スウィング・ウエスト
スウィング・ウエスト Swing West | |
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出身地 | 日本 |
ジャンル |
ロカビリー グループ・サウンズ |
活動期間 | 1957年 - 1970年 |
レーベル |
日本コロムビア ビクターレコード ユニオンレコード(テイチク) |
メンバー |
湯原昌幸(ボーカル) 梁瀬トオル(ギター、ボーカル) 西口弘孝(ドラムス) 飯田隆二(ベース) 横山博二(キーボード) 坂本隆則(ギター) |
旧メンバー |
堀威夫(リーダー) 寺本圭一(ボーカル) 清野太郎(ボーカル) 佐川ミツオ(ボーカル) 守屋浩(ボーカル) 田邊昭知(ドラムス) 喜多村次郎(サイドギター) 植田嘉靖(ギター) |
スウィング・ウエスト(もしくはザ・スウィング・ウエスト、スイング・ウエスト)は日本のロカビリー・バンドおよびグループ・サウンズ・バンドである。
1957年結成。当初はロカビリーのバンドとして活躍したが、1960年代中期にエレキバンドに転身、さらにグループ・サウンズのスタイルとなって1966年にレコードデビュー。
メンバー
[編集]- 堀威夫(リーダー、エレクトリック・ギター)創立メンバー。初代リーダー。1960年5月に引退
- 寺本圭一(ボーカル、ギター)創立メンバー。1958年11月に脱退
- 三上定雄(エレクトリック・ギター)創立メンバー。初期に脱退
- 大森俊雄(スティール・ギター)創立メンバー。2代目リーダー。1961年10月に脱退
- 田邊昭知(ドラムス)創立メンバー。1961年2月に脱退
- 大野義夫(ボーカル、バンジョー)創立メンバー。初期に脱退
- 山名義光(ボーカル、ギター)創立メンバー。初期に脱退
- 河野保一(フィドル)創立メンバー。初期に脱退
- 岩崎洋(フィドル)創立メンバー。初期に脱退
- 山崎一男(ベース)創立メンバー。初期に脱退
- 新井利昌(ピアノ)初期に脱退
- 清野太郎(ボーカル、ギター)1957年7月に加入、1960年4月に脱退
- 植田嘉靖(ギター、ベース)1957年夏に加入、1968年に脱退[1]
- 守屋浩(ボーカル)1958年5月に加入、1960年4月に脱退
- 佐川ミツオ(ボーカル)1959年に加入
- 清原タケシ(ボーカル)1960年4月に加入
- 原田良一(エレクトリック・ギター)1960年6月に加入。3代目リーダー。1963年に脱退
- 岸本圭司(ボーカル)1961年に加入
- 沢雄一(ボーカル)1961年に加入
- 湯原昌幸(ボーカル)1964年加入
- 喜多村次郎(サイドギター)1966年に脱退 その後ザ・カーナビーツに参加
- 梁瀬トオル(ギター・ボーカル)
- 西口弘孝(ドラムス)
- 飯田隆二(ベース)
- 横山博二(キーボード)
- 坂本隆則(ギター)1968年加入
来歴
[編集]1957年3月 ワゴン・マスターズを脱退した堀威夫(後のホリプロ社長)によって結成。
1958年3月 ミュージック・ライフ誌でウエスタン・バンド部門の人気投票第1位に選出。
1960年5月 堀がホリプロダクション創立のため引退。後任のリーダーには大森が就任し、大森俊雄とスイング・ウエストに。
1961年11月 大森が東洋企画の重役就任のため脱退。後任のリーダーには原田が就任し、原田良一とスイング・ウエストに。
1963年 原田が脱退。後任のリーダーには植田嘉靖が就任し、植田ヨシヤスとスイング・ウエストに。
1964年 エレキブームの到来を受けて、エレキバンド化。
1965年12月 ポリドールから発売されたオムニバスLPにインスト2曲で参加する。
1966年7月 湯原昌幸らバンドボーイなど3人をボーカルに加え、歌入り曲「流れ者のギター」で日本ビクターからシングルデビュー。
1967年 バンド再編でメンバーを入れ替えグループ・サウンズ化。
1967年9月10日 テイチクの洋楽レーベル・ユニオンから「恋のジザベル」で再デビュー。
その後、シングルとアルバムを相次いでリリースしたが大きなヒットには結びつかず、バラード路線に転換。
1968年5月10日 「幻の乙女/雨のバラード」が発売。ヒット。
2000年5月30日 ヤクルトホールで開催された寺本圭一のデビュー50周年記念コンサートにて、オリジナルメンバー8人により一日だけ再結成[3]。
ディスコグラフィー (ロカビリー期)
[編集]シングル
