クロイソス
| クロイソス | |
|---|---|
| リュディア王 | |
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クロード・ヴィニョン画『リュディアの農民から貢ぎ物を受けるクロイソス』(1629年) | |
| 在位 | 紀元前585年頃 - 紀元前546年頃 |
| 出生 |
前7/6世紀 |
| 死去 |
前6世紀 サルディス |
| 子女 | アテュス |
| 王朝 | メルムナス朝 |
| 父親 | アリュアッテス |
クロイソス(ギリシャ語: Κροῖσος, ラテン文字転写: Kroîsos, ラテン語: Croesus)はリュディア王国の最後の王(在位期間:紀元前585年 - 紀元前546年頃[1])である。最終的には紀元前546年か547年頃、ペルシアのキュロス大王に敗北した[2][1]。ヘロドトスは彼の治世が14年だったと記している。クロイソスはその莫大な富で知られており、ヘロドトスやパウサニアスはデルポイにあったクロイソスの奉納品について書いている[3][4][5]。
クロイソスの没落はギリシア人に大きな衝撃を与え、暦の上で基準点として扱われた。J・A・S・エヴァンズは「5世紀にはクロイソスは年代記の範囲の外にある、神話の人物になっていた」と述べている[6]。
名称
[編集]クロイソスという名前は同時代のリュディア語文献に記録されていない。2019年、D・サスヴィル(Sasseville)とK・オイラー(Euler)は彼の治世下で鋳造された貨幣に対する研究結果を公表し、当時の支配者の名前が Qλdãns と記されていたとした[7]。
クロイソスという名前はギリシア語: Κροισος に由来し、J・M・カーンズ(Kearns)はリュディア語の再建名 𐤨𐤭𐤬𐤥𐤦𐤮𐤠𐤮 Krowisas をギリシア化したものだと考えた[8]。この推定された名前は固有名詞 𐤨𐤠𐤭𐤬𐤮 Karoś, 半母音 𐤥 (-w-), およびリュディア語でおそらく「主、貴族」を意味した語 𐤦𐤮𐤠𐤮 iśaś からなる複合語だと分析されていた。J・M・カーンズはクロイソスの本来の個人名はカロス(Karoś)であり、クロウィサス(Krowisas)という名前は「高貴なるカロス」という意味の個人名だったのではないかとしている。
生涯と治世
[編集]
クロイソスは紀元前620年に、リュディア王アリュアッテスおよび名前の伝わっていないカリア人貴族出身の王妃の子として生まれた。クロイソスには少なくともひとりの同父母姉妹アリュエニスおよび、イオニア人の王妃を母に持つ異母兄弟パンタレオン(Pantaleon)がいた[9][注釈 1]。
父の治世下、クロイソスはアドラミュッティオンの知事を務めた。同地はポントス・カスピ海草原から西アジアに侵入し、リュディアを複数回にわたり攻撃していた遊牧民キンメリア人に対する軍事拠点としてアリュアッテスが再建したものだった。キンメリア人はアリュアッテスの曽祖父ギュゲスを殺害し、祖父アルデュスおよび父サデュアッテスも恐らくキンメリア人との戦いで戦死した。アドラミュッティオンの知事として、クロイソスはカリアでの戦役にイオニア・ギリシア人傭兵を提供しなければならなかった[10][11][9]。
知事としての任期中、クロイソスとパンタレオンの関係は悪化した。パンタレオンはアリュアッテスに対し自らを後継者にするよう唆す恐れがあった。前585年にアリュアッテスが崩じた後、彼ら二人の間で王位を巡って争いが生じ、クロイソスが勝利した[9]。
征服
[編集]自らの王位が確立した後、クロイソスは速やかにイオニアの都市エフェソス相手に戦争を始めた。エフェソスの王朝はギュゲス時代に結ばれた政略結婚によってリュディアと友好関係を築き、アリュアッテスの時代までそれが継続していた。王位争いでパンタレオンを支援していたエフェソスの僭主ピンダロス(Pindar)はアリュアッテスの娘を母に持ち、クロイソスの甥であった。リュディアの支配を受け入れよとの使節の要求をピンダロスが拒否した後、リュディアはエフェソスに対しピンダロスを国外追放するよう圧力をかけた。ピンダロスは要求を受け入れ、エフェソスはクロイソスによってリュディア帝国に併合された。クロイソスはアルテミス神殿の女神に多くの大理石柱を寄贈し、その再建を支援した[9]。
一方、イオニアの都市ミレトスは、リディアの攻撃を免れる見返りとして、進んでメナに貢ぎ物を送っていた。同市は最後の僭主トアス(Thoas)とダマセノロス(Damasenor)を廃位し、僭主政から政務官政(magistrates)に体制転換したことで、アリュアッテスとかつてのミレトス僭主トラシュブロスによって築かれた友好関係が破局していた[9]。
