グジェゴシュ・フィテルベルク

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グジェゴシュ・フィテルベルク
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基本情報
生誕 (1879-10-08) 1879年10月8日
出身地 ロシアの旗 ロシアヴィテプスク県ダウガフピルス
死没 (1953-06-10) 1953年6月10日(73歳没)
学歴 東京音楽学校
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト作曲家指揮者
担当楽器 ヴァイオリン

グジェゴシュ・フィテルベルクGrzegorz Fitelberg, ヘブライ語: גז'גוז' פיטלברג‎, ロシア語: Григорий(Гжегож) Фительберг, 1879年10月18日ロシアヴィテプスク県ダウガフピルス - 1953年6月10日カトヴィツェ)は、現在のラトビア出身のユダヤ系ポーランド人ヴァイオリニスト作曲家指揮者カロル・シマノフスキの一員。

経歴[編集]

1879年、ダウガフピルス生まれ。父のゴーシィは軍楽員であった。1891~1896年、 ワルシャワでヴァイオリンをスタニスラフ・バルツェヴィチ、作曲をジグムント・ノスコフスキの下で学ぶ。1896年にワルシャワ大劇場オーケストラのヴァイオリン奏者となり、1901年からワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団の第2ヴァイオリンのコンサートマスター。1904~1905年シーズンには、同オーケストラの監督を務めた。

作曲家としては、1898年にライプツィヒで行われたイグナツィオ・パデレフスキー記念コンクールで第1位を獲得。1905年にカロル・シマノフスキと作曲家仲間たちと若きポーランドムウォダ・ポルスカ)を結成。

指揮者としては、第1次世界大戦中にはバレエ・リュスと音楽劇に関与した。1922年パリにおけるイーゴリ・ストラヴィンスキーマヴラ初演の指揮を務めている。また、1923年ワルシャワにおけるニコライ・マヤコフスキーの交響曲第3番の初演指揮も彼である。1935年にはポーランド国立放送カトヴィツェ交響楽団を設立した。 ヴァイオリニスト・パヴェウ・コハィンスキパウル・コハンスキ)、ミェチスワフ・カルウォヴィチルドミル・ルジツキアポリナリ・シェルトらと共にシマノフスキの演奏者・協力者の一人であり、それによってシマノフスキの作品が全ヨーロッパに知られるようになった。

1940年には南米へ行き、1940~1941年にはテアトロ・コロンのオーケストラ指揮をする。1942~1945年にはアメリカ合衆国へ住み、1946年にポーランドへ帰国した。 1947年から ポーランド国立放送カトヴィツェ交響楽団に復帰し、死去するまで同楽団を率いた。

家族[編集]

また、妹のレヤ・ヴァホリデルは1941年にワルシャワ・ゲットーで亡くなっている。

脚注[編集]


先代:
オルギェルト・ストラシンスキ
ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団音楽監督
1909年 - 1911年
次代:
ズビグニェフ・ビルンバウム