • 国家の評議会
  • 制憲
  • 委員会の結成
  • 非常時
  • セイムに代わる「大セイミク」
  • 国王抜きでの大評議会 (rada walna)。国王が出席できなかったり立法権を失っていたりしているときに開かれる。1576年、1710年、1734年の3回開かれ、前回の大セイムの議員が出席した。
  • 国王の調査、弾劾に関する議論。1592年、1646年の2例がある。
  • 分裂選挙が発生した後の内紛や内乱の調停。対立候補に譲歩を迫る。1598年、1673年、1698年、1699年、1735年の5回開かれた[5][15]

消滅とその後[編集]

1792年のポーランド・ロシア戦争に敗北したポーランド・リトアニア共和国は、1793年のグロドノ・セイムで5月3日憲法の破棄を余儀なくされた[36][37]が、これがポーランド・リトアニア共和国最後のセイムとなった。1794年に起こったコシチュシュコの蜂起も失敗し、第3次ポーランド分割によってポーランド・リトアニア共和国は消滅した[43]

1807年にナポレオン・ボナパルト率いるフランス帝国の衛星国としてワルシャワ公国が建国され、ワルシャワ公国憲法が制定されると両院制のセイムが復活したが、1815年の国家消滅とともに再び姿を消した。代わりにロシア支配下のポーランド立憲王国で国王(ロシア皇帝)、上院、下院からなる「セイム」が成立したものの、これは旧ポーランド領域に敬意を払っているというロシア側のプロパガンダの道具にすぎず、実権はほとんど無かった[44]

1918年、ついに宗主国の支配を脱して独立を達成したポーランド第二共和国では、1919年に最初の選挙が実施され、議会内閣制のもとでセイムが復活した。

現在、「セイム」(Sejm)はポーランド共和国下院を指す語となっている。

議会と選挙区[編集]

上院[編集]

上院は国王の枢密院に起源をもつ。上院議員は以下のように分類できる。

1732年の上院

大司教や司教、ヴォイヴォダ、主要都市の城主はsenatorowie więksi(大上院議員)もしくはsenatorowie krzesłowi(椅子に座る上院議員の意)と呼ばれ、専用の肘掛け椅子に座った。残る議員はsenatorowie mniejsi(小上院議員)もしくはsenatorowie drążkowi(ベンチに座る上院議員の意)と呼ばれ、大上院議員の後ろのスペースのどこかに座った。

1038年までポーランド王国の首都だったグニェズノの大司教はポーランドの首座司教であり、上院では最高位とされ、空位時代にインテルレクスを務めた。1596年までポーランド王国の首都だったクラクフの城主は、世俗領主としてヴォイヴォダをしのぐ最高位を占めた。これは、1117年にヴォイヴォダのスカルビミルが反乱を起こして失敗した際、ポーランド大公ボレスワフ3世クシヴォウスティが彼の目を潰し、その地位を地方城主の下に落としたことの名残である[45]

