クネイトラ県

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クネイトラ県
クネイトラの街の廃墟
クネイトラ近郊(シリア側)のバレーカ村(Bareeqa)

クネイトラ県(クネイトゥラ県、アル=クネイトゥラ県、Quneitra Governorate, Al Qunaytirah, アラビア語: مُحافظة القنيطرة, al-Qunaiṭira )は、シリアの14あるの一つ。ただし県の大部分は、1967年第三次中東戦争1973年第四次中東戦争でイスラエルに占領・併合され、係争地・ゴラン高原となっている。面積は 685平方km[1]とする資料や、1,710平方km[2]とする資料がある。人口は69,000人(2005年の推計[1])。県都はクネイトラ(アル=クネイトゥラ)。

地理[編集]

シリア南西部の国境地帯に位置し、東はダルアー県に、北はレバノンダマスカス郊外県(リーフ・ディマシュク)に、西はイスラエルに、南はヨルダンに接する。

県内の地形の多くは溶岩流が形成した高原であり、肥沃な土壌であることからコムギなどの栽培が盛んだった。

歴史[編集]

中世にはクネイトラを含むシリア地方は荒廃した。

近代に入りロシアなどからオスマン帝国に逃れてきたムスリムの入植が盛んになり多くの町や村が形成された。

中東戦争で大部分がイスラエルに併合され、ドゥルーズ派の農村がいくつか残るほかはイスラエル人が建設したキブツが戦争前の村の跡地に建っている。県都クネイトラは第四次中東戦争後イスラエルからシリアに返還されたが、現在に至るまで廃墟となったままである。

1970年代、イスラエル副首相を務めた経験のある政治家・イーガル・アロンヨルダン川西岸地区の安定化を目指してヨルダンとの二国間交渉で国境を確定しようとした。アロン・プランと呼ばれるこの計画では、西岸の大部分をイスラエル領とし、代わりにパレスチナ人密集地へのイスラエル人入植地建設は避けて自治区を作るというもので、これに付随してイスラエル占領地のゴラン高原も含むシリアのクネイトラ県にドゥルーズ派国家(ジャバル・ドゥルーズ)を建国する案があった[3]。アロン・プランは人口密集地へも入植地建設が行われたことで宙に浮いた。

またアロン死後の1981年にはイスラエル国会でゴラン高原法が通過した。この法律はイスラエルの法をゴラン高原地区にも適用するというもので、文面では併合という用語の使用は避けられたものの、事実上のゴラン高原併合とみなされる。

行政区分[編集]

イスラエル側ゴラン高原から見下ろす国連の兵力引き離し地帯とシリア側地区

クネイトラ県には2郡が属する。

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脚注[編集]