[編集]- トニー・パークス / 東京カリプソ/ウイロー・ツリー (1957年12月、日本コロムビア SB-36。B面のバックがスイング・ウエスト)
- 清野太郎 / ダイアナ/ドント (1958年5月、日本コロムビア SB-39。堀威夫とスイング・ウエスト)
- 清野太郎 / 流れ星を拾って (1958年5月、日本コロムビア SB-40。堀威夫とスイング・ウエスト。B面はトニー・パークス「君はわが運命」)
- 清野太郎 / クレイジイ・ラブ/思い出の指環 (1958年6月、日本コロムビア SB-41。堀威夫とスイング・ウエスト)
- 清野太郎 / 冷い女/ロックを踊る宇宙人 (1958年6月、日本コロムビア SB-42。堀威夫とスイング・ウエスト)
- 大野義夫 / 山の人気者/インディアン・ラブ・コール (1958年7月、日本コロムビア SA-99。堀威夫とスイング・ウエスト)
- 中島そのみ / ハイティーン・ベビー (1958年6月、日本コロムビア SA-105。堀威夫とスイング・ウエスト。A面は神戸一郎「俺はハイティーン」)
- 清野太郎 / 月と太陽のフラ/大野義夫 / テキサスのミルクマン (1958年8月。日本コロムビア SA-116。堀威夫とスイング・ウエスト)
- 清野太郎 / お尋ね者の唄/大野義夫 / 僕のエデン (1958年11月。日本コロムビア SA-146。堀威夫とスイング・ウエスト)
- 中島そのみ / 月は地球をまわってる/フラ・フープ・ソング (1958年11月、日本コロムビア SA-149。堀威夫とスイング・ウエスト)
- フレディ・クイン / アット・ザ・トップ/ストッド・アップ (1958年、ポリドール DP-1062。スイング・ウエスト、フォア・コインズ)
- 守屋浩 / 檻の中の野郎たち/俺のあの娘 (1959年7月、日本コロムビア SA-201。堀威夫とスイング・ウエスト)
- 中島そのみ / 真夏の磯の昼下り/守屋浩 / 恋の渚 (1959年9月、日本コロムビア SA-234。堀威夫とスイング・ウエスト)
- 守屋浩 / 達者でいるよお母さん/あの娘が空から降って来た (1959年10月、日本コロムビア SA-253。A面のバックが堀威夫とスイング・ウエスト)
- 守屋浩 / 夜のため息/想い出は消えはしない (1959年11月、日本コロムビア SA-286。堀威夫とスイング・ウエスト)
- 小林旭 / 口笛が流れる港町/泣きたい街角 (1959年11月、日本コロムビア SA-309。A面のバックが堀威夫とスイング・ウエスト)
- 守屋浩 / ボン・ボヤージ/二十四条知ってるかい (1960年2月、日本コロムビア SA-315。B面のバックが堀威夫とスイング・ウエスト)
- トミー藤山 / テネシー・ヨーデル・ポルカ/カウボーイ・エレジー (1960年2月、日本コロムビア SA-316。A面のバックが堀威夫とスイング・ウエスト。B面のバックがコロムビア・オーケストラ)
- 守屋浩 / 癪な雨だぜ/おヽ青春 (1960年3月、日本コロムビア SA-347。A面のバックが堀威夫とスイング・ウエスト)
- 守屋浩 / 俺のあの娘/こんな恋だってあるんだぜ (1960年4月、日本コロムビア SA-381。堀威夫とスイング・ウエスト)
- 小坂一也 / ローハイド/連邦保安官(1960年5月、日本コロムビア SA-382。堀威夫とスイング・ウエスト)
- 中島そのみ・重山規子・団令子 / お姐ちゃんに任しとキ (1960年7月、日本コロムビア SA-420。堀威夫とスイング・ウエスト。B面は神戸一郎「海にゃ俺らの夢がある」)
- 佐川ミツオ / 二人の並木路/恋をしようよ (1960年7月、ビクター VS-366。堀威夫とスイング・ウエスト)
- 佐川ミツオ / 可愛いあの娘は拾と六/僕の夢 (1960年9月、ビクター VS-386。スイング・ウエスト)
- 小坂一也 / 遥かなるアラモ/アラモの歌(1960年12月 SA-506。大森俊夫とスイング・ウェスト)
- 佐川ミツオ / 熱海ブルース/湯島の白梅 (1961年4月、ビクター VS-494。大森俊雄とスイング・ウエスト)
- 佐川ミツオ / 船頭小唄/波浮の港 (1961年5月、ビクター VS-514。B面のバックが大森俊雄とスイング・ウエスト)
- 佐川ミツオ・渡辺マリ / ほんとかい、かい節 (1962年1月、ビクター VS-620。原田良一とスイング・ウエスト。A面は佐川ミツオ「波止場仁義」)
- 佐川ミツオ / 山男の唄/星空のあなた (1962年5月、ビクター VS-700。A面のバックが原田良一とスイング・ウエスト)