凡例
聖職 大領主 小領主 内閣・大臣
# 称号 ポーランド語 類型 等級 備考
1 グニェズノ大司教 Arcybiskup gnieźnieński 聖職 上級 カリシュ ポーランド首座司教、空位時のインテルレクス。1768年以降はグニェズノ県
2 ルヴフ大司教 Arcybiskup lwowski 聖職 上級 ルーシ
3 クラクフ司教 Biskup krakowski 聖職 上級 クラクフ
4 クヤフスキ 司教 Biskup kujawski 聖職 上級 ブジェシチ・クヤフスキ
5–6 ヴィリニュス司教 Biskup wileński 聖職 上級 ヴィリニュス 席次はポズナン司教と交代あり
5–6 ポズナン司教 Biskup poznański 聖職 上級 ポズナン 席次はヴィリニュス司教と交代あり
7–8 プウォツク大司教 Biskup plz płocki 聖職 上級 プウォツク県 席次はヴァルミア司教と交代あり
7–8 ヴァルミア司教 Biskup warmiński 聖職 上級 ヴァルミア公国 席次はプウォツク大司教と交代あり
9 ルツク司教 Biskup lz łucki 聖職 上級 ヴォルィン
10 プシェムィシル 司教 Biskup przemyski 聖職 上級 ルーシ
11 サモギティア司教 Biskup zz żmudzki 聖職 上級 サモギティア公国
12 ヘウムノ司教 Biskup chełmiński 聖職 上級 ヘウムノ
13 ヘウム司教 Biskup chełmski 聖職 上級 ルーシ
14 キユフ司教 Biskup kijowski 聖職 上級 キユフ
15 カミェニェツ=ポドルスキ司教 Biskup kamieniecki 聖職 上級 ポジーリャ
16 リヴォニア司教 Biskup inflancki 聖職 上級 リヴォニア 1677年以降
17 スモレンスク司教 Biskup smoleński 聖職 上級 スモレンスク
18 クラクフ城主 Kasztelan krakowski 領主 上級 クラクフ
19 クラクフのヴォイヴォダ Wojewoda krakowski 領主 上級 クラクフ
20 ポズナンのヴォイヴォダ Wojewoda poznański 領主 上級 ポズナン
21 ヴィリニュスのヴォイヴォダ Wojewoda wileński 領主 上級 ヴィリニュス
22 サンドミェシュのヴォイヴォダ Wojewoda sandomierski 領主 上級 サンドミェシュ
23 ヴィリニュスのヴォイヴォダ Kasztelan wileński 領主 上級 ヴィリニュス
24 カリシュのヴォイヴォダ Wojewoda kaliski 領主 上級 カリシュ
25 トロキのヴォイヴォダ Wojewoda trocki 領主 上級 トロキ
26 シェラツのヴォイヴォダ Wojewoda sieradzki 領主 上級 シェラツ
27 トロキ城主 Kasztelan trocki 領主 上級 トロキ
28 ウェンチツァのヴォイヴォダ Wojewoda lz łęczycki 領主 上級 ウェンチツァ
29 サモギティア公国のスタロスタ Starosta zz żmudzki 領主 上級 サモギティア公国
30 ブジェシチ・クヤフスキのヴォイヴォダ Wojewoda brzesko-kujawski 領主 上級 ブジェシチ・クヤフスキ
31 キユフのヴォイヴォダ Wojewoda kijowski 領主 上級 キユフ
32 イノヴロツワフのヴォイヴォダ Wojewoda inowrocławski 領主 上級 イノヴロツワフ
33 ルーシのヴォイヴォダ Wojewoda ruski 領主 上級 ルーシ
34 ヴォルィンのヴォイヴォダ Wojewoda wołyński 領主 上級 ヴォルィン
35 ポジーリャのヴォイヴォダ Wojewoda podolski 領主 上級 ポジーリャ
36 スモレンスクのヴォイヴォダ Wojewoda smoleński 領主 上級 Smoleńsk
