コーリン鉛筆
コーリン鉛筆(コーリンえんぴつ、タイ語: คอลลีน เพนซิล、英語: COLLEEN PENCIL)は、タイの色鉛筆メーカー。
かつては日本の大手鉛筆メーカーだったが、1997年に倒産。その後、タイ工場が「コーリン」ブランドを承継した。2011年時点ではタイでの色鉛筆のシェアは約半数に上り[1]、特に学童向けの色鉛筆セットや、バイカラー(1本で2色描ける色鉛筆)に強みを持つ。日本でも2019年より輸入販売されている。
沿革
[編集]旧・コーリン鉛筆
[編集]1916年に東京都千代田区東神田で創業[3]。1947年6月に法人に改組、12月に現社名へと変更。倒産時点では、日本の東京都葛飾区東新小岩に本社を置いていた。
倒産するまでは日本の「三大鉛筆メーカー」の1つで、1983年時点で三菱鉛筆(49.2%)・トンボ鉛筆(30.0%)に次ぐ業界3位(6.2%)の市場シェアを有し[4]、特に色鉛筆などのアートワーク系製品、学校用製品に強みを持っていた。鉛筆「No.9900」は発売当時の値段で1ダース120円(1本10円、発売当時の値段)と、高品質ながら安価で、ロングセラーとなった。また、1967年発売の製図用の鉛筆「ハイピアス」も高級鉛筆ながら1本50円(発売当時の値段)と安価でヒットした(なお同時期のトンボ鉛筆の最高級鉛筆であるMONO 100が1本100円)。
1970年代にはシャーぺンや、子供向け腕時計などのバラエティ文具にも進出した。1983年よりサンリオとコラボを行い、タキシード・サムなどのキャラクター鉛筆を製造していた。
就学児童の減少、鉛筆市場の需要低迷、赤木一族による同族経営などが理由で、1978年をピークに経営が悪化[5]。1988年に赤木一族から生え抜き社長に交代するも、経営は好転しなかった。1995年より外部スポンサーを入れた結果、1996年度には売り上げが跳ね上がったが、業界では「株式公開のための架空売り上げではないか」などの噂が飛び交った。最終的に、1997年2月に関連会社が不渡りを出したことがきっかけで信用不安が広がり、同年3月に和議申請。同年5月に保全処分解除に伴い和議を取り下げ、2回目の不渡りを出し、倒産。負債総額60億円。
新・コーリン鉛筆(タイ)
[編集]1991年、国内鉛筆市場の需要低迷から海外(アジア・中近東)に力を入れることにして[6]、コーリン鉛筆株式会社(日本)のタイ現地法人として、タイ王国・サムットプラーカーン県バーンサオトン郡にコーリン鉛筆タイランド社(COLLEEN PENCIL (THAILAND) CO.,LTD.、タイ語: บริษัท คอลลีน เพนซิล (ประเทศไทย) จำกัด)を設立。同社は日本・タイ・台湾の合弁で設立された。
1997年に日本本社が倒産。この時、タイ工場長の井口英明が旧・コーリン鉛筆(日本)より「コーリン」の商標権および「コーリン」ブランドの鉛筆の海外輸出権を譲受。新・コーリン鉛筆(タイ)は、井口工場長の指導のもとタイ資本100%で事業を継続した[7][8]。
タイ工場における元々の主力は黒芯だったが、当時のタイの鉛筆市場は安価な中国製品が席巻していたことから、新・コーリン鉛筆(タイ)は色鉛筆に再起をかけた[9]。旧・コーリン鉛筆(日本)の倒産によって色鉛筆芯の供給が途絶えたことから、タイ工場での生産再開当初は日本のメーカーの在庫や、市場から適当な色鉛筆芯をかき集めて仕入れていたが、2001年より興伸色鉛筆芯(東京都墨田区)より色芯を仕入れるようになり、品質が安定する。しかし、小さな町工場である興伸の色芯の生産数には限界があり、また日本からの輸送費も重くのしかかった。
2007年、色鉛筆で名をはせた「コーリン」ブランドの復興のため、タイでの色芯の現地生産に踏み切ることにして、興伸の技術移転を行い、興伸より譲受した芯出し機を見本にして井口工場長が自力で7台の芯出し機を再現。2009年、タイに色芯工場を開設[7][9]。試作を経て、2011年、タイにおける色芯の試験生産が開始された[9]。
色芯の供給が安定し、現地生産の色芯で多色の色鉛筆の製造ができるようになり、2018年に120色の色鉛筆セットを発売。2014年発売の「ネオンカラー」や、2019年発売の「レインボー7」などのヒット商品にも恵まれたため、生産数および売上は年々増加している。また、輸出も好調で、2019年より日本にも輸出販売されている。