クロイソスは小アジア西海岸のギリシア諸都市を攻撃し続け、イオニア本土、アイオリス、ドーリス六都市を征服したものの、島嶼部のギリシア都市国家については征服を諦め、友好条約を結んで諸都市とエジプト・ナウクラティス間の貿易から利益を得た[9]。
他の領土
[編集]アリュアッテスの治世下、リュディアはキンメリア人の襲撃によるアナトリア各地の政体弱体化、統一フリュギア国家の不在、フリュギア人とリュディア人エリート同士の伝統的な友好関係を利用して既にフリュギアを征服していた。フリュギアにおけるリュディアの存在はフリュギアの首都ゴルディオンにあったリュディア城塞のほか、ダスキュレイオンなどの北西フリュギアやフリュギア高原・ミダスのリュディア遺跡から証明されている。リュディア軍部隊は前述の場所のほか、ハジュトゥールル、アフィヨンカラヒサール、コンヤにも駐留していた可能性があり、リュディア王国はフリュギア産物や街道を利用可能だったと考えられる。ケルケネスにリュディアの象牙刻板が存在したことから、アリュアッテスのフリュギア支配はハリュス川の東、プテリアまで及んでいたことが示唆され、彼はプテリアを再建して同地にフリュギア人支配者を配置していたかもしれない。プテリアの戦略的な位置は東方の攻撃からリュディア帝国を防衛するのに好都合であり、王の道に付随するその立地から、隊商が保護されるような重要拠点だった可能性が示唆される[12][13]。リュディア支配下のフリュギアでは地元豪族による行政が続いており、例えばミダスの支配者は lawagetai(王)や wanaktei(軍司令官)といったフリュギアの王号を用いていたが、サルディスのリュディア国王に監督されており、その宮廷にはリュディアの外交官が駐在しており、ヒッタイトやアッシリア帝国以来の伝統的な封建性枠組みが維持されていた。リュディア国王は封建領主に「封建条約」を課し、地元のフリュギア人支配者による支配を認める代わりに、リュディア王国に対し軍事支援の提供や時に豪華な献上品を義務付けていた[12]。
状況はクロイソスの治世下でも維持された。ミダスの地元支配者ミダスの宮廷にクロイソスの息子アテュスがいたとする碑文が見つかっている。ミダスでは、アテュスは母なる女神アリュアスティン(Aryastin)の聖火を祀る聖職者の職にあり、彼を通じてクロイソスは今日ミダス・モニュメントとして知られる宗教的モニュメントを保護した[12]。
ミダス宮廷におけるアテュスの存在はヘロドトスによる伝承のもとになったかもしれない。彼によれば、アテュスが鉄槍によって殺される夢を見たクロイソスは息子を軍役から遠ざけたものの、結局リュディアを荒らしまわっていたイノシシを討伐中、兄弟を誤って殺して故郷からリュディアに亡命したフリュギアの王子アドラストスの放った槍によって亡くなったという[14]。
カリアの諸都市国家はギュゲス王の時代以来メルムナス朝と友好関係を結んでおり、クロイソスの母の故郷でもあったが、彼は同地をリュディア帝国の直接支配下に置いた[9]。
すなわち、ヘロドトスによれば、クロイソスはハリュス川以西の全ての民族(リュディア人、フリュギア人、ミュシア人、マリアンデュニア人、カルディア人、パフラゴニア人、テュニア人、ビテュニア・トラキア人、カリア人、イオニア人、ドーリア人、アイオリス人、パンフィリア人)を支配下に置いた。しかしながらこのうち文献および考古学の両方に裏付けられているのはリュディア人とフリュギア人の関係のみで、上記の他民族とリュディア王に関する有効な記録は存在しない。また、この記録がクロイソスの治世下にヘロドトスによって記されたことを考慮すると、これらの諸民族はアリュアッテスの時代に征服された可能性が高い。リュディア軍の勢力が及ばない山岳地帯に住むリュキア人および新バビロニア帝国によって征服されていたキリキア人のみがリュディアの支配を受けなかったとヘロドトスは主張している。にもかかわらず、リュキアの海岸はエーゲ海・レヴァント・キプロスを結ぶ交易路に近く重要性が高かったことから、リュディアがリュキアを支配した可能性もあるだろうと今日の歴史家は考えている[12]。また近年の研究ではハリュス川をリュディアとメディア王国の国境だったとする伝統的なギリシア人歴史家の記述に疑問が呈されており、ギリシア人がハリュス川を下アジアと上アジアの境界としたこと、ならびに後のアケメネス朝時代にはハリュス川が属州の境界とされたことから派生した、遡及的な物語のようである。クロイソスの王国の東端はハリュス川より東、東アナトリアのどこかだとされている[15][16][12][17][18]。