37 ルブリンのヴォイヴォダ Wojewoda lubelski 領主 上級 ルブリン
38 ポウォツクのヴォイヴォダ Wojewoda polz połocki 領主 上級 ポウォツク
39 ベルツのヴォイヴォダ Wojewoda bełski 領主 上級 ベルツ
40 ノヴォグルデクのヴォイヴォダ Wojewoda nowogródzki 領主 上級 ノヴォグルデク
41 プウォツク県のヴォイヴォダ Wojewoda plz płocki 領主 上級 プウォツク県
42 ヴィテプスクのヴォイヴォダ Wojewoda witebski 領主 上級 ヴィテプスク
43 マゾフシェのヴォイヴォダ Wojewoda mazowiecki 領主 上級 マゾフシェ
44 ポドラシェのヴォイヴォダ Wojewoda podlaski 領主 上級 ポドラシェ
45 ラヴァ・マゾヴィエツカのヴォイヴォダ Wojewoda rawski 領主 上級 ラヴァ・マゾヴィエツカ
46 ブレスト・リトフスクのヴォイヴォダ Wojewoda brzesko-litewski 領主 上級 ブレスト・リトフスク
47 ヘウムノのヴォイヴォダ Wojewoda chełmiński 領主 上級 ヘウムノ
48 ムシチスワフのヴォイヴォダ Wojewoda mścisławski 領主 上級 ムシチスワフ
49 マルボルクのヴォイヴォダ Wojewoda malborski 領主 上級 マルボルク
50 ブラツワフのヴォイヴォダ Wojewoda bracławski 領主 上級 ブラツワフ
51 ポモージェのヴォイヴォダ Wojewoda pomorski 領主 上級 ポモージェ
52 ミンスクのヴォイヴォダ Wojewoda miński 領主 上級 ミンスク
53 リヴォニアのヴォイヴォダ Wojewoda inflancki 領主 上級 リヴォニア 1677年以降
54 チェルニフフのヴォイヴォダ Wojewoda czernihowski 領主 上級 チェルニフフ 1635年以降
55 ポズナン城主 Kasztelan poznański 領主 上級 ポズナン
56 サンドミェシュ城主 Kasztelan sandomierski 領主 上級 サンドミェシュ
57 カリシュ城主 Kasztelan kaliski 領主 上級 カリシュ
58 ヴォイニチ城主 Kasztelan wojnicki 領主 上級 クラクフ
59 グニェズノ城主 Kasztelan gnieźnieński 領主 上級 カリシュ 1768年以降はグニェズノ県
60 シェラツ城主 Kasztelan sieradzki 領主 上級 シェラツ
61 ウェンチツァ城主 Kasztelan lz łęczycki 領主 上級 ウェンチツァ
62 サモギティア城主 Kasztelan zzm żmudzki 領主 上級 サモギティア公国
63 ブジェシチ・クヤフスキ城主 Kasztelan brzesko-kujawski 領主 上級 ブジェシチ・クヤフスキ
64 キユフ城主 Kasztelan kijowski 領主 上級 キユフ
65 イノヴロツワフ城主 Kasztelan inowrocławski 領主 上級 イノヴロツワフ
66 ルヴィフ城主 Kasztelan lwowski 領主 上級 ルーシ
67 ヴォルィン城主 Kasztelan wołyński 領主 上級 ヴォルィン
68 カミェニェツ=ポドルスキ城主 Kasztelan kamieniecki 領主 上級 ポジーリャ
69 スモレンスク城主 Kasztelan smoleński 領主 上級 スモレンスク
70 ルブリン城主 Kasztelan lubelski 領主 上級 ルブリン
71 ポウォツク城主 Kasztelan polzocki połocki 領主 上級 polock ポウォツク
72 ベルツ城主 Kasztelan bełski 領主 上級 ベルツ