- 瀬川純子 / ある恋のバラード/人魚が町にやって来た (1962年、キング EB-711。B面のバックがスウィング・ウエスト)
アルバム
[編集]- 堀威夫とスイング・ウエスト / スイング・ウエスト・リサイタル (1959年11月、日本コロムビア AL-159)
- V.A. / コロムビア・ヒット・メロディー集 (1959年3月、日本コロムビア AL-137) *堀威夫とスイング・ウエスト。「ロカビリー剣法」
- 守屋浩 / 夜のため息 (1960年1月、日本コロムビア AL-193)
- 守屋浩 / 青春をうたう (1960年5月、日本コロムビア AL-209)
- 原田良一とスイング・ウエスト / キミとボクのヒット・パレード (1962年7月、東芝音楽工業 JPO-1211)
ディスコグラフィー (GS期)
[編集]シングル
[編集]- 流れ者のギター/待っててシンディー(1966年7月15日、日本ビクター SPV-74)
- 恋のジザベル/君が好きなんだ(1967年9月10日、テイチク US-545-J)
- スキーがからだにとっついた/こんこんこなゆきこんばんは(1967年11月10日、UPS-553-J)
- 君の唇を/さいはての涙(1968年1月10日、テイチク US-562-J)
- ストップ・ザ・ミュージック/心のときめき(1968年2月15日、テイチク US-568-J)
- 幻の乙女/雨のバラード(1968年5月10日、テイチク US-579-J)
- B面曲だった『雨のバラード』は、発表時のメンバー・湯原昌幸が解散後の1971年4月にリメイクし、これが大ヒットとなった。
- 涙のひとしずく/渚の乙女(1968年10月25日、テイチク US-601-J)
- 悲しき天使/ビー・マイ・ベイビー(1969年1月15日、テイチク US-611-J)
- そよ風のバラード/愛の終り(1969年3月25日、テイチク US-613-J)
- 『そよ風のバラード』は、テリー・ジャックスの同名の曲とは無関係。
- レッツ・ダンス/愛の詩(1969年6月25日、テイチク US-624-J)
- 孤独/白銀のバラード(1969年9月25日、テイチク US-628-J)
EP
[編集]- ジョンガラ・ビート (1967年、テイチク SUW-73-J) *じょんがら節~そうらん節~津軽よされ節~北海盆唄
- おてもやん・ア・ゴーゴー (1968年1月、テイチク SUW-76-J) *おてもやん~五ツ木の子守唄~鹿児島小原節~ひえつき節
アルバム
[編集]- ジョンガラビート エレキによる日本民謡集(1967年12月、テイチク UPS-1009-J)
- よされでゴーゴー(1968年1月10日、テイチク UPS-1017-J)
- ゴーゴー勧進帳(1968年2月、テイチク UPS-1024-J)
- ステッピン・ア・ゴーゴー(1968年5月、テイチク UPS-1053-J)
- 上記4作は全てインストゥルメンタル。
- 雨のバラード/ザ・スウィング・ウエスト・オン・ステージ(1969年3月、テイチク UPS-5205-J)
- 歌と演奏は全てメンバー自身によるものだが、一部の曲は効果音として歓声を加えてライブ風に仕上げている(純粋なライブの音源ではない)。
アルバム (オムニバス)
[編集]- 狂熱のエレキ・ギター合戦 (1965年12月、ポリドール SLJM-1211) *スイング・ウエスト。「ロックン・ロール・ミュージック」「太陽の彼方に」
脚注
[編集]- ^ 植田嘉靖は「恋のジザベル」を最後にプレーヤーから引退(当時植田が務めたバンドマスターは、ボーカルの湯原昌幸が引き継いだ)。その後植田は、マネジメント業を主とする傍ら、作詞家・作曲家としても活動し(作詞のみ「こうじはるか」の筆名を使用)、「雨のバラード」などを世に送った。
- ^ 後年の湯原昌幸の証言では、解散については「売れてる時の喧嘩別れではなくて、自然消滅」としている。GSブームも末期となった頃には、スウィング・ウエストも歌謡曲バンドへの転身を図り、「夜の仕事」も始めて「食うため(だけ)というスタイルになっていた」という。そんななかで湯原はソロ歌手への転向を決意し、バンドを離脱。その後もスウィング・ウエスト自体は、他のボーカルを入れて暫く活動を続け、たまにそれを湯原が手伝うこともあったという(黒沢進「熱狂!GS図鑑」より)。
- ^ 芸能界のドン 一夜だけの歌手復帰、スポニチアネックス、2000年5月24日。