国際関係
[編集]クロイソスはメディア王国との友好関係を維持した。彼の父アリュアッテスとメディアの国王キュアクサレス2世は5年に渡る戦争の後、彼らの死の直前である前585年に友好関係を結んでた。戦争を終わらせた講和条約の取り決めで、クロイソスの姉妹アリュエニスはキュアクサレス2世の跡を継いだ息子アステュアゲスに嫁いでおり、キュアクサレス2世の娘がクロイソスに嫁いでいたかもしれない。クロイソスとアステュアゲスの代になっても両国の友好関係は継続された[12]。
ギュゲス以来の、サイスに拠点を置くエジプト王国のファラオ・アマシス2世との友好関係も維持された。クロイソスとアマシス2世はどちらもナウクラティスにおける(リュディア支配下のミレトス人を含む)ギリシア人を介した交易関係の促進に関心を寄せていた。またこの交易関係はギリシア人傭兵がサイスのファラオに仕える接点としても機能した[12]。
クロイソスは新バビロニア帝国のナボニドゥスとも商業・外交関係を結び、リュディアの製品がバビロニア市場に流入した[12]。
デルポイへの奉納
[編集]クロイソスは高祖父ギュゲスによって築かれ、父アリュアッテスによって維持された大陸ギリシア・デルポイにあるアポローン神の聖域との友好関係を続けた。祖先と同様、クロイソスは10タレントにもなる黄金のライオン像を含む豪華な奉納品を捧げた。クロイソスによる奉納の引き換えとして、リュディア人は神託を得る優先権、税の免除、上座特権、そしてデルポイの神官になる資格を与えられた。この奉納品と特権はリュディアとデルポイ間に存在した強固な友好関係を意味し、デルポイ人はリュディアの使節を歓迎・保護し、彼らの好待遇を保証する義務を負った[6][9]。
クロイソスは神託に従って都市国家スパルタがアポローン神の黄金像を鋳造するのに必要な黄金を提供し、ヨーロッパ大陸のギリシア人との関係を深めた[9]。
貨幣鋳造
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琥珀金貨を鋳造した父アリュアッテスに続き、クロイソスはクロイソス貨と呼ばれる史上初の純金貨を発行したことで知られる。貨幣の発明はヘルモディケ2世を通じてギリシア社会にもたらされた[19][20]。ヘルモディケ2世はトロイヤを征服したアガメムノーンの子孫を称するキュメー(現キミ)王アガメムノーンの娘だった。彼女はアリュアッテスの妃だと考えられており、クロイソス貨に刻まれている雄牛はギリシアの神ゼウスの象徴(エウローペーを参照)だったことから、彼女はクロイソスの母親だったかもしれない[21]。ゼウスはヘラクレスを通じて、クロイソスの神話的祖先だった。
火葬の火が燃え盛る中、雲がヘラクレスの下を通り過ぎ、雷鳴と共に彼を天へと運んだと伝えられる。その後、彼は不死身となった...オンファレとの間にアゲラオスをもうけ、その子孫がクロイソスの家系となった...[22]
その上、最初期の貨幣は極めて粗雑であり、金と銀からなる薄黄色の自然合金である琥珀金から作られていた。これら初期貨幣の組成はリュディアの首都サルディスを流れる、ミダス王で有名なパクトロス川のシルトで見られる沖積層のそれと類似している。大英博物館所蔵のものを含む後期の貨幣は塩を加えて加熱することで銀を除去し、純度を高めた金から作られていた[23]。
ギリシアおよびペルシア文化の中で、クロイソスの名は富豪を意味するようになった。彼は父アリュアッテスから莫大な富を受け継いだ。かつてミダス王がリュディアのパクトロス川で触れたものを純金に変えてしまう自らの能力を洗い流して以降、同川はリュディアに貴金属をもたらすようになった[24]。実際のところ、アリュアッテス王の税収こそが彼とクロイソスの征服活動を支える「ミダス王の手」だったかもしれない。クロイソスの富は古典古代期以降も慣用句として残り続けた。英語では大金持ちの形容として「rich as Croesus」または「richer than Croesus」という慣用句が今日でも存在する[25] 。英語での用法はジョン・ガワーの『恋人の告白』(1390年)に遡る。
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原文:
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現代式正書法:
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ソロンとの対話
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ヘロドトスによれば、ギリシアの賢人ソロンと遭遇したクロイソスは、自らの莫大な富を見せつけたという[27]。自らの富と幸福に自信を持つクロイソスはソロンに対し、世界で最も幸せな人物は誰かと尋ねた。ソロンはクロイソスより幸福だった人物を三人(祖国のために戦死したアテナイのテロス、自ら牛車を曳いて母を祭礼に連れていくという孝行の後、完全な幸福を願った母の祈りによって睡眠中に死去したクレオビスとビトーン兄弟)挙げ、それを聞いたクロイソスは落胆したという。

続けてソロンは幸運の無常さゆえに人生の幸福は死後まで判断できないことから、クロイソスが最も幸福な人物にはなれないと説明した。実際、クロイソスの傲慢な幸福は息子の事故死、クテシアスの語るところによればサルディス陥落時の妻の自殺、そして言うまでもなくペルシアに対する敗北によってひっくり返された。
対話は「誰が幸福か?」という哲学的議論に基づき、歴史的というよりは伝説的なものである。それゆえ、クロイソスの「幸福」はテュケーの移り気を示す道徳的訓話として示されている。このテーマは4世紀以降に人気を得たことから、その成立時期は遅いと推測される。話は後にアウソニウスによって『七賢人の仮面』(『スーダ辞典』"Μᾶλλον ὁ Φρύξ"・アイソポスとギリシャ七賢人を加えている)として翻案されたほか[28][29][30]、レフ・トルストイの短編『クロイソスと運命』も同話に着想を得ている。

ペルシアとの戦争と敗北
[編集]前550年、クロイソスの義理の兄弟であるメディア国王アステュアゲスは自らの孫であるペルシア国王キュロス2世に廃位された[12] 。ヘロドトスの伝説的な記述によれば、クロイソスはキュロスと戦えば「大帝国が滅びる」だろうというデルポイからの神託を得た。この神託はデルポイの神託の中でも著名なもののひとつである[12] 。
他の伝説的な伝承として、デルポイおよびアムピアラーオスの神託はクロイソスに対しギリシアで最強のものと同盟するよう告げたという。クロイソスはかつてアポローン像のために黄金を提供し、前547年にはギリシアの都市国家アルゴス相手に勝利したばかりのスパルタと同盟した。クロイソス、アマシス、ナボニドゥスの三者が対キュロス同盟を結んだとするヘロドトスの記述はリュディア、エジプト、バビロニアの間に存在した外交・交易関係を誇張したものだと考えられている[12] 。
クロイソスは手始めにリュディアに臣従するフリュギア国家の首都プテリアを攻撃した。フリュギアがリュディアの宗主権に反抗し、キュロス率いる新生ペルシア帝国と手を組んだからかもしれない。報復にキュロスはカッパドキアへ侵入し、プテリアの戦いでクロイソスを打ち破った。最初の戦いの後、クロイソスは戦略上重要な立地のプテリアが敵に利用されないように焼き払い、サルディスへ戻った。しかしながらキュロスはクロイソスを追ってテュンブラで打ち破り、リュディアの首都サルディスを包囲・陥落させメルムナス朝・リュディア帝国を滅ぼした。リュディアが独立を回復することはなく、その後の様々な帝国の属領としてとどまった[12] 。
プテリア・テュンブラの戦いおよびリュディア帝国の滅亡は伝統的に前547年とされてきたが[6]、近年の研究ではヘロドトスのリュディア滅亡に関する記述は時系列的に信用できず、それゆえ今のところサルディス陥落の時期を推定する手立てはない。理論上、前539年のバビロン陥落より後の出来事の可能性も存在する[6][31]。

余生と死
[編集]平和の時には子が父の葬いをする。しかし戦いとなれば、父が子を葬らねばならぬのじゃ。—クロイソス(『歴史』 巻1,87、助命された後、大キュロスに問われて答えた言葉[32])
ペルシアによる征服後のクロイソスの運命は定かでない。ヘロドトス、詩人バッキュリデース、ニコラオス・ダマスケノスはクロイソスが薪の上で焼身自殺を試みたか、ペルシア人によって火あぶりにされ、最終的に彼または息子の祈りをアポローン神が聞き入れ(あるいはクロイソスがソロンの名を叫ぶのをキュロスが耳にして)、雷雨によって命拾いしたと主張している。話の多くではキュロスがクロイソスを側近としたが、バッキュリデースはゼウスがクロイソスをヒュペルボレアへ連れ去ったとしている。クセノフォンもキュロスがクロイソスを側近とした話について述べている一方、クテシアスはキュロスがクロイソスをメディアの都市バレネ(Barene)の知事に任命したと述べている[12][6]。