73 ノヴォグルデク城主 Kasztelan nowogródzki 領主 上級 ノヴォグルデク
74 プウォツク城主 Kasztelan plz płocki 領主 上級 プウォツク県
75 ヴィテプスク城主 Kasztelan witebski 領主 上級 ヴィテプスク
76 チェルスク城主 Kasztelan czerski 領主 上級 マゾフシェ
77 ポドラシェ城主 Kasztelan podlaski 領主 上級 ポドラシェ
78 ラヴァ・マゾヴィエツカ城主 Kasztelan rawski 領主 上級 ラヴァ・マゾヴィエツカ
79 ブレスト・リトフスク城主 Kasztelan brzesko-litewski 領主 上級 ブレスト・リトフスク
80 ヘウムノ城主 Kasztelan chełmiński 領主 上級 ヘウムノ
81 ムシチスワフ城主 Kasztelan mścisławski 領主 上級 ムシチスワフ
82 エルブラク城主 Kasztelan elbląski 領主 上級 マルボルク
83 ブラツワフ城主 Kasztelan bracławski 領主 上級 ブラツワフ
84 グダンスク城主 Kasztelan gdański 領主 上級 ポモージェ
85 ミンスク城主 Kasztelan miński 領主 上級 ミンスク
86 リヴォニア城主 Kasztelan inflancki 領主 上級 リヴォニア
87 チェルニフフ城主 Kasztelan czernihowski 領主 上級 チェルニフフ
88 ノヴィ・ソンチ城主 Kasztelan sazd sądecki 領主 下級 クラクフ
89 ミェンジシェチ城主 Kasztelan międzyrzecki 領主 下級 ポズナン
90 ヴィシリツァ城主 Kasztelan wiślicki 領主 下級 サンドミェシュ
91 ビェチ城主 Kasztelan biecki 領主 下級 クラクフ
92 ロゴジノ城主 Kasztelan rogoziński 領主 下級 ポズナン
93 ラドム城主 Kasztelan radomski 領主 下級 サンドミェシュ
94 ザヴィホスト城主 Kasztelan zawichojski 領主 下級 サンドミェシュ
95 ランド城主 Kasztelan lądzki 領主 下級 カリシュ
96 シレーム城主 Kasztelan szśremski 領主 下級 ポズナン
97 ジャルヌフ城主 Kasztelan zzażarnowski 領主 下級 サンドミェシュ
98 マウォゴシュチ城主 Kasztelan małogoski 領主 下級 サンドミェシュ
99 ヴィエルン城主 Kasztelan wieluński 領主 下級 シェラツ
100 プシェムィシル城主 Kasztelan przemyski 領主 下級 ルーシ
101 ハルィフ城主 Kasztelan halicki 領主 下級 ルーシ
102 サノク城主 Kasztelan sanocki 領主 下級 ルーシ
103 ヘウム城主 Kasztelan chełmski 領主 下級 ルーシ
104 ドブジン城主 Kasztelan dobrzyński 領主 下級 ブジェシチ・クヤフスキ
105 ポワニェツ城主 Kasztelan polzaniecki połaniecki 領主 下級 サンドミェシュ
106 プシェメント城主 Kasztelan przemezcki przemęcki 領主 下級 ポズナン
107 クシヴィン城主 Kasztelan krzywiński 領主 下級 ポズナン
108 チュフフ城主 Kasztelan czchowski 領主 下級 サンドミェシュ
109 ナクウォ・ナト・ノテチョン城主 Kasztelan nakielski 領主 下級 カリシュ 1768年以降はグニェズノ県
110 ロズプシャ城主 Kasztelan rospierski 領主 下級 シェラツ
111 ビェフフ城主 Kasztelan biechowski 領主 下級 カリシュ