新・コーリン鉛筆(日本)
[編集]2009年9月17日、色芯の内製の見通しが立ったため、東京都墨田区にColleen Pencil Thailandの日本法人である株式会社コーリン色鉛筆を設立[10]。しかし販売網が整わず、展示会への出展に留まった[9]。
2019年、文具展示会「FRAT」に初出展。以後、毎年出展している。
2019年より日本国内の卸業者と契約し、国内の流通に乗り、国内で再び「コーリン」ブランドの文房具が販売されるようになった[9]。
年表
[編集]- 1916年(大正5年) : 赤木廣八商店として東京市神田区(現・東京都千代田区)東神田で創業
- 1929年(昭和4年) : 東京田端の鉛筆製造工場を取得
- 1932年(昭和7年) : 工場を東京市足立区(現・東京都足立区)に移転
- 1945年(昭和20年) : 東神田の社屋が戦災により焼失
- 1947年(昭和22年) : コーリン鉛筆株式会社に改称
- 1982年(昭和57年) : 本社を東京都葛飾区に、工場を茨城県水海道市(現・常総市)に移転、CI変更。“三角顔”のブランドマークが右向きから左向きに変わる(旧ブランドマークの商標は維持)
- 1991年(平成3年) : タイ王国に鉛筆生産拠点としてコーリン鉛筆タイランド(Colleen Pencil (Thailand) Co.,Ltd.)を設立
- 1997年(平成9年) : 日本本社倒産。負債総額は約70億円。タイ法人はタイ資本100%へ移行し存続する
- 2007年(平成19年) : タイに色鉛筆芯生産拠点が開設
- 2009年(平成21年) : 東京都墨田区に株式会社コーリン色鉛筆が設立
主な製品
[編集]現在販売されている主な製品
[編集]- No.3030 - 4Hから6Bまで製造している。
朱藍鉛筆
- No.8500
- No.770、No.775
- No.785、No.787、No.789(ダブルカラー色鉛筆)
- CAP(水彩色鉛筆)
- NEON(蛍光色鉛筆)- 2014年発売[9]。鮮やかな蛍光色。
- RAINBOW(虹色色鉛筆) - 2019年発売。1本の芯に7色を仕込んでいる。タイの子どもたちに人気[9]。
- METALLIC(金色鉛筆・銀色鉛筆)
- No.1818 SOFT MARKER
その他、クレヨンやポスターカラーなども販売している。
過去の主な製品
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鉛筆
[編集]- ハイピアス(Hi pierce)No.5050 - 1967年(昭和42年)発売の高級鉛筆。硬度によって硬度表記の部分の色が異なる。2009年に復刻版が発売。廉価版の頭付けの部分を省略した「ピアス(pierce)No.3030 」も存在する。
- コア(CORE)シリーズ - 1970年代中期から発売。ハイピアスの後継商品的な位置付けとされる。基本形である「コア no.5550」には、発売当初はおまけとして鴎のデザインの「バランスジャック」が付録として同梱されていた。初期は軸の色が青色だったが後に赤色に変更される。シリーズには他に「コア no.5050」「コアG」「コア70 no.7070」などが存在する。コーリン倒産時まで発売。
- No.9900 - 三菱の「No.9800」、トンボの「No.8900」等に相当する標準グレードの鉛筆。コーリン倒産時まで発売。
- No.3030 - No.9900と同様の事務用鉛筆。No.3030はNo.2020に頭付けしたようなデザイン。コーリン倒産時まで発売。
- No.2020 - No.3030の廉価版、またはNo.3030とは違う別の色の軸を採用したモデルもある。
- No.710 - 消しゴム付きの六角形軸鉛筆。コーリン倒産時まで発売。
- No.700 - 図画用の丸軸鉛筆。コーリン倒産時まで発売。
- No.519 - 試験用鉛筆として昭和20年代に発売されていた。硬度はH。
- No.686 - 昭和30年代に発売されていた鉛筆。暗い赤色の軸。
シャープペンシル
[編集]シャープ芯
[編集]- 0.5シャープ芯 GOLD - 1972年(昭和47年)発売。一般的な0.5mm径シャープペンシルの替芯に、金色の特殊コーティングを施したもの。初期のものは30本入200円であるが、後期のものは40本入り200円に変更された。なお、蓋が色付きのものや抗菌モデルも発売されており、廃業間際まで生産されていた。
