ゲデレー
ゲデレー Gödöllő |
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座標 : 北緯47度36分00秒 東経19度22分00秒 / 北緯47.60000度 東経19.36667度 | |||
行政 | |||
国 | ![]() |
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県 | ![]() |
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市 | ゲデレー | ||
市長 | ゲーメシ・ジョルジ | ||
地理 | |||
面積 | |||
市域 | 61.98 km2 | ||
人口 | |||
人口 | (2010年現在) | ||
市域 | 33,901人 | ||
人口密度 | 530.92人/km2 | ||
その他 | |||
等時帯 | 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1) | ||
夏時間 | 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2) | ||
郵便番号 | 2100 | ||
市外局番 | 28 | ||
公式ウェブサイト : http://www.godollo.hu/ |
ゲデレー (ハンガリー語:Gödöllő 、[[ˈgødølːøː]]、ドイツ語:Getterle)は、ハンガリー、ペシュト県の都市。
地理[編集]
ブダペストの北東30kmの地点にある。
歴史[編集]
14世紀以降、人がまばらながらも村があった。1541年からのオスマン帝国支配でさらに人口が減少した。
ゲデレーが成長を始めるのは1737年、ハンガリーの大地主グラッサルコヴィチ・アンタル(de)がゲデレーの地を購入してからである。1741年以降、グラッサルコヴィチ家はゲデレー城を本宅とした。ゲデレー城はハンガリー最大級のバロック様式建築であった。
グラッサルコヴィチ家の没落後、資産を購入したのはハンガリー政府であった。1867年、オーストリア皇帝・ハンガリー王フランツ・ヨーゼフ1世へ、アウスグライヒによる戴冠式の贈り物として、政府からゲデレーが贈られた。ハプスブルク家の人々、特に皇后エリーザベトが訪問したことで、ブダペストに住む貴族たちの間でゲデレーを夏のリゾート地とするブームが起きた。このためにゲデレーのインフラストラクチャーすべてが整った。このゲデレーの地位は、ハンガリー摂政ホルティ・ミクローシュが夏の住まいを構えたように、維持され続けた。
ハンガリーが共産主義政権下に入ると、『ブルジョワの町としての印象緩和』のため産業が導入されたが、むしろセント・イシュトヴァーン大学農業科学部が置かれたことが契機となった。1966年に市制が敷かれた。
1989年の東欧革命以後、ゲデレーはサービス産業への難しい転換を迫られた。1990年にソビエト軍がゲデレー城から撤退後、建物大部分が修復され、文化センターとなった。城は、結婚式などお祝いの際に借りることができる。