112 ブィドゴシュチュ城主 Kasztelan bydgoski 領主 下級 イノヴロツワフ
113 ブジェジヌィ城主 Kasztelan brzeziński 領主 下級 ウェンチツァ
114 クルシュヴィツァ城主 Kasztelan kruszwicki 領主 下級 ブジェシチ・クヤフスキ
115 オシフィエンチム城主 Kasztelan oszwiez oświęcimski 領主 下級 クラクフ
116 カミェンスク城主 Kasztelan kamienzski kamieński 領主 下級 カリシュ 1768年以降はグニェズノ県
117 スピチミェシュ城主 Kasztelan spycimierski 領主 下級 シェラツ
118 イノヴウツ城主 Kasztelan inowlzozdz inowłodzki 領主 下級 ウェンチツァ
119 コヴァル城主 Kasztelan kowalski 領主 下級 ウェンチツァ
120 サントク城主 Kasztelan santocki 領主 下級 ポズナン
121 ソハチェフ城主 Kasztelan sochaczewski 領主 下級 ラヴァ・マゾヴィエツカ
122 ワルシャワ城主 Kasztelan warszawski 領主 下級 マゾフシェ
123 ゴスティニン城主 Kasztelan gostyński 領主 下級 ラヴァ・マゾヴィエツカ
124 ヴィズナ城主 Kasztelan wiski 領主 下級 マゾフシェ
125 ラチョンシュ城主 Kasztelan raciaz raciąski 領主 下級 プウォツク県
126 シェルプツ城主 Kasztelan sierpski 領主 下級 プウォツク県
127 ヴィショグルト城主 Kasztelan wyszogrodzki 領主 下級 マゾフシェ
128 ルィピン城主 Kasztelan rypiński 領主 下級 ブジェシチ・クヤフスキ
129 ザクロチム城主 Kasztelan zakroczymski 領主 下級 マゾフシェ
130 チェハヌフ城主 Kasztelan ciechanowski 領主 下級 マゾフシェ
131 リフ城主 Kasztelan liwski 領主 下級 マゾフシェ
132 リプノ城主 Kasztelan lipnowski 領主 下級 ブジェシチ・クヤフスキ
133 ルバチュフ城主 Kasztelan lubaczowski 領主 下級 ベルツ
134 シェラツ県侍従城主 Kasztelan konarski z woj. sieradzkiego 領主 下級 シェラツ
135 ウェンチツァ県侍従城主 Kasztelan konarski z woj. lz łęczyckiego 領主 下級 ウェンチツァ
136 ブジェシチ・クヤフスキ県侍従城主 Kasztelan konarski z woj. brzesko-kujawskiego 領主 下級 ブジェシチ・クヤフスキ
137 王冠領マルシャウェク(大元帥) Marszałek wielki koronny 内閣 下級
138 リトアニア大元帥 Marszałek wielki litewski 内閣 下級
139 王冠領カンツレジ(大宰相) Kanclerz wielki koronny 内閣 下級
140 リトアニア大宰相 Kanclerz wielki litewski 内閣 下級
141 王冠領副宰相 Podkanclerzy koronny 内閣 下級
142 リトアニア副宰相 Podkanclerzy litewski 内閣 下級
143 王冠領ポズカルビ(財務大臣) Podskarbi koronny 内閣 下級
144 リトアニア財務大臣 Podskarbi litewski 内閣 下級
145 王冠領宮廷司令官 Marszałek nadworny koronny 内閣 下級
146 リトアニア宮廷司令官 Marszałek nadworny litewski 内閣 下級