- BLAXシリーズ - シリーズ展開しておりBLAX、NEWBLAX、LONGBLAXの3種類がある。
- ニュータッチ芯 - 1970年頃発売。特殊な形の蓋を有し、それを回すことによりシャープ芯を取り出せる構造となっている。
色鉛筆
[編集]- マイルデックス(MILDEX)No.3000-SD - 廃業直前の1990年代に発売された高級色鉛筆。
- 色鉛筆 No.770 - 色鉛筆の代表製品。12色の組合せ品は紙ケース入りで販売された。発売時期によりスーパーカーや世界自然保護基金(WWF)協賛など、様々なケースデザインが施されていた。2008年に復刻版が発売。
この他、鉛筆削り器なども製造していた。
また、コーリン・チャップマンが率いたイギリスのスポーツカーメーカーのロータスやチーム・ロータス(初代)のライセンス供与を受けた鉛筆や鉛筆削り器などを販売していた事もある。
脚注
[編集]- ↑ 土橋 2011.
- ↑ 『日本マーク・ロゴタイプ集成』p.420、日向数夫・編、グラフィック出版、1967年
- ↑ “旧コーリン鉛筆株式会社の沿革”. コーリン色鉛筆 (2008年7月7日). 2008年7月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月19日閲覧。
- ↑ 『'84文具メーカーの商品戦略』p.40、矢野経済研究所、1984年4月
- ↑ 『Credit & law』1997年5月号、p.16、商事法務研究会・編、商事法務研究会
- ↑ 『海外経済・投資情報』p.24、中小企業事業団 中小企業国際交流センター、1991年3月
- 1 2 影山 2010.
- ↑ 田原 2007.
- 1 2 3 4 5 6 7 日向 2025.
- ↑ “株式会社コーリン色鉛筆 正式発足のご挨拶”. コーリン色鉛筆 (2009年11月3日). 2010年3月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年5月19日閲覧。
- ↑ “Products”. COLLEEN PENCIL (THAILAND) CO.,LTD. | コーリン鉛筆株式会社に改称. 2026年3月7日閲覧。
- ↑ “Colleen Malaysia”. mostastationery(Facebook). 2026年3月7日閲覧。
参考文献
[編集]- 田原徳容 (2007年7月5日). “コーリン鉛筆、タイで復活”. YOMIURI ONLINE. 2007年7月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年8月8日閲覧。
- 影山惠子「1 倒産を乗り越え異国の地から再生 株式会社コーリン色鉛筆」『潰れてたまるか!: ピンチをチャンスに変えた10社』CCCメディアハウス、2010年。
- 土橋正 (2011年7月11日). “コーリンの歴史と鉛筆”. All About. オールアバウト. 2020年8月8日閲覧。
- 佐伯竜一 (2019年12月20日). “ブンコレ~おすすめ文具コレクション【5】コーリン色鉛筆 鮮やかな発色 復活し凱旋”. 神戸新聞NEXT. 神戸新聞社. 2020年8月8日閲覧。
- 「BRAND INFO: コーリン色鉛筆」『パノーラ・タイ版』第15号、コム・バンコク、2020年7月、7頁。
- 日向みく (2025年10月11日). “日本から消えた「コーリン鉛筆」がタイで復活…年1億本売れる国民的ブランドに育てた"破天荒な元社員"の執念 借金70億円で倒産…国産鉛筆が22年後に"里帰り"を果たすまで”. PRESIDENT Online(プレジデントオンライン). プレジデントオンライン. 2026年1月15日閲覧。
外部リンク
[編集]- COLLEEN PENCIL(コーリン鉛筆タイランド 日本語公式サイト)
- コーリンの色鉛筆 (@yobomo) - X(旧Twitter)
- コーリン色鉛筆 (@colleen_pencil) - X(旧Twitter)
- コーリン色鉛筆 (Colleen.Pencil) - Facebook
- Kero556と文具と小物たち: コーリン鉛筆カタログ化計画 - 公認マニア・コーリン色鉛筆元社員によるコレクション情報を掲載したブログ