ナボニドゥスの年代記の一節は、長らくキュロスの軍事遠征について記されていると考えられてきた。遠征先の国名はほとんど消えかかっていたが、楔形文字の一文字目が「Lu」と読めることから、アッカド語でリュディアを指すものと考えられてきた。その遠征で彼は「国に進軍し、王を殺し、その財産を奪い、自らの軍を駐屯させた」と記されている。しかしながら、ナボニドゥスの年代記で使われている動詞は「殺害する」「軍事的に壊滅させる」どちらの意味でも解釈することができ、ここからクロイソスの運命について推測することはできない[6][33]。より近年の研究では残された楔形文字は「Lu」ではなく「Ú」だと結論付けており、記述は対リュディア戦争ではなくウラルトゥに対するものではないかと示唆されている[31][34][35]。

学者マックス・マローワンはキュロスがクロイソスを殺害した証拠はないと論じており、特に火刑に処された伝承を否定している。バッキュリデースによる伝承は自殺を試みたクロイソスをキュロスが助命したものと解釈している[36]。
歴史家ケヴィン・レルー(Kevin Leloux)はナボニドゥスの年代記の記述がキュロスの対リュディア戦争についてのものだとする見解を維持しており、クロイソスは実際キュロスによって処刑されたと論じている。彼によれば、クロイソスと薪の物語はペルシア軍が多くの建物が木造だったサルディスの下町を占領した際に放った火をもとにギリシア人が創作したものだとしている[12]。
影響
[編集]クロイソスの敗北後、キュロスは金貨を自らの王国内での主な通貨とした。アケメネス朝でのクロイソス貨流通はキュロスの治世下で継続し、ダレイオス1世がダリクで置き換えるまで続いた。この後期キュロス治世下の「雄牛とライオン」を刻んだクロイソス貨は以前のメルムナス朝期のものより軽く、初期ダリク金貨およびシグロイ銀貨に近かった[36]。
大衆文化の中のクロイソス
[編集]『アルメニアの歴史』を執筆したアルメニアの歴史家モヴセス・ホレナツィ(410年頃 - 490年代)はアルメニア国王アルタクシアス1世による様々な軍功のひとつにクロイソスの捕縛とリュディア王国征服(2.12-13)を挙げている[37]。クロイソスの伝説的な権力と富は、しばしば人間のむなしさの象徴として多くの文学作品に登場する。
以下はアイザック・ウォッツによる詩『偽りの偉大さ(False Greatness)』の一節である。
他の文学作品としてはヘロドトスとプルタルコスによる伝承を元にしたレフ・トルストイの短編『クロイソスと運命』が挙げられる。
『リュディア王クロイソス(Crœsus, King of Lydia)』はアルフレッド・ベイト・リチャーズによる1845年発表の5部建て悲劇である。
「クロイソスほど金持ち(フランス語: riche comme Crésus)」になるというのはフランスで大金持ちを形容するのによく用いられる慣用句であり、あの世から蘇ったクロイソス王がCGIのガイコツとして登場し、幸運な出演者に自らの富の一部を分け与えるTF1の番組『クロイソス(Crésus)』の由来となっている。
『ザ・シンプソンズ』に登場する富豪バーンズ氏はクロイソス通りとマモン通りの角に住んでいる。
『Ghosts』シーズン1第5話では、サイモン・ファーナビー演じるジュリアン・フォーセット(Julian Fawcett)がジョフリー・マクギヴァン演じるバークレーズ・ベグ=チェトウィンド(Barclays Beg-Chetwynde)をクロイソスと比較し「ああ、このバカ野郎を覚えているさ...クロイソス並みに金持ちで、自分の声の響きが大好きなんだ」と語っている。
『エデンの東』第34章で、ジョン・スタインベックは正しい人生について説明する中でクロイソスについて言及している。富はクロイソスのように消え失せてしまう。それゆえ、ある人物が正しく生きたかどうか決めるために問うべき質問は「彼は愛されていたか、それとも嫌われていたか?彼の死が喪失として感じられたか、それとも喜びであったか?」。
1968年、イギリスのサイケデリック・ポップ・バンド「ワールド・オヴ・オズ」は最初のシングル『クロイソス王』をリリースした。
『ギルデッド・エイジ -ニューヨーク黄金時代-』シーズン3第6話で、クリスティーン・バランスキー演じるヴァン・ライン夫人(Mrs. Van Rhijin)は最近金持ちになった召使を「我らのクロイソスのようなフットマン」と呼んでいる。