下院[編集]

下院議員は各地のセイミクで選出された[46]

# 選挙区 定員
1 クラクフ クラクフ 6
2 ポズナン ポズナン 6
3 オシフィエンチムザトル クラクフ 2
4 ヴィリニュス ヴィリニュス 2
5 アシュムィアヌィ ヴィリニュス 2
6 リダ ヴィリニュス 2
7 ヴィウコミェシュ ヴィリニュス 2
8 ブラスラフ ヴィリニュス 2
9 サンドミェシュ サンドミェシュ 7
10 カリシュ カリシュ 6
11 トロキ トロキ 2
12 グロドノ トロキ 2
13 カウナス トロキ 2
14 ウピタ トロキ 2
15 シェラツ シェラツ 4
16 ヴィエルン シェラツ 2
17 ウェンチツァ ウェンチツァ 4
18 サモギティア サモギティア公国 2
19 ブジェシチ・クヤフスキ ブジェシチ・クヤフスキ 2
20 ドブジン ブジェシチ・クヤフスキ 2
21 キユフ キユフ 6
22 イノヴロツワフ イノヴロツワフ 2
23 リヴィフ ルーシ 2
24 プシェムィシル ルーシ 2
25 サノク ルーシ 2
26 ハルィフ ルーシ 2
27 ヘウム ルーシ 2
28 ヴォルィン ヴォルィン 6
29 ポドラシェ ポドラシェ 6
30 スモレンスク スモレンスク 2
31 スタロドゥプ スモレンスク 2
32 ルブリン ルブリン 3
33 ポウォツク ポウォツク 2
34 ベルツ (ポーランド) ベルツ 4
35 ノヴォグルデク ノヴォグルデク 2
36 スロニム ノヴォグルデク 2
37 ヴァフカヴィスク ノヴォグルデク 2
38 ポウォツク ポウォツク 2
39 ヴィテフスク ヴィテフスク 2
40 オルシャ ヴィテフスク 2
41 チェルスク マゾフシェ 2
42 ワルシャワ マゾフシェ 2
43 ヴィズナ マゾフシェ 2
44 ヴィショグルド マゾフシェ 2
45 ザクロチム マゾフシェ 2
46 チェハヌフ マゾフシェ 2
47 ウォムジャ マゾフシェ 2
48 ルジャン マゾフシェ 2
49 リフ マゾフシェ 2
50 ヌル マゾフシェ 2
51 ドロヒチン ポドラシェ 2
52 ビェルスク・ポドラスキ ポドラシェ 2
53 ミェルニク ポドラシェ 2
54 ラヴァ・マゾヴィエツカ ラヴァ・マゾヴィエツカ 2
55 ソハチェフ ラヴァ・マゾヴィエツカ 2
56 ゴスティニン ラヴァ・マゾヴィエツカ 2
57 ブレスト・リトフスク ブレスト・リトフスク 2
58 ピンスク ブレスト・リトフスク 2
59 ヘウムノ ヘウムノ 2
60 ムシチスワフ ムシチスワフ 2
61 マルボルク マルボルク 2
62 ブラツワフ ブラツワフ 6
63 グダンスク ポモージェ 2
64 ミンスク ミンスク 2
65 マズィル ミンスク 2
66 レフィツァ ミンスク 2
67 リヴォニア リヴォニア 6
68 チェルニフフ チェルニフフ 4

著名なセイム[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ Seimas Abiejų Tautų Respublikoje (XVI–XVIII a.)” (リトアニア語). Seimas. 2015年12月30日閲覧。
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  3. ^ Władysław Czapliński (1985). The Polish Parliament at the summit of its development (16-17th centuries): anthologies. Zakład Narodowy im. Ossolińskich. p. 13. ISBN 978-83-04-01861-7. https://books.google.com/books?id=EXlKAAAAIAAJ 2012年3月7日閲覧。. 
  4. ^ Norman Davies (30 March 2005). God's Playground: The origins to 1795. Columbia University Press. p. 253. ISBN 978-0-231-12817-9. https://books.google.com/books?id=07vm4vmWPqsC&pg=PA253 2012年3月7日閲覧。. 
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  6. ^ Juliusz Bardach, Boguslaw Lesnodorski, and Michal Pietrzak, Historia panstwa i prawa polskiego (Warsaw: Paristwowe Wydawnictwo Naukowe, 1987, p.20, 26-27
  7. ^ Juliusz Bardach, Boguslaw Lesnodorski, and Michal Pietrzak, Historia panstwa i prawa polskiego (Warsaw: Paristwowe Wydawnictwo Naukowe, 1987, p.62-63
  8. ^ a b Jean W. Sedlar (April 1994). East Central Europe in the Middle Ages, 1000-1500. University of Washington Press. pp. 291–293. ISBN 978-0-295-97291-6. https://books.google.com/books?id=3o5lrvuwOVwC&pg=PA291 2012年2月29日閲覧。. 
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  11. ^ a b Jacek Jędruch (1998). Constitutions, elections, and legislatures of Poland, 1493–1977: a guide to their history. EJJ Books. p. 51. ISBN 978-0-7818-0637-4. https://books.google.com/books?id=Rmx8QgAACAAJ 2011年8月13日閲覧。. 
  12. ^ Lietuvos Didžiosios Kunigaikštystės parlamentas (XV-XVIIIa.)” (リトアニア語). Seimas. 2008年9月2日閲覧。
  13. ^ a b c d e Juliusz Bardach, Boguslaw Lesnodorski, and Michal Pietrzak, Historia panstwa i prawa polskiego (Warsaw: Paristwowe Wydawnictwo Naukowe, 1987, p.221-222
  14. ^ a b c d e f g h i Juliusz Bardach, Boguslaw Lesnodorski, and Michal Pietrzak, Historia panstwa i prawa polskiego (Warsaw: Paristwowe Wydawnictwo Naukowe, 1987, p.310-312
  15. ^ a b c d e f g h i j k l m Jacek Jędruch (1998). Constitutions, elections, and legislatures of Poland, 1493–1977: a guide to their history. EJJ Books. pp. 125–132. ISBN 978-0-7818-0637-4. https://books.google.com/books?id=Rmx8QgAACAAJ 2011年8月13日閲覧。. 
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  17. ^ David J. Sturdy (2002). Fractured Europe, 1600–1721. Wiley-Blackwell. p. 236. ISBN 0-631-20513-6. https://books.google.com/books?id=Y8_mapl_JS0C&printsec=frontcover&hl=pl. 
  18. ^ Barbara Markiewicz, "Liberum veto albo o granicach społeczeństwa obywatelskiego" [w:] Obywatel: odrodzenie pojęcia, Warszawa 1993.
  19. ^ Juliusz Bardach, Boguslaw Lesnodorski, and Michal Pietrzak, Historia panstwa i prawa polskiego (Warsaw: Paristwowe Wydawnictwo Naukowe, 1987, p.223
  20. ^ George Sanford (2002). Democratic government in Poland: constitutional politics since 1989. Palgrave Macmillan. pp. 11–12. ISBN 978-0-333-77475-5. https://books.google.com/books?id=tOaXi0hX1RAC&pg=PA11 2011年7月5日閲覧。. 
  21. ^ a b c d Juliusz Bardach, Boguslaw Lesnodorski, and Michal Pietrzak, Historia panstwa i prawa polskiego (Warsaw: Paristwowe Wydawnictwo Naukowe, 1987, p.293-294
  22. ^ a b Paul R. Magocsi (1996). A history of Ukraine. University of Toronto Press. p. 142. ISBN 0-8020-7820-6. https://books.google.com/books?id=t124cP06gg0C&printsec=frontcover&hl=pl. 
  23. ^ a b c Jacek Jędruch (1998). Constitutions, elections, and legislatures of Poland, 1493–1977: a guide to their history. EJJ Books. p. 57. ISBN 978-0-7818-0637-4. https://books.google.com/books?id=Rmx8QgAACAAJ 2011年8月13日閲覧。. 
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  26. ^ Wojciech Kriegseisen (1991). Sejmiki Rzeczypospolitej szlacheckiej w XVII i XVIII wieku. Wydawn. Sejmowe. pp. 28–35. ISBN 978-83-7059-009-3. https://books.google.com/books?id=t45FAAAAIAAJ 2012年2月24日閲覧。. 