『スローターハウス5』で、ビリー・ピルグリム(Billy Pilgrim)は「彼自身百万年以内にこうなるとは夢にも思わなかった、クロイソスのように豊か」だと説明されている。
関連項目
[編集]- クロイソス (オペラ) - ラインハルト・カイザー作曲のオペラ(1711年、ハンブルク、ゲンゼンマルクト劇場初演)
- カルンの宝物(「クロイソスの宝物」)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ クロイソスが前585年に即位したとするデール(Dale)の説および即位時35歳だったとするレルー(Leloux)の推定を合わせれば、クロイソスの生年は前620年となる。
出典
[編集]- 1 2 Dale, Alexander (2015). “WALWET and KUKALIM: Lydian coin legends, dynastic succession, and the chronology of Mermnad kings”. Kadmos 54: 151–166. doi:10.1515/kadmos-2015-0008 2021年11月10日閲覧。.
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- ↑ Watts, Isaac (1762). Horae lyricae: poems, chiefly of the lyric kind ... /. New York : Printed and sold by Hugh Gaine
- ↑ “Horae Lyricae (Isaac Watts) – ChoralWiki”. www2.cpdl.org. 2016年12月20日閲覧。
参考文献
[編集]- Diakonoff, I. M. (1985). “Media”. In Gershevitch, Ilya. The Cambridge History of Iran. 2. Cambridge: Cambridge University Press. pp. 36–148. ISBN 978-0-521-20091-2
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外部リンク
[編集]- Crésus. Le plus riche des rois de Lydie, Perrin, Paris, 2023 by Kevin Leloux
- "L'alliance lydo-spartiate", in Ktèma, 39, 2014, pp. 271–288 by Kevin Leloux
- "Les alliances lydo-égyptienne et lydo-babylonienne", in Gephyra, 22, 2021, pp. 181–207 by Kevin Leloux
- Herodotus' account of Croesus; 1.6–94 (from the Perseus Project, containing links to both English and Greek versions). Croesus was the son of Alyattes and continued the conquest of Ionian cities of Asia Minor that his father had begun.
- An in-depth account of Croesus' life, by Carlos Parada
- Livius, Croesus Archived 2013-07-30 at the Wayback Machine. by Jona Lendering
- Croesus on Ancient History Encyclopedia
- Gold Coin of Croesus a BBC podcast from the series: "A History of the World in 100 Objects"
- Chisholm, Hugh, ed. (1911). . Encyclopædia Britannica (英語) (11th ed.). Cambridge University Press.
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