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  28. ^ a b Karol Rawer (1899). Dzieje ojczyste dla mlodziezy. p. 86. https://books.google.com/books?id=cOdLAQAAIAAJ&pg=PA86 2012年3月7日閲覧。. 
  29. ^ Adam Zamoyski (15 April 2009). Poland: a history. Harper Press. p. 103. ISBN 978-0-00-728275-3. https://books.google.com/books?id=EEU_AQAAIAAJ 2012年3月2日閲覧。. 
  30. ^ "Konstytucja: Sejm laws passed by common consent. They had various characters: that of today's laws, and that of administrative acts. They pertained to national, local and special matters. They appeared with the date of the opening of the [Sejm] session.... They were published in the name of the monarch, were written in the Polish language, and with time appeared in print. Tax laws were published separately. A collection of constitutions was published in the 18th century by Stanisław Konarski under the title, Volumina legum [Volumes of Laws – the first collection of laws in Poland: Encyklopedia Polski, p. 301]." Encyklopedia Polski, pp. 306–7.
  31. ^ This is implicit in the May 3rd Constitution's recognition as the world's second written national constitution, after the United States Constitution, in many sources, including Encyklopedia Polski (p. 307) and Encyklopedia Powszechna PWN, vol. 2, Warsaw, Państwowe Wydawnictwo Naukowe, 1974, p. 543.
  32. ^ Jacek Jędruch (1998). Constitutions, elections, and legislatures of Poland, 1493–1977: a guide to their history. EJJ Books. pp. 54–55. ISBN 978-0-7818-0637-4. https://books.google.com/books?id=Rmx8QgAACAAJ 2011年8月13日閲覧。. 
  33. ^ a b c Juliusz Bardach, Boguslaw Lesnodorski, and Michal Pietrzak, Historia panstwa i prawa polskiego (Warsaw: Paristwowe Wydawnictwo Naukowe, 1987, p.219-220
  34. ^ a b c d Jacek Jędruch (1998). Constitutions, elections, and legislatures of Poland, 1493–1977: a guide to their history. EJJ Books. pp. 90–100. ISBN 978-0-7818-0637-4. https://books.google.com/books?id=Rmx8QgAACAAJ 2011年8月13日閲覧。. 
  35. ^ Przegląd humanistyczny. Państwowe Wydawn. Naukowe.. (2002). p. 24. https://books.google.com/books?id=GP5AAQAAIAAJ 2012年3月2日閲覧。. 
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  37. ^ a b Norman Davies (30 March 2005). God's Playground: The origins to 1795. Columbia University Press. p. 405. ISBN 978-0-231-12817-9. https://books.google.com/books?id=07vm4vmWPqsC&pg=PA405 2012年3月11日閲覧。. 
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  39. ^ Jacek Jędruch (1998). Constitutions, elections, and legislatures of Poland, 1493–1977: a guide to their history. EJJ Books. p. 71. ISBN 978-0-7818-0637-4. https://books.google.com/books?id=Rmx8QgAACAAJ 2011年8月13日閲覧。. 
  40. ^ a b Jacek Jędruch (1998). Constitutions, elections, and legislatures of Poland, 1493–1977: a guide to their history. EJJ Books. pp. 76–77. ISBN 978-0-7818-0637-4. https://books.google.com/books?id=Rmx8QgAACAAJ 2011年8月13日閲覧。. 
  41. ^ Jacek Jędruch (1998). Constitutions, elections, and legislatures of Poland, 1493–1977: a guide to their history. EJJ Books. pp. 78–79. ISBN 978-0-7818-0637-4. https://books.google.com/books?id=Rmx8QgAACAAJ 2011年8月13日閲覧。. 
  42. ^ a b c Juliusz Bardach, Boguslaw Lesnodorski, and Michal Pietrzak, Historia panstwa i prawa polskiego (Warsaw: Paristwowe Wydawnictwo Naukowe, 1987, p.226
  43. ^ Henry Smith Williams (1904). The Historians' History of the World: Poland, The Balkans, Turkey, Minor eastern states, China, Japan. Outlook Company. pp. 88–91. https://books.google.com/books?id=LFbTIBgjbqQC&pg=PA89 2013年1月8日閲覧。. 
  44. ^ Poznaj Sejm”. Opis.sejm.gov.pl. 2013年6月16日閲覧。
  45. ^ “Kasztelan” (ポーランド語). Encyklopedja Staro-polska. III. Piotr Laskauer i S-ka. (1902). https://pl.wikisource.org/wiki/Encyklopedia_staropolska/Kasztelan,_Kasztelanja 2008年10月3日閲覧。. 
  46. ^ Feliks Koneczny - "Dzieje administracji w Polsce w zarysie"”. Nonpossumus.pl. 2012年11月14日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]